やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 インプラント治療は急速に普及し,多くの歯科医師が施術を行い,日本において歯科治療の有用な選択肢の一つとなった.インプラント治療へ懐疑的な歯科医師や集学的な歯科医療への認識の低い歯科医師たちの意見は静まりつつある.一方,インプラント治療が高額治療であるが故にその責任は重く,インプラント治療に係わる偶発症は常にマスメディアの批判の対象となっている.歯科医療に対する認識の低いマスメディアは,インプラント治療の確実性・不確実性の境界も認識しないまま,時には恣意的な批判まで向けようとする.このような批判はわれわれの意に反し,国民の健康維持に尽力している歯科界の凋落すら表顕している.われわれのインプラント治療の対象はヒトであり,医療において“絶対”は存在しない.インプラント治療の不確実性から生じる事象と医療過誤はまったく別物である.しかしながら,インプラント治療に限らず,患者の歯科治療への期待は大きく,施術側評価による治療成果を主張できる医科と比して患者の精神的満足感,審美性ならびに機能性を主体とした評価を受ける歯科には限りなく確実性を求められる過酷さがある.
 わが国において口腔インプラント学は近年,卒前教育カリキュラムにも取り入れられ,多くの大学研究者ならびに臨床医により基礎研究・臨床研究が確立されてきた.しかし,臨床における急速な普及に伴い,インプラントを取り巻く環境に歪みが生じてきている.前述したようなインプラント治療への批判,未熟な知識の下での施術数の増加,それに伴い生じる諸問題,インプラント患者獲得を目的とした商業主義の跋扈,臨床医の基礎研究への興味の衰退,口腔インプラント専門医標榜への隘路などがあげられるであろう.この数年間,社会経済の変化やインプラント治療への批判によりインプラント界は減衰し,歯科医師,歯科医療関係者,インプラントメーカーからの当惑を仄聞することもあるが,今こそ呻吟しながらもインプラント治療の本質と患者主体の医療を再度,模索すべき時期であろう.
 先般刊行した「このインプラントなに?」はインプラント臨床において予後管理のためのネットワークが確立されていない現在,患者ならびに歯科医療関係者の一助になればとの思いの結晶であった.多くのインプラント臨床医から称賛をいただいたが,総じて本棚の片隅にあってもいざという時に患者のための必携の書になればとの思いである.
 今回,「インプラント治療 こんなときどうする?」を刊行することとなった.前述したようにインプラント臨床では思いもよらぬ偶発症や合併症が発現することは多々ある.十分な基礎ならびに臨床の知識を修得していたとしても,気づかない落とし穴や経験則がなければ解決できない事象もある.患者からの信頼を失わないためには適確な判断と早急な対処を行わなければならない.インプラント臨床医が患者から得た信頼を失墜した苦渋は計り知れない.
 刊行物は多種多様である.冷静に情報を伝える書もあれば,学問へ普遍の書もある.
 本書で紹介している多くの臨床例は公益社団法人日本歯科先端技術研究所会員諸氏,大学医療関係者,第一線で活躍されている臨床医の先生方の思いのもとで提供された症例であり,あくまでも一例として問題解決の糸口を示したものである.
 本書は“患者と臨床医への思いの書”と言っても過言ではない.
 発刊にあたり,ご尽力いただいた先生方には深甚なる感謝を捧げたい.
 2013年の暑い夏の日に清涼の風が微かに吹き抜けるような気がする.
 簗瀬 武史
インプラント治療前処置編
 下顎IODの選択に際して角化粘膜の量が不足している
  角化粘膜根尖側移動術を行い十分な角化粘膜と口腔前庭を確保する
 上顎洞粘膜の肥厚とインプラント処置
  埋入時期の検討と上顎洞底挙上術
 サイナスリフトを予定した上顎洞の洞粘膜肥厚が治まらない
  上顎洞肥厚粘膜の除去手術を行いコラーゲン製材で修復する
 インプラント埋入希望患者が上顎洞炎を発症していたら?
  原因歯の抜歯と抗菌薬の投与(約6週)
  抜歯窩に新生骨が形成された後にインプラント治療
インプラント埋入手術トラブル編
 術中に大量出血を起こした
  出血のタイプ,出血点,出血の原因を即座に判断し,それに見合った止血ツールを選択して迅速に止血を行う
 予定した埋入深度まで入らない
  逆回転でインプラント体を外して再形成するが,タップ形成を破壊しないように注意する
 大臼歯への抜歯即時埋入で初期固定が得られない
  HAインプラントを使用し,初期安定性を確保する
 上顎洞底挙上術で洞粘膜が穿孔してしまった
  上顎洞粘膜穿孔部をコラーゲン製材で修復する
 歯肉が足らずに縫合できない
  創面をコラーゲン製材などで被覆し,開放創で縫合する
 隣在歯の歯根と接触してしまった
  接触したインプラント体を撤去し,再埋入を行う
 上顎洞内の造成骨が吸収して消失
  隣接する部位に上顎洞底挙上術を伴うインプラント治療を行う場合は,同時に造成骨消失部位まで挙上を行う
 オトガイ神経領域に知覚異常を認めた
  インプラント体を撤去し,薬物療法および理学療法を行う
 下顎臼歯部に埋入したインプラントが舌側骨を穿孔した
  犬歯部あるいは第一小臼歯部への埋入後は,十分な観察を行い,CBCTで確認するなどの配慮をする
治癒期間中のトラブル編
 術後数日で2回法のカバースクリューが露出した
  露出したカバースクリュー周囲の洗浄とプラークコントロールを徹底する
 骨質が悪くてインテグレーションが獲得できなかった
  再埋入時のインプラント埋入床に骨補填材を填入して骨質の改善と補強を図る
 上部構造(アバットメント)装着時のトルクで痛みを訴えた
  超音波骨折治療器などを併用しながら1〜2カ月経過を観察する
 インプラント体が上顎洞に迷入した
  インプラント体迷入相当部の側壁骨に開窓を行い,外科用サクションにて吸引・摘出する
 暫間補綴後に前頭部を締め付けるような痛みがあると言われたら
  暫間上部構造のレジン重合収縮を考慮し一旦上部構造を分割したうえで口腔内で徐々に連結し直す
 手術翌週からの疼痛 そして,激痛へ
  骨火傷を疑い,撤去・再埋入も念頭に
 埋入後約1カ月でインプラント体が動揺してきた
  硬い骨質部位の血流不足や骨火傷が原因の場合はインプラント体撤去窩の新生骨内に再埋入する
補綴処置トラブル編
 埋入されているインプラント同士が近接しすぎて印象が採れない
  角度付きアバットメントの形態的特徴を利用して印象採得を行う
 インプラントの埋入方向に平行性がなくオープントレーでの印象採得ができない
  回転防止機構を有しない中間構造コンポーネントを使用して印象採得を行う
 二次手術時に角化粘膜の不足が確認された
  角化粘膜根尖側移動術を行い,十分な角化粘膜を確保する
 余剰セメントが除去しきれない
  スクリュー固定の上部構造に変更する
 セメントの余剰を少なくするためには
  クラウン内面のコピー(インデックス)を用いて,セメント量をコントロールする
 インプラント頸部の金属露出を防ぐためには
  インプラント周囲に十分な支持骨が確保できるように適切な埋入角度と埋入径を選択する
 隣在歯との歯肉縁の位置が合わず連続性が得られない
  ポーセレンやハイブリッドレジンなどの歯肉色材料を使用して補綴的な対処法も検討する
予後のトラブル編
 インプラント周囲が腫れた
  Er:YAGレーザーを用いた歯肉切除
 インプラントの周りから出血する
  抗菌的光線力学療法(a-PDT)で対応
 ブラッシング時にインプラントの周囲に違和感がある
  歯磨剤に含まれる顆粒がインプラント周囲粘膜溝に迷入している可能性が考えられる
 インプラント体周囲に骨硬化を伴う骨吸収像が出現してきた
  パラファンクションが原因のケースが多いためナイトガードを装着して経過観察
 インプラント補綴部位が動揺してきた
  インプラント体全体の動揺かアバットメントスクリューの緩みかの鑑別診断
 仮着した上部構造がはずれない
  上部構造の咬合面に穴を開けてアバットメントのスクリューホールに直接アプローチする
 セメント固定した上部構造のアバットメントが緩んできた
  上部構造のアバットメントスクリューホール相当部にアプローチ孔を形成して直接スクリューを締める
 上部構造が破折・脱離した
  上部構造の修理,マテリアルの変更
 インプラント周囲粘膜に違和感がある
  初期のインプラント周囲炎と診断し外科的清掃によって対処
 歯肉ラインが隣接歯とそろわない
  口蓋粘膜から採取した結合組織を移植し,審美性の回復を図る
 上部構造が破折・脱離した
  上部構造の修理,固定様式の変更(セメント固定からスクリュー固定への変更)
 インプラント上部構造のポーセレンが破折した
  口腔外でのリペアーで対処する(ハイブリッドあるいはポーセレンを使用した2例)
 アバットメント固定用スクリューが破折した
  超音波スケーラーを用いてインプラント体内部に留まった破折スクリューを除去する
 アバットメントスクリューが破折した
  既製のリムーバーキットを用いるか,インプラント内部をポスト形成してカスタムアバットメントを製作する
 破損したスクリューがインプラント内に残存している
  メーカー指定のツールを使用してインプラント体内部のスレッドスクリューを再形成する
 インプラント体のショルダー部分が破折して中ネジが使えない
  エレベーターを使用してインプラント体を除去
 インプラントを支持する唇側骨が裂開しインプラント体が破損した
  ピエゾ式超音波機器を用いて破損したインプラント体を撤去し,同時に新しいインプラント体を再埋入する
 インプラント体を撤去する必要性が生じた
  インプラント体撤去専用ツールを使って撤去
 ブレードインプラントが沈下して上部構造が破断を起こした
  ブレードインプラントを撤去してルートフォームインプラントにて再欠損補綴を行う
 ブレードインプラントが動揺して機能できなくなった
  ブレードインプラントを撤去してルートフォームインプラントにて再欠損補綴を行う
 ブレードインプラントと連結した天然歯が破折した
  残存したブレードインプラントを利用した再補綴処置の提示例
 経口BP製剤服用患者のインプラントを撤去しても疼痛が軽減しない
  薬剤関連上下顎骨骨髄炎および骨壊死と診断,全身麻酔下で右側上下顎骨部分切除術を施行した
 術後数カ月で異常に腫れてきた
  ビスフォスホネート関連顎骨壊死(BRONJ)発症防止のため内服薬だけでなく癌の既往や注射剤の問診も欠かさず行う
 COLUMN
  ・破折したアバットメントスクリューを,やむを得ず切削しなくてはならない場合に,回転方向や使用するハンドピースの選択はどうする?
   歯肉のバイオタイプ
   薬剤関連顎骨壊死などの有害事象に注意を要する薬剤一覧表
  ・嘔吐反射が強い患者
  ・手術に際して患者の血圧が高い
  ・術前の全身状態評価
  ・ミダゾラムによる鎮静
  ・インプラント時の静脈内鎮静法に求められること
  ・インプラント手術時に備えておく救急薬品とその取り扱い
  ・術中・術後管理の要点
  ・術中に呼吸困難に陥った
  ・術中に心不全が起きた
  ・抗血栓薬