やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

編集の序
 歴史的に観て,理学療法は,主に身体に障がいのある人々を対象に行われてきました.しかし,実際的には身体だけが理学療法の対象であったわけではありません.なぜかといえば,身体の身とはこころを意味し,体はそれを包む殻であると解釈できるからです.つまり,私たちは,便宜上双方の働きを区分して捉えているとしても,システムとしての生体は切り離せるものではないからです.
 市川 浩著『精神としての身体』(講談社)では,身と体の捉え方を呈示し,大和言葉としての視点から「身」は,「こころ=中身」であると述べています.さらに,一元論から二元論に至っている現在でも,便宜上こころと体を心身と表現していますが,これは心(こころ)身(こころ)となることから,言語学には矛盾しているといえます.ゆえに,身体は体だけを意味するのではなく,こころと体を総体的に表現する言葉であると解釈されます.
 21世紀はこころの時代であるといわれています.病と上手につき合っていく一病息災の時代にあって,つねに慰め,しばしば癒し,時に治すという,こころへの対応はますます重要になりつつあることは確かです.しかし,上記のごとく,これは体を蔑にするという意味ではありません.
 近年,理学療法に対する期待として,体のみを意味する身体に障がいのある人々だけでなく,こころ(精神)に障がいのある人々をも対象にすることの必要性が国内外で認知されつつあります.うつ病,統合失調症,認知症,自閉症,学習障害などに対する運動療法を中心とした理学療法などがその例です.しかし,そのような社会的要請があるにもかかわらず,日本を含む多くの諸国でも精神科領域における理学療法の法制度は確立されていません.さらに,この分野は,まだ学問的に十分に整備されているとはいえず,今後,心理学・精神医学・社会学・倫理学・哲学などの総合的学際領域の研究開発が必要となります.
 ちなみに,2011年に世界理学療法連盟(WCPT)のサブグループに「国際的精神保健の理学療法会(International Organization of Physical Therapy in Mental Health:IOPTMH)」が加えられました.これを支持するために,2010年に日本理学療法士協会内に「精神・心理理学療法研究部門」が設置されました.そのような動向を見据えて,この領域に焦点を当てて発展させるための啓発書として本書を発刊することは,きわめて意義深いことと思われます.
 2013年3月
 編著者代表 奈良 勲
 編集の序
 目次
1章 総論
 1 臨床心理学概説(石丸茂偉)
  臨床心理学とは/心理学的アセスメント/臨床心理面接/心理的援助における基本的視点
 2 精神医学概説(岡村 仁)
  精神障害の成因/精神機能とその障害/主な精神疾患とその特徴
 3 心理・精神領域における理学療法の必要性と可能性(奈良 勲・山本大誠)
  人間の全体像をいかに捉えるのか/理学療法の定義の再考/なぜ,心理・精神領域の理学療法なのか?/身体運動が人間の心身に及ぼす影響/精神障がい者スポーツの推進
 4 心理学的理学療法の捉え方(富樫誠二)
  こころとからだへのアプローチ/人間へのまなざし/神経科学(脳科学)や心理学の知見の活用/疾病の病期やライフサイクルに応じた心理的アプローチ/理学療法としてのコミュニケーションスキルを磨く/臨床でのコミュニケーションスキル
 5 精神科領域における理学療法の捉え方(仙波浩幸)
  精神科における理学療法の現状/精神科における理学療法の対象者/身体障害・精神障害の捉え方(評価)
 6 北欧におけるメンタルヘルスケア対象者への理学療法の動向 Liv Helvik Skjarven・Monica Mattsson(翻訳:山本大誠・奈良 勲)
  メンタルヘルスケア対象者への理学療法/北欧諸国におけるメンタルヘルスケア対象者への理学療法の歴史/メンタルヘルスケア対象者への主な理学療法プログラム/メンタルヘルスケアにおける理学療法の研究とエビデンス/理学療法学教育課程におけるメンタルヘルスケア/メンタルヘルスの理学療法専門職確立の展望
2章 心理・精神領域の理学療法における基礎理論
 1 感情が理学療法に及ぼす影響(富樫誠二)
  感情と理学療法/転移・逆転移という感情/感情労働と理学療法
 2 理学療法介入に際した痛みの心理学的捉え方と対応(甲田宗嗣)
  痛みの心理学的捉え方/痛みと苦悩を聞き出す会話テクニック/認知行動療法を用いた痛みの評価/認知行動療法に基づく行動介入
3章 領域別の心理・精神的対応
 1 脳卒中患者の理学療法における心理・精神的対応(藤田智香子)
  脳卒中による障害の特性と心理面の概要/時期別の対応例/脳卒中後うつ病および希死念慮・自殺念慮
 2 がん患者の理学療法における心理・精神的対応(増田芳之)
  がん治療と症状の理解について/理学療法介入に際するポイント/緩和ケアに関わる
 3 神経難病患者の理学療法における心理・精神的対応(松尾善美)
  生命予後と心理・精神的対応/神経難病に対する理学療法/パーキンソン病患者への対応
 4 関節リウマチ患者の理学療法における心理・精神的対応(八木範彦)
  RA患者の心理・精神的症状/ RA患者と抑うつ症状/ RAに対する理学療法における心理・精神的対応
 5 在宅生活者の理学療法における心理・精神的対応(金谷さとみ)
  在宅生活者の心理・精神状況/在宅生活者の理学療法における心理・精神的対応/理学療法士の関わり
 6 運動器・スポーツ領域の理学療法における心理・精神的対応(大久保吏司・古川裕之)
  運動器疾患に対する理学療法における心理・精神的対応/スポーツ疾患に対する理学療法における心理・精神的対応
 7 内部障害領域の理学療法における心理・精神的対応(高橋哲也)
  心疾患に対する理学療法における心理・精神的対応/呼吸器疾患に対する理学療法における心理・精神的対応
 8 小児の理学療法における心理・精神的対応(烏山亜紀)
  心理・精神的対応に必要な要素/障害による心理的特性/小児の理学療法における心理・精神的対応
 9 認知症のある対象者の理学療法における心理・精神的対応(上薗紗映)
  認知症とは/認知症のある対象者にみられる理学療法・リハビリテーションの阻害因子/認知症のある対象者への理学療法
 10 器質性精神障害の理学療法における心理・精神的対応(玉地雅浩)
  器質性精神障害とは/器質性精神障害の精神症状/高次脳機能障害の症状と対処法/高次脳機能障害のある対象者とその家族に接する際に考慮すべきこと/パーキンソン病による精神症状/パーキンソン病患者への理学療法介入時の留意点
 11 精神疾患患者の生活習慣に関する理学療法(山本大誠)
  生活習慣病/生活習慣と精神疾患/メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)/ストレスと生活習慣病/精神疾患患者の生活習慣と理学療法
4章 症例編
 1 統合失調症(加賀野井聖二)
  統合失調症の概要/症例紹介/症例からみる重要なポイント
 2 うつ病(橋本洋平・鏑木智加)
  うつ病とはどのような病気なのか?/うつ病患者への対応のポイント─症例─
 3 摂食の異常(沖田幸治・小枩武陛)
  症例(1)異食:水中毒から熱湯を飲んだ例/症例(2)妄想に支配され拒食と過食を繰り返した例/症例(3)拒否と拒食を繰り返し全身性の廃用症候群を招いた例
5章 課題と展望
 1 心理領域における理学療法の課題と展望(富樫誠二)
  心理領域の理学療法について/心理領域の理学療法の現状と課題/心理領域の理学療法の展望
 2 精神科領域における理学療法の課題と展望(仙波浩幸)
  精神科領域において質の高い「理学療法」を実践できること/精神科領域における「身体精神健康増進理学療法」の展開/精神科理学療法に関するネットワークを築き理学療法ガイドラインを確立すること/精神科領域の医療専門職としての役割を果たす/精神科理学療法の研修,キャリアアップ体制の確立

 索引