やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 2011 年8 月10 日に,「歯科口腔保健の推進に関する法律(歯科口腔保健法)」が公布・施行された.歯科単独の法律としては56年ぶりの制定である.また,都道府県および市町村の歯科口腔保健条例の制定の輪が急速に広がってきており,これまで,法制的な基盤が弱いと言われ続けてきた口腔保健の分野が,国の法律と地域の条例が両輪となって進められる社会となっている.
 これらの背景には,この10 年ほどの間に,口腔保健と全身との関係を示す科学的根拠が蓄積され,それが広く保健医療関係者はもとより国民レベルで認識されるようになってきたことが大きい.一方,このような考え方は,歯科医療・口腔保健を,他分野および多職種と連携して進めることを迫るものである.このなかで,歯科医師法および歯科衛生士法で歯科保健医療者の基本的な職務として明記され,歯科口腔保健法のなかでも位置づけられている保健指導に求められる役割は大きい.保健指導とは,健康を損なう個人の行動および環境リスクに着目し,人々の健康に関する行動変容を促し,自ら保健行動を改善していくための専門職の働きかけである.そして,人々の健康を創り出す潜在的な力を喚起するものである.その一方,口腔疾患に関わる行動・環境リスクは,食事および衛生をはじめとして,他の生活習慣病(NCD s:Non-Communicable Diseases)と共通するリスクとなっていることが多い.しかしながら,このような保健指導を,多職種が共有できる理論的背景を踏まえて,歯科保健医療のなかで体系化していくことは,まだ発展途上の段階であり,そのことにチャレンジしていくための手引き(ガイド)となる書籍は少ない.
 そこで,本書は,歯科医師をはじめとする歯科保健医療者が,地域や歯科医院の中で行う保健指導力を高めるための技術や理論的背景を中心にまとめられていて,いわゆる実践のためのマニュアルにとどまらない.それは,これまで歯科保健医療者が長い間取り組んできた保健指導のあり方を,一人ひとりが見直し,再構築していくには,基本的な理論と背景を理解することが不可欠であると考えたためである.
 本書の構成は,歯科口腔保健をめぐる社会的背景,口腔保健と全身との関連,地域および歯科医院における保健指導の実際,行動科学およびコミュニケーション学に基づく保健指導の理論と技法,これからの歯科医療・口腔保健の展開という6 章から成っている.特にChapter3では,日本歯科医師会が提案している成人歯科健診・保健指導をはじめとして,歯科医院等で保健指導を行う場合の実践的な内容とした.そして,国民皆保険制度50 年を迎えたわが国では,地域保健と医療を一体的に取り組むことが,より効果的な医療提供には必要であるので,地域保健のなかで行われる口腔保健研修会等のサブテキストとしても利用できるように留意した.本書を利用する場面や読者が個々に抱える課題によってどの章から読み始めてもよい.
 健康に関する行動をなかなか変えられない人々を非難する(victim blaming)のではなく,リスクを抱えた人々に対して,地域保健と医療の場面で,効果的な保健指導が提供されていくことが必要である.本書がそのために,口腔と全身との関係を踏まえ,多職種連携,理論的背景を基盤とした保健指導とその成果の蓄積を通して,国民の健康推進に寄与する新しい歯科医療・口腔保健の展開に少しでも役立てれば幸いである.
 最後に,本書をまとめるにあたり,企画および編集作業に根気強くあたられた医歯薬出版の大城惟克氏に心から感謝申し上げます.
 2013年8月
 深井穫博
Chapter 1 歯科口腔保健と健康
 1.はじめに
 2.歯科口腔保健の基本的施策
  (1)健康情報
  (2)確実なう蝕予防対策
  (3)成人期以降における歯科健診・保健指導の体制構築
  (4)高齢者・要介護などにおける歯科医療提供体制の整備と口腔機能の保持
  (5)口腔と全身の健康との関連を基盤とした医療連携及び健康づくり連携に基づく歯科医療提供体制の構築
 3.“口腔から全身に“,“全身から口腔に”
 4.長寿社会における8020 運動
 5.歯科口腔保健の「閉じられた社会」を「開かれた社会」に
 6.歯科口腔保健におけるニーズと需要
  (1)障害とは何か
  (2)ニーズと需要
  (3)ニーズの分類
 7.保健と医療のベストミックス
 8.本章のまとめ
Chapter 2 口腔保健と全身の健康・寿命との関係
 1.はじめに
 2.寿命とは何か
 3.宮古島スタディ
 4.歯を失うと早く亡くなる
 5.多数歯を失った者の死亡原因
 6.歯を失っても義歯によって生命予後は改善される
 7.歯の喪失と身体的不調との関係
 8.わが国の歯の保存状況の改善と平均寿命・健康寿命の延伸
 9.本章のまとめ
Chapter 3 保健指導と健康増進
 1.歯科医師・歯科衛生士と保健指導
 2.歯科健診と保健指導
  (1)検診(screening,case finding)
  (2)健診(health examination,health check ─up)
  (3)健診と保健指導
 3.保健指導におけるコモンリスクファクターアプローチ
  (1)咀嚼指導と肥満防止
  (2)歯科医院における禁煙指導―喫煙者は,歯の喪失リスクが2〜 4 倍に高まる
 4.日本歯科医師会標準的な成人歯科健診・保健指導プログラム
  (1)プログラムの主旨
  (2)プログラム作成の経緯
  (3)新しい成人歯科健診プログラムの特徴
  (4)プログラムの効果
 5.根拠に基づく保健指導と歯科医院のシステムづくり
  (1)保健行動を決定する因子
  (2)患者のニーズに基づく保健指導の類型化
  (3)効果的な質問紙の構成
  (4)治療計画の説明及び保健指導のプロトコール
  (5)診療室におけるスタッフ間の情報共有
 6.本章のまとめ
Chapter 4 行動変容の基礎理論と鍵概念
 1.はじめに
 2.行動科学に基づく保健指導の原則
 3.代表的な保健行動モデル
  (1)保健医療における行動科学の幕開けに貢献した口腔保健
  (2)ヘルス・ビリーフ・モデル(Health Belief Model:HBM)
  (3)段階的変化モデル
  (4)プリシード・プロシード・モデル(PRECEDE-PROCEED Model)
  (5)健康の社会的決定要因(social determinants of health:SDH)と保健行動
 4.行動変容の鍵概念―学習理論・動機づけ理論と認知行動療法
  (1)レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)
  (2)オペラント条件づけ
  (3)社会的学習理論(socia learning theory)
  (4)動機づけ理論
  (5)認知行動療法
 5.病者の心理と行動
  (1)病気の認知とその対処
  (2)患者の不安・恐れ
  (3)歯科治療に対する不安と恐怖
 6.患者満足度
  (1)患者満足度とは
  (2)期待と満足との関係
  (3)患者満足度の構成要素と尺度
 7.本章のまとめ
Chapter 5 保健指導におけるコミュニケーション
 1.はじめに
 2.コミュニケーションにおける指導とヘルスリテラシー
  (1)情報の信頼性
  (2)情報の理解
  (3)情報の選択と受容の過程
  (4)インフォームド・コンセントとリスクコミュニケーション
 3.コミュニケーション技法
  (1)基本的なコミュニケーションスキル
  (2)問診・インタビューの技法
  (3)患者から質問を受けた時―患者の訴えを聴く
  (4)解釈モデルとは
 4.コミュニケーションの評価
  (1)交流分析
  (2)会話分析
  (3)表情分析
 5.コミュニケーションの改善と患者中心性
 6.本章のまとめ
Chapter 6 求められている歯科医院力
 1.はじめに
 2.全身の健康に寄与する口腔保健と歯科医院
 3.「かかりつけの歯科医院」とは何か
  (1)プライマリ・ケア,家庭医療,総合診療
  (2)医療提供体制とかかりつけ医(かかりつけ歯科医)
  (3)地域の医療提供体制における歯科医療機関の役割
 4.本章のまとめ

 索引