やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 リハビリテーション(以下,リハ)とは,“動く”ことを手段として,“動けない”が“動ける”になる過程を支援することである.
 その過程には,課題・環境の難易度設定,反復練習,成功体験の強化,そして失敗から学ぶことが必要である.動けないのに動くわけだから当然,多くの失敗と困難が生じるが,それを活かし乗り越え,成功への道筋を探る.この過程は,子どもの発達と同様である.最初は立つこともできない状態だが,動くことを通じて,やがて歩けるようになる.そこには多くの失敗,すなわち転倒があり,しかも動けば動くほど転倒する機会は増えるのだが,それらを乗り越えて最終的には転ばないで歩けるようになる.リハにおいて,転倒という事象はある意味必然的な面もある.
 ところがリハ現場において,患者さんが転ぶことは御法度である.上記のように少し特殊な事象であるにも関わらず,転倒は他のインシデント,例えば薬の誤投与などと並列で扱われることが多い.それは,転倒に伴って稀に生じる深刻な心身のダメージが大きな問題となるからである.したがって,ある意味必然であるにもかかわらず,転倒を決して生じさせてはいけない,という困難な制約条件がリハ現場には課せられている.
 多くの転倒は,自ら“動く”結果として生じるもので,どこかから加えられたリスクではない.また,自ら“動く”ことは,将来“動ける”ためには必須である.転倒をリハ的な視点から捉えることなく,ただのリスクとみなして転倒をゼロにすることだけを考えるのなら,患者さんを常に監視して拘束しなくてはならない.それでは,“動く”ことで“動ける”を支援するリハとは真逆の方向性となってしまう.
 リハにおいて転倒は,手術に伴いやむを得ず生じる出血のように,活動性を上げる過程での“合併症”と捉えるのがより適切なのではないかと思う.そのうえで,どう合併症を減じるかという方策を考えるのがより自然である.そうでないと,リハの最大の成果,すなわち“動ける”ようになることがないがしろにされかねない.活動性を上昇させるアクセル機能と,転倒を可能な限り最小にさせるための抑制的なブレーキ機能の両方をうまく使い分けながら,適切に活動調整を行っていく必要がある.成果すなわち“動ける”ことを最大限に得たうえで,その合併症である転倒をいかに減じるか,という考え方と方策を示すことが本書のテーマである.おおまかには,活動性の大きく変化する入院初期に転倒が多発することから,初期には少しブレーキ気味に,そしてリハ過程のなかで活動性が不連続に向上する峠においては,遅延なく安全に安静度アップができるようなアクセルの仕組みが必要と考えている.
 本書は,便利なクックブックではない.また,たくさんの執筆陣の英知を集めたような書物でもない.活動と転倒ということを軸にして,その思考をいかに練り上げ,現実的なリハ現場に落とし込むかという葛藤の結果が示されたものである.内容は未完であり,試行錯誤中のものである.今後さらなる向上が必要だと自覚しているし,いまもより良い方策を摸索している.ただ,活動と転倒は背中合わせの事象であり,そのなかで活動をいかに調整するかが本質であるということは,今後もそう変わらないと思っている.そう考え,問題提起として,そしてひとつのたたき台として本書を執筆した.この本をきっかけとして,さまざまな方がこの問題について議論し,今後のよりよいリハにつながっていけば本望である.
 本書の内容の多くは,東京湾岸リハビリテーション病院において日々の臨床を行うなかでの疑問や課題をチームで一つひとつ解決しながら育まれてきたものである.当病院長の近藤国嗣先生をはじめスタッフの皆様,そして執筆者の方々には,あらためてここに感謝を申し上げたい.最後に,いつも変わらぬ笑顔で支えてくれた医歯薬出版の担当の綾野泰子氏,鷲野正人氏,塚本あさ子氏のご協力なしには,本書は日の目をみることはなかった.この場を借りて感謝を申し上げたい.
 2016年5月吉日
 大高洋平
 序(大高洋平)
第I章 転倒の基本的な知識と考え方(大高洋平)
 1. リハビリテーションにおける活動性向上と転倒の関係
  Column 動けるようになるとリスクが上がる患者のリハビリテーションはどうすべきか
 2. 回復期リハビリテーションにおける転倒の実態
  Column 今の転倒だけを防げればよいのか
 3. リハビリテーション病棟における転倒予防のエビデンス
  Column 転倒の真の責任はどこにあるのか
  Column 転倒はかならず悪で有害なのか
第II章 活動調整による活動性向上と転倒予防(大高洋平 松浦大輔)
 1. 回復期リハビリテーションにおける転倒予防の基本的戦略
 2. 入院直後から行う活動調整
 3. 動作能力の評価と活動性向上のシステム
 4. 退院後にむけての入院中の対応
  Column 妥当な転倒率とはどのくらいか
第III章 多職種で取り組む転倒予防
 1. 医師の役割(松浦大輔)
 2. 看護師の役割(中西まゆみ 川野靖江 井坂 碧)
  Column 能力と障害,どちらに重きをおくか(中西まゆみ)
 3. 理学療法士の役割(井上靖悟)
  Column 訓練におけるエラー,どこまでが許されるか(井上靖吾)
 4. 作業療法士の役割(坂田祥子)
 5. 言語聴覚士の役割(渡邉 望)
  Column 安全な高齢者介護のための取り組みとは(渡邉 望)
 6. 医療安全委員会の役割(松浦大輔)
  Column 個人レベルの転倒対策か国家レベルの転倒対策か(大高洋平)
第IV章 転倒事故と法的問題(鈴木雄介)
 1. リハビリテーション医療にかかわる法律総論
 2. 転倒・転落の判例から学ぶ
 3. 事故発生後の事後的検証

 索引