やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき

 本書は1990年に初版を出版した『脳と行動のしくみ』を加筆・修正・改題し,新版としてまとめたものである.もともと初版は,筆者が行う神経心理学関連の講義を学生諸君が理解しやすいように,補助的な脳科学の入門書として上梓したものである.そのために文系の大学生を対象に,脳にかかわる最低限の知識をわかりやすく記載したいと考えた.当時,脳科学の入門書に類するものがないわけではなかったが,そのほとんどは医学系の専門家の手によるものであり,入門書としては文系の学生には敷居の高いものであった.筆者のような,もともと文系の人間がまとめた脳に関する入門書ということで,どこか違いがあったのであろう,初版以来8刷と増刷を重ね,多くの読者を得ることができた.
 初版からすでに10年以上の年月が経った.1990年代が“脳研究の時代”と称されたことからも明らかなように,その間に脳科学の研究は目覚ましい進展を遂げた.特に,分子生物学の分野と脳画像診断法(brain imaging)による脳研究への貢献は著しく,初版に記載した記述に修正が必要な箇所も散見されるようになった.また,実際に筆者が講義のテキストとして使用した経験からも,加筆すべき箇所や削除してもよいと考えられる記述も目につくようになり,改訂しなければなるまいと考えていた.
 医歯薬出版の吉田邦男氏からも数年前から改訂のすすめを受けていたが,勤務先を変更したことや新しい勤務先での生活が生み出すさまざまな多忙さに紛れてなかなか着手するに至らなかった.吉田邦男氏には2002年春には改訂版の原稿を準備すると約束し,自分を規制してみたが,頓挫してしまい迷惑をかける羽目になった.
 本書はこのような背景のもとで,修正すべき箇所を中心に前書に加筆したものである.前述したように脳研究は現在も日進月歩の状況にあり,教科書として“何を選択し,何を記述するか“だけでなく,書物としての“目的”も考慮せねばならず,情報の取捨選択は容易なことではない.本書は,現時点で筆者が必要と考える最低限の情報を記載したつもりであるが,筆者の能力の足りなさを露呈するだけかもしれない.そこは,読者の教示を仰いで,改めるべきは逐次改めたいと考えている.
 『脳と行動のしくみ』と同様に多くの読者を得て,脳と行動との関係に興味を抱く学生の助けとなれば,と考えている.本書の出版に当たっては,吉崎一人,川上綾子,岩原昭彦,渡辺はま,伊藤保弘の諸氏の協力を得たことを記してお礼を申し上げる.
 2003年9月
 八田武志


謝 辞
 我が国でも神経心理学の入門書と称する著書は出版されているが,たいていは医師向けの専門書に類するもので,私の考えているわかりやすい本当の意味での入門書は見当たらない.そこで,学部学生および脳の働きについて関心のある人を対象に,平易な入門書を著すことにした.
 神経心理学が重要な学問領域として定着し,正式に講座が設けられている欧米諸外国には,私の言うような入門書もあり,翻訳も考えないではなかったが,医歯薬出版の吉田邦男氏のお勧めもあり自分でまとめることにした.ご好意に改めてお礼申し上げたい.J.G.Beaumont著Understanding Neuropsychology,Basil Blackwell,1988は私の考えているものに近く,大変参考になった.本書の中にもいくつか図表を引用させてもらった.快く引用を許可して頂いた畏友Beaumont教授と出版社にお礼申し上げる.その他,たくさんの図表をいろいろな著書から引用させてもらった.お許しを頂いた岩波書店はじめ多くの著者,出版社にお礼申し上げる.
 神経心理学は広範な領域を含んでおり,著者ひとりの力でこの本が上梓できたわけではない.ホルモンの部分は広沢巌博士(山口大学医学部),失語・失行の部分は元村直靖博士(大阪医大)に原稿を読んでもらい貴重なご意見を頂いた.また,宮井一郎博士(大阪大学医学部)にはCTおよびMRI写真を提供していただいた.厚くお礼を申し上げたい.このように多くの諸先生の協力を得たが,言うまでもなく本書の記載については著者にのみすべての責任がある.果たしてねらいどおりの本と言えるか自信はないが,誤った記述や理解しにくい箇所については是非ご意見をお聞かせ頂きたい.
 最後になるが,難病を恨むことなく病み終え旅だった母,八田玉枝にこの本を捧げ感謝の気持ちに代えたい.
 2003年10月
 八田武志
脳のはたらきと行動のしくみ 目次

まえがき
謝 辞

序章 神経心理学とは
 1.神経心理学とは
 2.神経心理学の誕生
 3.神経心理学の研究分野
  1.臨床神経心理学
  2.実験神経心理学
  3.比較神経心理学
 4.本書の構成と目的

第1章 中枢神経系の基礎知識
 1.中枢神経系の解剖学的構造
  1.神経系の構造
  2.脳の構造
   1)大脳
   2)脳幹
   3)脳神経
   4)小脳
   5)脊髄
 2.遺伝子と化学物質
 3.神経細胞とシナプス
  1.神経細胞
  2.神経伝達とシナプス
 4.神経回路・神経伝達物質
  1.神経回路
  2.神経伝達物質
 5.脳の領野
  1.前頭葉
  2.頭頂葉
  3.側頭葉
  4.後頭葉
 6.機能システム
  1.運動コントロール
  2.自動性
 7.ホルモン
  1.内分泌系の構造
  2.神経系と内分泌系の関係
  3.性ホルモン
 8.自律神経系

第2章 大脳皮質
 1.大脳皮質の機能
  1.機能の局在
  2.脳の部位と機能
  3.脳の機能区分

第3章 脳損傷と行動
 1.脳損傷の原因
  1.神経学的障害
  2.脳外傷
 2.大脳皮質の障害
  1.失認症
  2.失語症
  3.言語システムと機能
   1)ブローカ失語
   2)ウェルニッケ失語
   3)伝導失語
   4)失名詞
   5)超皮質性失語
   6)全失語
 4.失行症
 5.注意障害
 6.読み書き障害
 7.運動コントロール

第4章 ラテラリティ
 1.離断脳研究
 2.解剖学的差異
 3.ラテラリティの研究法
  1.視覚機能の研究法
   1)視野差と脳機能
   2)瞬間提示法
   3)瞬間提示法の問題点
  2.聴覚機能の研究法
   1)両耳分離聴テスト
   2)両耳分離聴テストのメカニズム
   3)両耳分離聴テストの裏づけ
  3.触覚機能の研究法
   1)両手同時提示テスト
   2)触覚検査のメカニズム
 4.健常成人のラテラリティ
 5.近年のラテラリティ研究
  1.処理水準と機能差
  2.処理方略と機能差
  3.聴覚機能のラテラリティ
  4.左右脳機能の相互作用
  5.性差

第5章 皮質下
 1.情動
  1.情動知覚の理論
  2.情動の受容理解
  3.情動の表出,情動反応
  4.攻撃性
 2.覚醒と睡眠
  1.覚醒のメカニズム
  2.睡眠
  3.特殊な覚醒状態
 3.動機づけ
  1.欲求,動因,報酬
  2.摂食行動
  3.性行動

第6章 視覚と聴覚と体性感覚
 1.視覚
  1.視覚系の構造
  2.視感覚の処理
  3.末梢での分析
  4.強度,パターン,運動
  5.色
  6.奥行き
 2.聴覚
  1.聴覚系の構造
  2.聴覚の処理
   1)音の高低
   2)音の大きさ
   3)音色
   4)音源の定位
 3.触覚
  1.触覚受容器
  2.中枢性コントロール

第7章 神経心理学の研究法
 1.脳損傷による研究
 2.電気刺激法
 3.画像診断法
  1.ポジトロンCT(陽電子断層撮影:PET)
  2.CTスキャン
  3.磁気共鳴映像法(MRI)
  4.機能的核磁気共鳴画像(fMRI)
  5.光トポグラフィ
 4.電気生理学的方法
  1.脳波(EEG)
  2.事象関連電位(ERP)
  3.脳磁図(MEG)
 5.神経心理学的検査
 6.脳機能検査法の効用と限界

引用文献
図題一覧
和文索引
欧文索引