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はじめに

 東北大学大学院医学研究科生体機能制御学講座細胞薬理学分野 渡邉建彦

 『医学のあゆみ』誌はヒスタミンに関して,この3年間に3回の“あゆみ“と“トピックス”を掲載した〔医学のあゆみ,180(2):97-111,1997 ;184(13):961-982,1998 ;188(3):163-193,1999〕.1910年に発見されたヒスタミンについて,90年を経過した20世紀の末においても3回もの特集に値するだけの研究の進展がみられるのは驚くべきことであり,それだけヒスタミンの重要性を物語っているといえよう.まさに,古くて新しいヒスタミンである.今回はヒスタミン研究の最近の進歩を別冊としてまとめた.
 この長いヒスタミンの研究史において,とくに最近20年間の日本人の貢献は大なるものがある.このあたりの経緯について長年研究に携わってこられた田坂名誉教授の,また,ヒスタミンといえばただちに連想される肥満細胞(マスト細胞)が骨髄由来であることを示された北村教授の玉稿をいただけたのは本書に錦上花を添えるものである.
 ヒスタミンをめぐっても分子生物学的研究が進展し,代謝酵素,受容体のcDNA,遺伝子のクローニングが行われた.最近の顕著な進歩はヒスチジン脱炭酸酵素(HDC),ヒスタミンH1およびH2受容体遺伝子ノックアウトマウスが作成されたことと,H3受容体がクローニングされたことである.H3受容体ノックアウトマウスも作成中とのことで,今後の展開が楽しみである.
 さて,ヒスタミンはヒスチジン脱炭酸酵素(HDC)によりl-ヒスチジンから1ステップで合成され,顆粒あるいはシナプス小胞に貯えられ,刺激に応じて遊離され,受容体を介して多くの反応を引き起こす.この一連のイベントは他の生体アミン系と同様で,よくわかっているようにみえる.しかし,そのそれぞれのステップにはまだ不明の点も多い.大津らにより作成されたHDC遺伝子ノックアウト(KO)マウスの組織のヒスタミン量はけっしてゼロではない.したがって,ヒスタミンは一般には腸管から吸収されないと考えられるが,すこしは吸収されることを示している.実際,東南アジアなどで,古くなった魚肉の摂取によりアナフィラキシーショ ックを生じることがあるが,これは大量に生じていたヒスタミン(魚肉にはフリーのl-ヒスチジンが多く,細菌のHDCで脱炭酸される)の一部が吸収されたためと説明できる.また,古くから提唱されている“nascent”ヒスタミンの概念(貯蔵されずに合成後ただちに遊離する)の詳細も不明である.ヒスタミンの貯蔵においても顆粒,シナプス小胞への,また,シナプスへの再取込み系はともに明らかにされていない.
 一方,肥満細胞からのヒスタミン遊離のメカニズムはよくわかってきた.抗原のIgE受容体Fcε-Rへの結合により,非受容体型srcファミリーのチロシンキナーゼであるLyn,Sykを経てホスフォリパーゼC γ(PLC γ)を活性化する機構が判明した.しかし,Lyn欠損マウスの肥満細胞においても,脱顆粒は野生型マウスのものと同じように起こる.すなわち,ほかの機構も存在するらしい.さらに,その下流の蛋白リン酸化酵素(Aキナーゼ,Cキナーゼ,CaMキナーゼ)による細胞骨格蛋白のリン酸化からexocytosisに至る経路の詳細は不明である.しかし,シナプス小胞の遊離機構はかなりよくわかってきたから,肥満細胞においても解明されることが期待される.
 末梢におけるヒスタミンは,血管透過性亢進,平滑筋収縮,胃酸分泌の三大薬理作用をはじめ,血管拡張,心臓への作用,かゆみ・痛みなどに関与していることが知られている.すなわち,ヒスタミンは,蕁麻疹,アレルギー性鼻炎,気管支喘息,消化管潰瘍,アナフィラキシーなどの病態を引き起こす,いわば悪玉である.しかし,ヒスタミンの生理的機能は胃酸分泌を除いてよくわかっていない.また,免疫応答,細胞増殖(発癌,生殖,成長)などへの関与は,低濃度のヒスタミンを長期間にわたり局所的に投与する実験手段がないことから不明のままである.遺伝子改変動物はこの点を克服しているので,その利用によりヒスタミンの新規生理作用の発見が期待できる.
 本特集では肥満細胞欠損マウスを用いた非肥満細胞性ヒスタミンの機能,肥満細胞からのヒスタミン遊離機構,炎症,気道過敏性,めまい,胃酸分泌,消化管機能におけるヒスタミンの役割などを述べていただいた.また,多くの薬物が副作用として抗ヒスタミン作用を示すが,これについても総説してもらった.
 さて中枢ヒスタミン神経系は後部視床下部の結節乳頭核に細胞体が限局し,そこからバリコシティーをもった神経線維を脳のほとんどすべての部位に送りだしている.すなわち,本神経系は脳全体の活動を制御しているように思え,事実,そのようなデータが蓄積しつつある.脳での最近の進歩は,睡眠・覚醒日内リズム,食欲制御におけるヒスタミンの役割がはっきりしてきたことである.すなわち,ヒスタミンは,睡眠,食欲に関係するとして注目されている神経ペプチド,それぞれオレキシン,レプチンのターゲットである.とくに睡眠において,結節乳頭核が覚醒の維持に中心的な役割を演じていることが明確となってきた.最近話題になっているPGD2の睡眠作用のターゲットが結節乳頭核の抑制であることも示された.さらに,中枢ヒスタミン神経系の研究は,記憶・学習,摂食行動,覚醒剤行動感作(分裂病モデル)など基礎的なものから,てんかん,不安症など臨床なものまで展開されている.また,PETによる生きているヒト脳のH1受容体の画像化にも触れた.
 上述したように,ヒスタミンの過剰な作用により種々の疾患が生じ,ブロッカーが薬物となってきたが,ヒスタミンの正常機能は多くの生理活性物質の織りなすネットワークに埋没し,マスクされて認識できなかった.ヒスタミン関連のノックアウトマウスは,これまで研究の難しかったヒスタミンの生理機能を明らかにするであろう.
 注)HDCとH2受容体遺伝子ノックアウトマウスについては論文が未発表なので,本特集に原稿を頂けなかった.
はじめに…渡邉建彦

 1.ヒスタミンの研究の経時的広がり―世界での初期研究から日本での初期研究まで…田坂賢二
 2.肥満細胞の分化とその役割…北村幸彦・森井英一
■ヒスタミンの分子生物学
 3.ヒスタミン生合成の分子機構―ヒスチジン脱炭酸酵素の分子レベルでの解析…田中智之・市川厚
 4.ヒスタミンH1受容体の分子薬理学…福井裕行・堀尾修平
 5.ヒスタミンH2受容体へのリガンド結合…田城孝雄
 6.ヒスタミンH2受容体遺伝子…村上秀昭・他
■末梢系におけるヒスタミン
 7.マスト細胞における情報伝達機構…牛尾博子・羅智靖
 8.肥満細胞欠損動物からわかってきたこと…前山一隆
 9.炎症とヒスタミン…平澤典保・大内和雄
 10.気管支喘息とヒスタミン…山内広平
 11.蕁麻疹とヒスタミン…片山一朗
 12.ヒスタミンの胃酸分泌機構に果たす役割…岡部 進・他
 13.消化管疾患とヒスタミン…後藤祐大・藤本一眞
■中枢系におけるヒスタミン
 14.中枢ヒスタミンと日内リズム―生理機能のリズムへの作用…森本智子・大和谷厚
 15.ラットの学習および記憶に対する脳内ヒスタミンの役割…亀井千晃
 16.ヒスタミンニューロン系とエネルギー代謝調節…坂田利家
 17.中枢ヒスタミンと異常神経回路網の形成防御機構…伊藤千裕・佐藤光源
 18.中枢ヒスタミンと痙攣…飯沼一宇
 19.めまいと中枢ヒスタミン…武田憲昭
 20.ポジトロンエミッショントモグラフィー(PET)による抗ヒスタミン薬の脳内移行と認知機能障害のイメージング…谷内一彦・他
 21.抗ヒスタミン作用を示す医薬品の副作用…大石了三

■サイドメモ■
 痒みの薬理
 肥満細胞減少動物
 シグナル配列非依存的なHDCの小胞体移行
 非競合的拮抗薬
 肥満細胞におけるkitリガンド(stem cell factor)/kit受容体シグナル伝達
 マクロファージのヒスタミン産生機序
 肺のヒスタミン受容体
 ケモカインとアレルギー
 ガストリン受容体の選択拮抗薬
 Helicobacter pylori(ピロリ菌)
 マイクロダイアリシス法
 Brain foodとして有望なヒスチジン
 覚醒剤精神病
 キンドリング
 三次元PET