やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 一條秀憲
 東京大学大学院薬学系研究科細胞情報学教室
 細胞生物学的なストレスは,精神的ストレスと違ってなかなかイメージしづらく,一言で表現しにくいものである.学生講義では“細胞にある程度以上の強さ,あるいは長さで与えられると細胞が死んでしまう刺激”という定義を好んで使う.このような,広義で包括的な表現を用いる理由は,生体を取り巻くあらゆる環境の変化が強度と用量に依存して,薬にも毒にも,また生理にも病理にもかかわりうるということを理解し,また“ストレス=非生理的”という間違ったイメージを払拭してもらいたいからである.言い換えれば,生体内外で日常的に起こりうる,いわゆる生理的な範囲における量の違いが多様な質の違いを誘導する物理化学的ストレスの特徴を総体的にイメージしてもらいたいからである.
 物理化学的ストレスのもうひとつの特徴は,方向性をもった存在様式にある.たとえば,放射線や活性酸素などのように,存在すること自体がストレスになる一方向性のストレスと,浸透圧,熱,potential hydrogen(pH),メカノストレスなどのように細胞にとってストレスとならないニュートラルなポイントが存在し,そこから増えても減っても(たとえば高浸透圧と低浸透圧),極端な場合それらが細胞死を誘導する両方向性のストレスが存在するわけである.
 今回,“ストレスシグナルと疾患”の企画にあたっては,副題にも記すように,とくに“細胞恒常性維持機構の破綻と病態”に焦点を当て,分子レベルから細胞オルガネラレベルに至るさまざまなストレスシグナルの発生機構・伝達機構と,その破綻によって引き起こされる多様な疾患の発症機構について,各分野を代表する研究者の方々に執筆していただいた.
 最後になるが,本特集の編集にあたり,貴重な時間を割いてご協力いただいた執筆者の皆様に心から感謝申しあげる.
 はじめに(一條秀憲)
さまざまなシグナルの破綻と疾患
 1.ユビキチン・プロテアソーム系分解と疾患(小泉 峻・村田茂穂)
  ・ユビキチンシステムの機能 ・癌細胞におけるプロテアソーム活性の亢進
  ・プロテアソームとその制御機構 ・プロテアソーム活性の低下と老化
  ・プロテアソームと免疫疾患 ・異常蛋白質の蓄積を原因とする疾患
 2.ガス様シグナルの破綻と疾患(西田基宏・島内 司)
  ・酸素受容蛋白質群によるガスシグナル伝達制御
  ・蛋白質の酸化的機能修飾によるガス状シグナル制御
  ・活性イオウの分子実体とその病態生理学的役割
 3.亜鉛を介するシグナル伝達―亜鉛シグナリングによる恒常性の維持と疾患(深田俊幸)
  ・亜鉛生物学の潮流 ・亜鉛シグナルと免疫機能
  ・個体恒常性と疾患における亜鉛シグナルの意義 ・亜鉛シグナルと骨代謝
 4.酸化ストレスと疾患(野口範子)
  ・動脈硬化と酸化ストレス ・がんと酸化ストレス
  ・糖尿病と酸化ストレス ・神経変性疾患と酸化ストレス
 5.生体恒常性を制御する“善玉”メカニカルストレスと“悪玉”メカニカルストレス(澤田泰宏)
  ・“緊張型”メカニカルストレス
  ・“弛緩型”メカニカルストレス
  ・“緊張・弛緩混合型”メカニカルストレス
  ・“緊張型”と“弛緩型”,それぞれのメカニカルストレスの局面・環境
  ・病因・病態としてのメカニカルストレス異常
  ・局面(ライフステージを含む)によって異なる緊張型メカニカルストレスの役割―緊張型メカニカルストレスは炎症誘導・促進ストレス
  ・“弛緩型”メカニカルストレスによる炎症抑制
  ・健康増進・生体恒常性維持における“善玉”と“悪玉”のメカニカルストレス
  ・どうしたら身体に弛緩型メカニカルストレスを加えられるか
細胞構成成分へのストレス
 6.ATP恒常性の破綻と疾患(垣塚 彰)
  ・神経変性疾患へのVCPの関与
  ・新規のVCPのATPase活性の阻害剤の開発
  ・KUSsの細胞保護作用
  ・KUSsおよびATPの添加によるERストレスの抑制
  ・KUSsによる網膜色素変性モデルマウスの病態遅延効果
  ・ATPの減少抑制による疾患治療戦略
 7.酸化ストレスによる核ゲノム恒常性破綻の分子病態―8-オキソグアニンによる発癌と神経変性(中別府雄作)
  ・活性酸素による核酸の化学修飾
  ・核ゲノムの恒常性維持機構
  ・核ゲノムの恒常性破綻と突然変異,発癌の自然発生
  ・核ゲノムの恒常性破綻と細胞死
  ・核ゲノムの恒常性破綻と神経変性
 8.核小体ストレス応答と腫瘍化進展制御―あらたな抗癌治療薬開発をめざして(河原康一・古川龍彦)
  ・リボソーム生合成を担う核小体
  ・リボソーム生合成と発癌
  ・リボソーム生合成の異常は癌抑制遺伝子p53を増加させ核小体ストレス応答を起こす
  ・核小体ストレス応答を誘導する新規分子PICT1
  ・核小体ストレス応答を標的とした治療薬
 9.脂質異常とオルガネラストレス(大場陽介・河野 望)
  ・オルガネラの膜脂質 ・ミトコンドリアと脂質
  ・リソソームの機能と脂質 ・膜脂質異常と小胞体ストレス応答
細胞内小器官とストレス
 10.拡大する小胞体ストレス病―小胞体ストレスと疾患(金子雅幸・今泉和則)
  ・小胞体ストレスセンサー ・小胞体ストレスに関連する疾患
  ・小胞体関連分解(ERAD)
 11.ペルオキシソーム形成異常と疾患(藤木幸夫・他)
  ・ペルオキシソームの形成機構
  ・ペルオキシソーム病
  ・ペルオキシソーム病の原因遺伝子とペルオキシソーム形成因子の同定
  ・ペルオキシソーム形成因子(ペルオキシン)の機能
  ・ペルオキシソーム欠損による障害
  ・エーテルリン脂質プラスマローゲンのホメオスタシス
 12.Golgi体ストレス応答と疾患(吉田秀郎・谷口麻衣)
  ・Golgi体ストレス応答とは? ・Golgi体ストレス応答のCREB3-ARF4経路
  ・Golgi体ストレス応答のTFE3経路 ・Golgi体ストレス応答と疾患
  ・Golgi体ストレス応答のHSP47経路
 13.ストレス顆粒の生理機能と疾患(久保田裕二・他)
  ・ストレス顆粒の形成メカニズムとその構成分子
  ・ストレス顆粒構成分子の翻訳後修飾
  ・ストレス顆粒の機能
  ・ストレス顆粒の形成異常と疾患
ミトコンドリアとストレス
 14.ミトコンドリア局在型プロテインホスファターゼPGAM5とストレス応答(関根史織・一條秀憲)
  ・ミトコンドリア局在型プロテインホスファターゼPGAM5
  ・ミトコンドリア膜電位低下依存的なPGAM5の切断
  ・細胞レベルでのPGAM5の生理機能
 15.マイトファジー異常とパーキンソン病(山野晃史)
  ・ミトコンドリア機能障害とパーキンソン病(PD)
  ・ParkinとPINK1はマイトファジーの必須蛋白質である
  ・神経細胞でマイトファジーは起こっているのか
  ・個体におけるParkin・PINK1のノックアウト(KO)解析
 16.ミトコンドリア分裂の生理機能とその破綻(石原直忠)
  ・ミトコンドリアの融合と分裂
  ・ミトコンドリア分裂の生理機能
  ・卵子におけるミトコンドリア分裂の機能
  ・ミトコンドリア分裂のあらたな機能―mtDNAの“核様体構造”の動態制御
  ・核様体ダイナミクスの個体での生理機能―心筋における機能
 17.ミトコンドリア融合因子とシグナル経路(笠原敦子)
  ・ミトコンドリアの融合
  ・心筋分化におけるMFN2,OPA1とNotchシグナル
  ・MFNs,DRP1とNotchシグナル
  ・OPA1とNF-κBシグナル
 18.ミトコンドリア形態の異常と疾患(岡 敏彦)
  ・クリステ構造の生理的役割 ・ミトコンドリアの細胞内運搬
  ・クリステ構造の形成・維持にかかわる因子 ・ミトコンドリア運搬に働くモーター蛋白質
 19.ミトコンドリアセントラルドグマの破綻病理(石川 香・他)
  ・ミトコンドリアセントラルドグマ ・変異型mtDNA分子と癌
  ・突然変異型mtDNA分子種の病原性 ・変異型mtDNA分子と糖尿病
 20.ミトコンドリア損傷による自然免疫の活性化と炎症関連疾患(齊藤達哉)
  ・NLRP3インフラマソーム
  ・オルガネラ損傷に応じたNLRP3インフラマソームの活性化
  ・オルガネラ連関によるNLRP3インフラマソーム活性化の促進
  ・オートファジーを介した細胞恒常性維持の破綻によるNLRP3インフラマソーム活性化の亢進
  ・オートファジー不全と過度の炎症に起因する疾患の発症

 サイドメモ
  免疫プロテアソーム・胸腺プロテアソームが有する特殊なペプチダーゼ活性
  亜鉛シグナル
  亜鉛シグナル機軸
  メカノバイオロジー
  ポリ(ADP-リボース)ポリメラーゼ(PARP)
  Apoptosis inducing factor(AIF)
  リボソーム生合成
  リボソーム生合成の異常と核小体ストレス応答
  脂肪酸鎖リモデリング反応
  Barth症候群
  uORF(upstream open reading frame)
  細胞小器官の量的調節機構
  ミトコンドリア膜電位低下
  膜内切断
  ユビキチン化反応とRBRユビキチンリガーゼ
  カルシニューリン
  ミトコンドリア病
  mtDNAハプロタイプと学習能力