やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 口腔衛生管理の重要性が一般社会において充実するに伴い,総義歯患者は減少していることは,日々の臨床においても明瞭なことである.しかしながら,総義歯の患者の高齢化により,ますます難症例となる傾向がみられる.総義歯治療に際し,一般的に行われている筋圧形成印象法や,咬合採得などを一生懸命行ったとしても,なかなか患者の満足を得られないこともある.これらのことから,総義歯作製に際して従来から多くの方法が考案され,応用されている.
 私は東京歯科大学を卒業後,恩師である関根 弘教授の講座に在籍し,粘膜の被圧変位のことや,人工歯の排列などについて,多くのことを学ぶことができた.その後,父である矢崎正方と3年近く,一緒に診療を行い,父が没したあと,経過の長い患者においては約30年間にわたり,父が装着した義歯を観察し,その経過から多くのことを学ぶことができた.
 父は天然歯の臼歯部咬合面の咬耗状態や,患者の義歯の安定や咀嚼効率などから,顆頭の動きを基とした下顎運動理論に対して,実際の補綴物を作製するために適応するよう,咀嚼運動理論として独自の理論を提唱した.それに対応した矢崎式咀嚼運動器や人工歯の開発まで一貫して行ったことは,特筆されるべきことと思われる.
 さらに,総義歯に関しては義歯作製の最終段階で印象する咬座印象法を考案し,患者にとって,より生理的な義歯となるよう工夫をしている.この咬座印象法はその後多くの臨床家によって,現在でも多様に応用されている.
 これらの集大成として,晩年には,多くの総義歯の症例において,上顎の口蓋部を大きく開放した無口蓋義歯を装着し,患者の満足を得ていた.
 1995年に,諸先輩の方々に薦められ,医歯薬出版より『矢崎正方の総義歯に学ぶ』を出版し,矢崎正方の理論と実際の症例を紹介した.その本の「上梓によせて」として,関根 弘教授から同一患者において,術後の長期経過の後継者による紹介は,世界にほぼ唯一のものとして,高い評価をいただくことができた.
 最近は,高齢化に伴う歯槽骨の吸収の進行や,顎位の歪みなどへの対応が,総義歯臨床において必要となってきた.新たな総義歯の作製の前処置として,治療用義歯を作製し,ティッシュコンディショナーを使用して,咬合や義歯床と口腔組織との調和をはかることは有意義なことである.全ての患者に治療用義歯を新たに作製し,対応することが望ましいが,時間的,経済的な問題もあり,不可能なこともある.通常はそれまで使用している,いわゆる旧義歯を改造して治療用義歯として用いることが多いと思われる.
 しかしながら,われわれが診て問題点の多い旧義歯であっても,患者にとっては長期にわたって慣れ,使用してきたものであり,種々の思い入れもある場合もある.このような旧義歯を改造し,疼痛が生じたりすると,特に最近の社会状況から,術者の厚意からの義歯の調整であっても,患者とトラブルが生じることも考えられる.私の診療所においては,総義歯作製の多くの症例において,旧義歯の複製義歯を作製し,それを治療用義歯として使用している.
 この複製義歯作製に関し,小林靖典技工士が,(株)ジーシーの研究所の方と連携し,専用のレジンを含めて,多忙な臨床においても容易に作製できる方法を開発し,活用している.この複製義歯の治療用義歯とティッシュコンディショナーによる調整を行い,さらに矢崎式咬座印象法を併用することで,ほとんどの総義歯の難症例に対応できるようになった.
 ただし,総義歯作製に際し,最も重要なことは,全身状態も含めた,顎堤や口腔軟組織の診査である.これについては20年以上にわたり,植杉健一先生,中川哲夫先生などが中心となり,毎月開催されている,新宿三水会において,臨床の恩師である染谷成一郎先生,新田光朗先生,科学的根拠に基づく総義歯についての多くの業績をあげられている阿部二郎先生など,多くのメンバーの方々からお教えをいただき,衷心より深謝しています.
 さらに今回の機会をいただいきたいへんお世話になった医歯薬出版株式会社,辻 寿氏はじめ担当の方々,CD-ROMの動画の撮影,作製にご努力賜った(株)オムニの尾高俊夫氏,三條場洋子氏はじめスタッフの方々,またスチールの撮影をしていただいた写真家の山本紀之氏にお礼申しあげます.
 また日々の診療や資料作成,撮影などに協力いただいている,矢崎歯科医院のドクター,スタッフ,小林靖典技工士,そして常に支えてくれている妻の克子に心より感謝しています.
 2004年6月 矢崎秀昭
複製義歯を応用した咬座印象法による総義歯の臨床 目次

はじめに
 1.総義歯臨床の特殊
 2.現在の総義歯臨床の問題点
  1) 総義歯患者の減少傾向
  2)総義歯患者の高齢化に伴う難症例の増加
  3)無歯顎における歯槽骨の吸収
  4)加齢に調和した口腔修復処置
  5)患者からのより高度な義歯の機能への要求
 3.私の総義歯臨床の変遷
  1) 東京歯科大学歯科補綴学第三講座で学んだこと
  2)矢崎正方の総義歯学から学んだこと

第1章 私の総義歯作製チャート
 1.咬座印象法
 2.治療用義歯(複製義歯)を応用した機能位咬座印象法

第2章 診査の重要性とその内容
 1.口腔環境の推移と義歯に関する情報
  1) 歯の喪失の経緯とその経過
  2)義歯使用の経過
  3)新たに作製する義歯に対する希望
 2.全身および生活一般
  1) 全身の診査
  2)患者の精神的気質の診査
  3)患者の社会的,経済的環境
 3.顔貌の診査
  1) 正貌(正面観)
  2)正中線
  3)側貌
  4)口腔周囲を形成する筋の緊張状態と表情の観察
 4.口腔内診査
  1) 顎堤の診査
  2)上顎の床負担域の診査
  3)下顎の床負担域の診査
  4)上下顎対向関係の診査
  5)口腔内軟組織の診査
  6)舌の診査
 5.エックス線診査
  1) パノラマ・エックス線診査,デンタル・エックス線診査

第3章 咬座印象法の実際
 1.咬座印象法の手順
  1) 通常の咬座印象法
  2)咬合採得時に下顎の二次印象を採得する方法
 2.咬座印象の臨床
  1) 咬座印象と咬合圧印象の違い
  2)咬座印象を上下顎分けて行う理由
  3)上顎の咬座印象
  4)下顎の咬座印象
  5)義歯の完成,装着
 3.咬座印象に用いる印象材
 4.咬座印象の特徴と問題点
  1)咬座印象の長所
  2)咬座印象の問題点
  3)咬座印象を成功させるポイント
 5.咬座印象に床裏装材を用いた下顎難症例への対応

第4章 日常臨床に応用できる咀嚼運動理論による人工歯の排列,削合
 1.前歯部の排列
  1) 前歯部の人工歯の選択
  2)前歯の排列
 2.臼歯部の排列
  1) 歯槽頂を基準に人工歯を排列しない理由
  2)排列許容帯と排列共通帯
  3)片側性均衡と両側性均衡
  4)臼歯部の人工歯
  5)人工歯の削合

第5章 誰にでも容易にできる複製義歯の作製と臨床的意義
 1.複製義歯の意義
 2.複製義歯の作製
  1) 複製義歯作製法への取り組み
  2)デュープフラスコ,デュープレジンを用いた複製義歯の作製法
 3.複製義歯の応用
  1) 機能位咬座印象における治療用義歯への応用
  2)パーシャル・デンチャーの機能位咬座印象への複製義歯の応用
  3)コーヌス義歯などの破損時への応用
  4)即時義歯作製への複製義歯の応用
  5)「かかりつけ歯科医」として完成義歯の複製義歯の作製
  6)デュープレジンの応用

第6章 難症例に応用できる機能位咬座印象法
 1.機能位咬座印象法の手順
 2.機能位咬座印象法の実際
  1) 複製義歯(治療用義歯)の作製
  2)複製義歯の調整
  3)複製義歯(治療用義歯)の咬合位の調整
  4)ティッシュコンディショナーによる床の調整
  5)複製義歯(治療用義歯)の咬合器への付着
  6)咬合床の作製,口腔内試適
  7)ワックス・デンチャー(仮床義歯)の作製
  8)咬座印象
 3.機能位咬座印象法の応用
  1) コーヌス義歯から総義歯への咬合位の移行
  2)パーシャル・デンチャーから総義歯への移行

第7章 床重合時の適合性の向上と咬座印象における金属床の応用
 1.レジン重合時の歪みへの対応
  1) 低温長時間重合法の応用
  2)レジン射出注入型レジンの応用
  3)厚みと幅のある金属フレームの応用
  4)透明レジンの応用
  5)口腔内におけるレジンの歪みの調整材の開発
 2.咬座印象における金属床の応用
  1) 金属板の作製方法
  2)金属板を使用する利点

第8章 無口蓋義歯の作製法とその経過
 1.無口蓋義歯とは
 2.無口蓋義歯の設計
 3.無口蓋義歯の適応症,不適応症
  1) 適応症
  2)不適応症
 4.無口蓋義歯の維持力の発現と口蓋部粘膜
 5.無口蓋義歯の咬合と人工歯排列の位置
 6.無口蓋義歯の作製上の要点
  1) 診断のポイント
  2)ワックス・デンチャーの作製
  3)咬座印象採得
  4)装着と調整
 7.無口蓋義歯の経過とトラブルへの対応
  1) 装着後の経過
  2)装着後のトラブルへの対応
  3)無口蓋義歯の破損に対する対応
  4)無口蓋義歯を使いこなしている症例

第9章 義歯による疼痛への対応と装着後の維持・管理
 1.義歯による疼痛への対応
  1) 義歯装着後,短期間に発生する潰瘍形成による疼痛への対応
  2)床適合試験材の使用
  3)潰瘍発生部位の義歯の調整
 2.義歯による疼痛の原因とその対応
  1) 顎堤や被覆する粘膜の性状
  2)咬合位の修正
  3)歯槽骨の吸収による下歯槽神経への影響
  4)義歯による潰瘍部への対応
  5)全身状態と顎堤粘膜の疼痛発生との関係
 3.義歯装着後の維持・管理
  1) 義歯装着後の咬合調整
  2)義歯床の管理と修正

第10章 総義歯難症例の診断とその対応
 1.総義歯の難症例とは
  1) 維持力の得にくい症例
  2)疼痛が生じやすい症例
  3)患者の気質,全身状態
 2.総義歯難症例への対応
  1) 人工歯の選択,排列,削合
  2)咬座印象の応用
  3)治療用義歯(複製義歯)を使用した機能位咬座印象法の応用
  4)開口時の口輪筋の圧への対応
  5)下顎臼歯部舌側床縁と口腔底粘膜との関係
  6)矢崎式口底版による下顎義歯の安定
  7)オーラル・ジスキネジアや口腔内過敏症への対応

第11章 総義歯における審美
 1.前歯部の排列による対応
  1) 前歯部の排列基準
  2)前歯部切端と口唇との関係
  3)側貌と前歯部の排列
 2.床による顔貌の回復
 3.咬合位による審美的な回復
 4.治療用義歯前歯部の完成義歯への移行
 5.義歯と残存歯のホワイトニング

まとめ 長期に使用されている総義歯から学ぶこと−咬座印象,咀嚼運動理論の再確認−
 1.長期経過症例からの考察
  1) 口蓋部を大きく開放した無口蓋義歯の症例
  2)臼歯部の咬合の安定により長期に使用されている無口蓋義歯の症例
 2.長期に使用されている総義歯に共通していること
 3.これから総義歯臨床に取り組まれる方への提言
  1) 加齢に調和した治療,修復処置
  2)歯槽骨や顎堤の保全を考えた処置
  3)旧義歯からできるだけ多くの情報を得る
  4)患者のために多くの引き出しを持っている
  5)パノラマ・エックス線写真の保管


CD-ROM解説 複製義歯を応用した機能位咬座印象法による総義歯の作製
 1.診査
  1) 口腔内の診査
  2) 旧義歯の診査
 2.複製義歯の作製
 3.治療用義歯の調整
  1) 床の調整
  2)咬合位の調整
  3)床粘膜面の調整
 4.ワックス・デンチャーの作製
 5.咬座印象による義歯の完成

参考文献……167 索引