やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

日本語版に寄せて
 アルツハイマー病やその他のタイプの認知症は,それを抱えている本人や周囲の人びとにとって,大変複雑でその理解と対応が難しく,破壊的な状態なのです.家族ならびにケアにあたる専門家たちは,そのような人びとのケアに際して幾多の課題や難問に直面させられ,そして特にこの認知症の後期になると,摂食・嚥下障害に対する効果的なマネージメントをどのように実施できるかが大きな課題となります.
 世界中の至るところで,多くの人びとが認知症に侵されています.日本の厚生労働省の推計によりますと,日本では認知症の人びとの数は現在約169万人とされており,またこの数は2015年には250万人に,さらに2025年には323万人にも達するだろうと予測されています.この数に加えて,さらに多くの人数の身内の人びとや友人たちが,この人たちのケアに巻き込まれます.認知症を抱える人のケアをするということは,非常に骨の折れる,ストレスの多いきつい仕事であるということはよく知られています.
 認知症は,認知的,行動的,心理的,神経学的な変化の複雑な集まりの形として現れてきます.個人個人における認知症の体験は,それぞれの人でそれぞれに独特なものです.さまざまな異なった疾患から認知症が引き起こされてきます.この違いからまた,認知にかかわることやその他の衰えなど種々の異なるパターンを現してきます.さらに,認知症の人びとはその障害の種々の段階(すなわち,早期,中期,後期など)において評価のために訪れてきます.行動や心理的な症状は変動し,そして最も重要なことは,認知症を抱える人たちの個人個人が,彼ら自身独特の個性と人生経験をもっているということです.これらのさまざまな理由から,食べたり飲んだりすることも含め,抱えている課題はしばしばいろいろな要因を含んだ複合的なものなのです.
 認知症のある人びとを対象にして仕事をする場合には,よく摂食・嚥下障害に直面するだけでなく,食事の介助の仕方に関する問題,食事姿勢の障害,行動の変容,気分障害などにも出会すことになります.認知症の人びとでは,本格的なテストのやり方に従うのが難しかったり,各種の指示(たとえば,口腔診査時)に効果的に従うことができなかったりすることがあります.大多数の認知症の人びとは,彼らになじみがあり,そして彼らに理解できる状況下においては,物事を最もよくすることができます.彼らは,自分および自分の周囲にいま何が起こっているのかを理解できない時には非常に不安になり,おびえることがよくあります.よく使われる標準的な臨床的摂食・嚥下評価法は,彼らにはあまりにも抽象的で難解であり,彼らの状況判断の限界を越えていることがよくあり,そのために必要とするすべての情報が得られない可能性が高い.そのうえ,食事環境が食べることに強い影響を与えます.食事介助のテクニックが適切でなかったり,気が散って食事に集中できないような食事時間の状況があると,それらが食べることを難しくする原因となり,また食事摂取の難しさをさらに悪化させます.
 本書で紹介している評価法は,そのような標準的な摂食・嚥下障害の評価法を補うために開発されたものです.往々にして,食事時間帯における十分に順序立てられた観察のみが可能な場合があります.家族や介護の専門家は,評価とマネージメントの両方に導いてくれるような生きた情報を提供することができます.一つの全体観的な方法で問題点を吟味することによって,この観察法が,そのすぐ後で試すことができるような,実行できそうなマネージメントに関する提案を生み出してきます.認知症が進行した状態にある人に対して,非経口的な栄養摂取を考慮する時に生じてくる医学的,倫理的な問題についてもまた熟慮が必要です.
 認知症に関しては,まだまだ突き止めなければならない事柄がたくさんあります.そしてまた,種々の問題点に対する明白で簡単な解決法がないことがたびたびあります.とはいえ,われわれは,病期のどの段階においても関係する認知症をもつ人の最適なQOLを維持すべく懸命に努めなければなりません.その人にとっての至適な飲食は,このことについての一つの肝要な部分です.
 金子芳洋教授が,そのとてもすばらしい専門的見地からこの私の著書を日本語版に適切に翻訳されたことは,私にとって光栄の至りです.
 私は,この分野の日本の臨床関係者が日々の業務遂行に際して,本書に示した評価とマネージメントに関する提案が役に立つことを心から願っております.
 2005年7月20日
 認知症専門・言語聴覚士 Jacqueline Kindell

訳者のことば
 この約10年来,わが国における摂食・嚥下障害に対するリハビリテーションの研究や臨床が急速に発展してきていることは間違いのない事実である.しかし,社会全体に対するその臨床の広がりはまだまだ不十分で,地域により,あるいは病院,施設,在宅などの違いによってその温度差にかなり大きなものがあることが今後解決を急がなければならない一つの問題点である.
 摂食・嚥下に問題が生じる成人疾患類で最もその数が多いのは,脳卒中と認知症であろう.わが国では介護が必要な認知症高齢者は,現在約170万人,10年後には250万人に達すると推計されている.しかし,世界的にみても最もよく研究され,出版されている関係書も多く,また診断,治療の両面において著しく進んでいるのは脳卒中である.一方,認知症は,その人びとの内面に起こっている問題点を理解することの難しさと,それに伴う対処の困難さから,認知症の人びとの抱える「食べる」ということに対する医学的,リハビリテーション的なアプローチが非常に遅れているのが実情である.その一つの現れとして,これだけ多くの摂食・嚥下関係の書物が出版されているにもかかわらず,私の知る限り,認知症の摂食・嚥下障害の評価やマネージメントに関する国内外のこれといった成書はいままで見当たらなかった.
 そのような事情から,2002年に本書の原著が英国で出版され,入手した時にはその内容には実のところあまり期待はしていなかった.私の手元に届いたのは,翌2003年4月9日.ところがそれから読み進むにつれて,この本が“私が探し求めていた“まさに“認知症を抱えている人びとの食事”全般に関する実践の書であることに気付かされた.原著者もそれを意図しているように,この本は一見,原著者と同業の言語聴覚士のために書かれているようにみえるが,実は認知症の人びとの食事にかかわる専門家から家族,ホームヘルパーに至るまでのすべての人びとに読んでもらいたい著書である.
 もう一つ,この本に私が強い共感を覚えた事柄がある.それは,最近の本は分担執筆が多いが,本書はそうではなく,英国の言語聴覚士であるJacqueline Kindell女史が,1992年以来認知症の人びととその介助をする人びとにかかわった,まさに10年間の研究と臨床の取り組みの結果からまとめることができた単著であるということである.
 2001年に米国のSLP(北米大陸の言語聴覚士の略称)であるSusan E.Langmore女史の編著のもとに,『Endoscopic Evaluation and Treatment of Swallowing Disorders(嚥下障害の内視鏡検査と治療)』という,摂食・嚥下に関する内視鏡の応用を初めて世に問うた成書が出版されている.彼女もその序文の冒頭で,その本の内容は過去10年間のこの分野の研究と臨床の成果であり,もし10年前にこのような本を書かないかといわれてもできなかったであろうと述懐している.
 実は,それまでほとんど手が付けられていなかった心身障害児の摂食・嚥下障害のリハビリテーションという分野に私が気付かされたのが1977年のことであり,それからやはり10年間の関連研究と臨床の取り組みの末に,やっとなんらかのまとめができると確信ができ,日本で初めてこの分野の成書,『食べる機能の障害―その考え方とリハビリテーション―』を1987年に出版することができた.あの10年間の苦労の連続と臨床での格闘は忘れることができず,この三者が同じ約10年間の積み上げのうえに新しい分野の成書を出版したという事実は,私に何か因縁めいたものを感じさせ,このJacqueline Kindell女史という一人の著者で書かれているすばらしい実践の書を是非私一人の手で翻訳し,この分野の対応が遅れている日本において認知症を抱えている人びと,およびその関係者の役に立てたいと強く願うようになった.
 私は神経内科学や精神医学の専門医ではなく,また認知症を特に研究したわけでもない歯科医師にすぎない.したがって,認知症に関する知識は微々たるものであった.認知症における“食事“の問題を理解し,取り組むには,認知症をもつ人びとの心理・精神・身体的な内面についてのある程度の最新の知識をもっていることが大切である.最近では,認知症をもつ人自身が自分の内面を語るようになり,認知症に対する理解が格段に深まりつつある.そこで,今回の翻訳にあたっては私自身次の6冊の成書に目を通し,大変役に立った.これらのうち小澤 勲著『痴呆老人からみた世界―老年期痴呆の精神病理』は少しく専門的ではあるが,その他の5冊は誰にでも読みやすく,理解しやすい内容の本であり,認知症の人びとが抱える“食事”の問題に取り組み,あるいはこれから取り組もうという読者諸氏には,是非読んでいただきたいお薦めできる参考書である.
 1)小澤 勲:痴呆老人からみた世界―老年期痴呆の精神病理.岩崎学術出版社,東京,1998.
 2)小澤 勲:痴呆を生きるということ.岩波新書,岩波書店,東京,2003.
 3)小澤 勲,土本亜理子:物語としての痴呆ケア.三輪書店,東京,2004.
 4)ジェーン・キャッシュ,ビルギッダ・サンデル著,訓覇法子訳:痴呆の人とともに[痴呆の自我心理学入門].クリエイツかもがわ,京都,2003.
 5)クリスティーン・ボーデン著,桧垣陽子訳:私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界―,クリエイツかもがわ,京都,2003.〔Christine Boden:Who will I be when I die ? Harper Collins Religious,Australia,1997〕
 6)クリスティーン・ブライデン著,馬籠久美子・桧垣陽子訳:私は私になっていく―痴呆とダンスを―.クリエイツかもがわ,京都,2004.〔Christine Bryden:Dancing with Dementia:My story of living positively with dementia.Jessica Kingsley Publishers,London,UK,2005〕
 このうちの1冊,小澤勲,土本亜理子著『物語としての痴呆ケア』の中(279頁)で,知的障害者更生施設「れんげの里」の柳誠四郎施設長が,「痴呆と自閉,僕はかかわりやケアは全然違うと思っていたのが,小澤さんの話を聞き,クリスティーンさんの本を読むと,こんなに重なるのか,というのがまず驚きでした」と述べている.
 私は,1999年4月〜2002年3月の3年間,重度および最重度知的障害者(約250名)が入所している埼玉県立「嵐山郷」で,高齢化を迎えている重度知的障害者の誤嚥性肺炎をはじめとするさまざまな食事の問題の解決のために力を注いでみた.実はその時は,高齢を迎えている重度知的障害者の摂食・嚥下障害に挑戦するのは私にとって初めてのことであったが,幸いこの入所者に発生している摂食・嚥下障害を深く憂慮され,この問題の解決に強い熱意をもたれていた医療部の高木晶子医長(専門は小児神経)をはじめとして,栄養課の熱心な取り組みやその他の部署の協力のもとに,チームアプローチを実践することができた.この間に高齢化する知的障害者の食事の問題点を多く学び,またその対処方法を作り上げていった.
 実は,驚いたことに,Jacqueline Kindell女史のこの本を読んだ時に感じたことは,認知症の人びとの食事の問題点には重度知的障害者の食事の問題点と重なる面が多くあり,またそのマネージメントにも共通するものが多いということである.したがって,この本を十分に理解し,よりよく訳す努力をするにあたっては「嵐山郷」でのこの貴重な体験が大変に役に立った.その時期にお世話になった「嵐山郷」におけるすべての関係者と,私が仕事(評価・治療)でかかわり,多くのことを教えていただいた重度知的障害をもつ入所者諸氏,およびその身内の方々の温かいご理解に深く感謝したい.
 この本を読んでいると,一つの事実に気が付く.それは「認知症の患者〔patient(s)〕」という用語がほとんど使われておらず,それに代わって「認知症をもつ人(びと),認知症がある人(びと)(person/people with dementia)」という用語が使われていることである(用語解説の「ピーウィッド」127頁,および「国際認知症啓発支援ネットワーク(DASNI)」125頁を参照のこと).先に紹介した本の1冊,クリスティーン・ブライデン 著,馬籠久美子・桧垣陽子 訳『私は私になっていく―痴呆とダンスを―』の中(293頁)で,「現在のクリスティーンさんが自分では使おうとしない言葉がある.それは,“demented“=「呆けた」と“patient”=「患者」である.どちらも認知症と診断された人の人格や個性を否定し,それまでの人生経験を否定しかねない響きがあり,「大嫌い」と言う.」ということが書かれている.実は今回訳した本の中でも,原著者はこの言葉(person/people with dementia)を使用し,patient(s)という言葉をほとんど使っていない.そこで訳出にあたっては,この点に留意した.
 この日本語版翻訳書には,原著にはない部分が数カ所ある.それは次の点である.
 1)日本語版中にあるすべてのイラスト類は,原著書にはない.
 2)認知症や摂食・嚥下障害の専門家ではない人びと,介護に携わる人や身内の方々にも是非読んでいただくために,認知症の人びとの食事行動上や嚥下の問題点を少しでもわかりやすくするべく,原著にはない多くの脚注を訳者が入れてある.
 3)さらに,理解を深めていただくために,日本語版には認知症関連用語および本書関連の用語解説(一部,脚注のさらに詳しい説明を含む)を巻末に示した.
 4)参考のために,「長谷川式簡易知能評価スケール改訂版」ならびに「MMSE(簡易知能検査)」の様式を巻末に示した.
 最後になるが,私の本書の翻訳出版の意志を深くご理解いただき,出版を快く引き受けて下さった医歯薬出版株式会社に深く感謝を申し上げる.また,同社編集部の関係者の方々の労にも感謝したい.とりわけ,激励,支援をもって私を表裏から支えてくれた水島健二郎氏に感謝を申し上げたい.
 2005年7月25日
 金子 芳洋

原著序文
 認知症とは,明瞭な意識下において,複合的認知機能,情動のコントロールや社会的行動に慢性的あるいは進行性に異常をきたす一つの症候群である(国際疾病分類;ICD-10).認知症になると,日常生活動作(ADL)の実行が次第に困難になってくる.
 認知症を抱えている人びとを援助するために働いている介護職や専門スタッフの人びとは,食事時間に現れてくる種々の問題の領域についてよく知ろうとし,またそのマネージメントの点からみてそれらの障害が示す難題についても知ろうとする強い意欲が必要である.幸い,これらの障害,すなわち摂食関係と嚥下関係の両方の障害に焦点を当て,それらの障害にどう対処していくかについての可能性のあるマネージメント方策を実証するような一連の文献が増えてきている.
 認知症の人たちにおける体重減少(特にアルツハイマー病)についてはよく知られているが,その原因については未だに論争が続いている.Guyonnetら(1998)は,ある地域に在住するごく軽度から中等度のアルツハイマー病の人びと76名についての体重減少に関して調べている.その成績では,44.2%の被検者で1年間に4%以上の体重減少が認められている.この問題の重大さを考慮すれば,認知症の診断が下されたら,定期的な栄養状態のモニタリングをすぐに開始すべきであることを彼らは勧告している.
 Singhら(1988)は,“なぜアルツハイマー病の患者は痩せているのか?“ということに疑問をもった.そこで,彼らは74名の入院患者について検査し,アルツハイマー病患者の体重が多発脳梗塞性認知症の患者より軽く,また認知症のない対照高齢者群よりも軽かったことを見出した.しかしながら,この体重減少の理由についてははっきりしないままであった.これに関しては,いままでに多くの仮説が文献中に述べられてきた.そのなかには,摂食困難,活動の増加,食欲の変化,味覚や感覚の変化,代謝障害などがある.Duら(1993)は,体重減少は大脳特定領域の損傷を反映しているアルツハイマー病の中核症状の一つなのか,それとも認知症に伴う二次的障害なのかどうかについて問うた.認知症の人びとにおける体重減少にはどうもさまざまな原因がありそうに思われる.これは,認知症のタイプや病期の違い,身体的・精神的状態の個人差などに起因している.また,ここで述べておかなければならないことは,一部の認知症の人には過食があるということが報告されていることである.この問題は“過食症(hyperphagia)”と名付けられているが,認知症の人たちの約1/4で,ある時期の病期に起こるように思われ(Trinkle,1992),さらに変動性があることを浮き彫りにしている.ある種の栄養欠乏による障害では,認知症の原因となることがありうるが,その場合には治療が可能である.たとえば,ビタミンB12,葉酸,チアミンやニコチン酸の欠乏がその種のものである.このような認知症の原因は,その数は少ないかもしれないが,このような場合には病状が可逆性の可能性があるので重要である(Burns,1995).
 居住型施設入所のケアの状態にある人びとで,特に認知症の人では,自分で食事を摂ることがだんだん困難になってくるのを経験していることを示すエビデンスがかなり多数ある.Siebensら(1986)は,ある看護施設(nursing facility)の入所者240名について調査したところ,わずかに入所者の53%だけが完全に自立して食事が摂れているにすぎないことを見出した.なんらかの介助を要する入所者では,声かけによる指示から,身体的な介助(介助を要するケースの32%)までの範囲の介入が必要な状態であった.食事摂取を他人に依存しなければならない状態には,年齢との相関性はなかったが,認知障害を含めてさまざまな要因との間に相関性が認められた.Volicerら(1989)は,施設入所アルツハイマー病の人たち73名の集団について調査したが,その50%では少なくともなんらかの食事介助を要し,32%には摂食・嚥下障害があったことを見出した.Steeleら(1997)は,あるスクリーニング方法を使って,某高齢者ホーム入所者349名の食事時間の状態を調査した.その結果,彼女はその87%の入所者が食事行動になんらかの問題点を抱えていることを知った.その内訳としては,68%に嚥下機能障害の徴候が,46%には口腔への食物摂り込みに欠陥が,40%には厄介な行動上の問題が認められた.Duら(1993)は,81名のアルツハイマー病の人びとについて追跡調査を実施し,その結果,自分一人で食事ができる能力と体重減少との間には,著しい関係があることがわかった.すなわち,通常,自食できる能力が減退すればするほど,一般に体重も減少していた.
 食事能力の低下は,その人を栄養失調の危険に曝すことになる.このことは,易感染性を増大させることになり,またそのほか罹病率や死亡率の増加の一因となる種々の状況を増大させる.Sandmanら(1987)は,施設入所44名の重度認知症の人たちについて調査した結果,栄養失調状態にある人びとでは,栄養失調のない人びとに比べて,感染症罹患のために抗生物質類を使った治療をしなければならなかった期間が4倍も多かった.RudmanとFeller(1989)は,栄養不良状態が感染を抑え,食い止めることを難しくすることにいかに関与しているかについて強調している.EKら(1990)は,入院高齢患者について実施した調査から,栄養失調状態が次のような合併症を引き起こすことを報告している.すなわち,栄養失調状態にある患者では,適切な栄養状態にある患者に比較して褥瘡の頻度が高く,創傷の治癒が遅延し,死亡率がより高かった.
 摂食・嚥下障害は,しばしば食物摂取量の減少を引き起こし,また少量の食物を誤嚥する危険を増し,ケースによっては誤嚥性肺炎を引き起こす(Logemann,1983).Feinbergら(1992)が進行した認知症を抱える人びと131名に実施したVFでの後ろ向き研究の所見によれば,健常な嚥下を示したのはたったの7% にしかすぎなかった.Hudsonら(2000)は,その総説論文の中で,栄養失調状態と摂食・嚥下障害の間には相互依存関係があることを強調している.摂食・嚥下障害は,栄養摂取の低下を引き起こし,それは一方では呼吸筋力の低下と免疫機能障害のための,誤嚥発生の危険性の上昇と重症度を増大させる可能性がある.Siebensら(1986)は,食べることが自分でできないで他人に依存しなければならない状態は,多発する諸障害や早期死亡と関連があると結論づけている.
 Wangら(1998)は,長期施設入所管理(long-term care)下にある79名の認知症の人たちの縦断研究を実施し,体重の低下は施設入所期間中に必ずしも絶え間なくひっきりなしに続くものではないことを見出した.彼らの主張するところでは,人的・物的資源が患者ケアの栄養面に向けられると,看護,食事,治療,医師スタッフが各患者の体重と長期生存を維持することができ,このことはかなり重い入所者の場合においてさえもいえることである.VOICES(1998)は,居住型施設やナーシングホームの認知症の人びと用の食物調理のための栄養ガイドラインを示し,また同時に摂食・嚥下の問題に関してかなり有用な情報を提供した.英国アルツハイマー病協会〔The Alzheimer's Society of Great Britain(2000)〕は,そのレポート『Food for Thought(配慮すべき飲食物の問題)』の中で,協会の調査への多くの回答者が,病院やケア施設においては認知症の人に十分な食物や飲物が与えられていないと感じていることを見出している.また回答者が感じていることは,各個人それぞれのニーズと問題点がしばしば認識されておらず,食物選択の自由がなく,スタッフ側に食事を介助する時間に余裕がないなどのことであった.この協会では,多くの解決の手がかりとなる勧告と具体的なアドバイスを出している.
 このような多くの問題点をできる限り明らかにし,うまくマネージメントすることは,認知症の人びとの介助を行うスタッフの責務である.前述した研究や報告が浮き彫りにしてきたように,食事摂取に問題が起こってきた時には吟味を要する多くの要因が存在する.人がもはや自力で食物摂取をすることができなくなった時には,誰か他の人が肩代わりして介助しなければならない.その人は自分の食べることについて,他人の技術と熱意に頼ることになる(KolodnyとMalek,1991).これは,スタッフとそのために費やされる時間に強い負担を要求する過程となる.たとえば,食事の介助をするのに要するコストは,ナーシングホームの全入所者をケアするのに要する総費用の25%を占めるだろうと推測されている(Zimmer,1975).ケースによっては,スタッフは献身的に介助をしているにもかかわらず,不適切な,時には危険でさえある食事の介助方法が行れている.その理由は,そのようなスタッフが必要とされる知識が不足していたり,必要とされるトレーニングを受けていなかったりするからである(KolodnyとMalek,1991).それゆえにまた,食事時にスタッフが実行している仕事をよく検討することが大切である.食べること,食事の介助や摂食・嚥下についての評価とマネージメントに関しては,学際的チームの全メンバーが関わり合いをもっている.この学際的チームのメンバーとしては,医師,看護師,支援スタッフ,作業療法士,言語聴覚士,栄養士,理学療法士などがあり,それに加えて,料理を提供するスタッフや管理・経営者も関係する.この過程には,また認知症の人びとの身内の人なども重要な関わりをもっている.食べることに影響する摂食・嚥下の問題や,関係する諸要因についての詳細な説明を提供するのは言語聴覚士の職務である.これに続いて必要となることは,問題点を減らし,必要な技術を維持し,スタッフや認知症の人びとの身内の人を教育・訓練し,他の学問分野によるさらなる評価を必要とする人を識別する,そのようなことを実行するための計画・方策を始めることである.
 Jacqueline Kindell

原著謝辞
 この著作物作成の初期段階の仕事を引き受けて下さったMariani Tanton,Barbara Tanner,Tessa Pemberton,Hilary Curtis,ならびにAstrid Cameronの諸氏に特別に感謝申し上げます.
 また,この本の出版企画において私にその力を貸して下さり,そしてかけがえのない貴重なご意見や情報を提供していただいた,the Northern UK Speech and Language Therapy Special Interest Group in Old Age Psychiatry(高齢者精神医学英国北部言語聴覚療法専門グループ)の会員諸氏,言語聴覚士でこの領域の専門療法士であるHilary Smith,ならびに高齢者精神医学科科長であるRC Baldwin医師には大変感謝申し上げます.

原著者について
 Jacqueline Kindellは,1992年以来Manchesterにおいて高齢者精神医学分野で仕事をしてきた専門家としての言語聴覚士である.この間,Jacquelineはある学際チームの一員として働き,そのなかで多くの認知症をもつ人びととそのケアをする人びとのために評価をし,治療やマネージメントに関する助言を提供してきた.この職務のなかで一つの意味深い部分は,摂食や嚥下にさまざまな問題点のある多くの人びとにかかわり,研究してきたことである.Jacquelineは,the Northern Speech and Language Therapy Special Interest Group in Old Age Psychiatry(高齢者精神医学北部言語聴覚療法専門グループ)の事務局長であり,また,the Royal College of Speech and Language Therapist's Clinical Guidelines Project(英国言語聴覚士協会臨床ガイドライン・プロジェクト)の“the Expert Group for Mental Health(精神保健専門家グループ)”のメンバーでもある.彼女は最近,言語聴覚士としての新しいポスト,Therapy Services Manager in Old Age Psychiatry at Stockport NHS Trust(英国国民保健サービス・ストックポート・公立病院高齢者精神医学療法部門主任)に移転している.
 ・日本語版に寄せて
 ・訳者のことば
 ・原著序文
 ・原著謝辞
 ・原著者について

1章 認知症
  ●認知症と急性錯乱状態の鑑別診断
  ●認知症と食べる動作の変化
  ●アルツハイマー病
  ●脳血管性認知症(多発脳梗塞性認知症)
  ●レヴィー小体[型]認知症
  ●前頭側頭[型]認知症(ピック病)
2章 本書に示した評価表,マネージメント・チェックリストの作成と使用法
3章 病歴収集摂食・嚥下の諸問題
 1 摂食・嚥下に最初に問題が発生したのはいつだったのか?
 2 その問題は徐々に始まったのか,あるいは急に起こったのか?
 3 その問題は悪化傾向にあるのか? もしそうならば,その悪化は緩徐なものか,あるいは急速な性質のものか?
 4 過去1年間に肺の感染を繰り返した経験があるか?
 5 体重は増加してきているか,それとも低下してきているか?
 6 糖尿病を患っているか? そのコントロールやモニターはどのようにされているか?
 7 その摂食・嚥下の問題は日によって変化しているか,それとも一日のうちで変化するか,あるいは1回の食事中に変化するのか?
 8 最近,意識や注意力のレベルに変化が認められなかったか?
 9 最近,身体的健康に変化が起こらなかったか?
 10 最近,気分・機嫌に変化がみられないか?
 11 最近,行動に変化が認められなかったか?
 12 食事中にどこかが痛いとか,不快・苦痛であるということを訴えたり,言葉以外の手段で示したりすることがないか?
 13a 現在服用中の薬剤のリストアップ
 13b これらの服用薬剤のいずれかに,運動,意識レベル,集中力,食欲,唾液分泌量,気分や錯乱のレベルに影響を及ぼす可能性のある副作用を有しているものがないか?
 13c 摂食・嚥下の問題が投与薬剤を変更した後に発生したか?
4章 摂食・嚥下の評価とマネージメント法
 Part1 感覚障害と歯の状態に関連する評価とマネージメントの問題
  1a 視覚に問題はないか?
  1b 補聴器が必要ではないか,あるいはその人が持っている補聴器がちゃんと機能しているか?
  1c 歯の状態になんらかの問題を抱えていないか?
 Part2 精神状態と行動に関連する評価とマネージメントの問題
  2a 意識レベルは低下していないか嗜眠状態になっていないか?
  2b 食事中,食卓に座り続けることが難しくないか?
  2c 自分がいま何をしているのかを忘れていないか.あるいは,いま行っていることから注意がそれやすくなっていないか?
  2d 非常に無気力で,自分からは何もしない状態ではないか.そして,食べ始める時に,何かきっかけになることを必要としていないか?
  2e 食物や飲物の摂取拒否があるか?
  2f 食べたり飲んだりする速度が不適当ではないか?
   ●食べるのが早すぎる
   ●食べるのが遅すぎる
  2g 食物ではないものを口にするか?
 Part3 摂食状況と摂食の巧みさに関連する評価とマネージメントの問題
   ●環境全般について
  3a 食事時間における管理・監督の程度が不十分ではないか?
  3b 食事時における位置や姿勢に問題はないか?
  3c 自食することに何か難事を抱えているか?
  3d 他人の皿やコップにある食物や飲物を食べたり,飲んでしまったりすることがあるか?
  3e 食べている時に,いま使っていない食卓上に置いてある他の食事用具類やその他のものに気をとられやすいか?
  3f 食べる時に周りを取り散らかすか?
  3g 違う皿の上の料理を一緒に混ぜてしまうことがないか?
  3h 食事介助を受けている人の場合,介助する側のやり方に何か問題はないか?
 Part 4 食物,飲物と摂食・嚥下に関連する評価とマネージメントの問題
   1 口腔準備相 2 口腔相 3 咽頭相 4 食道相
  4a ひどい流涎(よだれを垂らす)や食物の垂れ落ちがあるか?
  4b 食べる前,あるいは食べている最中に,識別可能な舌の脱力や機能不全の徴候があるか?
  4c ある特定の形態(硬さや濃度)の食物を咀嚼したり,あるいは嚥下するのに困難があるか?
   ●固形食に関連した問題点?
   ●まとまりのない断片の寄せ集め的で,いろいろな形態からなる食品,あるいは塊だらけの食品に関連した問題点?
   ●飲物(液体)に関連した問題点?
  4d 嚥下の誘発に遅延があるか?
  4e 嚥下後に何度も繰り返して咳き込んだり,軽い咳払いを繰り返したり,のどを詰まらせたりすることがあるか?
  4f 嚥下後に,声の質が湿性でガラガラする声(湿性嗄声)に変化していないか?
  4g 一口分の食物をのみ込むのに何回も嚥下を繰り返す必要があるか?
  4h 何か特定の食物を食べるのが困難ではないか?
  4i 口に摂り込まれる一口分の量が問題なのではないか?
  4j 食物や飲物の温度が熱すぎたり,冷たすぎたりしていないか?
  4k 食事の大半を残していないか?
  4l 食物や飲物に好き嫌いがあるか?
  4m 食後に,口の中あるいはの部分(口腔前庭)に食べたものが残っていないか?
 Part5 重症な嚥下障害に関連する評価とマネージメントの問題
   ●嚥下の問題と誤嚥の可能性を暗示する徴候
  5a 嚥下のさらに詳細な調査が必要か.たとえば,嚥下造影?
  5b どのような食物形態に対しても,扱いにくい嚥下の難題を抱えているか?
5章 評価表
 ●認知症における摂食・嚥下障害の評価
  評価表 フォーマットA
   第1部 摂食・嚥下障害に関する病歴
   第2部 食事時間における観察評価表(フォーマットA)
    Part 1 感覚障害と歯の状態
    Part 2 精神状態と行動
    Part 3 摂食状況と摂食の巧みさ
    Part 4 食物,飲物と摂食・嚥下に関連する問題
    Part 5 重症な嚥下障害の問題
  評価表 フォーマットB
   第1部 摂食・嚥下障害に関する病歴
   第2部 食事時間における観察評価表(フォーマットB)
    Part 1 感覚障害と歯の状態
    Part 2 精神状態と行動
    Part 3 摂食状況と摂食の巧みさ
    Part 4 食物,飲物と摂食・嚥下に関連する問題
    Part 5 重症な嚥下障害の問題
6章 摂食・嚥下障害のマネージメント方策―チェックリスト
 ●マネージメント方策の計画・作成
  Part 1 感覚障害と歯の状態
  Part 2 精神状態と行動
  Part 3 摂食状況と摂食の巧みさ
  Part 4 食物,飲物と摂食・嚥下に関連する問題
  Part 5 重症な嚥下障害の諸問題

 ・参考文献
 ・用語解説
 ・索引