やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

発刊に寄せて
 摂食嚥下障害は神経系疾患や高齢者にしばしばみられ,ときに重大な問題を引き起こす.脱水,低栄養,窒息,誤嚥性肺炎などの合併症や死因との関連も指摘されている.また重度の摂食嚥下障害は,食べる楽しみの喪失などQOLにも深刻な影響を与える.そして,家族との食事など食に関する活動を阻害し患者を孤立させる.こうした摂食嚥下障害が心理社会的機能に及ぼす影響についての理解や認識はいまだ不十分である.これらの問題への取り組みは,日本のような高齢社会では特に重要な課題である.
 日本は,早期から摂食嚥下障害に対する多職種チームアプローチの重要性を認識し,実践してきたユニークな国である.言語聴覚士,歯科医師,看護師,栄養士,そしてリハビリテーション科医など医師が積極的に活躍している.日本摂食嚥下リハビリテーション学会は世界最大の学際的組織であり,嚥下障害の研究,教育,臨床を牽引している.このチームアプローチは摂食嚥下リハビリテーションの効果と効率性の両者に貢献している.
 藤田医科大学は,このチームアプローチのコンセプトをもとに科学的かつ体系的に摂食嚥下リハビリテーションを遂行している先駆的な施設の一つである.この新しいテキスト,“Dysphagia Evaluation and Treatment─From the Perspective of RehabilitationMedicine”は,科学的,臨床的,かつ倫理的に最高レベルの摂食嚥下リハビリテーションをサポートする.著者・編者は,摂食嚥下リハビリテーションの高度に熟練したエキスパートである.
 1996年に初めて日本を訪れてから現在まで継続している緊密なコラボレーションを通して,私は,同僚である彼らの並外れた知識や専門性について保証する.客員教授として訪問を重ねるなかで,藤田医科大学の摂食嚥下リハビリテーションの発展を間近に見ることができ,彼ら,特に摂食嚥下障害の研究と臨床の改革者であり名高いリーダーである才藤栄一教授から学ぶ機会に恵まれた.また,このテキストの著者6名を含む30名以上の日本の臨床家や研究者がJohns Hopkins大学の私の研究室に研修に来た.
 このテキストは,解剖や生理に加えて,摂食嚥下リハビリテーションの基本的かつ先進的な原則に焦点をあてている.ベッドサイドの臨床評価,スクリーニング,機器を用いた標準的な評価法に加え,嚥下CTや高解像度マノメトリーなどの新しい評価法,さらには運動学習の概念に基づいた治療的アプローチのすべてを網羅している.ケーススタディでは患者治療の体系的なチームアプローチが示されている.
 このテキストは摂食嚥下リハビリテーションの発展にとって最高の手引きとなるであろう.このテキストで示されたアプローチが早期からそして継続して実施されたら,確実に摂食嚥下障害患者の機能やQOLの改善を導くことができるだろう.そして,このテキストは,私たちの知識や今後の臨床をさらに改善させる方向性を示唆するものになっていると思う.
 Jeffrey B.Palmer,MD
 Johns Hopkins大学名誉教授
 藤田医科大学栄誉教授


緒言
 摂食嚥下リハビリテーションの歴史は新しい.その臨床的検討は1980年代に始まった.そして1990年代に入ると急速に発展・普及し,現在も進歩し続けている.この急速な発展には摂食嚥下障害患者の多大なニーズがある.摂食嚥下障害はどの年齡層にも生じる障害ではあるが,特に高齢者に多い.
 進行する人口の高齢化は世界的動向であり,60歳以上の人口割合は1990年には9.2%,2013年には11.7%まで増加し,2050年には21.1%まで達すると予測されている.超高齢社会に突入した日本の高齢化率は欧米先進諸国に比し急速に進んでおり,高齢者割合は群を抜いた高さである.政府統計(2017年12月時点)によると65歳以上は27.8%,75歳以上は13.9%,85歳以上は4.4%を占める.この人口の高齢化によって顕在化している問題の一つが,加齢に伴う摂食嚥下機能低下と高齢者に多い疾病に起因する摂食嚥下障害である.摂食嚥下障害は世界共通の社会的問題であり,具体的対応策の必要な課題である.
 肺炎は摂食嚥下障害のもっとも一般的な合併症であり,過去10年間,死因の上位に位置する.肺炎は,入院の長期化や死亡率の増加につながる.特に高齢者にとっては,肺炎の及ぼす悪影響は大きい.加齢とともに肺炎による死亡率は増加し,60歳以上になると急増する(2015年厚生労働省の国勢調査).2013年には肺炎が死因の第3位となった.高齢入院患者の約60%は誤嚥性肺炎によるものであり,この割合は70歳以上ではさらに高くなる.また,死因5位の不慮の事故の内訳では,窒息が最も多い.これらのデータは,摂食嚥下障害に関連した原因による死亡の多さを示している.
 2012年度の老人保健増進等事業「摂食嚥下障害に関わる調査研究事業」において,摂食嚥下障害を有する割合は介護療養型病床で73.7%,特別養護老人ホームで59.7%,医療療養型病床で58.7%と報告されている.同様に高齢者が入所,入院している全国の施設や病院を対象に摂食嚥下障害の動態を調査した報告で,高齢者の経管栄養率や嚥下障害率が高いことが示されている.またこの報告では,高齢者の長期療養施設や病院では嚥下機能評価が十分でなく,適切な介入がなされていないことが指摘されている.
 摂食嚥下障害に関わる専門職種は,関連して生じる合併症である窒息,誤嚥性肺炎,低栄養,脱水などを予防しながら,摂食嚥下機能の改善を目指す必要があり,嚥下評価,介入に対する基本的な知識やスキルを身につけなければならない.
 摂食嚥下リハビリテーションにはチームアプローチが不可欠である.チームワークの形態として,interdisciplinary teamは,専門職の個々の役割と機能がある程度決まっていて, そのなかで機能的連絡をとりあいながら連携するものとなる. 一方,transdisciplinary teamとよばれる形態は,患者の必要性がまず存在し,その必要性をそこに存在する専門職で分担するという考え方に基づく.この考え方では,各専門職の役割は,チーム構成員の実態によって変わる.関わる職種が施設毎に異なることの多い摂食嚥下リハビリテーションにおいては,transdisciplinaryという考え方が適切である.日本摂食嚥下リハビリテーション学会(Japanese Society of Dysphagia Rehabilitation: JSDR)は,急性期病院から施設や在宅までの広い範囲を視野に入れた摂食嚥下障害患者に対する効果的なtransdisciplinaryチームワークを実現するために設立された.嚥下チームに関わる職種には,医師,歯科医師,言語聴覚士,看護師,歯科衛生士,栄養士などが含まれる.実際のチームは,そこに存在する専門職によって構成員が異なり,担う役割が変わる.摂食嚥下訓練を例にとると,日本では言語聴覚士が主な役割を担っているが,タイでは作業療法士が行っている.
 日本摂食嚥下リハビリテーション学会は,摂食嚥下リハビリテーションの発展と進歩に必要な臨床,教育,研究を先導している.この20年で会員は約17,000人(2019年現在)となり,会員職種も幅広い(図).また本学会が中心に,欧米諸国やアジアなど世界の国々と交流を深め,国際的な共同関係を築き,摂食嚥下リハビリテーションの発展を牽引している.
 アジア諸国においても摂食嚥下障害に対する系統的な医療対応が急務な課題となっている.患者のニーズは大きく,摂食嚥下チームの有効性は明らかなものの,摂食嚥下障害に対する認識はいまだに低い.摂食嚥下障害について特別な教育や研修を受けたことのない医療関係者が多い現状のなかで,この問題にどう対応すればよいか適切な方向性がないまま,評価や訓練が委ねられる例も珍しくない.関係する職種によっては,独自の方法で診断し対応せざるを得ない.当然ながら,珍しい病態や重度な障害への対応は難しくなる.
 画像評価は,摂食嚥下障害の病態を明らかにして,最適な治療法を選択し,その効果を判定するうえで欠かせないが,アジア諸国の多くでは,いまだに整備されていない.また専門性を有した職種で構成された摂食嚥下チームも少ない.今後,専門職の育成と,チーム体制づくりの普及が求められている.
 本書は,摂食嚥下障害への対応上,それぞれの専門職が共通に持っておくべき摂食嚥下に関する基礎知識ならびに評価方法,訓練に関する実用的知識の獲得を目的に編集した.
 本書は4編で構成されている.1編では摂食嚥下の解剖生理,モデルについて,2編では臨床的アプローチとして機器を用いない・機器を用いた評価について述べる.機器を用いた評価は,ゴールドスタンダードである嚥下造影検査,嚥下内視鏡検査に加え,最新の動的定量的評価である嚥下CT評価について触れる.3編では摂食嚥下障害の対応や治療法を概観する.4編では臨床場面でしばしば遭遇する症例を呈示し,実際のアプローチを紹介する.
 本書の内容は,藤田医科大学の摂食嚥下チームの臨床に基づいている.本書が,摂食嚥下リハビリテーションに関わる読者にとってその専門性を高める上で役に立つこと,また関心を持つ読者にとってわかりやすい出発点となることを願っている.
 才藤栄一,稲本陽子
 発刊に寄せて(Jeffrey B Palmer)
 緒言(才藤栄一,稲本陽子)
Part I 概論および嚥下の生理
 1.解剖の概論および用語(才藤栄一,Kannit Pongpipatpaiboon)
  1 摂食嚥下障害の用語
  2 解剖と運動制御
   1 摂食嚥下の解剖学的構造
   2 摂食嚥下の神経制御
 2.ヒトの嚥下の進化と発達(松尾浩一郎,才藤栄一)
  1 ヒトの口腔・咽頭・喉頭の構造
   1 口腔の構造
   2 咽頭腔の大きさ
   3 口腔と喉頭・咽頭の位置
  2 ヒトにおける嚥下の発達
 3.摂食嚥下の生理学的モデル(松尾浩一郎,青柳陽一郎)
  1 はじめに
  2 4 期モデル
  3 プロセスモデル(process model)
  4 2 期モデル
  5 呼吸と嚥下の協調
Part II 臨床的アプローチ
 4.リハビリテーション医学からみた摂食嚥下障害(加賀谷 斉,Kannit Pongpipatpaiboon)
  1 摂食嚥下障害に対するリハビリテーション
  2 日本における摂食嚥下リハビリテーションチームの発展
 5.摂食嚥下障害の臨床的評価
  1 摂食嚥下障害のスクリーニング検査(加賀谷斉,柴田斉子)
   1 反復唾液嚥下テスト(repetitive saliva swallowing test;RSST)
   2 改訂水飲みテスト(modified water swallowing test;MWST)
   3 フードテスト
   4 30mL水飲みテスト
  2 臨床的摂食嚥下評価(柴田斉子,加賀谷 斉)
   1 病 歴
   2 身体所見
  3 機器を用いた摂食嚥下機能評価(柴田斉子,稲本陽子)
   1 嚥下造影検査(VF)による嚥下機能評価
   2 嚥下内視鏡検査(VE)による評価
   3 急性期病院(藤田医科大学病院)における系統的評価システム;VEを携えた病棟回診
  4 嚥下評価の新たな展望(青柳陽一郎,稲本陽子)
   1 嚥下CT
   2 高解像度マノメトリー
   3 舌圧計測
   Appendix その他の摂食嚥下障害スクリーニングツール
Part III 治療
 6.口腔ケア(松尾浩一郎,Kannit Pongpipatpaiboon)
 7.摂食嚥下練習
  1 運動学習の基本的考え方(稲本陽子,柴田斉子)
   1 運動学習の要素
  2 嚥下練習(稲本陽子,Kannit Pongpipatpaiboon)
   1 要素別練習
   2 課題指向的練習
   Appendix
   1 舌の可動域練習
   2 舌の抵抗練習 筋力増強練習
   3 口腔の協調性練習
   4 Shakerエクササイズ
   5 開口練習
   6 舌後退練習
   7 前舌保持嚥下(Tongue hold swallow.Masako法)
   8 呼気筋力増強練習
   9 Thermal tactile stimulation
   10 Kスプーン
   11 バルーン拡張法
   12 嚥下手技
 8.その他の治療(青柳陽一郎,稲本陽子)
  1 支援システム
   1 間欠的経管栄養法
   2 歯科補綴
  2 外科的治療
   Appendix 輪状咽頭筋切断術と喉頭挙上術
Part IV 症例
 9.症例提示
  1 症例1(加賀谷 斉,柴田斉子)
   1 機器を用いた摂食嚥下機能評価
   2 治療経過
   3 まとめ
  2 症例2(稲本陽子,Kannit Pongpipatpaiboon)
   1 画像評価
   2 練習経過
   3 まとめ
  3 症例3(青柳陽一郎,稲本陽子)
   1 機器を用いた摂食嚥下機能評価
   2 治療経過
   3 まとめ

 文献
 索引