やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 人にとって食べることは生命維持機能の一つというだけでなく,根源的な喜びでもあり,人生のなかで最後まで残る楽しみです.摂食・嚥下障害が重篤化すると,その食の楽しみが奪われてしまう.そこで,摂食・嚥下障害患者の安全で楽しい食をサポートするのが,摂食・嚥下リハビリテーションです.高齢社会である今,食べる機能が低下した高齢者数が急増しているなかで,摂食・嚥下リハビリテーションは注目され,関連書籍も数多く出版されています.
 1980年代に米国で始まった摂食・嚥下リハビリテーションの臨床,研究は,古典的な4(3)期連続モデルを原点として発展してきました.4期連続モデルは,「飲みこむ」機能単体として捉え,液体もしくはそれに準じた物性の食物を飲み込んだときの動態を基準にして診断,評価を整備していました.
 しかし,1992年にPalmerらが動物モデルから洞察したプロセスモデルを提唱し,4期モデルとは動態の異なる「咀嚼嚥下複合体chew-swallow complex」の研究とその臨床応用が始まりました.プロセスモデル(咀嚼嚥下複合体)は,嚥下単体でも咀嚼単体でも理解できない「食べる」機能を注目する新たな視点です.
 本書は,一般的な摂食・嚥下リハビリテーションの専門書ではなく,「食べる」機能,プロセスモデルに注目した摂食・嚥下リハビリテーションを解説しています.基礎編では,プロセスモデルの成り立ちから呼吸機能への関与まで,今まで明らかになった「咀嚼嚥下複合体chew-swallow complex」機構を眺めています.臨床編では,咀嚼嚥下に重点を置いた評価法や対応法について,最新のCTによる評価法も交えて解説しています.編者の松尾浩一郎先生,柴田斉子先生は,プロセスモデル創成の初期からPalmer先生とともにその確立に努めてきた仲間です.本書が,摂食・嚥下障害患者の食の楽しみを支えている読者諸氏の一助になれば幸いです.
 最後に,本書出版にあたり,多大なる助言をいただいたプロセスモデルの提唱者であるJohns Hopkins大学医学部教授 Jeffrey B.Palmer先生に深謝申し上げます.また,微細に渡るご尽力を頂いた医歯薬出版株式会社に感謝します.
 2013年2月
 才藤栄一

出版に寄せて
 プロセスモデルを早期から提唱してきた1人として,本書の出版をとても嬉しく思います.
 私がプロセスモデルに注目したのは,従前,ヒトの嚥下様式を考えるために用いられていた概念が,非常に制約を伴うものだったからです.
 1988年初頭,私はA.W.Crompton主導の哺乳類の咀嚼・嚥下に関する基礎研究グループと研究を行っていました.そこでの研究からは,哺乳類の摂食・嚥下の過程がそれまでのヒトの嚥下モデルと大きく異なることがわかったのです.それまで,ヒトでは食物が咽頭に送り込まれてから嚥下反射が惹起されるまでに1秒以上を要した場合,それは異常所見として捉えられていました.しかし哺乳類の嚥下では,通常,もっと長い時間を要します.また,嚥下前の食塊形成が,口腔内ではなく中咽頭で行われているということも明らかになりました.
 哺乳類とヒトでは,なぜこれほどまでに嚥下様式が異なったのでしょうか.たとえば,ヒトの喉頭は幼児期に下方に移動しますが,他の哺乳類ではヒトに比べ,相対的にもっと高い位置に保たれます.こうした解剖学的な違いに起因していたのでしょうか.あるいは,ヒトの嚥下はそもそも他の哺乳類とそれほど異なるものではなく,研究方法が大きく異なっていたから差がでたのでしょうか.当時,ヒトの嚥下評価では,検査者の合図で液体を飲み込むという方法がとられていましたが,哺乳類では液体だけでなく固形食も検査食として用いられ,もちろん,合図によって嚥下させるというようなことも行われていませんでした.
 動物での研究を踏まえ,我々は,健康で嚥下障害のないヒトを対象に咀嚼と嚥下について調べるため,その研究手法を発展させていきました.嚥下造影を用いながら,さまざまな食物や液体を任意に摂取する様子を観察していったのです.これによって,健康なヒトが固形物を自由に食べた場合,そのときの嚥下は他の哺乳類の様式に非常に近いことがわかりました.噛み砕かれた固形物は,多様な移送サイクルのなかで咽頭へと送り込まれ,そこで一定量集積されたのちに嚥下されることとなります.こうした発見は,その後,各地で追試が行われ,再確認されてきました.
 プロセスモデルの概要は,(1)stageI transport,(2)processing,(3)stageII transport,(4)嚥下(咽頭期)という四つのステージからなります.StageI transportは,補食した食物を舌の上にすくい上げ,口腔の前方から後方へと送り込みます.舌は収縮し,前後方向の軸を中心に捻転して食物を臼歯部の咬合面に載せます.Processingは,咀嚼し,食物と唾液を混和させる段階にあたります.そしてstageII transportでは,咀嚼された食物がsqueeze back運動によって口腔から咽頭へと運びこまれるのです.このとき,舌尖は歯槽堤に接し,舌は食物を口蓋に押しつけるようにしてつぶします.そして,舌と口蓋の接触領域は,食物を咽頭へ絞り込むようにしながら徐々に後方に向かって伸展します.咽頭に送り込まれた食物は,そこで食塊として集積され,一定量溜まったところで嚥下されることになります.
 一方これまでに,摂食・嚥下中の舌,下顎,舌骨,軟口蓋の協調運動を調べた報告がなされていますが,食物の物性によって異なった運動パターンが発現することが明らかにされています.しかし,筋の活動パターンと中枢制御機構については十分に解明されていません.また,食物が咽頭に集積されるときには,誤嚥の潜在的危険性が伴うことになるはずですが,嚥下の前や後で実際には誤嚥が起こらないことについても,いまだはっきりとした見解はだされていないのです.
 プロセスモデルは,摂食・嚥下リハビリテーションにおいて非常に重要な意味をもちます.摂食・嚥下リハビリテーションがもっとも有効なのは,口腔諸器官の運動を改善させるときです.というのも,随意的な咽頭機能のコントロールには限界がありますが,下顎や口唇,舌(口腔内)は,随意的コントロール下に置かれている部分が大きいからです.つまりプロセスモデルとそれに関連した研究は,口腔諸器官の運動を理解し機能向上へと導くための最良の指針となるのです.こうした臨床応用の研究は開始されてから,まだそれほど時間が経っていません.いくつかの研究がプロセスモデルを応用している程度です.しかし,プロセスモデルが成人・小児にかかわらず,嚥下機構の理解に重要だということがすでにはっきりとしています.
 本書は,こうしたプロセスモデルに関する研究成果を集約した最初の書籍であり,摂食・嚥下リハビリテーションにどう応用できるのか,それがもつ潜在的な患者寄与の可能性はどの程度のものなのかを示唆する内容となっています.本書の監修者である才藤栄一先生,編集を務めた松尾浩一郎先生,柴田斉子先生をはじめ,執筆者各位に心から敬意を表します.
 2013年2月
 Jeffrey B.Palmer
 序文(才藤栄一)
 出版に寄せて(Jeffrey B.Palmer)

Part 1 基礎編
Chapter 1 咀嚼嚥下のモデル
 1−飲むモデルと食べるモデル(松尾浩一郎)
  1.嚥下惹起遅延とは?
  2.摂食・嚥下の古典的パラダイム-飲むモデル(4期連続モデル)
  3.「食べる」モデル(プロセスモデル)の提唱-動物モデルのはじまり
  4.ヒトへの展開
  5.さらなる発展−二相性食物
  6.「噛む」と「飲む」から「食べる」への対応へ
 2−嚥下(飲む)モデル(松尾浩一郎)
  1.3期モデル(three sequential model)
  2.4期連続モデル(four sequential models for a discrete swallow)
   1)液体の嚥下をもとにしたモデル形成
   2)口腔準備期
   3)口腔送りこみ期
   4)咽頭期
   5)食道期
  3.連続嚥下(sequential swallow)
   1)一口嚥下と連続嚥下
   2)連続嚥下による嚥下運動の変化
   3)連続嚥下への影響因子
 3−咀嚼(噛む)モデル(松尾浩一郎)
  1.嚥下と分離された咀嚼
  2.咀嚼のメカニズム
 4−咀嚼嚥下(食べる)モデル(process model for eating)(松尾浩一郎)
  1.パラダイムの転換へ
  2.4期モデルにあてはまらない咀嚼嚥下
  3.プロセスモデルの特徴
  4.プロセスモデルの普及
 5−気道防御的嚥下モデル−孤発嚥下(isolated pharyngeal swallow ;IPS)(加賀谷 斉)
 6−5期モデル(five stage model)(松尾浩一郎)
  Column 1 ボルチモアの治安(松尾浩一郎)
Chapter 2 プロセスモデルとは
 (松尾浩一郎)
 1−咀嚼嚥下の動物モデル
  1.動物でのプロセスモデルのはじまり
  2.ヒトと同じステージ分類
  3.ヒトとの解剖の違い
  4.ヒトと異なる送り込み様式
   1)Stage I transport
   2)StageII transport
 2−ヒトプロセスモデル形成のきっかけ
 3−ヒトプロセスモデルのステージ分類
  1.Stage I transport −臼歯部への送り込み
  2.Processing −フードプロセス
   1)Processingとは
   2)Processingへの影響因子
   3)咀嚼中の空気の流れ
  3.StageII transport
   1)Transport(送り込み)とbolus aggregation(食塊集積)
   2)送り込みの随意調節
  4.Swallowimg-嚥下
   1)嚥下惹起の因子
   2)咀嚼嚥下の咽頭期
  Column 2 米国のグラント(研究費)システム(松尾浩一郎)
Chapter 3 二相性食物
 (柴田斉子)
 1−下咽頭への食物流入メカニズム−舌と重力
  Column 3 寄付の多さについて(松尾浩一郎)
  Column 4 コンビーフの所以(松尾浩一郎)
Chapter 4 咀嚼嚥下にかかわる運動
 (松尾浩一郎)
 1−下顎
 2−舌
 3−軟口蓋
 4−舌骨
  Column 5 Chuneの働きについて(松尾浩一郎)
Chapter 5 嚥下惹起のメカニズム
 (馬場 尊)
 1−嚥下惹起とは
  1.嚥下反射(swallowing reflex)と咽頭嚥下(pharyngeal swallow)
  2.Voluntary swallow(随意的嚥下)とspontaneous swallow(自動的嚥下)
  3.嚥下の誘発(triggering)
 2−液体嚥下の嚥下惹起
  1.加齢変化
  2.病態
 3−咀嚼嚥下と嚥下惹起
  1.加齢変化
  2.病態
Chapter 6 咀嚼,嚥下,呼吸の関係
 (松尾浩一郎)
 1−咽頭腔の共有
  1.呼吸と咽頭
  2.咀嚼嚥下と咽頭
 2−嚥下と呼吸
  1.嚥下のための気道防御機構
  2.嚥下前後の呼吸パターン
  3.嚥下中の呼吸停止
 3−咀嚼と呼吸
  1.咀嚼による呼吸リズムの変化
  2.食塊形成中の気導防御
 4−咀嚼と嚥下
  Column 6 そばの内視鏡(松尾浩一郎)
Part 2 臨床編
Chapter 1 プロセスモデルの臨床への応用
 (柴田斉子)
 1−5期モデルをもとにした嚥下障害への対応
 2−プロセスモデルをもとにより明確な生理学的機能を考え,食べる機能のリハビリテーションへと発展する−
 3−咀嚼が嚥下に及ぼす影響−咀嚼は嚥下にとって是か非か?
Chapter 2 評価(咀嚼を考慮した評価)
 1−概要:液体嚥下と咀嚼嚥下の評価の違い(柴田斉子)
 2−嚥下内視鏡検査(VE)と嚥下造影(VF)(松尾浩一郎)
 3−VEによる評価(松尾浩一郎)
  1.VEの利点
  2.VEの欠点
  3.VEの準備
  4.VEの手順
  5.VEによる評価
   1)安静時の状況
   2)液体嚥下
   3)咀嚼嚥下
 4−VFによる評価(松尾浩一郎)
  1.VFとは
  2.VFの利点
  3.病態把握の重要性
  4.VFの注意点
  5.VFの準備
  6.VFによる評価
   1)液体嚥下
   2)側面撮影による咀嚼嚥下評価
 5−3D-CTを用いた最新の嚥下機能評価(稲本陽子)
  1.特徴
   1)撮影方法
   2)評価方法
  2.今後の展開
  Column 7 米国の摂食・嚥下リハビリテーションシステム(松尾浩一郎)
Chapter 3 対応(咀嚼を考慮した対応)
 1−概要(柴田斉子)
 2−代償法
  1.食形態による代償法
   1)嚥下しやすい食形態(柴田斉子)
   2)咀嚼しやすい食形態(柴田斉子)
   3)咀嚼する嚥下調整食に向けて(柴田斉子)
   4)二相性食物へのとろみ付与(松尾浩一郎)
  2.姿勢による代償法(柴田斉子)
   1)頭頸部屈曲
   2)頸部回旋
   3)重力への対応
  Column 8 二相性食物と食文化(松尾浩一郎)
 3−装具(藤井 航)
  1.PAP−舌運動障害への対応
  2.義歯
   1)咀嚼機能に対する影響
   2)嚥下機能に対する影響
 4−咀嚼嚥下に対する訓練(稲本陽子)
  1.StageII transportのコントロール
  2.咀嚼訓練
   1)咀嚼の間接訓練
   2)咀嚼の直接訓練
  3.等尺性舌筋力トレーニング
  4.気道防御のために
   1)バイオフィードバックによる喉頭閉鎖の調節
   2)Supraglottic swallow & supersupraglottic swallow
   3)声門閉鎖訓練

 文献
 索引