やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 本来,院内感染や施設内感染は起こってはならないはずであるにもかかわらず,わが国においては近年多発し,いっこうに終息する気配がないことが社会問題ともなっている.戦後,生活環境の改善やさまざまな効力をもつ抗生物質,予防接種,ワクチンや消毒薬,ディスポーザブルの製品の開発・普及に伴い,感染症への恐怖が薄らぎ,油断が生じていることや,病院環境や国民の生活形態・習慣が大きく変化してきたことが要因と考えられる.また医学の進歩により,多くの重症患者が救命・延命され,さらに高齢化が進んだことにより,易感染者(compromised host)が急増し,平素無害な常在細菌(定住細菌叢,resident flora)による日和見感染(opportunistic infection)や,手指の通過細菌(一過性細菌叢,transient flora)による感染が多発するようになった.
 しかし院内感染で問題になる感染症は,感染症とはいえ赤痢やコレラなどの強毒菌によるものではない.日々マスコミを騒がせているのは,緑膿菌,MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌),VRE(バンコマイシン耐性腸球菌),肺炎双球菌などの抗生物質が効きにくい薬剤耐性菌や,病原性大腸菌O-157など,環境中にしばしば検出されるが毒性はさほど強くない微生物による,創傷感染,尿路感染,肺炎,敗血症などである.また最近では,生活空間に広く存在し,健康人にはほとんど悪影響はないが,免疫力の低下した患者や高齢者(易感染者)に起こる日和見感染の問題であり,その原因菌は毒性は弱くとも比較的消毒液に強いセラチア菌やレジオネラ菌であったりする.さらに,ヒト免疫不全ウイルス(HIV),B型肝炎ウイルス(HBV),C型肝炎ウイルス(HCV)なども,“輸血“や“針刺し事故”などによる感染症としても注目され,一時は鳴りを潜めていた感染症が再び流行の兆しを示す“結核”に代表される再興伝染病による院内感染も問題となっている.また,老人福祉施設においては疥癬もしばしば問題を起こす.
 病院や高齢者施設に従事する者にとっては,不注意な事故はもとより,不可抗力の事故であれ,病気を感染させても,させられても,また院内や施設内に病原体を持ち込まれても,持ち出されても不幸なことであり,何としても防止する必要がある.院内感染は,医療従事者が自分自身の健康管理を怠ったために感染源として病気を患者にうつす場合と,自らの無知や油断による感染防御不備により患者から病気をうつされる場合の両面がある.予防接種の励行,感染の早期発見・早期治療に努めるなど,自己の健康管理も院内感染防止には大切な事柄である.
 また院内・施設内感染の感染経路をつきとめることも重要であるが,感染経路には外因性感染(交差感染)や内因性感染(自己感染),さらに日本は“抗菌薬王国”であるため,多剤耐性菌の出現による治療困難な院内感染も多発するなどたいへん複雑で,その防止には困難をきわめている.
 しかし相手はあくまでも感染症であり,微生物学・衛生学的な基本的知識を習得し,それを確実に実施さえすれば院内・施設内感染の防止もけっして不可能ではない.実際,多くの病院や高齢者施設,ホテル・レストランなどには“院内感染防止マニュアル“や“清掃マニュアル”が完備されており,確実に実施していれば院内感染や施設内感染は減少するはずである.ところが現実にはなかなか減少しない.
 というのも,院内感染防止対策の困難な点は,多くの部門が連携をもって実施しなければならず,たとえ感染防止対策が99%達成されたとしても,ほんの一人のミスや過失,わずかな不備や連携の崩れにより感染防止策は水泡に帰してしまうからである.
 たしかに院内感染防止対策マニュアルを作成,実施しているのは,医師,看護師,薬剤師,臨床検査技師などの感染症に関する医学的な専門知識を有する者が多くを占めている.また院内感染サーベイランス(院内感染発生監視システム)も設けられているが,その対象はおもに急性疾患,しかも入院患者としており,精神病患者,リハビリテーション患者,慢性病患者,外来患者などは除外されているのが現状である.
 そして,専従職員は院内感染予防対策マニュアルに則って行動するよう管理されているが,病院や施設の現場では,多くの外部派遣のスタッフ(清掃,廃棄物処理,リネン,検体運搬,電気・ガス・空調管理,通信,会計・事務,食堂,食品搬入,売店,出前,製薬・医療機材関係者,臨床検査関係,眼鏡調製,義肢装具,付き添い,ボランティアなど)が,院内感染防止対策マニュアルに組み込まれることもなく,頻繁に自由に出入りしている.しかも外部派遣スタッフは,細菌学的な清潔と不潔の区別,微生物学・消毒法など,感染症予防の衛生教育の基本をほとんど修得していない者が多いのが現状であり,そこにも問題が含まれている.
 一方,目に見えない悪者・敵である微生物,しかも,発症して初めて感染しているとわかる微生物汚染に対抗するのには,常日頃からの清潔清掃による環境整備が不可欠なことは言うまでもない.しかし,この感染予防に重要な清掃に関して,医学関係者が直接関与することはほとんどないのである.現実として院内感染委員会の委員に清掃担当者が入ることもほとんどない.ところが,病院や高齢者施設で汚れが多く発生する手術室,診察室・病室・浴室・廊下・ロビーなどの清掃・後片付けの多くは,外部派遣の清掃スタッフに任せきりであり,院内感染防止対策マニュアル作成者が直接実施・監督指導することは,一部を除きほとんどない.さらに,清掃を監督する立場にある病院施設の業務主任者は,清掃と無関係な電気や高圧ガスや危険物取り扱いなどを専門とする者が多くを占めており,清潔清掃管理に不可欠な清掃業務発注書類を取り扱えない者が多いのも現実である.
 病院や高齢者施設の経営者や管理者は“見た目のきれいさ“から“微生物学的に除菌された清潔清掃”へ,さらに見た目の豪華さやデザインに注目するよりも,清潔を保持しやすい,掃除しやすい病院・施設の設備や設計を試みるなど,衛生的な環境保持への意識改革をしなければ,院内・施設内感染症の防止は不可能である.いまだに,食堂やデイルームなどに濡れ布巾をおいている施設があるが,細菌の巣になりかねない布巾で拭けば汚染を拡大するだけである.消毒用アルコール入りの濡れティッシュでテーブルを清拭するように変更するだけで除菌され,微生物汚染は激減し,感染症の防止に有効である.観葉植物・絵画などのインテリアなども汚染微生物の棲みかともなる.土足での屋内施設の出入りやカーペットも微生物汚染の問題を多く含んでいる.
 これまで医療従事者や病院の施設管理者は,院内感染防止委員会の分厚い感染防止マニュアルに則り,難しいさまざまな感染防止策に多くの時間を割いてきた.しかし,院内感染予防に効果的であるにもかかわらず,清潔管理の基本である清掃については軽視しがちであった.昨今のSARSの流行で,あらためて基本的なアルコールや塩素剤による除菌清掃や,手洗い,うがい,マスク,手袋などの基本的な感染予防の手技,手法の重要性が再認識されてきた.
 本書では,微生物学的に除菌された生活環境づくりを目指し,“メディカル・クリーンメンテナンス(病院内清潔清掃)”を基礎として,ダスト(ホコリ・塵埃)の制御方法,消毒剤による除菌方法および標準予防策(standard precaution)などの基本知識と,その応用について解説した.
 今後,諸家のご批判やご叱正を願う次第である.

 2004年4月
 山野美容芸術短期大学美容保健学科教授
 近藤陽一
 院内感染予防のためのクリーンメンテナンス 目次

まえがき
著者一覧

■理論編 クリーンメンテナンスの必要性◆
 なぜクリーンメンテナンスは必要なのか 近藤陽一
  ●クリーンメンテナンスとは
  ●クリーンメンテナンスとダストコントロール
 医療現場のクリーンメンテナンス―課題と動向― 藤本和幸
  ●医療機関の現状と問題点
   1 院内医療
   2 院内清掃
  ●在宅医療の現状と問題点
  【spot】院内感染防止対策としてのクリーンメンテナンス―そのチェックポイント― 中原英臣
 クリーンメンテナンスのための感染症の基礎知識 坂口武洋
  ●感染症の現状
   1 新興・再興感染症(emerging・re-emerging infectious diseases)
   2 院内感染症(施設内感染症)(nosocomial infections)
   3 日和見感染症(opportunistic infection)
  ●感染症予防
   1 感染症の発症流行の三大要因
   2 病原微生物
 クリーンメンテナンスのための滅菌と消毒の基礎知識 中原英臣
  ●滅菌法
   1 乾熱法
   2 湿熱法
  ●消毒法
   1 湿熱
   2 消毒剤
   3 消毒剤耐性菌の諸問題
  【spot】MRSAによる院内感染は防止可能か 中原英臣

■技術編 クリーンメンテナンスの実際
 医療関連施設の安全衛生管理とクリーンメンテナンス―環境リスクアセスメントの視点から― 太田久吉
  ●医療職場環境の現状把握
   1 医療職場の状況把握
  ●医療職場清掃の作業分析
   1 医療職場の特徴の理解と清掃作業内容の分析の重要性
   2 ゾーニングと動線設計の実際
   3 清掃作業におけるゾーニングと動線作成についての実際
  ●清掃作業計画
   1 医療職場(病室)清掃の基本事項
   2 清掃作業計画とその改善戦略
  ●安全衛生作業の実施
   1 医療職場の清掃作業にかかわる事故と健康障害のリスクアセスメント
   2 安全衛生作業の基本
  ●医療関連施設のクリーンメンテナンス
 クリーンメンテナンスの技法 來間謙二
  ●基本理念
  ●システム内容
   1 ダストコントロールシステム(Dust Control System:DCS)
   2 モッピングディスインフェクションシステム(Mopping Disinfection System:MDS)
   3 クリーンワイプシステム(Clean Wipe System:CWS)
 病院のためのクリーンメンテナンス 來間謙二
  ●病院のクリーンメンテナンス
   1 目的とその特殊性
   2 ゾーニング(病院内の区域分け)
   3 ゾーニング別クリーンメンテナンス
  ●定期清掃
   1 病棟・病室の定期清掃の目的
  ●清潔清掃度(QOC)診断
   1 病院の質
   2 清潔清掃度(quality of Cleaning:QOC)
  【spot】医療機関の業務責任者 來間謙二
 病院内区域・病室・施設のクリーンメンテナンス 來間謙二
  ●画像診断区域内のクリーンメンテナンス
   1 X線検査室のクリーンメンテナンス
   2 断層撮影検査室のクリーンメンテナンス
   3 シンチグラフィ検査室のクリーンメンテナンス
   4 超音波検査室のクリーンメンテナンス
   5 内視鏡検査室のクリーンメンテナンス
   6 アンギオグラフィ検査室のクリーンメンテナンス
   7 心臓カテーテル検査室のクリーンメンテナンス
  ●感染症患者病室のクリーンメンテナンス
   1 MRSA患者病室のクリーンメンテナンス
   2 MRSA感染患者病室の定期清掃
   3 結核患者病室のクリーンメンテナンス
   4 疥癬患者病室のクリーンメンテナンス
  ●トイレのクリーンメンテナンス
   1 トイレ清掃の目的と心がけ
   2 外来トイレのクリーンメンテナンス
   3 病棟トイレのクリーンメンテナンス
  ●病院建物の保全からみたクリーンメンテナンス
   1 薬品・尿・水・唾液から守る床ワックス
 老人保健施設と介護用ベッドのクリーンメンテナンス 來間謙二
  ●老人保健施設におけるクリーンメンテナンス
   1 居室のクリーンメンテナンス
   2 トイレのクリーンメンテナンス
   3 浴室および浴槽内のクリーンメンテナンス
  ●介護用ベッドのクリーンメンテナンス
   1 介護用ベッドの清掃と消毒
 生衛業のクリーンメンテナンス 來間謙二
  ●生衛業とクリーンメンテナンス
  ●生衛業のためのクリーンメンテナンス
   1 理容室・美容室の衛生環境
   2 理容室・美容室のクリーンメンテナンス
   3 レストラン・ホテル・旅館のクリーンメンテナンス

あとがき
索引