やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 書籍「遺伝看護」(安藤広子,塚原正人,溝口満子編集)が2002年に出版されて15年,このたび「遺伝/ゲノム看護」という新しい書籍を出版することになりました.
 「遺伝看護」が出版された当時は,まだヒトゲノム全塩基配列の解読が終了していない時代でした.医療はゲノム解析をもとに発展しつつあり,看護もその波にのって発展していかなければならないとの思いをもつ看護職を,強く後押ししてくださいました故塚原正人先生(当時,山口大学副学長)のご尽力によって,いまに至っていることを実感します.
 この15年の間に,ゲノム解析技術の発展によるヒトゲノム全塩基配列の解読,そして,遺伝子の同定と機能解析が進みました.臨床では,診断・治療に個人のDNA解析結果があらゆる診療科で利用され,さらに,人びとの疾病予防や健康管理にも用いられるようになってきました.ゲノム情報抜きに健康課題の解決や健康支援が困難であることは明白です.そのため,すべての看護職がゲノムに関する知識をもち,看護実践をしなければならないことは時代の要請であり,また,社会的責任でもあります.2013年には専門看護師教育課程に「遺伝看護」領域が承認され,大学院修士課程における教育が始まりました.そして2017年秋,日本看護協会において初めての認定試験が行われ,「遺伝看護専門看護師」が誕生しました.そのような大きなうねりの節目の時に本書が出版されることとなり,本書の出版にご執筆・ご協力くださった諸先生方,ご尽力いただきました医歯薬出版編集部に心より感謝申し上げます.
 本書は,看護を学びはじめた初学者や,これまで遺伝/ゲノム医療になじみのなかった看護職を対象に,わかりやすく,親しみやすく読んでもらえることを重視しました.そこで,臨床の第一線で看護職がかかわる事例(マンガ)をあげて「遺伝看護」を説明しています.看護実践に必要な知識としての「臨床遺伝学」はできるだけ平易に解説し,さらに理解を助けるため“memo”欄にて解説を加えています.2017年10月に文部科学省が公表した「看護教育モデル・コアカリキュラム」の内容も網羅しています.また,より現実的な理解を助けるために,遺伝的課題をもつ当事者の体験エッセイも掲載しました.用語では,まず,従来の“遺伝医療・遺伝看護”ではなく,ゲノム情報を用いた医療へと変化しているため,“遺伝/ゲノム医療・遺伝/ゲノム看護”としました.また,日本遺伝学会が2017年9月,“優性・劣性”を“顕性・潜性”に改訂すると提唱したことを受けて,本書では新しい用語を採用しました.
 本書は,看護教育機関をはじめ,すべての臨床で役立つ内容になっています.満を持して発行するこの「遺伝/ゲノム看護」を,多くの方にご活用いただくことを願っています.
 2018年1月
 有森直子 溝口満子
I 遺伝/ゲノム看護とは
 (有森直子)
 1 遺伝/ゲノム医療と看護
  遺伝/ゲノム医療のなかでもとくに配慮すべき「生殖細胞系列」の特徴
 2 遺伝/ゲノム看護の定義
  遺伝/ゲノム看護の歴史(日本を中心に)
 3 遺伝/ゲノム看護に求められる実践能力
  1)遺伝/ゲノム医療にかかわるすべての看護職に求められる実践能力
   (1)クライエントニーズの明確化 (2)生涯にわたる療養生活の支援 (3)心理的支援
   (4)チーム医療での協働
  2)遺伝/ゲノム医療にかかわる遺伝看護専門看護師に求められる実践能力
 4 遺伝/ゲノム看護の特徴
  1)遺伝/ゲノム看護のモデル
  2)遺伝情報を加味した全人的なクライエントとその血縁者への理解とケア
  3)適時性―継続的にかかわることで可能になる意思決定支援と遺伝看護
  4)倫理的葛藤―クライエント,両者に生じる葛藤とその対処
  5)People-Centered Careを可能にするパートナーシップと看護
  6)遺伝/ゲノム医療における意思決定が難しい理由―生殖細胞系列の3つの特殊性と看護
   (1)【不変性】【予測性】慢性疾患としての緩和ケアの側面から―難病・神経筋疾患
   (2)【共有性】遺伝情報を共有する血縁者との関係性への配慮の側面から―家族・遺伝性疾患
II 遺伝/ゲノム医療の現状
 (1〜3,6,7:溝口満子,4,5:武藤香織)
 1 ヒトゲノム解読後の医療の変化
  1)ヒトゲノムプロジェクトがもたらしたもの
  2)遺伝情報の活用
   (1)臨床における活用 (2)予防医学における活用 (3)ビジネスとしての遺伝子診断
 2 遺伝/ゲノム医療の実際
  1)遺伝/ゲノム医療が提供されている場
   (1)外来や病棟 (2)遺伝専門外来
  2)遺伝カウンセリング
 3 チームで行われる遺伝/ゲノム医療
  1)チームで行う理由
  2)チームメンバー
  3)当事者との連携
   (1)健康問題が専門職者間だけでは解決できない
   (2)自分たちの問題は自分たちで解決へ向けて努力すべきという認識
   (3)お互いに必要な関係
 4 日本の保健医療政策―遺伝医療からゲノム医療へ
  1)遺伝相談の歴史
  2)国家戦略目標としてのゲノム医療―推進政策の始まり
  3)より一般的に身近なゲノム医療へ―徐々に進む保険収載
   (1)2006年の診療報酬改定―遺伝学的検査のはじめての保険収載
   (2)2008年の診療報酬改定 (3)その後の診療報酬改訂
  4)遺伝/ゲノム看護が目指すものは?
 5 遺伝/ゲノム医療と倫理的な配慮―「自分ごと」として考える未来に向けて
  1)インフォームド・コンセント(informed consent)とは何か
  2)さまざまな遺伝学的検査の種類に応じた倫理的配慮
   (1)症状のある成人に対する確定診断
   (2)現在,症状のない成人に対する遺伝学的検査(非発症保因者診断,発症前診断)
   (3)未成年者など同意能力がない者を対象とする遺伝学的検査
   (4)その他の遺伝学的検査
  3)胎児や受精卵をめぐる法令・倫理の考え方
   (1)刑法と母体保護法にみる人工妊娠中絶 (2)現行法の抱えている課題
   (3)人工妊娠中絶を行える時期と胎児が人として保護を受ける時期
  4)胎児に対する遺伝学的検査―確定的検査,非確定的検査
   (1)確定的検査のルール (2)非確定的検査のルール
   (3)胎児に対する遺伝学的検査と妊婦の思い
  5)受精卵に対する遺伝学的検査―着床前検査
  6)(おわりに)これからも考えることがたくさんある
   (1)個人情報の保護 (2)偶発的所見,二次的所見 (3)差別について
 6 遺伝/ゲノム医療を担う専門職の育成
  1)遺伝看護専門看護師
  2)臨床遺伝専門医
  3)認定遺伝カウンセラー
  4)その他の遺伝/ゲノム医療・研究にかかわる学会認定制度による資格
   (1)家族性腫瘍カウンセラー・コーディネーター (2)臨床細胞遺伝学認定士
   (3)ゲノムメディカルリサーチコーディネーター
 7 今後の課題
  1)研究成果を臨床応用するためのルールづくり
  2)すべての国民に研究成果を届ける体制づくり
III 遺伝/ゲノム看護の実際
 [周産期の遺伝/ゲノム看護]
  A 出生前診断(御手洗幸子)
   出生前診断とは/女性と家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「出生前診断って受けたほうがいいのですか?」〜高齢出産を理由に「検査を受けたほうがいいのでは?」と言われた妊婦の事例〜
  B 染色体異常(小笹由香)
   代表的な疾患/患者や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「みんなほんとうに,何度も頑張っていますか?」〜不均衡型転座による流産,妊娠ごとの出生前診断に疲れ,挙児を諦めたカップルの事例〜
 [小児期の遺伝/ゲノム看護]
  C 先天代謝異常症(野間口千香穂)
   代表的な疾患/本人や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「フェニルケトン尿症って,遺伝する病気なのですか?」〜新生児マススクリーニングで遺伝性疾患を指摘され,困惑している夫婦の事例〜
  D 性染色体異常(藤田みどり)
   代表的な疾患/本人や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「なぜ二次性徴が起こりにくいのですか?」〜思春期になったターナー症候群の事例〜
  E 保因者ケア(森藤香奈子)
   代表的な疾患/本人や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「お姉ちゃんは,病気にならないから大丈夫?」〜きょうだいにデュシャンヌ型筋ジストロフィーがいる女児の事例〜
 [成人期の遺伝/ゲノム看護]
  F がん(大川 恵)
   代表的な疾患/患者や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「がん家系かもしれない?! どこに相談にいったらいいの??」〜マスコミやインターネットの情報から不安になった女性の事例〜
  G 神経筋疾患(須坂洋子)
   代表的な疾患/患者や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「結婚するなら発症前診断を受けるべきですか?」〜ハンチントン病の告知を受けた人と,その家族・子(at risk)の事例〜
  H 生活習慣病(西垣昌和)
   代表的な疾患/患者や家族が置かれている状況/アセスメント/看護
    事例 「遺伝だから仕方がない?!」〜父が糖尿病で,自身も予備軍と指摘された男性の事例〜
IV 遺伝/ゲノム看護の実践を支えるツール
 (青木美紀子)
 1 家族歴・家系図
  1)家族歴を聴くこと・家系図を書くことの意義
   (1)正確な診断への一助 (2)遺伝学的検査の方向性決定への一助 (3)リスクアセスメント
   (4)心理社会的アセスメント (5)信頼関係の構築(6)教育
  2)家系図の書き方
   (1)記載内容 (2)記載方法
 2 リスクアセスメント
  1)理論的再発率
   (1)常染色体顕性(優性)遺伝 (2)常染色体潜性(劣性)遺伝 (3)X連鎖潜性(劣性)遺伝
  2)ベイズの定理
   (1)遅発性の常染色体顕性(優性)遺伝 (2)不完全浸透の常染色体顕性(優性)遺伝(p<1)
   (3)X連鎖潜性(劣性)遺伝
  3)経験的再発率
   (1)多因子疾患 (2)染色体異常
  4)再発率の伝え方
 3 インターネットの活用
  1)遺伝/ゲノム医療関連学会・団体のサイト
  2)疾患に関する情報サイト
V ゲノム科学の基礎―遺伝/ゲノム看護の理解に必要な知識
 (1,2:森屋宏美+井ノ上逸朗,3,4,6,7,9,10:井ノ上逸朗,5:井本逸勢+井ノ上逸朗,8:細道一善)
 1 ゲノム・遺伝子の構造と機能
  1)染色体・DNAの構造
   (1)染色体の構造 (2)DNAの構造
  2)遺伝子の構造と機能
   (1)DNAからRNA,タンパク質 (2)機能的RNAの存在
  3)細胞分裂
   (1)体細胞分裂 (2)減数分裂
  4)DNAの複製と修復
  5)遺伝的多様性と変異
   (1)染色体の変異 (2)DNA配列の変異
 2 単一遺伝子疾患―メンデル遺伝病
  1)メンデル遺伝とは
  2)単一遺伝子疾患(メンデル遺伝病)の遺伝形式
   (1)常染色体顕性(優性)遺伝(AD) (2)常染色体潜性(劣性)遺伝(AR) (3)伴性遺伝
  3)メンデル遺伝の例外
   (1)不完全浸透 (2)表現促進現象 (3)新生(de novo)変異 (4)生殖細胞系列モザイク
   (5)ゲノムインプリンティング(ゲノム刷り込み) (6)共顕性(優性)遺伝
  4)ミトコンドリア遺伝病
 3 メンデルの遺伝法則に従わない多因子疾患
  1)common disease(ありふれた病気)の遺伝子解析法
   (1)加齢黄斑変遷症の例 (2)遅発性アルツハイマー病の例
  2)糖尿病感受性遺伝子の罹患予測
 4 発生遺伝学と先天異常
  1)催奇性薬剤
  2)喫煙,飲酒などの生活習慣と先天異常
  3)感染症による先天異常
  4)比較的頻度の高い先天異常
   (1)口唇裂・口蓋裂 (2)ヒルシュプリング病
 5 がんにおける体細胞変異
  1)生殖細胞系列変異と体細胞変異
  2)体細胞変異とがんの関係
  3)がん関連遺伝子の体細胞変異―がん遺伝子とがん抑制遺伝子
  4)体細胞変異の遺伝学的分類
   (1)短い塩基配列レベルの変化 (2)大きな領域の遺伝増幅や欠失 (3)染色体転座・逆位
  5)がんの体細胞変異の治療標的としての意義
   (1)乳がん (2)肺がん (3)大腸がん
 6 遺伝性(家族性)腫瘍
  1)遺伝性乳がん・卵巣がん症候群
  2)リンチ症候群
  3)多発性内分泌腫瘍
 7 薬理遺伝学
  1)薬力学―どのように薬は効果をもつか
   (1)チトクロームP450と第1相代謝 (2)第2相反応と遺伝子
  2)薬物副作用に関する他の遺伝子異常
   (1)吸入麻酔薬による悪性高熱症 (2)サリンなどの有機リン剤
  3)HLA遺伝子群と薬剤副作用
  4)分子標的薬とコンパニオン診断薬
 8 遺伝子関連検査
  1)病原体・体細胞・生殖細胞系列の遺伝子検査
   (1)病原体遺伝子検査(病原体核酸検査) (2)体細胞遺伝子検査 (3)生殖細胞遺伝子検査
   (4)マイクロサテライト不安定性(MSI)検査
  2)検査に関連する技術
   (1)PCR-ダイレクトシーケンス (2)PCR-RFLP (3)TaqMan法 (4)FISH
   (5)マイクロアレイ (6)次世代シーケンサー(NGS)
  3)各種診断法
   (1)遺伝学的確定診断 (2)発症前診断 (3)易罹患性検査 (4)出生前診断
   (5)着床前診断
 9 新生児マススクリーニング
  1)先天性代謝異常症とスクリーニング
  2)タンデム質量分析法と新生児マススクリーニング
 10 人類集団の成り立ちを研究する集団遺伝子
  1)人類の進化と集団遺伝学的歴史
  2)集団遺伝学の基礎知識
   (1)ハーディ・ワインベルグの法則 (2)突然変異率
  3)自然選択のわかりやすい例―乳糖不耐性