やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 正田純一
 筑波大学医学医療系医療科学,同附属病院消化器内科
 わが国では戦後の食習慣の欧米化による過栄養と慢性的運動不足に伴い,国民の肥満人口は過去30年間で1.5倍に増加した.その結果,生活習慣病患者の数も急増している.生活習慣病の予防介入は国家的な急務である.
 運動はアンチエイジングの柱となる生活習慣である.日常的に運動を継続することは,肥満,糖尿病,動脈硬化,悪性腫瘍(がん)などの現代社会が抱える多くの生活習慣病を予防する切り札であることが明らかとなってきている.また,脳機能にもよい効果を及ぼすことが明らかとなっている.運動により生体内では多くの生理活性蛋白質(アディポカイン,マイオカインなど)が産生され,生体内あるいはさまざまな臓器において代謝改善作用や抗炎症効果を発揮することが知られている.しかし,これらの変化と疾病予防との間の分子メカニズムはいまだ解明されてはいない.また,これら運動効果の分子メカニズムは各種疾患において一様ではない.
 分子スポーツ医学とは,スポーツ医科学・健康医科学の観点から運動によりもたらされる調節・適応機構を分子レベルより解析して,細胞,臓器,個体の各レベルにおいて運動効果に関するエビデンスを創出する学問である.今後において生活習慣病やメタボリック症候群に対する運動療法効果をスケールする際に不可欠となる.
 本別冊では疾病予防と健康増進の観点より,基礎医学,臨床医学,体育科学の各分野の先生方に“基礎・臨床医学と分子スポーツ医学““各臓器と分子スポーツ医学”“遺伝子多型・メタボロームと分子スポーツ医学”の各分野の最新情報のまとめとご自身の研究成果について解説をお願いする.
 分子スポーツ医学の発展は運動効果に関するエビデンスを創出し,現代社会において人びとの生活習慣病の予防・治療あるいは健康増進に大きく貢献するであろう.本別冊がこの方面の研究の進歩に寄与するmile stoneとなることを期待したい.
 はじめに(正田純一)
基礎・臨床医学と分子スポーツ医学
 1.分子スポーツ医学を利用したがん予防の可能性―運動模倣薬はがん化学予防薬になるか?(武藤倫弘・藤井 元)
  ・近年におけるがん予防の状況
  ・身体活動のがん予防における有用性
  ・身体活動による生理的変化と発がんへの影響
  ・運動模倣薬の標的となる候補分子
  ・がん化学予防薬の候補薬剤
 2.筋収縮が糖尿病を予防・改善することの分子スポーツ医学的考察(眞鍋康子・藤井宣晴)
  ・筋収縮がもたらす糖代謝の改善効果
  ・インスリンによる糖取込みの分子メカニズム
  ・筋収縮による糖取込みの分子メカニズム
  ・筋収縮によるインスリン感受性の亢進
 3.糖鎖医学:糖鎖リモデリングマウスからのメッセージ―糖転移酵素GnT-Vの過剰発現がもたらした肝・皮膚の異常(佐藤元哉・他)
  ・GnT-Vと皮膚
  ・GnT-Vと肝
 4.抗酸化ストレス応答と分子スポーツ医学(蕨 栄治)
  ・活性酸素とは
  ・運動による活性酸素の発生
  ・転写因子Nrf2
  ・Nrf2の運動における役割
  ・血管におけるNrf2と運動
  ・Nrf2制御遺伝子p62とオートファジー
各臓器と分子スポーツ医学
 5.運動による心臓適応と分子メカニズム(家光素行)
  ・トレーニングによる心臓適応
  ・スポーツ心臓と病的肥大心の違い
  ・スポーツ心臓形成の分子メカニズム
 6.運動習慣と動脈の老化(前田清司)
  ・動脈伸展性
  ・加齢と動脈伸展性
  ・運動と動脈伸展性
  ・運動による動脈伸展性増大の分子メカニズム
  ・動脈伸展性の運動効果と遺伝的要因
 7.骨格筋(筋線維タイプ移行)(秋本崇之)
  ・骨格筋線維タイプ
  ・身体運動による骨格筋筋線維タイプ移行
  ・骨格筋筋線維タイプに関わるシグナル
  ・骨格筋筋線維タイプを制御する他の因子
 8.遺伝子ドーピング検出の技術創成をめざして―ミオスタチン遺伝子の発現操作による筋肥大のストラテジー,その検出,そして限界(武政 徹)
  ・骨格筋量を制限するミオスタチンの変異は筋肥大を引き起こし,運動パフォーマンスを上げる
  ・ミオスタチン遺伝子を使った肥大系遺伝子ドーピングのストラテジー
  ・遺伝子ドーピング検出の結果,そしてその限界
  ・ドーピング検出の将来
 9.神経筋接合部の維持機構と筋萎縮(森 秀一・重本和宏)
  ・神経筋接合部の構造
  ・サルコペニアによる筋と神経筋接合部の変化
  ・MuSKによる神経筋接合部の維持機構と重症筋無力症の発症機序
  ・MuSKとサルコペニアの関連性
  ・サルコペニア研究への展開・応用
 10.肝疾患と分子スポーツ医学(正田純一・他)
  ・肥満における肝病態
  ・中年肥満男性における運動実践がもたらす肝病態の改善効果
 11.運動が高める海馬の神経新生とグリコゲン―認知機能を高める低強度運動の効果(島 孟留・他)
  ・成体海馬神経新生と海馬の健康
  ・海馬の神経新生を高める運動条件は?
  ・低強度運動で高まる海馬の神経新生の分子機構
  ・認知機能にかかわるあらたな因子―海馬グリコゲン由来の乳酸
  ・海馬グリコゲン由来の乳酸と認知機能
  ・運動で増加する海馬グリコゲン量
  ・2型糖尿病動物で低下した認知機能と海馬のグリコゲン代謝
  ・低強度運動による海馬の神経新生とグリコゲン量の増加と認知機能の向上
 12.脂肪分解反応を制御する新しいプレーヤーと運動の影響(井澤鉄也)
  ・脂肪細胞の脂肪分解カスケード
  ・脂肪細胞の脂肪分解反応に及ぼすTRの影響
遺伝子と分子スポーツ医学
 13.肥満と減量に対する遺伝的要因(中田由夫・松尾知明)
  ・遺伝子研究と分子スポーツ医学
  ・肥満関連遺伝子
  ・減量に対する遺伝的要因に関する先行研究
  ・減量に対する遺伝的要因に関する著者らの研究
 14.疾患感受性遺伝子に対する身体活動・運動トレーニングの保護的効果(村上晴香)
  ・肥満の遺伝要因に対する身体活動・運動の効果
  ・肥満感受性遺伝子多型に対する身体活動・運動の効果
  ・疾患感受性遺伝子多型の複合的影響に対する身体活動・運動の効果

 ・サイドメモ目次
  身体活動
  情報伝達
  AMPK
  肝線維化
  オートファジー
  スポーツ心臓
  動脈コンプライアンス
  脈波速度
  遺伝子多型
  マイクロRNA(miRNA)
  メカノバイオロジー
  MuSKの活性化によるAChRの凝集
  重症筋無力症
  転写因子Nrf2
  モリス水迷路テスト
  NMDA受容体-NOシグナル
  アストロサイト
  グリコゲン
  CREB
  Cofilin
  Arc
  第1種の過誤と多重検定
  第2種の過誤