やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 最近,性差医療(Gender Specific Medicine:GSM)という言葉をよく耳にするようになった.性差医療は,女性のため男性のため,性に基づいた適切な医療を提供することを目的とした,よりよい医療を指向する新しい概念による医療である.
 性差医療は,米国では1990年代から始まり,1993年には性差医療を研究するためのセンターが設立され,着実に発展している.こうした米国の動向はわが国の医療にも影響を及ぼし,現在「女性外来」や「更年期外来」,あるいは「男性更年期外来」などが開設され広まっている.究極の医療が「個の医療」,「テーラーメイド」の医療であるとすれば,性差医療はその目的に沿った医療と位置づけることができよう.
 東洋医学も本来的に「個の医療」である.東洋医学は個々に応じた最適な医療を提供するために独自の診療体系を築き上げてきた.それが「証」であり,証に基づいた治療(随証療法)である.「個」を重視する視点は,当然ながら性差をも考慮する.たとえば約2300年前に編纂された『黄帝内経素問』上古天真論篇にすでに男女の発育は異なることを認識した記述があり,以降,それを踏まえた診療が展開されてきた.また,『啓迪集』(曲直瀬道三著)には「男子は陽に属するので気を散じやすい.女子は陰に属するので気鬱になりやすい.」とし,女子に気病が多いことが記されている.このことは今も変わることがない.このように,東洋医学には古くから性差医療の視点があったが,その重要性が性差医療の台頭によって,ようやく再認識されようとしている.
 女性は男性と異なり,明確なライフサイクル(小児期,思春期,性成熟期,更年期,老年期)を有し,それぞれのライフステージにおける特徴がみられる.また,結 ・・妊娠・出産・子育てといった固有なライフがある.これらのことから,女性にはライフサイクルに応じた健康管理が必要である.特に疾病予防,健康維持・増進といった観点からのアプローチが重要である.
 鍼灸治療は薬を使わない非薬物療法で,自然治癒力の賦活を原理とした伝統医療である.それだけに身体に優しい医療であり,しかもアメニティの高い心地のよい医療でもある.これらの特質は女性の生涯にわたるQOL(生活の質)の向上を図ろうとするうえで適していると考えている.
 そこで,これらの特質を活かし,女性のライフサイクルに応じたヘルスケアを目的とした鍼灸治療,すなわち「レディース鍼灸」「女性鍼灸学」をとりあげたのが本書である.東洋医学の中に現代医学の婦人科学と産科学を織り込むことによって,女性のライフサイクルに応じた適切な医療を提供しようとするものであり,東西医学を補完することによって,より質の高い医療を提供することを目指すものである.そのため,第1章で東洋医学の概論的な内容を掲載し,初心者の鍼灸師のみならず,現代医学の医療関係者(医師,助産師,看護師等)にも理解してもらえるように配慮した.また,第2章では東西医学からみた女性のからだを取り上げ,臨床における視点の拡大を図ることを狙いとした.第3章から第6章は,鍼灸師および他のコメディカル(助産師,看護師)に必要な専門的な内容で構成した.第3章は女性の診療にあたって知っておくべき婦人科学と産科学の診察と検査の要点について概説し,第4章は女性のライフサイクルに応じた主要疾患を取り上げ,医学的な理解を深めることを意図した.第5章はこれまでの各章の内容を踏まえて女性のライフサイクルに応じた鍼灸治療について解説した.産科領域では助産師にも役立つよう配慮した.そして,第6章は性差医療の動向を踏まえてレディース鍼灸の展望に触れ,あわせて鍼灸研究の現状について紹介した.
 これまでの鍼灸医療は,ある意味で女性外来の歴史でもあった.鍼灸医療の受療者は圧倒的に女性が多く,男性受療者の倍近い実態にある.受療者の平均年齢はやや高いが,最近では若い女性の受療者も増え,ストレス緩和をはじめとしたヘルスプロモーションとして鍼灸医療が利用されている.産科領域での鍼灸医療の歴史は長く,骨盤位(逆子)をはじめとして様々なマイナートラブルの対処に活用され,大きな効果をあげてきたが,その実態についてはあまり知られていないのは残念である.
 女性を取り巻く社会的,医療的環境が大きく変化しているなかで,女性のための鍼灸医療は営々と行われてきたが,「レディース鍼灸」「女性鍼灸学」として体系化されたものはなく,ようやくその試みが始まったばかりである.この領域は,今後,女性のヘルスケアの重要な部分を担うと考えられるだけに,その順調な発展が期待されている.本書がその一助となることができれば執筆者らの望外の喜びであり,大いに勇気づけられる.
 本書は不十分な点も多いが,皆様方からの忌憚のないご意見やご指摘をいただきながら,臨床のなかで揉まれ,逞しく育てられることを願っている.
 最後になりましたが,執筆者の先生方には,本書の意図するところをご理解していただき,快く執筆を賜りましたこと,心から感謝申し上げます.相良先生には,専門医の立場からご丁寧に校閲ならびに執筆を賜りましたこと深謝申し上げます.また,医歯薬出版編集部竹内 大氏ならびに関係者の方々に厚く御礼申し上げます.
 平成18年5月吉日
 編者 矢野 忠

増補にあたって
 第1版第1刷について不満な点も多々あった.今回第2刷増補にあたって,その点には加筆・修正を加え,なおかつ第6章第2節に「健康美と鍼灸」を新しく加えた.今後も内容を吟味し,よりよいものにしてゆくつもりである.
 平成22年12月
 矢野 忠
まえがき
第1章 東洋医学とは
 第1節 東洋医学の特色(矢野 忠)
  1.エコロジーの医学
  2.心身一如の医学
  3.自然治癒力の医学
  4.未病の医学
 第2節 東洋医学の思想(矢野 忠)
  1.陰陽論
   1)陰陽の性質とその関係  2)陰陽論の医学的応用
  2.五行論
   1)五行とは  2)五行の相生関係と相剋関係  3)五行の色体表  4)五行論の医学的応用
 第3節 東洋医学の病因論(矢野 忠)
   1)外因  2)内因  3)不内外因  4)東洋医学の病因論の意味
 第4節 東洋医学の機能病態学(矢野 忠)
  1.気・血・津液の生理機能とその病態
   1)気  2)血  3)津液
  2.臓腑の生理機能とその病態
   1)臓腑の種類  2)臓の生理機能と病態  3)腑の生理機能と病態
 第5節 東洋医学の診察学(矢野 忠)
   1)望診  2)聞診  3)問診   4)切診
 第6節 病証学(矢野 忠)
  1.病証とは
  2.病証の種類
   1)八綱病証  2)気血津液病証  3)臓腑病証  4)外感病の病証
  3.病証の決定
 第7節 経絡・経穴系(ツボとスジ)(形井秀一)
   1)経絡とは  2)経穴
 第8節 東洋医学の治療法(形井秀一)
   1)あん摩  2)導引・気功  3)鍼灸  4)漢方
第2章 女性のライフサイクルとからだ
 第1節 現代医学からみた女性のからだ(矢野 忠・相良洋子)
  1.加齢による性機能および身体の変化
   1)幼児期  2)思春期  3)性成熟期  4)更年期  5)老年期
  2.性周期
   1)卵巣  2)子宮内膜  3)月経
 第2節 東洋医学からみた女性のからだ(矢野 忠)
  1.女性の成長と発育
  2.胞宮(子宮)について
   1)胞宮  2)胞宮と臓腑との関係  3)胞宮と四脈(衝脈・任脈・督脈・帯脈)
  3.月経について
  4.妊娠と分娩
   1)妊娠  2)分娩
 第3節 婦人病の病因と成り立ち(矢野 忠)
  1.婦人病の病因
   1)六淫  2)七情  3)その他
  2.産科・婦人科疾患の発症機序
   1)臓腑機能の失調が衝脈・任脈に影響して起こる疾患  2)気血の失調が衝脈・任脈に影響して起こる疾患  3)胞宮への直接的損傷が衝脈・任脈に影響して起こる疾患
  3.治療の原則
   1)疏肝気  2)和脾胃  3)補腎気  4)調気血
第3章 産婦人科診療の基礎
 第1節 診察の基本(安野富美子・相良洋子)
  1.一般診察と診察上の配慮
   1)患者を迎えるための準備  2)医療面接の基本  3)医療面接のポイント  4)予診の取り方  5)問診
  2.婦人科的診察法
   1)診察上の配慮  2)外陰部・骨盤・下肢の視診  3)腟鏡診  4)内診・双合診・直腸診
  3.主要症状の診察の進め方
   1)月経異常  2)不正性器出血  3)妊娠に伴う諸症状  4)よくみられる症状  5)外陰部症状と帯下(おりもの)
  4.東洋医学の診察法(四診法の要点)
   1)望診  2)問診  3)切診
 第2節 主要な検査法(安野富美子・相良洋子)
  1.婦人科内分泌検査法
   1)基礎体温  2)ホルモン測定  3)ホルモン負荷試験  4)頸管粘液検査  5)子宮内膜組織診
  2.不妊検査法
   1)卵管疎通性検査法  2)排卵時期の診断法  3)精子検査
  3.組織診と細胞診
   1)組織診  2)細胞診  3)腫瘍マーカー
  4.内視鏡検査法
   1)腟拡大鏡診(コルポスコピー)  2)子宮鏡診(ヒステロスコピー)  3)腹腔鏡診(ラパロスコピー)  4)膀胱鏡診  5)直腸鏡診  6)羊水鏡診
  5.超音波診断法
   1)超音波断層法  2)ドプラー法
  6.その他の画像診断
   1)コンピューター断層撮影(CT)  2)磁気共鳴画像(MRI)
  7.産科領域で行われる検査
   1)羊水検査  2)胎盤機能検査  3)胎児心拍(数)陣痛図  4)胎児採血  5)骨盤計測
第4章 女性の主要疾患
 第1節 女性のライフサイクルと主要疾患(形井秀一・矢野 忠)
  1.思春期の心身(形井秀一)
   1)東洋医学のこころとからだ  2)思春期女性にみられる愁訴と疾患
  2.性成熟期の心身……矢野 忠
   1)性成熟期の身体的変化  2)性成熟期女性の周囲環境  3)性成熟期女性にみられる愁訴と疾患
  3.更年期・老年期の心身(形井秀一)
   1)東洋医学のこころとからだ  2)老年期に多い疾患
 第2節 思春期の主要疾患(形井秀一)
  1.起立性調節障害
  2.緊張型頭痛
  3.過敏性腸症候群
  4.過換気症候群
  5.アトピー性皮膚炎
 第3節 性成熟期の主要疾患(矢野 忠・相良洋子)
  1.月経の異常
  2.無月経
  3.月経困難症
  4.月経前症候群
  5.外陰腟炎
  6.性感染症
  7.卵巣腫瘍
  8.子宮内膜症
  9.子宮腺筋症
  10.子宮筋腫
  11.子宮癌
   A.子宮頸癌  B.子宮体癌
 第4節 更年期・老年期の主要疾患(安野富美子・相良洋子)
  1.更年期障害
  2.泌尿・生殖器の萎縮症状
  3.骨粗鬆症
  4.高血圧症
  5.高脂血症
  6.乳 癌
 第5節 産科の主要疾患(矢野 忠・相良洋子)
  1.つわり・妊娠悪阻
  2.流 産
  3.子宮内胎児死亡
  4.子宮外妊娠
  5.胞状奇胎
  6.早 産
  7.子宮内胎児発育遅延
  8.妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)
  9.子 癇
  10.前置胎盤
  11.多胎妊娠
  12.血液型不適合妊娠・胎児付属物の異常
  13.乳腺炎
第5章 女性のヘルスプロモーションとマイナートラブルケア
 第1節 思春期のマイナートラブル(形井秀一)
  1.肥 満
  2.疲労感
  3.頭 痛
  4.便通障害
 第2節 性成熟期のマイナートラブル(矢野 忠・形井秀一)
  1.月経痛(矢野 忠)
  2.月経周期の異常(矢野 忠)
  3.肩こり(形井秀一)
  4.冷え症(形井秀一)
  5.不妊症(形井秀一)
  6.腰 痛(矢野 忠)
 第3節 妊娠期のマイナートラブル(形井秀一・矢野 忠)
  1.つわり(形井秀一)
  2.骨盤位(矢野 忠)
  3.切迫早産(矢野 忠)
  4.和痛分娩(矢野 忠)
  5.陣痛促進(形井秀一)
  6.乳汁分泌不全(矢野 忠)
  7.妊娠中の腰痛(形井秀一)
  8.妊娠中の便秘(形井秀一)
 第4節 更年期・老年期のマイナートラブル(形井秀一・矢野 忠)
  1.更年期障害(形井秀一)
  2.尿漏れ(形井秀一)
  3.耳鳴り(形井秀一)
  4.膝痛(変形性膝関節症)(矢野 忠)
  5.高血圧症(矢野 忠)
第6章 レディース鍼灸の展望と鍼灸研究の現状
 第1節 レディース鍼灸の展望(矢野 忠)
  1.性差医療と女性外来
   1)性差医療とは  2)東洋医学における性差医療  3)女性外来
  2.レディース鍼灸とは
   1)女性のライフサイクルに応じた「レディース鍼灸」の可能性  2)働く女性と「レディース鍼灸」
  3.鍼灸治療に対する女性の意識
 第2節 健康美と鍼灸(安野富美子・矢野 忠)
  1.鍼灸医学からみた皮膚
   1)皮膚の捉え方  2)皮膚はバリア
  2.美容鍼灸について
   1)美容鍼灸と美身鍼灸  2)美容鍼灸の内容  3)皮膚バリア機能に及ぼす鍼の効果
  3.美身鍼灸の実際
 第3節 産婦人科領域における鍼灸研究の現状(志村まゆら・角谷英治)
  1.動物を対象とした基礎的研究の成果(志村まゆら)
   1)子宮の自律神経調節  2)子宮に及ぼす体性感覚刺激の効果
  2.ヒトを対象とした研究の成果(角谷英治)
   1)痛みのコントロール  2)自律神経系に及ぼす影響  3)筋の緊張・異常収縮に及ぼす影響  4)血流量への影響  5)女性ホルモンに及ぼす影響

 索引