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別冊・医学のあゆみ 慢性疼痛―病態と治療法
はじめに―ますます複雑な慢性疼痛―
 順天堂大学医学部ペインクリニック研究室 宮崎東洋

 1994 年世界疼痛学会(IASP)は,27 人の委員からなる分類に関する対策委員会の作業結果として,Merskey,H.と Bogduk,N.の編集により『Classification of Chronic Pain(IInd ed.)』を発表した.その巻末近く(pp.207-213)に痛みに関する用語の定義がパートIIIとして掲載されているが,痛みとは「An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage,or described in terms such damage(実際に組織損傷が起こったか,または組織損傷の可能性があるとき,またはそのような損傷を表す言葉によって述べられる不快な感覚および情動体験)」と定義されている.
 痛みは組織損傷の存在またはその発生の可能性があるときに訴えられるのが普通であり,生体における警告反応と解釈されている.このような痛みは生体にとって必要な痛み(有益な痛み,急性疼痛,生理学的痛み,正常な痛み)ということになる.一方,組織損傷が治癒したにもかかわらず訴え続けられる痛みや,明らかな組織損傷がみあたらないのに訴えられる痛みが存在することも事実であり,これは生体にとって無用な痛み(有害な痛み,慢性疼痛,病理生理学的痛み,異常な痛み)ということになる.
 したがって,慢性疼痛は治療をすべき疾患群ということになるが,警告反応としての役割を果たしている急性疼痛も,その診断が確定すれば無用な痛みへと性格を変えることになり,当然鎮痛をはかるべき対象となる.しかも,おおかたの慢性疼痛は急性疼痛のコントロール不良に引き続いて生じるものと考えられている.
 痛みおよび神経ブロックに関する臨床研究の先駆者である Bonica,J. J.は名著と称される『Management of Pain』のなかで,「慢性疼痛とは疾患が通常治癒するのに必要な期間を越えているにもかかわらず訴え続けられる痛み」と述べている.
 痛みが生じてからどのくらいの期間を経過すると慢性疼痛ということになるのかの定説はなく,発症後1カ月,3 カ月,6 カ月など研究者によってさまざまである.実際に,帯状疱疹後神経痛の発症状況をみると,時間は無関係ではないかと感じられる症例がある.つまり急性疼痛と慢性疼痛の差は期間ではなく,その発生は痛みの機序の差にかかわっているのではないかとも考えられるのである.
 一般に慢性疼痛は,(1)侵害受容器が持続的に刺激されて生じると考えられる侵害受容性疼痛,(2)疼痛伝達・抑制機構にかかわる神経線維の働きに異常をきたした結果である神経因性疼痛,および,(3)感情・情動面に重きがおかれる心因性疼痛,に分類され,それらが単独または複合して訴えられているものと考えられている.
 とくに神経因性疼痛は,末梢性の機序から中枢性の機序まで多くの成立機転がかかわっており,基礎的研究の進展に伴いその解明が進むと同時に,ますます複雑になりつつあるというのが現状ではないかと思われる.慢性疼痛に対する臨床,すなわち慢性疼痛の治療は,この基礎的研究の進展に敏感に反応しすぎて,よい意味でも悪い意味でも,それに引きずられて振り回されているという印象をもたざるをえない.
 慢性疼痛の機序を完璧に解明し,その治療法を完成させることは至難の業であり,そんなに近い先のことであるとは思われない.しかし,「患者が“痛い“といえば消炎鎮痛薬」という時代は確実に終わったということは間違いがない.すくなくとも患者の訴える痛みが侵害受容性疼痛であるか,神経因性疼痛であるか,それとも心因性疼痛であるかを見分けた治療を行うのが当然の時代になっている.そのような観点から,本書“慢性疼痛―病態と治療法”を理解され,実践されることを期待するものである.
別冊・医学のあゆみ
慢性疼痛―病態と治療法
 Chronic pain-Pathophysiology and treatment
 Editor:Toyo Miyazaki

はじめに―ますます複雑な慢性疼痛 宮 崎 東 洋……1

■基礎から考える慢性疼痛の病態

 1.慢性痛とは:基礎的見地から―動物モデルからみた慢性痛 倉 石 泰……3
  Chronic pain-From a basic point of view
  ●慢性痛の定義と特徴
  ●動物モデルと疼痛の持続期間
  ●神経系の損傷による慢性痛
  ●組織傷害による慢性痛
  ●癌性疼痛
 2.脊髄における痛み関連レセプター 山 本 達 郎……7
  Spinal mechanisms of nociceptive information transmission
  ●痛み情報を伝達するレセプター
  ●痛み情報を抑制するレセプター
 3.C-fos遺伝子発現からみた慢性疼痛・CRPSの病態 仙波恵美子……12
  Pain-induced c-fos expression in the rat brain-with special reference to the pathophysiology of CRPS
  ●脊髄におけるc-fos発現とその生理的意義
  ●ストレッサーとしての痛み
  ●痛みと青斑核・束傍核
  ●痛みと海馬
  ●CRPSの病態
 4.慢性疼痛における一酸化窒素(NO)の役割 酒 井 雅 人・南 敏 明……17
  The role of nitric oxide in chronic pain
  ●プロスタグランジンがアロディニアを引き起こす
  ●PGE 2とグルタミン酸受容体
  ●NOの合成
  ●PGE 2がNOを遊離
  ●NOが痛みの維持に必要
 5.脊髄痛覚伝達系の可塑性―慢性炎症による痛覚過敏の発生機序 吉村 恵・古 江 秀 昌……20
  Plasticity in spinal pain pathway
  ●Wind up現象
  ●LTPおよびLTD
  ●Silent synapse
  ●Sprouting
  ●Internarization 5-HT受容体発現の変化
  ●炎症モデルラットにおける感覚伝達系の経時変化
 6.慢性疼痛下におけるモルヒネ精神依存の分子機構 成 田 年・他……25
  Molecular aspect of psychological dependence on morphine under chronic pain
  ●慢性疼痛モデルの作製
  ●慢性疼痛モデルにおけるモルヒネの精神依存
  ●慢性疼痛下におけるμオピオイド受容体機能低下

■臨床から考える慢性疼痛の病態および診断

 7.慢性痛とは―臨床の見地から 土 肥 修 司・松 本 茂 美……32
  Chronic pain from a clinical point of view
  ●慢性痛の特徴
  ●慢性疼痛の原因
  ●慢性疼痛患者の診療の実際
  ●慢性痛における心理学的側面
  ●慢性痛の評価
 8.侵害受容性慢性疼痛 細 川 豊 史……38
  Nociceptive chronic pain
  ●侵害受容性慢性疼痛とは
  ●侵害受容性慢性疼痛の病態
  ●侵害受容性慢性疼痛の診断
  ●侵害受容性慢性疼痛と考えられる疾患
 9.神経因性疼痛 柴 田 政 彦・真 下 節……42
  Neuropathic pain-pathophysiology and diagnosis
  ●神経因性疼痛
  ●末梢神経レベル
  ●脊髄レベル
  ●大脳皮質レベル
 10.心因性慢性疼痛―心身症としての慢性疼痛 長 井 信 篤・野 添 新 一……47
  Psychogenic chronic pain
  ●心因性慢性疼痛
 11.痛みの記憶 菅 原 道 哉……52
  Memory of pain
  ●認知心理学による記憶の機序
  ●臨床における記憶分類
  ●疼痛と記憶に関する問題点
  ●記憶と学習における慢性疼痛モデル

■臨床から考える慢性疼痛の治療

 12.慢性疼痛に対する鎮痛補助薬 濱 口 眞 輔・北 島 敏 光……57
  Adjuvant analgesics for chronic pain treatment
  ●鎮痛補助薬の定義と種類
  ●慢性疼痛の分類別にみた鎮痛補助薬の適応
  ●各種鎮痛補助薬の適応と作用機序
 13.慢性疼痛に対する消炎鎮痛薬 後 藤 文 夫……62
  Nonsteroidal antiinflammatory drugs for chronic pain
  ●慢性痛の種類と消炎鎮痛薬
  ●NSAIDsの薬理
  ●消炎鎮痛薬の種類
  ●NSAIDsと凝固系・手術侵襲
  ●痛みの鑑別と鎮痛薬テスト
 14.慢性疼痛に対する麻薬性鎮痛薬 加 藤 佳 子・加 藤 滉……67
  Oral opioid therapy for chronic non-cancer pain
  ●慢性疼痛治療に用いることのできる“内服用麻薬”
  ●麻薬性鎮痛薬が適応となる慢性疼痛
  ●慢性疼痛治療の原則
  ●麻薬性鎮痛薬使用への誤った“怖れ”
  ●麻薬性鎮痛薬を処方するときの手順
 15.慢性疼痛に対する神経ブロック療法 増 田 豊……72
  Usefulness of nerve block therapy for the treatment of chronic pain
  ●神経ブロック療法とは
  ●神経ブロック療法の意義と治療効果
  ●神経ブロック療法の実際
 16.慢性疼痛の心療内科的治療 中 井 吉 英・阿 部  哲 也……77
  Psychotherapeutic approach of chronic pain   ●慢性疼痛患者の心理
  ●慢性疼痛患者に対する心理療法
 17.RSD・カウザルギーの早期診断と治療 古 瀬 洋 一……82
  Early diagnosis and early treatment of reflex sympathetic dystrophy(RSD)and causalgia
  ●RSDの早期診断―正常な治癒機転からの逸脱を見逃さない
  ●カウザルギーの早期診断
  ●早期RSDの治療
  ●早期カウザルギーの治療
 18.慢性疼痛に対する電気痙攣療法―その適応と作用機序 土井 永 史・米 良 仁 志……87
  Electroconvulsive therapy for chronic pain-criteria for indication and mechanism of action
  ●ECTの鎮痛効果の特徴
  ●慢性疼痛に対するECTの適応基準
  ●ECTの奏効機序
 19.難治性慢性疼痛に対する大槽内ステロイド注入 平川奈緒美・他……92
  Treatment for intractable chronic pain patients with intracisternal injection of methylpredonisolone succinate
  ●解剖
  ●大槽内ステロイド注入の実際
  ●鎮痛機序に関する考察
 20.幻肢痛に対する神経刺激療法―脊髄,視床,大脳皮質 片 山 容 一……97
  Brain and spinal cord stimulation therapy for phantom limb pain
  ●神経刺激療法の効果
  ●神経刺激療法の特徴
  ●受容野分布の再構成
  ●神経刺激療法についての新しい仮説
 21.慢性疼痛に対する末梢刺激―SSP療法を中心に 森 本 昌 宏……102
  Peripheral stimulation for chronic pain
  ●SSP療法に関する一般的事項
  ●SSP療法の作用機序
  ●SSP療法の利点と適応症
  ●SSP療法の副作用と禁忌

●サイドメモ
 ヘルペスウイルス……5
 プロスタグラジンと痛み……8
 C-fosとegr-1……13
 PGE受容体……18
 In vivoパッチクランプ法……23
 炎症性疼痛動物モデルにおいてモルヒネが精神依存を形成しないのはなぜか……26
 慢性痛の発生を予防できるか?……33
 侵害受容性疼痛の関与する神経伝達物質……39
 神経因性疼痛の概念……45
 心身医学的診断における病態仮説の作成……48
 LTP長期増強……55
 その他の鎮痛補助薬……57
 内服用の麻薬性鎮痛薬……67
 Preemptive analgesia(先制鎮痛)……73
 抗うつ薬……78
 Perineurial window……85
 痛みの多層モデル……88
 神経刺激療法の有効率……98
本別冊は,週刊「医学のあゆみ」Vol.203 No.1(2002年10月5日発行)『慢性疼痛―病態と治療法』をもとに別冊として再刊したものです.次頁にVol.203 No.1に掲載したさいの原目次を掲載しておりますので,引用などにさいしましては原目次をご参照ください.


慢性疼痛―病態と治療法 原目次
「医学のあゆみ」Vol. 203 No. 1(2002年10月5日)
はじめに―ますます複雑な慢性疼痛 (宮崎東洋) 1

■基礎から考える慢性疼痛の病態
 1 .慢性痛とは :基礎的見地から―動物モデルからみた慢性痛 (倉石 泰) 3
 2 .脊髄における痛み関連レセプタ ー (山本達郎) 7
 3 .C−fos遺伝子発現からみた慢性疼痛・CRPSの病態 (仙波恵美子) 12
 4 .慢性疼痛における一酸化窒素 (NO)の役割 (酒井雅人・南 敏明) 17
 5 .脊髄痛覚伝達系の可塑性―慢性炎症による痛覚過敏の発生機序 (吉村 恵・古江秀昌) 20
 6 .慢性疼痛下におけるモルヒネ精神依存の分子機構 (成田 年・他) 25
■臨床から考える慢性疼痛の病態および診断
 7 .慢性痛とは―臨床の見地から (土肥修司・松本茂美) 33
 8 .侵害受容性慢性疼痛 (細川豊史) 39
 9 .神経因性疼痛 (柴田政彦・真下 節) 43
10.心因性慢性疼痛―心身症としての慢性疼痛 (長井信篤・野添新一) 49
11.痛みの記憶 (菅原道哉) 54
■臨床から考える慢性疼痛の治療
12.慢性疼痛に対する鎮痛補助薬 (濱口眞輔・北島敏光) 59
13.慢性疼痛に対する消炎鎮痛薬 (後藤文夫) 65
14.慢性疼痛に対する麻薬性鎮痛薬 (加藤佳子・加藤 滉) 70
15.慢性疼痛に対する神経ブロ ック療法 (増田 豊) 75
16.慢性疼痛の心療内科的治療 (中井吉英・阿部哲也) 81
17.RSD・カウザルギ ーの早期診断と治療 (古瀬洋一) 86
18.慢性疼痛に対する電気痙攣療法―その適応と作用機序 (土井永史・米良仁志) 91
19.難治性慢性疼痛に対する大槽内ステロイド注入 (平川奈緒美・他) 97
20.幻肢痛に対する神経刺激療法―脊髄,視床,大脳皮質 (片山容一) 102
21.慢性疼痛に対する末梢刺激―SSP療法を中心に (森本昌宏) 107

 原目次は本別冊の原本の「医学のあゆみ」Vol. 203 No. 1(2002年10月5日発行)に掲載時の目次です.本別冊に記載された論文を引用する場合などにご参照ください.