はじめに
日本の医療施設における授乳環境は,ここ20 年大きく変化してきています.私が開業した平成2 年当初,多くの医療施設は,母子別室で,母親の体の回復のために出産後は夜間の授乳を休ませることが当然とされていました.そのため,自宅に戻ってから授乳困難や乳汁分泌不足感に悩む母親は多く,当時は朝早くから夜遅くまで往診に追われる毎日でした.同じ時期,WHO/UNICEFによる「母乳育児を成功させるための10 ヵ条」が発表され,日本においても母乳育児が推進され,多くの医療施設が授乳環境の改善につとめました.その結果,母子同室,自律授乳へと移行していきました.一方では,育児不安や虐待の問題が増加傾向にあることが社会問題として取りあげられ,その対策の一つとして,平成19 年に厚生労働省による「授乳・離乳の支援ガイド」が策定され,授乳環境を整え育児支援の観点から医療関係者全体で母子の健康を支援する取り組みも始まりました.
また,近年,出産する母親たちの高齢化に伴い,不妊治療後の妊娠も並行して増加してきています.家族背景や心身的に問題を抱えている場合も多く,母乳育児支援を行ううえでは,複雑化している社会環境に合わせた長期的な支援が出来ることが重要になってきています.
本書では,助産師のわざの一つである乳房ケアを取りあげています.筆者は新人の頃,情熱を持って母乳育児支援をする先輩助産師の姿に心を動かされました.乳房マッサージの技術というより,先輩助産師が困惑した母親を温かく見守り乳房ケアをしていくうちに母親の表情が劇的に変化していくことに感動したのです.母子を丸ごと受けとめる助産師の姿勢に“ いつかこの人のようになりたい“ と,ここまでがんばってきました.ある先輩助産師からは“ 乳房に触れる手は,健康でなくては心地よくない” などケアする人が健康であることの大切さを,またある助産師からは,母親の全身からとらえた支援の大切さを学びました.先輩助産師たちの母乳育児支援に対する熱い思いは,私の中に今も印象深く残っています.
日本の開業助産師の乳房ケアは,乳房に現れる変化だけでなく,子どもの飲み方や成長発達,母親の全身状態の変化に関連づけて個別にアドバイスをしています.乳房ケアを行う手技には多少の違いはあっても母子をトータルでサポートする本質的なものは変わらないのではないかと思っています.その普遍的な知識,技術,知恵,愛ある乳房ケアの積み重ねが経験知となり「わざ」として,助産師の歴史としてつながってきていると思います.
しかし,知識を持ち,基本的なことはわかるという助産師は多くても,乳房の状態に合わせて,手のあて方や指の動き,力加減などが全て異なる乳房ケアは,実際にやってみると難しいものです.母親と子どもの状態の組み合わせでも技術が異なってきます.その人の身体を診ながら,母親の声を聞きながら,アセスメント,診断,評価を繰り返し修正していくことで痛みのない心地よい手になっていくのだと思います.
そこで本書の動画では,できるだけさまざまなケースを示すことで,それらの違いに気づくことができるように配慮しました.今回,筆者の乳房乳頭マッサージ時の指腹および手掌の圧測定を実施する機会が持て,本書に掲載しているので参考にしていただきたいと思います.
自らの手技との違いを考えながら視聴していただくことで,助産技術として全体の向上につながれば幸甚です.またとくに新人の方にとっては,まねぶ=まなぶであるので,実際に手技ができるようになるにはたくさん触れて経験を重ねていくよりほかにはありませんが,これから経験を積み重ねて熟練していくうえで,本書が参考になれば嬉しく思います.先人からつないできた技術を他の助産技術と同様に,次世代に継承していく一助になればと思います.
本書の動画撮影を許可してくださった母親の皆様,撮影に協力してくれた助産師の皆様に心より感謝申し上げます.
2017 年9 月
宮下美代子
推薦の序
母乳育児支援は,分娩介助技術とともに代表的な(日本の)助産師の「わざ」として知られています.新人助産師からベテラン助産師まで,臨床助産師であれば常に母乳育児支援技術を向上させたいと望んでいるに違いありません.それほど母乳育児支援は,助産師にとって学んでも学んでもなかなか満足することのない,高度な助産技術といえます.
今回,私が敬愛してやまない開業助産師の宮下美代子先生が,母乳育児支援の書を発刊されることになり,自分のことのように大変嬉しく思っています.宮下先生は,自身の助産師人生の長きにわたって母乳育児支援に携わり,母子に寄り添いながら支え続けてきました.母親たちから絶大の信頼を寄せられている日本を代表する熟練助産師です.そのすばらしい助産師の「わざ」が本書で紹介されることになりました.
本書(DVDを含む)には,新人助産師であってもベテラン助産師であっても,さまざまな技術レベルに応じて役立つ内容がふんだんに盛り込まれています.その理由は,宮下先生の母親を見つめる温かいまなざしにあります.本書を読み進めていくと,その端々に宮下先生の母親たちに対する溢れんばかりの慈愛の念に気づく読者もいることでしょう.新人助産師であれベテラン助産師であれ,きっと心を揺さぶられるはずです.
乳房マッサージを行う宮下先生の左右の手は,母親の乳首や乳輪を優しく圧し,乳房内のしこりにそっと触れ,乳房全体を柔らかく把持し,肩や背中に当てられて母親の体調を理解し,さらには母親の心を包み込んでいきます.宮下先生の母乳育児支援は,乳房だけを見るのではなく,母親の全身を観察し,社会的背景や心理状況をも的確に捉える高度なアセスメント能力に支えられているからこそ,熟練の「わざ」といえるのだと思います.
本書は,書籍だけでも,DVDだけでも,両方を照らし合わせながらでも,多くのことを学ぶことができます.初めて見る人でも,何度見ても,新鮮な学びがあります.そして,新人助産師でも,ベテラン助産師でも,それぞれに学びを得ることができます.
多くの助産師が,本書を通して母乳育児支援の難しさや奥深さに直面し,自身の課題に気づき,乗り越え,母乳育児支援能力を一層高められることを心より期待しています.
神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部 学部長・教授 村上明美
日本の医療施設における授乳環境は,ここ20 年大きく変化してきています.私が開業した平成2 年当初,多くの医療施設は,母子別室で,母親の体の回復のために出産後は夜間の授乳を休ませることが当然とされていました.そのため,自宅に戻ってから授乳困難や乳汁分泌不足感に悩む母親は多く,当時は朝早くから夜遅くまで往診に追われる毎日でした.同じ時期,WHO/UNICEFによる「母乳育児を成功させるための10 ヵ条」が発表され,日本においても母乳育児が推進され,多くの医療施設が授乳環境の改善につとめました.その結果,母子同室,自律授乳へと移行していきました.一方では,育児不安や虐待の問題が増加傾向にあることが社会問題として取りあげられ,その対策の一つとして,平成19 年に厚生労働省による「授乳・離乳の支援ガイド」が策定され,授乳環境を整え育児支援の観点から医療関係者全体で母子の健康を支援する取り組みも始まりました.
また,近年,出産する母親たちの高齢化に伴い,不妊治療後の妊娠も並行して増加してきています.家族背景や心身的に問題を抱えている場合も多く,母乳育児支援を行ううえでは,複雑化している社会環境に合わせた長期的な支援が出来ることが重要になってきています.
本書では,助産師のわざの一つである乳房ケアを取りあげています.筆者は新人の頃,情熱を持って母乳育児支援をする先輩助産師の姿に心を動かされました.乳房マッサージの技術というより,先輩助産師が困惑した母親を温かく見守り乳房ケアをしていくうちに母親の表情が劇的に変化していくことに感動したのです.母子を丸ごと受けとめる助産師の姿勢に“ いつかこの人のようになりたい“ と,ここまでがんばってきました.ある先輩助産師からは“ 乳房に触れる手は,健康でなくては心地よくない” などケアする人が健康であることの大切さを,またある助産師からは,母親の全身からとらえた支援の大切さを学びました.先輩助産師たちの母乳育児支援に対する熱い思いは,私の中に今も印象深く残っています.
日本の開業助産師の乳房ケアは,乳房に現れる変化だけでなく,子どもの飲み方や成長発達,母親の全身状態の変化に関連づけて個別にアドバイスをしています.乳房ケアを行う手技には多少の違いはあっても母子をトータルでサポートする本質的なものは変わらないのではないかと思っています.その普遍的な知識,技術,知恵,愛ある乳房ケアの積み重ねが経験知となり「わざ」として,助産師の歴史としてつながってきていると思います.
しかし,知識を持ち,基本的なことはわかるという助産師は多くても,乳房の状態に合わせて,手のあて方や指の動き,力加減などが全て異なる乳房ケアは,実際にやってみると難しいものです.母親と子どもの状態の組み合わせでも技術が異なってきます.その人の身体を診ながら,母親の声を聞きながら,アセスメント,診断,評価を繰り返し修正していくことで痛みのない心地よい手になっていくのだと思います.
そこで本書の動画では,できるだけさまざまなケースを示すことで,それらの違いに気づくことができるように配慮しました.今回,筆者の乳房乳頭マッサージ時の指腹および手掌の圧測定を実施する機会が持て,本書に掲載しているので参考にしていただきたいと思います.
自らの手技との違いを考えながら視聴していただくことで,助産技術として全体の向上につながれば幸甚です.またとくに新人の方にとっては,まねぶ=まなぶであるので,実際に手技ができるようになるにはたくさん触れて経験を重ねていくよりほかにはありませんが,これから経験を積み重ねて熟練していくうえで,本書が参考になれば嬉しく思います.先人からつないできた技術を他の助産技術と同様に,次世代に継承していく一助になればと思います.
本書の動画撮影を許可してくださった母親の皆様,撮影に協力してくれた助産師の皆様に心より感謝申し上げます.
2017 年9 月
宮下美代子
推薦の序
母乳育児支援は,分娩介助技術とともに代表的な(日本の)助産師の「わざ」として知られています.新人助産師からベテラン助産師まで,臨床助産師であれば常に母乳育児支援技術を向上させたいと望んでいるに違いありません.それほど母乳育児支援は,助産師にとって学んでも学んでもなかなか満足することのない,高度な助産技術といえます.
今回,私が敬愛してやまない開業助産師の宮下美代子先生が,母乳育児支援の書を発刊されることになり,自分のことのように大変嬉しく思っています.宮下先生は,自身の助産師人生の長きにわたって母乳育児支援に携わり,母子に寄り添いながら支え続けてきました.母親たちから絶大の信頼を寄せられている日本を代表する熟練助産師です.そのすばらしい助産師の「わざ」が本書で紹介されることになりました.
本書(DVDを含む)には,新人助産師であってもベテラン助産師であっても,さまざまな技術レベルに応じて役立つ内容がふんだんに盛り込まれています.その理由は,宮下先生の母親を見つめる温かいまなざしにあります.本書を読み進めていくと,その端々に宮下先生の母親たちに対する溢れんばかりの慈愛の念に気づく読者もいることでしょう.新人助産師であれベテラン助産師であれ,きっと心を揺さぶられるはずです.
乳房マッサージを行う宮下先生の左右の手は,母親の乳首や乳輪を優しく圧し,乳房内のしこりにそっと触れ,乳房全体を柔らかく把持し,肩や背中に当てられて母親の体調を理解し,さらには母親の心を包み込んでいきます.宮下先生の母乳育児支援は,乳房だけを見るのではなく,母親の全身を観察し,社会的背景や心理状況をも的確に捉える高度なアセスメント能力に支えられているからこそ,熟練の「わざ」といえるのだと思います.
本書は,書籍だけでも,DVDだけでも,両方を照らし合わせながらでも,多くのことを学ぶことができます.初めて見る人でも,何度見ても,新鮮な学びがあります.そして,新人助産師でも,ベテラン助産師でも,それぞれに学びを得ることができます.
多くの助産師が,本書を通して母乳育児支援の難しさや奥深さに直面し,自身の課題に気づき,乗り越え,母乳育児支援能力を一層高められることを心より期待しています.
神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部 学部長・教授 村上明美
CHAPTER 1 母乳育児支援の考えかた
1.母乳育児支援とは
2.母乳育児支援の心得
3.児の探索・吸啜行動
Column 乳房・乳頭マッサージの手掌と指腹の圧力測定
CHAPTER 2 乳房とからだのつながりを診る
1.全身の診かた
2.乳房ケアの基本
Column 乳房や身体の状態にあった食事をしましょう
CHAPTER 3 乳房ケアを事例から学ぶ
1.直接授乳困難
2.症状別の対応 乳管閉塞
3.症状別の対応 乳腺炎
4.症状別の対応 乳がん
Column 搾乳のセルフケア
CHAPTER 4 母乳育児支援の現状とこれからの課題
APPENDIX 母乳育児支援Q&A
付属DVD 母乳育児支援
1.母乳育児支援とは
2.母乳育児支援の心得
3.児の探索・吸啜行動
Column 乳房・乳頭マッサージの手掌と指腹の圧力測定
CHAPTER 2 乳房とからだのつながりを診る
1.全身の診かた
2.乳房ケアの基本
Column 乳房や身体の状態にあった食事をしましょう
CHAPTER 3 乳房ケアを事例から学ぶ
1.直接授乳困難
2.症状別の対応 乳管閉塞
3.症状別の対応 乳腺炎
4.症状別の対応 乳がん
Column 搾乳のセルフケア
CHAPTER 4 母乳育児支援の現状とこれからの課題
APPENDIX 母乳育児支援Q&A
付属DVD 母乳育児支援