やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 健康寿命を延伸するには,病気を治療することに加えて,病気にかからないための方略,すなわち予防が必要である.病気の制御に成功し世界有数の長寿国となったわが国においては,ことさら予防の必要性が高い.理学療法学においても,障害の治療や受容を促すものから,さらに疾病や老年症候群の予防へと発展していかなければならないだろう.
 たとえば,健康調査では愁訴として常に腰痛や手足の関節の痛みが多くあげられる.理学療法はこうした治療には大きな有効性を発揮しているが,愁訴が起こらないようにいかに対策を立てるかということには無力であった.また,脳卒中の麻痺や日常生活活動の回復には多くの知見があるとしても,再び脳卒中にかからないためには何が必要なのかをこれまで患者に伝えてこなかったのではないだろうか.
 本書は,こうした新しい社会的なニーズに応えていくために,理学療法学を予防という観点から体系化することを試みた.介護予防などを除き予防理学療法学における独自の知見は不十分であるが,理学療法学の予防的な適用について現在わかっていること,そして将来何が必要なのかを明確にすることを心掛けた.予防理学療法学の実践を目指す読者諸氏の羅針盤として活用いただけると嬉しい.
 ところで,理学療法はphysical therapyの略であり,運動療法や物理療法を含む物理的な手段を用いた治療すべてが含まれる広い概念である.これを予防に広げると,体育学など他の学問との領域を容易に侵犯してしまう.たとえば,理学療法学からみれば運動療法であっても,予防という文脈においては運動と差異がない.運動であれば体育学の知見は理学療法学をはるかに凌駕する.これは一例であるが,予防理学療法学は排他的であってはならず,はじめから領域横断を意図したものでなくてはならない.
 そこで本書では,「治療」,「療法」を医学的な意味においてのみ用いるようにし,より一般的な「介入」という言葉を使うようにした.これにより理学療法学を専門としないものであっても予防理学療法学の研究ができることを明示したつもりである.特に作業療法学は理学療法学と双壁といってよいほど近接した領域で,共通した手法が多くあるが,理学療法学という言葉を用いることによって,作業療法学には領域外と感じられるのだとしたら本書の意図するところではない.本書では理学療法を物理的な手段を用いた手法として解釈し,これを手法とするさまざまな領域の専門家が議論できることを望んでいる.
 一方,予防という形容詞を冠して理学療法学をあらためて眺めてみると,医療が行ってきた予防的指導には大きな欠落があったことに気付かされる.病気の罹患を抑制することを目的とするばかりに,ある特定の栄養素の摂取を制限させるなど,医療者が患者を教え諭すという支援になりがちで,個人を中心にそれぞれが健康によい行動を獲得していくことを促すという観点が欠けていた.国民がより健康になっていくためには,「由らしむべし知らしむべからず」ではなく,「知らしむべし由らしむべからず」にならなくてはいけない.本書では,患者に適切な治療を選択させるための研究を長年続けておられる京都大学の中山健夫教授らにもご執筆いただき,医療者のピットフォールをふまえた,健康行動の選択の支援とは何かを理解できるようにした.
 最後に,予防理学療法学がより一般的となり,多くの領域の研究者が共に議論する未来の実現に,本書が貢献できればうれしい.
 2016年12月
 監修者・編者代表
 日本予防理学療法学会 代表幹事 大渕修一
 まえがき(大渕修一)
I章 予防理学療法学概説
 1 予防理学療法学の定義(大渕修一)
  1.予防理学療法学の定義 2.予防医学と予防理学療法学
  3.予防理学療法学を必要とする背景 4.治療と介入の区別
  5.予防理学療法学の研究手法 6.心理・精神と予防理学療法学
 2 予防理学療法学の領域(大渕修一,河合 恒)
  1.予防の相からみた領域 2.年齢層(ライフステージ)からみた領域
  3.研究領域(分野別)からみた領域 4.場所(場面)からみた領域
 3 予防理学療法学に関わる制度
  1)保健制度と保険制度(新井武志,大江浩子)
   1.保健・福祉制度および健康増進施策の概要 2.医療保険制度―現在の医療保険制度の概要
   3.公的介護保険制度 4.理学療法士及び作業療法士法と理学療法士の業務範囲
  2)経済戦略―予防産業としての理学療法学(高田真利絵)
   1.わが国の現状・課題 2.理学療法を活用した公的保険外産業
 4 予防理学療法学の研究法(上出直人)
  1.疫学調査の基礎 2.予防理学療法学の統計学的手法 3.予防理学療法学とPDCAサイクル
II章 予防理学療法学のための理解
 1 栄養学からみた予防理学療法学(伊藤智子,樋口 満)
  1.日本人の食事摂取基準 2.食事の栄養アセスメント 3.食事バランスガイド
 2 スポーツを利用した予防理学療法学(金子文成)
  1.一般的に考えられるスポーツの功罪 2.いわゆる“体力”の年齢に応じた推移
  3.スポーツを用いた予防の実際 4.アダプテッドスポーツ
 3 コミュニケーションを中心とした予防理学療法学(藤本修平,中山健夫)
  1.予防理学療法学におけるヘルスコミュニケーションで重要な視点
  2.予防理学療法学におけるヘルスコミュニケーションの変遷―インフォームドコンセントからshared decision makingへの移行
  3.Shared decision making 4.EBMとshared decision making
 4 発達から老化と予防理学療法学(柴 喜崇)
  1.発達とは 2.加齢に伴う正常老化と予防 3.生存率曲線の直角化の行方
 5 学童期の予防(笹野弘美)
  1.学童期における予防 2.学童期の肥満,メタボリックシンドローム
  3.学童期の脊柱変形
 6 学童期の運動器検診(小松泰喜)
  1.運動不足による体力・運動能力の低下と,運動のしすぎによるスポーツ障害の二極化
  2.学童期に多い障害とその対応 3.予防のための理学療法
III章 予防理学療法の実際
 1 予防領域における理学療法士の役割(古名丈人)
  1.予防理学療法の対象領域 2.予防領域における方略
  3.医療施設外の予防理学療法と理学療法士の役割 4.地域包括ケアシステム下の予防理学療法
 2 メタボリックシンドロームの予防(小松泰喜)
  1.第三次国民健康づくり対策とメタボリックシンドローム
  2.メタボリックシンドロームのメカニズムと一般的介入方針
  3.アドヒアランスを高める予防理学療法の取り組み
 3 ロコモティブシンドロームの予防(藤田博曉)
  1.ロコモティブシンドロームへの取り組みの重要性 2.ロコモティブシンドロームの疫学的背景
  3.ロコモティブシンドロームの普及のために
  4.ロコモティブシンドローム判定のための基準づくり―ロコモ度テスト
  5.ロコモティブシンドロームの具体的な予防対策
 4 廃用症候群の予防
  1)運動器の機能低下(山田 実)
   1.サルコペニアとは 2.サルコペニアの簡易判定方法 3.フレイルとは
   4.フレイルの判定方法 5.サルコペニア・身体的フレイルへの対策
   6.社会的フレイルへの対応
  2)転倒(山田 実)
   1.転倒予防の考え方 2.機能レベルに応じた転倒リスク
   3.転倒予防トレーニングの効果 4.転倒予防トレーニングの実際 5.環境整備
  3)低栄養(高橋浩平)
   1.低栄養とは 2.低栄養の原因 3.廃用症候群と低栄養
   4.予防のための評価 5.予防のための理学療法
  4)口腔・嚥下機能低下(吉田 剛)
   1.廃用による口腔・嚥下機能低下とは 2.予防を必要とする理由
   3.予防のための評価 4.予防のための理学療法
  5)呼吸機能低下(解良武士)
   1.臥床が呼吸機能へ与える影響 2.安静臥床の呼吸器系への影響
   3.呼吸器系合併症の予防と対策
  6)心血管機能低下(齊藤正和)
   1.廃用による心血管機能低下 2.廃用による心血管機能低下を予防する理由
   3.心血管機能の評価 4.心血管機能低下予防のための理学療法
  7)抑うつ(仙波浩幸)
   1.気分障害 2.うつ病(反復性抑うつ障害,抑うつ性障害,大うつ病)
   3.女性の気分障害 4.抑うつのスクリーニング評価 5.抑うつの精神症状・観察
   6.うつ病患者への一般的な対応 7.抑うつに対する予防理学療法
  8)骨盤底機能低下(重田美和)
   1.骨盤底とは 2.なぜ骨盤底機能低下の予防が必要か
   3.予防のための骨盤底機能評価および理学療法
   4.骨盤底機能低下を予防するために重要な生活指導
   5.骨盤底機能低下の予防理学療法を行う際の留意点
 5 認知症の予防
  1)認知症予防(島田裕之)
   1.生活習慣の観点からみた認知症の危険因子 2.アルツハイマー病の経過と予防戦略
   3.身体活動による認知症予防対策 4.身体活動による認知機能向上のメカニズム
   5.今後の課題
  2)認知症の周辺症状予防(伊東美緒)
   1.認知機能が低下したときの多重の苦悩 2.認知機能低下者の拒否的な態度の意味
   3.認知機能の低下を把握したアプローチ 4.組織・地域で取り組む必要性
 6 労働災害(腰痛)の予防(廣滋恵一,高野賢一郎)
  1.労働災害とは 2.労働衛生管理 3.労働災害(腰痛)予防対策が必要とされる理由
  4.業種別腰痛発生要因と予防対策の推進 5.労働災害(腰痛)予防のための理学療法の実践例
 7 再発予防
  1)脳卒中(渡辺 学)
   1.脳卒中の再発 2.再発予防を必要とする理由
   3.再発予防のための理学療法 4.包括的ケア
  2)心疾患(神谷健太郎)
   1.心疾患の再発率 2.再発リスクの評価 3.再発予防のための介入
  3)呼吸器疾患(佐野裕子)
   1.慢性呼吸器疾患における息切れと身体活動の低下
   2.慢性呼吸器疾患安定期における予防を必要とする理由
   3.予防のための評価 4.予防のための理学療法
  4)整形外科疾患(永井 聡)
   1.脆弱性骨折の再発予防に重要な骨粗鬆症の治療 2.骨粗鬆症の治療継続率の低下
   3.骨粗鬆症を理解する 4.骨粗鬆症の治療 5.骨粗鬆症患者の愁訴
   6.脆弱性骨折の予防のための転倒対策 7.運動器不安定症と脆弱性骨折の合併例
   8.運動器不安定症患者の転倒予防
 8 スポーツを利用した予防(浦辺幸夫)
   1.健康増進に適したスポーツ 2.ウォーキング 3.筋力増強運動―ウエイトトレーニング
 9 メンタルヘルス(仙波浩幸)
   1.メンタルヘルスとは 2.メンタルヘルスのスクリーニング評価 3.ストレスと心身症
   4.精神疾患・障害 5.メンタルヘルスにおける理学療法士の役割 6.ストレスへの対応
 10 ウィメンズヘルス・メンズヘルス(三宅わか子)
   1.性差について 2.各ライフステージにおける心身の特徴と疾患
   3.ウィメンズヘルスの歴史 4.ウィメンズヘルス・メンズヘルスの予防理学療法
 11 ヘルスコミュニケーション(小森昌彦)
   1.ヘルスコミュニケーションとは 2.ヘルスコミュニケーションの実際
   3.住民の行動変容を促す「ヘルスコミュニケーション」で大切にしていること―伝え方の工夫
 12 コミュニティ・プロモーション(住民主体の予防)のマネジメント
  1)住民主体の予防とは(小島基永)
   1.予防(健康増進)体制に求められる“地域の支え合い”と“住民主体”
   2.住民主体の予防体制と地域住民のつながり 3.住民主体の取り組みの負の側面と対処法
   4.住民が主体的に地域で活躍する際の3つのヒント 5.住民主体による予防体制のさらなる可能性
  2)地域づくりによる介護予防(細井俊希,井上和久)
   1.事業の目的 2.介護予防事業におけるリハビリテーション専門職の役割
   3.期待される成果 4.国際生活機能分類からとらえた介護予防
  3)セーフティプロモーション(稲坂 惠)
   1.セーフティプロモーションとは―これぞ理学療法士の役割
   2.セーフティプロモーションの歴史と戦略―人権を核とした科学的根拠に基づく実践
   3.理学療法士が関わったセーフコミュニティの概要―地域診断による活動
   4.傷害の発生機序の解明―理学療法士としての解釈
   5.理学療法士が関与したセーフコミュニティへの取り組み―住民への啓発と専門職連携
   6.セーフティプロモーションは理学療法士の業務

 あとがき(浦辺幸夫)
 索引