やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 武川睦寛
 東京大学医科学研究所分子シグナル制御分野
 生命は,外的・内的環境の変化に適応して恒常性を維持するため,ストレス刺激に対する多様な感知・応答機構を進化のなかで創出し,洗練させてきた.温度や浸透圧,pHの変化,酸化ストレス,DNA損傷,異常タンパク質の蓄積などに代表される多彩なストレス刺激に対して,細胞レベルで適切に応答することで,組織や個体の恒常性が維持されている.このような生体のストレス応答は,翻訳後修飾,転写制御,代謝調節などの多階層にわたる情報伝達システムによって巧みに制御されており,それらが相互に連関して複雑なネットワークを形成することで細胞運命が決定づけられている.たとえば,ユビキチン修飾系はストレス応答シグナルの選択的活性化を制御し,小胞体ストレス応答はタンパク質の恒常性維持を担っている.また,酸化ストレスやDNA損傷ストレスに対する応答は,細胞の生存戦略を左右し,過度なストレスの蓄積は細胞老化やアポトーシスを誘導する.さらに,液-液相分離によって形成される細胞内の非膜構造体がストレス応答の制御に深く関与することも明らかになっており,新たな制御機構として強く注目されている.
 近年,このようなストレス応答の破綻が,組織障害や慢性炎症,ゲノム不安定性などを引き起こして,がんや神経変性疾患,生活習慣病,免疫異常などのさまざまな疾患の発症や病態に深く関与することが明らかになりつつある.特に神経変性疾患では,ストレス応答の破綻が神経細胞の脆弱性を惹起し,病態の進行を加速させる要因となることが示されている.また,ストレス応答の持続的な活性化によって細胞老化が促され,がんをはじめとする加齢関連疾患の発症に関与することも明らかにされている.これらの知見は,ストレス応答を標的とした創薬の可能性を示すものであり,疾患の新たな治療戦略の確立に向けた研究が加速している.
 本特集では,ストレス応答の分子メカニズムとその破綻がもたらす疾患発症機構について,最新の研究成果を紹介する.ストレス応答シグナル伝達ネットワークによる細胞運命決定と生体の恒常性維持機構,ストレス応答と疾患との関連,さらにはストレス応答を標的とした創薬の可能性に至るまで,多角的な視点から各分野を代表する研究者の方々に執筆していただいた.本特集が,ストレス応答研究のさらなる発展と,臨床応用への橋渡しに貢献することを期待したい.
 最後に,本特集の編集にあたり,貴重な時間を割いてご協力いただいた執筆者の皆さまに心から感謝申し上げます.
特集 ストレス応答の分子メカニズム─最新知見と臨床応用への展望
 はじめに(武川睦寛)
 ストレス応答性キナーゼMKK4を標的とした肝疾患治療法の開発(小藤智史・仁科博史)
 ストレス応答性シグナル伝達のユビキチン修飾を介した制御(徳永文稔)
 酸素をめぐる生体応答とその生理的・病理的意義(内堀雄介・他)
 DNA損傷応答機構とその関連疾患(金尾梨絵・益谷央豪)
 小胞体ストレス応答の分子機構および疾患治療を見据えた研究の現状と課題(村尾直哉・西頭英起)
 脊髄小脳変性症原因因子Ataxin-2によるストレス顆粒形成のメカニズム(稲垣佑都・星野真一)
 ストレスによる細胞老化誘導と疾患(銭 江浩・他)
 熱ストレス応答によるタンパク質の恒常性維持と神経変性疾患(武内敏秀・永井義隆)

TOPICS
 神経精神医学 精神科診療における適応外使用(江畑琢矢・井原 裕)
 癌・腫瘍学 膵がん診断を補助する体外診断用腫瘍マーカーapolipoprotein A2-isoforms(本田一文)

連載
細胞を用いた再生医療の現状と今後の展望─臨床への展開(19)
 網膜色素変性症に対するiPS細胞由来網膜オルガノイドシート移植治療─現状と最近の研究について(岩間康哲・万代道子)

ケースから学ぶ臨床倫理推論(10)
 人工栄養の差し控え・中止(浅井 篤)

イチから学び直す医療統計(2)
 観察研究の計画(長島健悟・他)

FORUM
 司法精神医学への招待─精神医学と法律の接点(5) わが国における矯正精神医療の位置づけと役割(奥村雄介)

 次号の特集予告