やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 このたび,鍼灸安全性委員会から『鍼灸医療安全対策マニュアル』が発刊されることになり,鍼灸に携わる一人でも多くの方に本書をご活用いただき,より安全で安心な鍼灸医療を実施されることを心から願うものである.鍼灸医療の安全性に関する指針としては,今から17年前に『鍼灸治療における感染防止の指針』(1993年)が発刊され,その後は増補版として発刊されたが,その内容を大幅に改訂したのが『鍼灸医療安全ガイドライン』(2006年)であった.その改訂のねらいは,学会・教育界・業団が一体となって鍼灸医療の安全性に対する意識を喚起し,感染防止と医療事故防止を含めた総合的な安全対策の普及とその実施を推し進めることであった.
 こうした学会・教育界・業団の不断の努力と,メーカーの優れた品質管理や製造技術によって,わが国の鍼灸医療の安全性は飛躍的に進歩した.しかし,鍼灸治療に起因する有害事象はなくなったわけではなく,いまだ気胸をはじめとする臓器傷害などの重大な医療過誤は毎年増える傾向にある.このような有害事象を可能な限りゼロに近づけるには,安全性に対する教育と意識喚起を高揚し持続させることであり,加えてエビデンスに基づいた「鍼灸安全学」を確立することである.
 鍼灸医療は他の医療に比して安全性が高いといわれている.しかし,“安全”な医療は,必ずしも“安心”な医療ではない.安全や危険というものは,ある意味では科学の方法で数量的に評価できる世界である.すなわち,危険が除かれ安全になったからといって,必ずしも安心は得られるものではない.いくら安全だからといっても,患者にとっては過去の成功確率は無意味であり,あくまでも自分に対する治療が成功するかしないかのいずれかである.だからこそ,日々の臨床においては,安全性の意識を常に喚起してあたらなければならない.
 また,安全性において,もうひとつ大切なことは「To Err is Human」,すなわち「人は過ちを犯す」ものであるという視点である.したがって,失敗の発生を最小限にするには失敗から学ぶことにつきる.本書にも紹介されているように,インシデントレポートの集積とその活用について,鍼灸師は絶対的責任として自覚し実施しなければならないものであり,そうした一人ひとりの不断の努力によって鍼灸医療は安全かつ安心な医療として発展していくものと確信している.そして同時に,そのことがわが国の鍼灸医療を着実に発展させることに繋がるものと信じてやまない.
 本書は,前書の『鍼灸医療安全ガイドライン』を補完し,鍼灸医療事故対策マニュアルの必要性を鑑みて検討が進められた鍼灸安全学の専門書である.鍼灸医療事故の事例による対処法や法的解決も含めて,わかりやすく解説された実用性の高い書でもあり,まさにこれから鍼灸を学ぶ学生はもとより,鍼灸師には必携・必読の書である.
 最後になりましたが,本書の編集ならびに執筆に協力していただきました諸先生方に心から感謝申し上げます.また,本書の刊行にあたりご協力をいただきました医歯薬出版株式会社に深甚なる謝意を表します.
 2010年如月吉日
 (社)東洋療法学校協会会長
 (学)明治東洋医学院理事長
 鍼灸安全性委員会議長
 谷口和久
 序文
 本マニュアルの目的と使い方
I.はじめに:鍼灸医療の安全
 1.医療における危険行為(エラー,違反)
 2.医療事故と医療過誤
  1)医療事故 2)医療過誤 3)事故や訴訟などが与える影響
II.ヒューマンエラー
 1.人は誰でも間違える(To Err is Human)
 2.エラーの分類
  1)個人が起こすエラー 2)組織・システムによって起きるエラー 3)エラーにかかわるその他の要因
 3.ヒューマンエラーは減らせるか
 4.鍼灸医療におけるヒューマンエラー
  1)待合室でのエラー 2)施術室でのエラー 3)施術後のエラー
  参考文献
III.インシデントレポート
 1.インシデント報告の意義
 2.インシデント報告のルール
  1)責めない 2)根本原因を分析する 3)分析結果をフィードバックする
 3.インシデント報告システムの効果
 4.インシデント報告システムの限界
  参考文献
IV.鍼灸医療事故の予防対策(事故発生の防止)
 1.患者の権利の認識と擁護,説明義務
  1)リスボン宣言(患者の権利) 2)インフォームド・コンセント
 2.患者・家族との対話
 3.患者情報の収集(医療面接等)
 4.カルテの記載と保存
  1)カルテ記載の注意点・守秘義務 2)鍼灸臨床におけるカルテの役割
 5.施術でのヒューマンエラーの防止
  1)ヒューマンエラーとその原因 2)エラー防止対策 3)ヒューマンエラーのダブルチェック 4)被害を最小にするための備え
 6.鍼灸医療機器の安全管理
 7.鍼灸医療環境の整備
 8.感染防止対策
  参考文献
V.鍼灸医療事故発生後の対処
 1.生命の危険度と医療事故のレベル分類
  1)生命の危険度の判断 2)医療事故のレベル分類
 2.事故発生直後の対応
  1)患者の生命,状態に応じた対応 2)事故原因の排除 3)事故の当事者への配慮
 3.死亡または重篤な障害の発生時の報告・連絡
  1)鍼灸院または医療機関・教育機関等での報告・連絡 2)家族への連絡 3)緊急報告を受けた組織の責任者(長)の対応 4)緊急時の連絡・対応の習慣化 5)保険会社(または代理店)への報告
 4.死亡または重篤な障害以外の事故の報告
 5.事故の記録
  1)鍼灸カルテへの記録 2)事故報告書の作成・保管
 6.患者・家族への説明
  1)事故発生直後の患者・家族への説明 2)説明時の会話(コミュニケーション)での注意 3)説明時の態度での注意 4)謝罪または遺憾の意の表明 5)説明にあたっての留意事項(心的外傷)
 7.事故の長期的対応と支援
  1)患者・家族への支援 2)当事者への支援
 8.警察への対応
 9.弁護士への相談
 10.再発の防止
  1)再発防止のための基本的事項 2)鍼灸医療事故の再発防止
  参考文献
VI.システムとしての鍼灸医療事故の防止
 1.組織的な事故防止の取り組みと情報の共有化
  1)事故防止委員会の組織 2)組織としての活動とリーダーシップ 3)情報収集と分析,改善方策の実施
 2.事故防止のための教育と訓練
  1)医療人としての資質向上の責務と意識改革 2)教育と訓練 3)講習会,研修会の実施
  参考文献
VII.鍼灸医療事故の法的解決
 1.医療従事者の法的責任と処分
  1)法的責任 2)雇用上の処分
 2.医療事故による紛争の解決方法
  1)示談 2)調停 3)訴訟 4)和解(裁判上の和解)
 3.損害賠償額の算定と支払い義務
VIII.鍼灸師の保険
 1.鍼灸師の賠償責任保険制度
  1)保険制度成立の経緯 2)保険制度の内容
 2.保険の加入と種類
  1)保険の加入 2)保険の種類
 3.過誤の実際
 4.賠償問題処理の流れ(ルール)
 5.医療機関受診の勧めと保険会社(または代理店)への連絡
 6.因果関係の検証
 7.賠償金の支払い
  1)賠償金の支払い義務 2)損害額の確定 3)示談,調停,裁判による保険金の支払い 4)鍼灸師賠償責任保険での支払い
 8.弁護士の依頼
IX.鍼灸医療事故の事例
 1.鍼灸医療事故訴訟等の現状
 2.事例−解決までの経過(示談,調停,判例,和解)/解説
 事例一覧
  1 気胸(事例1〜3)
  2 折鍼・埋没鍼(事例4〜8)
  3 症状の増悪(事例9)
  4 感染(事例10,11)
  5 出血(事例12)
  6 神経障害(事例13)
  7 麻痺(事例14)
  8 熱傷(事例15〜18)
  9 骨折(事例19,20)
  10 捻挫・挫傷(事例21)
  11 マッサージによる皮膚炎(事例22)
  12 その他(事例23)
 参考文献
付.資料
 付1 鍼灸師の安全対策における臨床能力は生涯研修の取り組みから
 付2 財団法人東洋療法研修試験財団生涯研修実施要領
 付3 社団法人日本鍼灸師会 鍼灸医療リスクマネジメント領域研修制度講習課目
 付4 社団法人日本鍼灸師会会員用 医療過誤(事故)時の対応フロー
 付5 事故発生通知書の例

 索引