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漢方医学をめぐる最近の動向―序にかえて
日本の9割の医師が使う漢方
 2008年の日本漢方生薬製剤協会の調査では医師の83.5%が漢方を使うという数字に驚かされたが,2011年の調査では89%に上昇しており,まさに医療現場にはなくてはならない存在となってきた.この傾向は日本特有のものではない.世界中で伝統医学の見直しが行われ,しかも経済発展している国ほど伝統医学を使用するという実態がWHOの調査でも示されている.
 近年の遺伝子治療薬の発達に代表されるように,標的を明らかにした治療と,複合物で作用機序もすべてが明らかになっていない漢方薬という一見矛盾するような医学が並立して,しかも両者が同時に発展している,というこの事実を,どう解釈すべきであろうか?

ダイナミックシステムとしての生体
 疾病の発症機序そのものの解明が進み,それに対してピンポイントの治療を行うという医療の方向性は今後ますます発展するであろう.しかしここ数十年の経験から,ピンポイントの標的を有する医薬品が,かならずしも標的だけを攻撃するものではない,ということが明らかになってきた.たとえば,酵素阻害薬である抗高脂血症薬のスタチンが筋肉に影響を与えるなど,まったく標的とは関係のない体の部分に副作用が出現する.当たり前のことであるが,池にひとつ石を投げ入れてもその波紋が広がるように,生体はシステムであるので,標的はひとつであってもその影響は全身に及ぶ.
 学生に漢方と化合物の西洋薬との違いを尋ねると,漢方は複合物であるから複数の標的があり,化合物は標的がひとつで影響が限定されている,という単純化した答えをするが,根本的に誤りであることは容易におわかりいただけると思う.分子標的薬のようにたとえ標的はひとつであったとしても,その影響は全身に及ぶのである.
 このように薬の開発において,要素還元論的発想のみでは予想できないことが起こりうることを,研究の最前線でも感じはじめている.ましてや医療現場においては,臨床医の多くが,「部分の集合が全体ではない」ことを実感しながら日常の診療を行っているのである.
 さらに漢方の特徴として,時間軸を重んじることである.時々刻々と変化する生体をダイナミックに捉える.朝と夕では外見はそう変わらないが,違った“証”(漢方における診断)になっていることもある.急性熱性疾患であるインフルエンザなどは西洋医学でも時間経過を重んじるが,処方が変わることはない.漢方治療においては,病に対する生体応答が変化するたびに処方選択も変わる.慢性疾患においても然りである.たとえば性周期によって“証”は変化するので,低温期と高温期で治療を変化させるサイクル療法などがこれに相当する.
 こうした生体をダイナミックシステムとして捉える見方は,ゲノム医学と共通する.DNAは朝と夕では変化がないかもしれないが,転写されたRNA,翻訳されたタンパクレベルでは朝夕では当然異なる.生体をダイナミックシステムとしてみて治療する方法も徐々に広がりを見せていくであろう.

共通保健統計プラットフォーム
 このように医療現場で伝統医学が見直されて同時に用いられるようになると,西洋医学との連携が必要となる.そのひとつの動きが,WHOのICD改訂作業であろう.ICDは,正式にはInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(疾病および関連保健問題の国際統計分類)とよばれ,異なる国や地域から,異なる時点で集計された死亡や疾病のデータの体系的な記録,分析,解釈および比較を行うため,世界保健機関憲章に基づき,世界保健機関(WHO)が作成した分類である.前回の分類はICDの第10回目の修正版として,1990年の第43回世界保健総会において採択されたものであり,ICD-10とよばれている.
 1900年にはじまったICDは当初死因統計のためのものであったが,近年では疾病分類にまで広がりつつあり,わが国でも診断群分類包括制度(DPC)がICD-10に準拠している.
 2007年にICDの改訂作業が開始し,改訂作業の過程で,2010年に伝統医学分類を開発し,ICD-11のなかに入れる計画が発表された.2018年6月にはICD-11がいよいよスタートし,伝統医学分類はその中のひとつの独立した章として世界保健統計のプラットフォームにデビューを果たした.
 世界に広がる伝統医学は,いままで保健統計上ほとんど正確なデータは取られてこなかったが,ICD-11に入り西洋医学と共通の統計プラットフォームができることで,どのような疾病に対して用いられているか,西洋医学の病名とどのような対応関係があるかなどのデータが表れてくることが期待される.

作用機序の解明
 もうひとつ西洋医学と伝統医学を結ぶ共通プラットフォームが,作用機序の解明であろう.漢方が臨床的に有用であることは認められつつあるが,多くの医師が作用機序が明らかでないので,使いにくいという1).漢方が医療用として大々的に収載されたのは1976年であり,その間に数多くの質の高い基礎研究がなされている.残念ながらほとんどが日本語であるために世界に知られていないが,研究のレベルはけっして低くない.近年,漢方薬のような複合物の研究が世界の一流紙に掲載されるようになったことは喜ばしいことである.たとえば,CPT-11に対する遅発性の重篤な下痢に対して半夏瀉心湯が有効であることは診療でもよく知られている.これはCPT-11の活性物質であるSN-38が肝臓でグルクロン酸抱合して胆汁中に排泄され,腸管に達した後,そのまま便中に排泄されれば問題ないのであるが,腸内細菌によりグルクロン酸がはずれるために,ふたたび吸収され腸管循環することによって起こる.半夏瀉心湯は黄ごんという生薬が含まれるが,黄ごんに含まれるバイカリンが,このグルクロン酸抱合がはずれるのを競合阻害するために再吸収を妨げ,腸管循環しないために下痢を抑制する,という作用機序は1997年にすでにわが国で報告している.しかし,2010年にはエール大学のグループが,黄ごん湯という黄ごんを含む漢方薬で同様の結果を示しており,このときは『Science』誌に掲載されたのである.同グループはその後もつぎつぎに新しいデータを発表している.
 最近,インパクトファクターの高い英文誌に,伝統医学関連の論文が掲載されることが多い.しかし,世界的にみると中国,韓国,香港などが盛んに一流の英文誌に投稿しているのに対し,わが国の掲載数はそれほど伸びていない.中国などの友人からは,日本の生薬学の存在感が最近とみに薄いという指摘を受ける.薬学部6年制移行に伴い,日本での生薬研究者が減少しているせいであろうか.伝統医学が見直されている現代において,懸念される点である.

臨床研究
 1990年代にevidence based medicine(EBM)の必要性が叫ばれはじめてから,臨床研究で効果の根拠を示すことが求められるようになった.漢方に関しては,和文・英文合わせて400以上のRCTが日本東洋医学会によって集積されており,構造化抄録も和文・英文 で利用可能である.
 しかしオリジナルの論文の多くが和文であり,世界の臨床医に読まれているかというと,残念ながらかならずしもそうではない.前述の基礎研究同様,最近では伝統医学の臨床研究が一流の英文誌に掲載される時代となりつつあるが,やはり中国からは数多くの臨床研究が投稿されるのに比べ,わが国ではまだまだ数が少ない.
 2009年に流行した新型インフルエンザに対する麻杏甘石湯と銀翹散を合わせた蓮花清瘟カプセルのオセルタミビルとの比較試験が記憶に新しい.『Annals of Internal Medicine』誌に掲載されたが,国が主導して新型インフルエンザに対する漢方薬の効果を示したものである.研究費や支援体制など,わが国が学ぶべきものも多い.
 一方で,漢方の臨床研究に関しては,西洋医学と同じ研究デザインで行うことに対して多くの議論がある.すなわち,漢方の診断である“証”を基盤として,(1)個別化医療であり,(2)患者主観を重視している漢方に対して,果たして西洋医学的ゴールデンスタンダードである無作為比較試験がふさわしいかどうかという点である.
 ICT(情報通信技術)の発達により,システムズバイオロジーで臨床的エビデンスを示せる時代に入りつつあり,すでにいくつかのマルチディメンジョナルな解析法が示されつつある.今後の解析技術の開発により,漢方のエビデンスも深化することを期待したい.
本書の特徴
 本書は,週刊「医学のあゆみ」で2012年3月から10月に連載された「漢方医学の進歩と最新エビデンス」とその後まとめられた別冊(2013年)をベースとしている,連載では,漢方の最新知見を各領域における第一人者の先生方に紹介してもらうことを目的に企画され,おもに臨床的エビデンスを示してもらいながら,その作用機序がどこまでわかっているかという解説をお願いした.今回,その書籍化に際して執筆者の方々に全面的な改訂をお願いし,各疾患における最新のエビデンスをご紹介いただいた.漢方がはじめて医療用として薬価収載されてから50年になるが,漢方がここまで解明されてきている,ということを読者の皆様に認識いただき,明日の臨床に役立てていただければ幸いである.
 2018年7月
 渡辺賢治(慶應義塾大学環境情報学部,同医学部漢方医学センター)
 漢方医学をめぐる最近の動向──序にかえて(渡辺賢治)
  ・日本の9割の医師が使う漢方
  ・ダイナミックシステムとしての生体
  ・共通保健統計プラットフォーム
  ・作用機序の解明
  ・臨床研究
  ・本書の特徴
Chapter 1 総論
 エビデンスに基づく漢方の活用法(渡辺賢治)
  ・“病名”と“証”
  ・基礎的作用機序も考慮に入れて使用
  ・生薬レベルまで踏み込んでみる
  ・病名治療で十分な効果が得られなかった場合には漢方的見方を
  ・個々の漢方薬の特徴をよく知る
  ・エビデンスを越えた漢方の使い方
  ・新時代のエビデンス創出に向けて
  ・西洋医学の治療の進歩に応じて変化する漢方のエビデンス
 topics グローバル化時代の漢方
  1.伝統医学国際化の潮流
  2.ICD-11での国際伝統医学分類
  3.漢方医学をめぐる国際的諸問題
Chapter 2 疾患別:最新のエビデンス
 1.上部消化管疾患の漢方治療(川原央好)
  ・六君子湯
  ・茯苓飲
  ・半夏厚朴湯・茯苓飲合半夏厚朴湯
  ・半夏瀉心湯
  ・人参湯
  ・安中散
  ・生薬に含まれる配糖体と腸内細菌叢
 2.下部消化管疾患の漢方治療(河野 透・他)
  ・大建中湯がアメリカFDA臨床治験薬TU-100 となるまで
  ・腸管粘膜血流の消化器領域への関与
  ・腸管粘膜血流改善機序
  ・カルシトニン・ファミリー・ペプチド
  ・有効成分の同定と薬物動態
  ・トランジェントレセプター・ポテンシャル・チャネル(TRPチャネル)
  ・カルシトニン・ファミリー・ペプチドとCrohn病
  ・漢方薬である必要性,漢方薬の相互作用
 3.慢性肝疾患の漢方治療(堀江義則)
  ・脂肪肝,アルコール性肝障害,非アルコール性脂肪肝炎
  ・慢性肝炎
  ・肝線維症,肝硬変
  ・肝細胞癌
 4.糖尿病の漢方治療(宇野智子・佐藤祐造)
  ・糖尿病と漢方薬
  ・清心蓮子飲
  ・紫苓湯
  ・牛車腎気丸
  ・防風通聖散
 5.メタボリック症候群の漢方治療(坂根直樹)
  ・防風通聖散の基礎的エビデンス
  ・防風通聖散のヒトでのエビデンス
 6.インフルエンザの漢方治療(鍋島茂樹)
  ・インフルエンザ
  ・インフルエンザと漢方
  ・臨床試験
  ・基礎的研究
  ・漢方薬の使い方
 7.慢性閉塞性肺疾患(COPD)の漢方治療(杉山幸比古)
  ・COPDの注目される病態
  ・COPDと漢方薬
 8.関節リウマチの漢方治療(引網宏彰)
  ・基礎的エビデンス
  ・ヒトでのエビデンス
  ・RA患者の血管内皮障害に対する桂枝茯苓丸のエビデンス
  ・標準的なRA治療を遂行するための漢方薬の役割
 9.アレルギー性鼻炎の漢方治療(内藤健晴)
  ・基礎的エビデンス
  ・ヒトでのエビデンス
  ・著者らのエビデンス
 10.認知症およびその周辺症状の漢方治療(堀口 淳)
  ・抑肝散の基礎医学的研究の急速な進展
  ・認知症に対する抑肝散の臨床応用
  ・各種漢方薬の適応症状と抑肝散の投与実態
  ・著者らの抑肝散研究
 11.うつの漢方治療(山田和男)
  ・漢方医学と精神科臨床
  ・“うつ(抑うつ)”とは?
  ・精神科領域における漢方治療
  ・漢方薬単独での治療
  ・向精神薬の補助薬としての漢方薬併用治療
  ・向精神薬の有害作用に対する漢方薬併用治療
 12.頭痛の漢方治療(上野眞二・村松慎一)
  ・頭痛の漢方治療
  ・頭痛の西洋薬治療
  ・頭痛に対する漢方薬の頻用処方
  ・基礎研究のエビデンス:五苓散の利水作用とアクアポリン
  ・臨床研究のエビデンス
 13.耳鳴り・めまいの漢方治療(齋藤 晶・宮川昌久)
  ・メニエール病と水毒
  ・前庭性片頭痛
  ・耳管開放症
  ・耳鳴りと半夏厚朴湯
  ・西洋薬と漢方薬の併用による効果
  ・めまいリハと漢方薬の併用
 14.不眠症の漢方治療(小曽根基裕)
  ・不眠症と治療の現状
  ・漢方薬・抑肝散
  ・精神生理性不眠:周期性脳波活動・CAP法による抑肝散の薬効評価
  ・Alzheimer病と睡眠
  ・レム睡眠行動障害に対する抑肝散の効果
  ・レストレスレッグス症候群に対する抑肝散の効果
  ・不眠に対する抑肝散の作用メカニズム
 15.月経周期異常の漢方治療(後山尚久)
  ・漢方医学における月経周期異常の考え方
  ・月経異常に対する漢方医学理論による漢方方剤の選択
  ・排卵性月経周期異常の漢方治療
  ・排卵障害性月経周期異常の漢方治療
  ・不妊症を念頭においた月経周期異常の治療
  ・月経周期異常の治療におけるエビデンスの応用
 16.更年期障害の漢方治療(松 潔)
  ・更年期障害とは
  ・更年期障害治療における漢方療法の位置づけ
  ・更年期障害治療における漢方療法のエビデンス
 17.末梢神経障害の漢方治療(大平征宏)
  ・糖尿病性末梢神経障害
  ・抗がん剤による末梢神経障害
  ・胸郭出口症候群
  ・帯状疱疹および帯状疱疹後神経痛(PHN)
 18.整形外科における漢方治療(吉田祐文)
  ・腰痛・膝痛の漢方治療
  ・難治性の疼痛に対する新規の西洋薬と漢方薬の位置づけ
  ・最新のエビデンス
 19.癌治療における漢方治療(掛地吉弘・他)
  ・術前・術後の一般状態の改善
  ・化学療法および放射線療法の副作用の軽減
  ・免疫増強作用
  ・抗腫瘍効果