やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき 臨床研究と症例検討は自転車の両輪
 栄養サポートを自転車こぎにたとえてみる.この自転車の前輪は臨床研究,後輪は症例検討で,その逆ではない.
 後輪の症例検討では,最新の病態の理解なしに,栄養サポートは成立しない.そんな方はいないに違いないのだが,患者さんの栄養状態だけをみて,栄養サポートは立てられない.病態と栄養障害とは不可分の関係で,紙の両面である.どちらか片方だけに書かれた文言を読んで,治療方針は立てられない.しかし現実には,とくに病態の面だけ読んで治療方針を立てることが多いのではないか.だとすれば,治療で低下した栄養状態を,治療前に予測できていない.
 日本で行われる栄養サポートは,つねに病態を意識し,病態の治療と栄養サポートが互いに反対を向いた場合,どちらを優先するか,大きなあるいは小さな決断を繰り返し,積み上げている.現在の栄養サポートは,世界レベルに達したかに思える.多くの先達と現役の先生方の目に見えない努力の賜物であり,それらを誠実に実践し続ける皆さんの成果なのである.
 しかし病態はいつも私たちの先を行き,新たな疾患概念が誕生する.たとえば消化管粘膜の虚血病変であるNOMIや,消化器系を含めてさまざまな臓器を冒すIgG4関連疾患などは,私の学生時代には当然ながら教科書になかった.新規の病態を適切にロックオンして整理し,いつでも栄養サポートの際に使える用意を怠ってはならない理由がここにある.
 私見だが,目に見える栄養障害になってはじめてNSTに紹介された症例の栄養サポートの成果を出すには,手間も時間もかかる.図の横軸は時間,縦軸は栄養障害のレベルで,(1)前NST時代:栄養障害と病態の進行で死亡(図:カーブ3),(2)NST時代1(現在):紹介後に開始する現在の栄養サポート開始(図:カーブ2).(3)NST時代2(近未来):栄養障害の発症前,リスクの段階で栄養サポート開始(図:カーブ1)を示す.レベル0への回復時間はt1<t2であり,図の横軸の時間を人的,経済的医療資源に置き換えてもこの関係は成り立つ.問題は,現在行っているカーブ2をカーブ1にシフトするためのインセンティブたる保険償還の獲得が必要であり,他分野でも必要な予算を削ってでも獲得するためには,それ相応の臨床研究によるエビデンスの立証が必要である.
 臨床研究は,一例ずつの症例のブロックを積み重ねである.ブロックなくして集合体はない.したがって臨床研究は,ブロックを正しく積み,できあがった研究結果を読み解く行為自身なのである.
 臨床研究も症例検討のレベルと同様に,グローバルレベルで戦うにはお作法がある.正しい教育が欠かせない.地球を100人の村にたとえる.日本語を操る人は,多めに見積もってもこの村ではひとり.したがっていくら日本語で話しても,100人の村ではひとり言,他の人に決して伝わることはない.だから臨床研究のお作法の第一歩,問題のグローバルレベルでの検討,「先行研究の研究」(東京大学 佐々木敏教授)に英語は欠かせない.だからといって,英語の勉強からはじめる必要はない.幸い英語の自動翻訳がある.それを使った少々おかしな和訳でも,臨床で培われた想像力は,それを補うにちがいない.
 さらにお作法は続く.結果よりも方法の正しさが臨床研究の命,決して得られた結果が重要なのではない.正しい方法なくして得られた結果は,たとえ正しくてもそれは偶然にすぎず,正解を得られる確率は低い.正しい方法を身につけるには,社会人大学院教育が最適であろう.
 新しい時代は目の前にある,栄養障害の発症前での栄養サポートは,QOLを向上させるだけでなく,時間,手間,お金など,貴重な資源を節約できる(図:カーブ1).地球は回り,時代は進む.栄養サポートのペダル運動をとめた瞬間,世界は前を通り過ぎて去って行く.ペダルを止めてはならない.こどもも高齢者も,妊婦さんも,肥満のかたも,すべての方が適切な栄養サポートを受け,いつも笑っていられる次のゴールに向かい,最短距離を探す必要性を本書の20症例は教えてくれる.
 指数関数的にふくらむ超激務のさなか,貴重な症例をまとめてくださったすべての執筆者の先生方に,心よりお礼申し上げます.
 2014年秋 武庫川にて
 雨海照祥
 まえがき:臨床研究と症例検討は自転車の両輪(雨海照祥)
Part 1 栄養アセスメント
 空腸─横行結腸バイパス術後の栄養管理においてRapid turnover proteinが有用であった1例(山下 聡・他)
 主食への偏食と食塩水/食塩負荷によりマグネシウム欠乏が重症化した1症例(中林幹雄・他)
Part 2 経腸栄養・PEG
 経管栄養開始以降持続した難治性下痢症に対するペクチン含有濃厚流動食品(ハイネイーゲル(R))の効果(森ひろみ)
 大腿骨頚部骨折術後の廃用症候群において一時的経腸栄養が完全経口摂取への移行に奏功した1症例(真壁 昇)
 PHGG含有半固形状流動食が下咽頭癌患者のPEG栄養に有効であった1例(西村さゆみ・佐々木雅也)
 嚥下機能障害および慢性腎臓病(CKD stage IV)の急性増悪患者に対し,経腸栄養療法によって腎機能が改善・維持され,難治性の下痢に対しさまざまなアプローチを行った症例(陣場貴之)
 重度の体重減少により経口摂取困難に対する早期経腸栄養の開始と食形態の工夫により経口摂取が可能になった症例(林田美香子・他)
 経皮内視鏡的胃瘻造設術(PEG)施行時に胃結腸皮膚瘻から創感染を発症し多職種の連携で救命した1例(藤井徹也・他)
 減圧目的の経皮内視鏡的胃瘻造設術によりQOL改善を認めたがん終末期消化管閉塞の1例(市場尚子・児玉佳之)
Part 3 静脈栄養→経腸栄養
 巨大脂肪肉腫術後に消化管瘻を形成し栄養管理に難渋した症例(佐藤由美・他)
 ガイドラインどおりにはいかない重症心疾患の栄養療法(神田由佳・他)
 複雑心奇形に腹部臓器異常を合併し体重増加不良をきたした症例(鳥井隆志)
Part 4 経口摂取
 難治性の術後潰瘍と褥瘡に対するβ─ヒドロキシ酪酸,グルタミン,アルギニン含有サプリメントの使用経験(松永佳恵・他)
 Hartmann手術施行後,嚥下機能低下をきたした1症例(伊藤洋平・他)
 口腔カンジダ症の影響で食事摂取量低下を招いた超高齢者の1症例(鉾立容子・他)
 嚥下障害患者に対するチーム医療─患者・家族に寄り添うケア(逢坂真弥子)
 認知症高齢患者の摂食・嚥下障害に対するNSTのかかわり(戸渡まゆみ・松永愛子)
Part 5 レクチャー
 くも膜下出血の基礎と栄養管理(山田素行)
Part 6 静脈栄養
 短腸症候群のため在宅中心静脈栄養管理中にCRBSIを繰り返し,心不全,腎不全を起こした1例(梶原克美・峯 宏昌)
 NSTによる積極的な輸液の処方提案により,静脈栄養管理から経口摂取へと円滑に移行できた肝腎症候群の1症例(神谷貴樹・佐々木雅也)