やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第11版のはしがき
 分子生物学,遺伝学,そして臨床医学に関わる発生学において,今やおそらく他に類を見ないほどの成果が達成される時代に入った.ヒトゲノムの全塩基配列の解読がなされ,何種類かの哺乳類が,そしてヒトの胚子も,クローニングされている.科学者たちはすでにヒト胚性幹細胞(ES細胞)を作成し,単離しており,難治疾患の治療への応用について広く議論が続いている.最近発見,確立されたCRISPR-Cas9によるゲノム編集技術は,発生生物学学者にとって革新的なツールであるだけでなく,疾患に関連する突然変異部分が,臨床的にヒト胚子で同定し,切り出すことができること,そしてそれが治療される可能性を示している.これらのめざましい科学の発展は,すでにヒト発生学の研究に有望な方向性を示しており,将来,疾患の治療に大きなインパクトを与えることになるだろう.
 本書は理系の学生へ向けて,これまで臨床に関連した発生学に触れたことのない方も念頭において書かれている.今回の版は,よりわかりやすく包括的に書かれていて,新知見や最新の情報も取り入れている.受精の瞬間から出生に至るまでにおこるできごとの流れを明確に説明している.後に学ぶことになる,たとえば身体診断,リハビリテーション,外科学などでさらにくわしく学ぶ内容に,本書での記載が容易に組み込まれて理解されるように工夫して書くように努めた.今回の版が,学生諸君を教育して勉学へのモチベーションを高め,臨床医学に結びつく発生学への興味関心が高まるのに役立つことを願っている.
 『人体発生学 第11版』では,胚子の発生を引き起こす分子レベルのできごとについての最新の理解を反映するよう,徹底的に改訂した.またこの版では,これまでの版にもまして,臨床に関連する資料をより多く取り上げて,他の部分と区別できるように青色で示した囲み記事として設けた.発生学の中でも臨床に関連する面に焦点を当てたのに加えて,各章末の「臨床に関連する問題」に簡潔な解答を加えて改訂し,さらにオンラインによる症例をより多く加えて,現代の医療現場における発生学の重要性を強調した.
 今回の版は,発生学用語の公式国際リスト(『Terminologia Embryologica』,Georg Thieme Verlag,2013)に準拠している.世界中の臨床医や科学者が構造について同じ名称を使うことは重要である.
 今回の版では,胚子(正常および異常な)の新しいカラー写真を多く加えた.図の多くは,三次元レンダリングの手法と色彩を効果的に使って,よりわかりやすいものになっている.また,多くの診断画像(超音波,MRI)を新たに加えて,胚子と胎児の立体的な側面を示した.学生諸君が複雑な胚子の発生過程を理解するのに役立つ18の革新的な動画のセットが,今回本書に収載されている.動画が本文の内容と最も関係するところの余白にのアイコンをつけている.本書『人体発生学』を講義で採用した教員は,動画を最大限に利用することができる(エルゼビア担当窓口に要相談).
 胚子や胎児の異常な発生の研究は,先天異常のリスクの評価やその原因,またそれをどう予防しうるかを理解するのに役立つため,先天異常学が対象とする範囲は増大してきている.発生生物学の分子生物学的側面における最近の進歩については,特に臨床医学において有望であると思われる分野,または将来の研究の方向性に大きな影響を与える可能性がある分野で,本書全体を通して(イタリック体で)強調されている.
 われわれは,出生前と新生児期の人体の発生について読みやすい説明を提供するよう努力し続けてきた.すべての章において,研究における新知見とそれらの臨床的重要性を反映するよう徹底的に見直し,改訂してきた.
 各章は,胚発生への体系的かつ論理的なアプローチを提示するように構成されている.最初の章では,発生学の範囲と重要性,学問分野の歴史的背景,および発生段階を説明するために使用される用語を,読者に紹介している.次の4つの章では,配偶子の形成から始まり基本的な器官ならびに器官系の形成で終わる,胚子の発生について説明している.次に,特定の器官・臓器や器官系の発生について体系的に説明し,その後,胎児期のハイライト,胎盤と胎膜,人体の先天異常の原因,および発生中に使用される一般的なシグナル伝達経路を扱う章が続く.各章の終わりには,復習に役立つ重要事項の要約が収載されている.古典的な著作と最近の研究論文の両方を含む参考文献もあげられている.
 Keith L.Moore
 T.V.N.(Vid)Persaud
 Mark G.Torchia


謝辞
 『人体発生学』は,医学,歯学ならびに他の健康科学を学ぶ多くの学生に広く利用されている.世界中の教員や学生からいただいたご提案,建設的なご批判およびコメントは,今回の第11版の改訂において役立っている.
 発生学を学ぶ際,図は題材の理解と記憶の両方を容易にするために欠かせないものである.多くの図が改善されており,新しい臨床画像は古い画像から差し替えられている.
 われわれは,各章を批評的に吟味し,本書を改善するご提案や,新しい図のいくつかをご提供いただいた次の同僚の方々(アルファベット順)に感謝の意をささげる.ウィニペグ,マニトバ大学歯学部のSteve Ahing博士,ウィニペグ,マニトバ大学小児科・小児保健・生化学・遺伝医学部門のAlbert Chudley博士,ノバスコシア,ハリファックス,ダルハウジー大学歯学部のBlaine M.Cleghorn博士,オンタリオ,トロント,Radiopaedia.orgのFrank Gaillard博士,ニューオリンズ,ルイジアナ州立大学医療センター医学部のRay Gasser博士,ノバスコシア,ハリファックス,ダルハウジー大学解剖学・神経生物学科のBoris Kablar博士,オンタリオ,ロンドン,ウエスタンオンタリオ大学医学部のPeeyush Lala博士,マサチューセッツ,ボストン,ベスイスラエル・ディーコネス医療センターのDeborah Levine博士,グレナダ,セントジョージ大学のMarios Loukas博士,ウェールズ,カーディフ,カーディフ大学カーディフ生物学部のBernard J.Moxham教授,マニトバ,ウィニペグ,マニトバ大学小児科・小児保健部門のMichaelNarvey博士,ニューヨーク,イサカ,コーネル大学獣医学部生物医学科のDrew Noden博士,カリフォルニア,サンフランシスコ州立大学看護学部のShannon Perry博士,ウィニペグ,マニトバ大学産科婦人科学・生殖科学部門のGregory Reid博士,ウィニペグ,マニトバ大学口腔生物学・人体解剖学・細胞科学部門のJ.Elliott Scott博士,ミシガン,アナーバー,ミシガン大学のBrad Smith博士,ノースダコタ,グランドフォークス,元アルトル健康システムのGerald S.Smyser博士,アラバマ,バーミンガム小児病院のRichard Shane Tubbs博士,テキサス,ヒューストン/リッチモンド,臨床病理学者のEd Uthman博士,オンタリオ,トロント,トロント大学医学部外科学部門・解剖学部のMichael Wiley博士.新しい図は,アリゾナ,ファウンテンヒルズのエレクトリックイラストレーターグループ社長のHans Neuhart氏によって作成された.
 発生過程の胚子の一連のすばらしい動画は,ウィスコンシン医科大学の細胞生物学・神経生物学・解剖学准教授のDavid L.Bolender博士とともに作成された.デザインと徹底した吟味における彼の努力と貴重なアドバイスに感謝したい.本企画について熟達した調整をしていただいたCarol Emery氏には特に感謝したい.動画はナレーションによって巧みに高められている―エルゼビアセントルイスマルチメディア部門(動画編集:Michael Fioretti氏・Rick Goodman氏,動画ナレーション:Andrea Campbell氏)に感謝する.
 エルゼビアでは,本書第11版の制作において貴重な洞察と惜しみない支援をいただいたコンテンツ戦略担当者Jeremy Bowes氏,また指導および多くの有益な提案をいただいたコンテンツ開発のスペシャリストSharon Nash氏に感謝する.最後に,エルゼビア制作チーム,特に本書を完成へと導かれた英HSブックスのプロジェクトマネージャーJulie A.Taylor氏に感謝する.『人体発生学』の本新版は,以上の方々によるご尽力および専門的な技量の賜物である.
 Keith L.Moore
 T.V.N.(Vid)Persaud
 Mark G.Torchia


監訳者まえがき
 「ムーア人体発生学」は,第8版以来日本語訳が長く出版されていなかったが,ここに原著第11版の日本語訳を出版することになった.私事で恐縮だが監訳者は,大学生時代,本書を初版から翻訳された故星野一正京都大学教授から,同教授が本書の原著者であるMoore教授と同僚として働いておられたカナダ,マニトバ大学から京都大学に異動された最初の年となる1978年に解剖学講義・実習を学び,第6版から第8版までを監訳された故瀬口春道高知大学教授(当時京都大学助教授)から組織学を学んだ.また,その後発生学・先天異常学研究に携わり,はじめての国際学会として,1985年ロンドンで開催された国際解剖学会でヒト胚子の外形計測について発表した際,Moore教授から励ましのお言葉をいただいた.正直に言えば,学生時代は別のよりコンパクトな原書教科書で発生学を勉強したのだが,本書の特に臨床面に関する情報量の多さには当時から大きな価値を感じていた.このようなご縁から,この度長く日本語に翻訳されなかった本書の翻訳のお話をいただいた際,大変な作業となるので逡巡したが,本書の日本語訳を出版することの意義の大きさを考え,また教室員や学生さんたちが下訳をしてくれるとの後押しもあり,お引き受けすることにした.
 数ある発生学の教科書の中でも,初版以来不動の地位を築いている根拠となる本書の特徴は,原著のサブタイトルが示す通り,何といっても“Clinically Oriented”という点である.
 Moore教授が産婦人科ご出身であることから,先天異常の臨床例の実写真,診断画像とそれに基づく記述が,類書の中で群を抜いて豊富である.あるいはこれが,わが国では基礎医学のはじめの段階で発生学を学ぶことの多い医学生には,必ずしもそこまで情報はいらないのではと考え,当時の監訳者のように他の類書を選ぶ傾向につながるのかもしれない.
 しかし,本書には,人体発生学の世界的な教科書として現時点での確立した網羅的な記述と,最新の分子・細胞生物学的知見についての各項目に関与する遺伝子・タンパク質の記載,および別の章立てによる発生現象に関わる主な分子機構の解説に加えて,群を抜いて豊富な臨床的情報が含まれている.したがって,本書が人体発生学について基本を学べる信頼の置ける良書であるだけでなく,臨床医学を学ぶ過程で,さらに臨床の現場において,本書の意義・価値がより大きくなっていくことは明らかである.また,監訳者は学生時代,本書の図が,実物スケッチ的というよりは模式的であるものが多いことがやや気になった.しかし発生学研究を続けるうちに,身体や臓器の中で相対的に各部分の大きさや形,配置が激しく複雑に変化する発生過程において,実データに基づかず「実物のように」描くことは,逆にそれが正しいという誤解を与えかねない,であれば図は,本書のように「アイデア」「概念」を模式的に表す方がより正しい提示の仕方ではないか,と考えるようになった.
 発生学の知見は日進月歩であり,その意味で補足すべきと考えた点や,わが国との違いについての解説などを,訳者註として加えた.
 最後に,忙しい中下訳を引き受けてくれた島根大学解剖学講座発生生物学の松本暁洋,小川典子両先生,島根大学医学部学生の,馬場将吾,岡部李奈,山口ダロン渓,岡耕平,梅木幸歩のみなさん,ならびに編集等で多大のご協力をいただいた医歯薬出版株式会社の関係各位に,心から感謝する.最終的な訳における不備は,当然ながらすべて監訳者の責任であり,読者のみなさまがお気づきの点があればご教示いただければ幸甚である.
 2022年 出雲にて
 監訳者
 大谷 浩
第1章 ヒトの発生への序章
第2章 ヒトの発生の第1週
第3章 ヒトの発生の第2週
第4章 ヒトの発生の第3週
第5章 ヒトの発生の第4〜8週
第6章 胎児期:第9週から出生まで
第7章 胎盤と胎膜
第8章 体腔,腸間膜,横隔膜
第9章 咽頭器官,顔面,頸部
第10章 呼吸器系
第11章 消化器系
第12章 泌尿生殖器系
第13章 心臓循環器系
第14章 骨格系
第15章 筋系
第16章 四肢の発生
第17章 神経系
第18章 眼と耳の発生
第19章 外皮系
第20章 先天異常
第21章 発生期によく用いられるシグナル伝達経路
 付録 臨床に関連した問題の解答
 索引(和文索引,欧文索引)