やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

本別冊の発行にあたり 訪問歯科診療をはじめましょう!
◆訪問歯科診療は「待ったなし」の状況!
 訪問歯科診療をはじめようと思うきっかけは何でしょうか.「長く診てきた患者さんの通院が難しくなってきた」「担当患者さんから親御さんへの訪問を依頼された」「治療中の患者さんが入院した」「近所に老人ホームが開設された」など,そのきっかけはさまざまかもしれません.そして,「訪問歯科診療には全く興味がない」という歯科医師もいるでしょう.もちろん,専門性の違いがありますから,必ずしもすべての歯科医師が訪問歯科診療に携わる必要はありません.しかし,超高齢社会となっている現在でも,「高齢者歯科を専門にしたい」と考える歯科医師はとても少ないのが現状です.地域包括ケアシステムで要介護高齢者を地域で支える必要性が叫ばれるなか,求められる歯科医療のニーズにどう応えていくか,待ったなしの時期に来ています.すべての歯科医師は,自分の担当患者さんが高齢化し,通院できなくなる日が必ずやってくることを認識していることと考えます.かかりつけ歯科医としてできることを,本書を通して外来とは違うさまざまな視点で考えていきたいと思っています.

◆歯科医療者サイドからみた,訪問歯科診療をめぐる問題点
 厚生労働省『患者調査の概況(平成26 年)』によると,歯科の外来受療率のピークは65〜69 歳です.70 歳代にかけて減少していき,80〜84 歳ではピーク時の半数以下となります(図1).これは,高齢者の日常生活に影響のある者率,健康寿命と平均寿命の差をみれば,その動向が理解できます(図2,3).要介護高齢者の増加に伴い訪問歯科診療の需要は増加し,その件数は確実に増加しています.しかしながら,歯科医師側はもちろん,患者さん側にも訪問歯科診療が十分に浸透しているとは言えません.
 歯科医師側からみた問題点は,やはり外来とは違う不自由さ,事務手続きの煩雑さであると思われます.そして,施設または居宅へ訪問するという不慣れさ,移動の煩雑さ,さらには「他職種と関わらなければいけない」というちょっとした重圧感,ではないでしょうか.これらは,訪問診療の一連の流れや,他職種の役割,介護する家族の立場などを知ることで多くは解消されます.また,さまざまな専門的な道具が必要なのでは? 切削器具や吸引装置を備えたポータブルユニットがないと何もできないのでは? などと考えると思います.もちろんそれらが必要な診療もありますが,患者さんの主訴の多くは,「義歯が合わない」「義歯が壊れた」といった簡単なものであることも事実です.訪問歯科に関わる機器機材は,ここ10 年ほどでかなりコンパクト化しましたし,進化しています.訪問歯科診療は,自院の診療スタイルを踏まえ,どこまでの範囲で診療を行っていくかを定めることが必要です.義歯調整・修理や口腔ケアを中心に行うのか,歯を削合し充填処置や歯冠修復まで行うのか?昼休みや診療時間終了後の外来の合間に訪問するのか,訪問日を決めて半日あるいは1 日を訪問診療にあてるのか? ポータブルユニット,ポータブルレントゲンを購入するのか?歯科衛生士を帯同して訪問するか? ただし,これも訪問診療がどのように行われているかがイメージできないと,せっかく機器を準備しても自分のスタイルに合わない無駄な機器になってしまうかもしれません.

◆患者サイドからみた訪問歯科診療の問題点
 患者さん側からみれば,訪問歯科診療というシステム自体を知らない,という根本的な理解不足の場合が多くあります.数多くの在宅診療を経験している筆者でも,いまだに「歯医者さんの訪問があったのね,早くお願いすれば良かった」という声を聞くことが少なくありません.有料老人ホームに入所する経済的に恵まれていると思われる方が,1/3 近くも大きく欠けた古い部分床義歯を使用していることもありました.外来になんとか受診しようとするとか,訪問歯科を依頼するというような行動はいっさいなかったわけです.必要な情報がどこからも入らなかったのかもしれませんし,周囲の誰も歯科へ依頼しようとも思わなかったのかもしれません.本人のあきらめの気持ちもあったかもしれません.
 いずれにしても,その方の困っている状況に,介護している家族,介護関係者が全く気づくことがなかったという事実は,歯科関係者にとっては非常にさみしいものでもあります.情報収集をするということ自体が困難になっている高齢者にとっては,周囲から与えられる情報がすべてになってしまうこともあり,歯科は外来受診するものという思い込みから,訪問歯科診療自体が想像できなかったのだと思います.

◆杉並区歯科保健医療センターでの訪問歯科診療の実態
 筆者の勤務する東京都杉並区歯科医師会立杉並区歯科保健医療センターは週5 日間,訪問歯科診療を行っています.在宅のほかに施設診療も行っていますが,在宅歯科診療の場合の診療申し込みはケアマネジャーからの紹介が約半数を占めます.どこからの紹介もなく,何かの案内(区発行の手引きなど)やインターネット検索での申し込みは1%にも満たない状況です.ただし,担当ケアマネジャーがいたとしても,歯または摂食嚥下の問題を訴えなければ歯科医院へつながることはなく,どこへ問い合わせればよいかわからない患者さんも多いのです.
 ケアマネジャーは歯科の必要性について理解しているのではないか? と思うかもしれません.これも,私たちの誤解です.重要性は知っているかもしれませんが,優先順位,必要性が患者さん本人やケアマネジャーにとってどの程度なのかは別です.これが,要介護状態となって歯科医院から遠ざかる一因となっているならば,ケアマネジャーだけでなく患者さんやその家族,患者さんをとりまく多くの職種を含めた歯科への考え方を変えていく必要もあるでしょう.おそらく,まだまだ多くの要介護高齢者に歯科の手が届いてないと考えています.
 そして,歯科医師ですら「訪問歯科診療」への理解が共通ではないのですから,患者さんを支えるチームの頂点にいる医師はなおさらです.医師は「“ 訪問歯科診療” で何ができるかを知らない」といっても過言ではないでしょう.どの立場にせよ,多くの人が外来で歯科ユニット,大きなレントゲン機器を見慣れているだけに,コンパクト化した訪問機材があるとは思わないようです.医師との関係も,訪問診療を行ううえで非常に重要です.疾患の治療,全身管理を担っている,かかりつけ医のひと言は非常に重いものです.医師から「歯科訪問を受診するように」と言われるのが当たり前になるように,医師との関わりを多くもち,理解を深めてもらえるよう積極的に働きかけていかなければならないと思います.
 「でも,外来しかやってないし,訪問歯科診療はやっぱり難しいかな?」と思っている歯科医師も,まずはかかりつけ歯科医として,通院できなくなったときに「訪問歯科診療」という選択があるということ,または自院へ通院している患者さんを対象にすることを念頭に,診療室の掲示板等に訪問歯科診療を実施していることを周知することから,第一歩を踏み出してみましょう.訪問歯科診療に出かけてみませんか?

 2018 年12 月
 執筆者を代表して 福井智子
 本別冊の発行にあたり
  訪問歯科診療をはじめましょう!
第1章 訪問歯科診療の基礎知識
  訪問診療の基本的な考え方(菊谷 武)
  おうちに行こう―訪問歯科診療のススメ―(菊谷 武)
第2章 訪問歯科診療ヒント集
 【訪問対象患者の特性を知るためのヒント】
  要介護高齢者は大忙し(福井智子)
  摂食嚥下機能障害への対応(福井智子)
  口腔ケア(介助)しやすい口腔内とは(福井智子)
  認知症患者への対応(福井智子)
  在宅での生活環境を考える(福井智子)
  訪問診療で知っておくべき評価・検査法(福井智子)
  「医療」と「介護」の壁――歯科の立場と役割(福井智子)
  地域連携の実際(古屋裕康)
  虐待と地域包括(矢島悠里)
  小児在宅医療とは(町田麗子)
 【事務手続き上のヒント】
  訪問歯科診療体制を整える(福井智子)
  在宅診療における歯科医師と医師との関係(福井智子)
  歯科医師と他職種との関係(福井智子)
  介護保険がしてくれること(福井智子)
  在宅と施設での対応の違い(福井智子)
  服薬管理と薬剤師との連携(福井智子)
  ミールラウンドに参加しよう(佐々木力丸,高橋賢晃)
 【臨床上のヒント】
  訪問歯科診療での治療計画(福井智子)
  口腔ケアの現実(福井智子)
  口腔ケア指導の第一歩(福井智子)
  口腔ケアから見極める要介護高齢者をめぐるさまざまな環境(福井智子)
  訪問歯科診療で扱う義歯の特徴(福井智子)
  食べられない理由は,義歯?(福井智子)
  訪問歯科診療を楽に行うための工夫(福井智子)
  訪問歯科診療でのパートナー(福井智子)
  内視鏡と摂食・嚥下リハ(戸原 雄)
  在宅診療における栄養支援(尾関麻衣子)
  小児在宅歯科医療の実際(町田麗子)
第3章 訪問歯科診療で活躍する機器,器具・器材
  訪問歯科診療の1 日をイメージしてみよう!(福井智子)
  訪問歯科診療のための機器(福井智子)
  訪問歯科診療に必要な器具・器材(福井智子)
  訪問歯科診療の【基本セット】を作ろう!(福井智子)
第4章 訪問歯科診療で便利な各種書式

 おわりに
  訪問歯科診療はいつまで続く?(福井智子)