やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 在宅医療という言葉を聞くことが多くなった.歯科においても,訪問歯科診療が行われるようになって久しい.最近の全国調査では,約20%の歯科診療所が訪問歯科診療を実施しているという.
 在宅,あるいは施設で求められる歯科診療は,一般の歯科診療所におけるそれとはかなり異なる.それは,実施可能な治療が設備面から制約を受けるという点もさることながら,本質的に,必要とされる医療の内容が一般歯科診療と異なることが理由として挙げられる.この訪問下で求められる医療の一つに,食べる機能への対応がある.
 加齢とともに,食べる機能は徐々に低下する.さらに,高齢者が多く罹患する脳血管障害やパーキンソン病,認知症などは,その合併症としてこれら食べる機能を障害する.つまりは,多くの高齢者が,程度の差はあれ食べる機能に問題を抱えているといえるだろう.病院,施設に入院,入所中で,平素は食事に関して訴えのない高齢者を調査した結果,平均して約15%の人に食べる機能の障害があったという(Yamawaki,2007).
 食べる機能は,「摂食・嚥下機能」と呼ばれる.高齢者の自宅や施設を訪問すると,ムセたり,食べこぼしたりする方に遭遇することが多い.さらに食事に時間がかかるといった場面もよくみられる.これらは,上記のような「摂食・嚥下障害」の一症状である.訪問歯科診療では,この摂食・嚥下障害の兆候がみつかることが少なくない.そこで,訪問歯科診療下で摂食・嚥下障害に対応する必要性が生じるが,これまでの歯科大学などの教育課程に,摂食・嚥下障害に関する内容がないか,あっても僅かであったことなどが要因となり,いざ摂食・嚥下障害に向き合おうとしても,何をすればいいか分からない,また訓練をしているが,その訓練が適切であるのか分からないなどといった局面に出くわすことになる.
 そこで,本書は現場でそのような悩みを抱える歯科医師,歯科衛生士に向け,実際に訪問して摂食・嚥下障害に対応している歯科医師の手により,摂食・嚥下機能のスクリーニング,評価のポイント,食介護・支援の具体的な方法,訓練法の解説と実践方法,栄養管理,口腔ケアなどひろく現場で役立つ知識を簡潔にまとめてみた.さらには,訓練中に誤嚥や窒息を起こす危険性もあるので,これらのリスクに対応する方法,あるいは診療チームの作り方に至るまでも紹介した.そして,最終章では,チームアプローチの具体的な成功例,失敗例をあげた.臨床における一つの指標としてご一読いただければと考えている.
 訪問歯科診療を行う人が,こうして編纂された本書を繰り返し紐解き,研鑽に努め,そして患者のQOLに寄与することができれば,これ以上の幸せはない.
 平成19年8月
 植松 宏
(I)総論
 1.訪問歯科診療と摂食・嚥下障害への対応(植松 宏)
  高齢社会と歯科医療
   1.社会の急激な高齢化
   2.歯科疾病構造の変化
   3.摂食・嚥下リハビリテーションの必要性
   4.急性期からの歯科介入と訪問歯科診療
 2.訪問下での対応の特徴(戸原 玄)
  訪問歯科診療を始める前に
   1.はじめに
   2.なぜ歯科医師は,訪問診療で摂食・嚥下障害に携わるのか
   3.一般歯科治療と摂食・嚥下障害への対応の違い
   4.摂食・嚥下障害への入院下での対応と訪問での対応の違い
(II)障害の評価法
 3.問診・スクリーニング(戸原 玄)
  はじめに
  問診・スクリーニング表
   1.検査依頼者 2.全身状態 3.栄養摂取状況および症状 4.依頼内容 5.ADL 6.スクリーニングテスト
  訪問下で行う代表的スクリーニングテスト
   1.反復唾液嚥下テスト(RSST:repetitive saliva swallowing test)
   2.改定水飲みテスト(MWST:modified water swallowing test)
   3.フードテスト(FT:food test)
   4.頸部聴診法
 4.摂食・嚥下機能評価時の観察ポイント・検査(野原幹司)
  はじめに
  観察ポイント
   1.先行期 2.準備期 3.口腔期 4.咽頭期 5.食道期
  検査
   1.頸部聴診法 2.嚥下内視鏡検査
(III) 障害への対処法
 5.食事介助・支援(野原幹司)
  はじめに
  先行期
   1.食事の時間帯 2.食事に要する時間 3.サーカディアンリズム 4.食事時の環境 5.口腔ケア 6.食事時の姿勢 7.食器の選択
  準備期
   1.マッサージ 2.口腔ケア 3.歯科治療 4.食事の温度 5.食事の味付け 6.食形態の決定 7.義歯使用患者さんでの注意 8.増粘剤の使用 9.口腔乾燥症への対応 10.一口量 11.食事の介助
  口腔期
   1.リクライニング 2.嚥下を促す介助
  咽頭期
   1.頸部の緊張の改善 2.頸の角度 3.食事時の姿勢 4.口に入れるペース 5.食品を食べる順番(交互嚥下)
  食道期
   1.胃食道逆流
 6.摂食・嚥下訓練(戸原 玄)
  訪問下での訓練までの流れ
  間接訓練と直接訓練について
  間接訓練について
   1.口唇・頬の伸展マッサージ 2.舌・口腔周囲の可動域訓練 3.舌・口腔周囲の筋力負荷訓練 4.構音訓練 5.ブローイング 6.リラクセーション(嚥下体操) 7.pushing exercise 8.thermal stimulation 9.K-point刺激法 10.嚥下反射促通手技 11.Mendelsohn手技 12.Shaker exercise 13.咳嗽訓練 14.腹式呼吸 15.排痰法
  直接訓練について
 7.栄養管理(石田 瞭)
  はじめに
  栄養状態の評価
   1.栄養不良状態の分類 2.栄養状態の評価法
  必要栄養量の算出
  低栄養への対処
 8.摂食・嚥下障害への歯科補綴的アプローチ(野原幹司)
  義歯と摂食・嚥下障害
   1.義歯と栄養 2.摂食・嚥下機能からみた高齢者の口腔 3.「噛める義歯」から「押しつぶせる義歯」へ 4.「押しつぶせる義歯」から「飲み込める義歯」へ 5.義歯をはずすとき 6.咬合高径の決定 7.咬合面形態
  特殊な補綴物
   1.PAP(palatal augmentation prosthesis;舌接触補助床) 2.PLP(palatal lift prosthesis;軟口蓋挙上装置)
 9.訪問歯科診療で行う口腔ケアとその指導(戸原 玄)
  はじめに
  口腔ケアフローチャート
   1.口腔内状態の分類 2.口腔ケア実施の手順
  その他の注意点
(IV)リスク管理
 10.全身管理(石田 瞭)
  はじめに
  全身状態の把握
   1.全身状態の評価項目 2.意識レベル 3.呼吸の状態 4.循環機能の状態
 11.誤嚥性肺炎(野原幹司)
  誤嚥性肺炎とは
   1.誤嚥性肺炎の症状 2.誤嚥性肺炎の診断と治療
  訪問診療での対応
   1.早期発見・早期治療 2.誤嚥性肺炎を疑う 3.かかりつけ医との連携
  誤嚥性肺炎に関する誤解
   1.体温調節が苦手? 2.肺に影がないと肺炎ではない?肺音がきれいだと肺炎ではない?
(V)チームアプローチの考え方と対処例
 12.治療チーム編成(戸原 玄)
  はじめに
  チームの役割分担
   1.チーム編成を考える前に 2.摂食・嚥下障害と向き合う職種
  チームアプローチの具体例
   1.歯科医師会単位で行う場合 2.開業医が行う場合
  チーム編成のポイント
 13.Transdisciplinary team approachの成功例・失敗例(戸原 玄)
  はじめに
  症例1―成功例
   1.初診時所見 2.検査所見・経過 3.結果・考察
  症例2―失敗例
   1.初診時所見 2.検査所見・経過 3.結果・考察
  おわりに