やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

Foreword
 インプラント治療は,この数十年の間に欠損歯を補綴する一般的な手段として普及してきた.患者が“健康”な状態であれば,15年間の経過観察でインプラントの生存率は90%と報告されており,条件が整えば,オッセオインテグレーションを獲得したインプラントは安全で,経時的な辺縁骨の吸収も軽微であることが実証されている.
 しかし現実的には,技術的・生物学的・審美的問題がさまざまな確率で発生する.歯科医師にとって何よりも重要なのは,起こりうる種々のタイプの問題を把握しておくことのみならず,臨床で遭遇するそれらの問題への対処法,そして望ましくは回避する方法を知っておくことである.
 インプラント周囲炎の存在を臨床的に証明するためには,BOP(ポケット底からの出血)および/または排膿を確認する必要がある(インプラント支持骨の吸収を伴うインプラント周囲ポケットの増大の有無は問わない).この疾患は,かつては多くの歯科医師にとって比較的稀な現象であったが,この10年の間に急増し,日常臨床でインプラント患者を扱うすべての歯科医師が関心を寄せる問題となっている.それゆえ,インプラント周囲炎の診断と治療に関する知識をアップデートしていくことは,重要な課題である.現時点では,この重要な問題にフォーカスした書籍は少なく,新たな情報源となる『歯周病患者のインプラント治療』の刊行はまことに喜ばしいことである.
 本書では,インプラント治療をいくつかの異なった角度から捉えて解説している.インプラントのオッセオインテグレーションを獲得する方法を記した多くの初期の論文がまず紹介され,その後の項目では,近年の新しいレビューやメタアナリシスも引用されている.歯科医師がたびたび遭遇する「歯を保存するべきか,それとも歯周病に罹患している歯をインプラントに置き換えるべきか」というジレンマに対して焦点を当てており,喪失した歯周組織をどのように再生するかについて検討している.さらに,臨床診査,病理学的検査,X線撮影によって得られた病的インプラントの特徴的な所見が,正常な所見と比較しながら提示されている.
 また,本書ではインプラント周囲病変がさまざまな視点から解説されており,病因,疫学,リスクファクターとともに,各種の治療法が,厳選された写真および症例とともに紹介されている.インプラント治療を成功に導き,インプラント周囲炎をコントロールするための鍵となるのは,明確に規定されたサポーティブセラピーのプロトコルであると著者らは強調しており,実に的を射た指摘である.
 本書はインプラントに関する幅広い情報を紹介しつつ,欠損補綴においてインプラントを成功裏に使用するための方策を明示しており,インプラント治療を実践しているすべての歯科医師に強く推奨できる内容を備えている.執筆にあたられた弘岡氏,古賀氏の類まれなるご尽力に敬意を表したい.
 2017年5月
 Stefan Renvert
 Professor,Department of Health Sciences,Kristianstad University,Sweden



Preface
 歯科大学卒業後ほどなくして開業した私が,自身の日常臨床に疑問を感じ留学を決意したのは1986年のこと.留学先を探す目的で訪れたアメリカのペンシルベニア大学で,Lindhe教授とNyman教授による歯周病学のセミナーを聴講し,科学に基づいた講義に感銘を受け,注目を集め始めていた歯周組織再生療法(GTR法)とスカンジナビアの歯周補綴に触れ,これまで抜かれていた歯を保存できる時代の到来を予感した.さらに,メイヨー・クリニックで無歯顎に対するブローネマルクインプラントの講義を受け,やむなく抜歯に至った歯の代替としてのインプラントの可能性に触れた.
 この時目にした歯科治療を実践したいと思い,Lindhe教授が戻られたスウェーデンのイエテボリ大学歯周病科へ1988年に留学.Lindhe教授の下で歯周病学を学ぶかたわら,歯周病患者に天然歯とインプラント支台のブリッジを応用した論文(1986年)の著者であるEricsson助教授(現 マルメ大学補綴科教授)にインプラント臨床を学んだ.
 しかし留学中,最も衝撃的だったのは,ヒトのインプラント周囲炎を初めて見たことである.隣の研究室でBerglundh先生(現 歯周病科主任教授)らが一連の動物実験においてインプラント周囲病変の観察を行っていたが,1992年当時,ヒトには起こらないと思われていた.ある日,Lindhe教授に呼ばれオペ室に行くと,インプラント周囲に病変がある患者の手術が始まった.教授がフラップを翻転すると,驚いたことに,インプラント周囲の骨が皿状に失われ,スレッドが露出していた.その患者はEricssonら(1986)の論文に提示されていた症例で,その後,病変が再発し,インプラント周囲病変の治療がいかに難しいかを私に教えてくれた.この症例が本書を執筆する原点となったと言っても過言ではない.Ericsson教授は,昨年11月に来日された折,1986年の研究の裏話をされ,本書のために患者資料を快くご提供くださった.
 1993年に帰国後,日本人の口腔の健康には科学に基づいた歯周治療が必要と感じ,「弘岡秀明 歯周病学コース」を開始.本書の共著者である古賀剛人先生は第1回の受講生である.古賀先生とは,『歯界展望』誌上で「歯周治療におけるインプラントの位置づけ」と題した連載を2002年から2年間行い,それが本書の基となっている.
 推薦文をお寄せいただいたRenvert教授とは,2009年にストックホルムで開催されたEuroperio6で面識を得た.私は教授のインプラント周囲病変に関する講演に深く感銘を受け,現在に至るまで親交を深めている.
 本書は,歯科医学の研究者,臨床医,歯学生,歯科衛生士,歯科技工士に向けて,現在,歯周病学およびインプラント治療において明らかになっていることを提示するとともに,臨床例を通してEBMを理解できるように執筆した.疑問を解決するためのテキストとして,あるいは臨床ヒントとして活用していただけたら幸いである.最後に,牧野友亮先生をはじめ,出版にご尽力いただいた関係各位に感謝を表したい.
 2017年5月
 アイラ島ボウモアハーバーインKilchiaranにて 弘岡秀明


 俯瞰するように眺める街は美しい.私はホテルの高層階から,まだ肌寒い5月初旬のイエテボリを見下ろしている.スウェーデンには高層ビルが少ないので,この国に多少は慣れている私にも初めての経験である.早朝の落ち着いた街を見つめていると,遠い記憶が脳裏に去来する.
 私がosseointegrated implantと出会ったのは,アメリカに遊学していた1989年である.偶然,ブローネマルクシステムの秀逸さを知って8月にはイエテボリに渡り,ブローネマルククリニックでベーシックコースを受講した.この国とスカンジナビア学派の歯科学との邂逅であった.
 当時,すでに共著者の弘岡先生がイエテボリ大学歯周病科に留学中であったことを思えば,すでに先生との縁は始まっていたのかもしれない.その後,繰り返しイエテボリに通って1992年に弘岡先生と出会い,1997年には弘岡先生の恩師のHirsch先生が教授になられたウプサラ大学口腔外科の大学院生になるのだから,まことに縁というのは不思議なものである.
 弘岡先生には文献の読み方,資料のまとめ方,科学的な考え方,口腔内写真の撮影方法まで,学問のソフトウェアを指導していただいた.先生の臨床の素晴らしさ,厳格さは,本書に提示されている症例を通じて読者の方々にも伝わることだろう.
 しかし,私にとっては,先生のhow toよりもwhy to doにこだわる思考法や診断能力が畏敬の存在となり,この二十数年間,その足跡を追ってきたように思う.高い技術の治療は確かに魅力的だが,私には,原則がぶれない臨床哲学のほうがはるかに眩しい.何より,弘岡先生の歯科臨床に対する愛情とそれを楽しむ姿がEBMを学ぶ原動力になった.
 ウプサラ大学の大学院留学時は,口腔外科で主にインプラント手術と外科学を学んだが,基礎・臨床問わず,学問に対峙するスカンジナビアン・フィロソフィーは,弘岡先生の学んだイエテボリ大学歯周病科と同様であったと信じている.
 本書は一冊で,インプラントの主要な歴史から総論としてのプリンシプル,歯周治療の総論,歯周病患者へのインプラント治療,そして現在から将来にかけて大きな課題を投げかけるインプラント周囲炎の知識が整理できる.言わば,歯周病学とインプラント学を俯瞰する,類書のない本が完成したと自負する.特に「歯周病患者のインプラント治療」という視点は,これからのインプラント治療に欠かせないものである.
 偏りの少ないレビューによるエビデンスに基づいた本書は,私にとって歯科に関する著作の集大成の一つになるだろう.思えば,最初の著書も弘岡先生との作品であったが,20年ぶりに共著を上梓し,その完成度に加え,恩師である先生とのご縁を活かせたことに,感慨もひとしおである.
 スウェーデンの朝日を浴びながら,高層階から俯瞰した景色を楽しむ.読者には,エビデンスのシャワーを浴びながら,歯周病学とインプラント学を俯瞰した本書を楽しんでいただければ,望外の喜びである.
 2017年5月3日
 故P-I Branemark教授の,そして今は亡き母の誕生日に
 Gothia Tower Hotel Suite Roomにて 古賀剛人
 Foreword(Stefan Renvert)
 Preface
 本書を読む前に
Chapter 1 インプラント治療の変遷
 (古賀剛人・弘岡秀明)
 1.インプラント治療の源流を探る―なぜインプラント治療はEBMたりえなかったか
  デンタル・インプラントの歴史
  古代エジプトと歯周病
  オッセオインテグレーションの発見
  インプラントが科学的に受け入れられた理由
 2.インプラントの生物学的成功と失敗のクライテリア
  インプラント成功基準の変遷
   1)1978年:NIHハーバードコンセンサス会議
   2)1988年:NIHコンセンサス会議
   3)1998年:トロントコンセンサス会議
  インプラント失敗の分類
  インプラントにおける合併症
   1)インプラント合併症の定義
   2)インプラントの合併症に関わる因子
  臨床報告に求められる条件
 3.オッセオインテグレーションの条件―オッセオインテグレーション獲得を左右する臨床的ファクター
  オッセオインテグレーションの条件
  インプラント手術部位の状態
  手術技術
   1)低侵襲手術
   2)インプラントの選択と埋入状態
   3)手術条件
   4)切開線の位置
   5)手術経験
  治癒期間の荷重コントロール
 4.無歯顎患者へのインプラントの応用
  無歯顎におけるインプラントと補綴物の成功率
  無歯顎に対するインプラント治療の臨床追跡報告
   1)インプラントの臨床成績
   2)リスクファクターの考察
 5.部分欠損歯列患者へのインプラントの応用
  部分欠損歯列患者におけるインプラント治療の臨床追跡報告
  部分欠損歯列患者におけるインプラント治療の前向き多施設研究
  インプラント周囲の細菌叢
Chapter 2 歯周病患者のインプラント治療
 (弘岡秀明・古賀剛人)
 1.Save the tooth or place an implant?―歯周治療の成功率vsインプラントの成功率
  歯周治療の長期成功率
  歯周組織再生療法vsインプラント―垂直性骨欠損への対応
   1)GTR法
   2)エムドゲイン(R)療法
   3)GTR法とエムドゲイン(R)療法はどちらが効果的か?
   4)再生療法とインプラント治療はどちらが効果的か?
  歯根切除療法vsインプラント―根分岐部病変への対応
 2.歯周病患者のインプラント治療は長期に成功するのか?
  歯周病患者に対するインプラント治療のエビデンス
  歯周病患者を対象としたインプラント治療の臨床追跡研究
   1)歯周病患者群における臨床研究
   2)歯周病患者群と健康な患者群間での比較対照研究
  歯周病患者を対象としたインプラント治療のシステマティックレビュー
  侵襲性歯周炎患者のインプラント治療
 3.歯周病による骨吸収で埋入困難な症例への対処法
  インプラント治療対象としての歯周病患者の特徴
  埋入困難な症例への対処法
  ショートインプラント
   1)効果とリスク
   2)ショートインプラントへの懸念を考察する
  傾斜埋入
   1)効果とリスク
   2)傾斜埋入への懸念を考察する
   3)歯周病患者への傾斜埋入の応用
  骨造成
   1)効果とリスク
  短縮歯列
 4.歯周病患者における各種補綴処置の予後
  天然歯支台ブリッジの長期予後
  インプラント支台ブリッジの長期予後
  歯周病患者を対象とした天然歯支台ブリッジの長期予後
  歯周病患者におけるインプラント支台ブリッジの予後
  天然歯支台とインプラント支台が混在したブリッジの予後
  天然歯支台・インプラント支台のカンチレバーブリッジの予後
  インプラント治療における咬合性外傷のリスク
   1)咬合性外傷は歯周病のリスクファクターか?
   2)咬合性外傷はインプラントの失敗につながるか?
  歯周病患者における局部床義歯の予後
 5.歯周インプラント補綴による機能回復
  歯周インプラント補綴のコンセプト
  歯周インプラント補綴の要件
   1)マージンの設定
   2)上部構造の装着方法
  歯周インプラント補綴の治療の流れ
 Case Presentation 歯周病患者のインプラント治療
Chapter 3 インプラント周囲病変への対応
 (弘岡秀明・古賀剛人)
 1.インプラント周囲病変とは?
  インプラント治療最大の問題―インプラント周囲病変
  インプラント周囲組織と歯周組織を比較した動物実験
   1)インプラント周囲組織と歯周組織の相違点
   2)インプラント周囲粘膜炎と歯肉炎
   3)インプラント周囲炎と歯周炎
  ヒトにおけるインプラント周囲炎の報告
  インプラント周囲粘膜炎とインプラント周囲炎の定義
  ヒトのインプラント周囲病変に関する臨床研究
 2.インプラント周囲病変の疫学
  有病率と発生数
  システマティックレビューによる報告
  大学病院・専門病院における調査
  個人病院における調査
  スウェーデンにおけるインプラント周囲病変の疫学調査
  日本におけるインプラント周囲病変の疫学調査
 3.インプラント周囲病変のリスクファクター
  インプラント周囲病変にかかわる局所的・全身的因子
  歯周炎の既往(periodontal history)
   1)慢性歯周炎
   2)侵襲性歯周炎
  現存する歯周炎
  喫煙・口腔衛生・患者のコンプライアンス
  角化粘膜の不足
  インプラントの表面性状・上部構造の清掃性・残留セメント
   1)インプラントの表面性状
   2)上部構造の清掃性
   3)残留セメント
  全身的な因子(general factors)
 4.インプラント周囲病変の診断と治療
  インプラント周囲病変の診査・診断
   1)インプラント周囲病変の診断基準
   2)プロービング診査
   3)X線診査
  インプラント周囲粘膜炎の治療
   1)縁上のプラークコントロール
   2)手用インスツルメントによる機械的清掃・抗菌薬の応用
  インプラント周囲炎の治療
   1)基本治療
   2)非外科処置の効果
   3)外科処置の効果
   4)インプラント周囲炎の治療に対するレビュー
 5.インプラント治療におけるサポーティブセラピー
  サポーティブセラピーの重要性
  一次予防としてのサポーティブセラピー
  二次予防としてのサポーティブセラピー
  サポーティブセラピーの手順
   1)患者からの聞き取り
   2)軟組織の診査
   3)口腔衛生状態の評価・クリーニング
   4)上部構造のチェック
   5)X線診査
   6)診断・処置
  サポーティブセラピーの間隔
  高齢社会のインプラント治療

 症例一覧
 Evidence一覧
 References
 Index