やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 栗山健一
 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所睡眠・覚醒障害研究部
 音楽タイトルに「眠れぬ夜」が用いられる時には,おおよそ恋人を想うことにより眠れぬ夜を過ごすといった,ドラマチックな文脈における“不眠”がほとんどである.しかし,実際に不眠に悩む患者には,ドラマチックな背景心理は微塵もない.不眠の悩みの本質は自己保存の危機につながる原始的な不安であることが多く,不眠を続けると重大な病の原因になるのではないか,寿命が縮まるのではないかという深刻さをはらむ.そして,これを放置すると不眠の悩み自体が不眠を悪化させる悪循環に陥り,しばしば長期遷延する転帰をたどる.
 不眠症は人口の2割前後の有病率を示すcommon diseaseであり,不眠症を診察したことがない医師はほとんどいないと思われるが,本質的に不眠症を治療できたと感じる医師・心理士がどれくらいいるであろうか.2011年に公表された米国での調査結果によると,不眠に費やす医療コストは1人当たり年間約200〜1,200ドルにものぼり,不眠による労働生産性の低下により年間11.3日,2,280ドルほどの経済損失を生み出しているという.市中のドラッグストアや健康雑貨店には睡眠改善効果をうたうサプリメントや睡眠補助商品があふれ,さらには高額な寝具や快眠音楽,睡眠計測・改善のためのスマートデバイスも数多く目にすることができる.不眠に悩む患者の助けになる可能性をはらんだこれら商品の存在価値を認識する反面,不眠の背景にある原始的不安を利用した市場展開へのやるせなさも感じずにはいられない.そもそも,これだけ大規模な市場が維持される背景には,不眠医療が十分機能しきれていないことが根源的に存在することから目を背けてはいけない.
 不眠は西欧では産業革命以前より認識されており,臨床的entityとしても長い歴史がある.もちろん不眠の病態,治療法開発に関する科学的研究の歴史も長く,弛まぬ進歩を続けているもののいまだ道半ばと言わざるを得ない.本特集では,不眠症における最新の病態・治療研究に基づいた知見をまとめる.コロナ禍において注目を集めている不眠と健康の関連を含めて,臨床家および本領域の研究初学者の参考となる内容とすべく,各領域トップランナーの医師・研究者に筆を執っていただいた.この場をお借りして謝意を表したい.不眠症臨床・研究の縦断的俯瞰を含め,本特集一つで不眠症の概略が把握できる内容である.
 はじめに 栗山健一
不眠症序論
 不眠症の疾患概念の歴史的変遷 三島和夫
 不眠症と加齢・性差 河村 葵・栗山健一
不眠症の病態仮説
 不眠の経過を理解する−Spielmanの3つのPモデル 岡島 義
 過覚醒と慢性不眠障害 田ヶ谷浩邦
 睡眠状態誤認 有竹清夏
不眠症の鑑別
 睡眠・覚醒相後退障害,非24時間睡眠・覚醒リズム障害 廣瀬真里奈・北島剛司
 むずむず脚症候群・周期性四肢運動障害 井上雄一
 薬剤性不眠とその周辺 伊豆原宗人・栗山健一
不眠関連疾患
 不安関連疾患と不眠 吉池卓也
 うつ病・双極性障害と不眠 高江洲義和
 統合失調症と睡眠 水木 慧・小曽根基裕
 認知症と不眠 大森佑貴・他
 自殺と不眠 内海智博・栗山健一
 高血圧と不眠 葛西隆敏
 糖尿病と不眠 都井律和・他
 睡眠時無呼吸・気管支喘息と不眠 陳 和夫
 トピック
 COVID-19パンデミックにおける不眠 松井健太郎
不眠症の最新治療
 不眠症の薬物療法 橋本 樹・稲田 健
 不眠症の非薬物療法 渡辺範雄
 不眠症の新世代治療 鈴木正泰・他

 次号の特集予告

 サイドメモ
  ストレス誘発性・恐怖回路障害(stress-induced and fear circuitry disorders)
  睡眠構築
  暁現象
  2つ以上の睡眠関連呼吸障害(SRBD)の合併