やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 医療・ケア従事者は,患者,家族等,同僚と接する中で,何を大切に医療・ケアを行えばよいのか,何が正しい選択なのかという問題に直面します.こうした問題の中には,自ら解決するのが難しく,医療・ケア従事者を戸惑わせたり,疲弊させたりするものも少なくありません.
 倫理コンサルテーションは,こうした状況に陥った医療・ケア従事者を支援する活動として,アメリカで生まれ,日本においても少しずつ受け入れられてきました.今後この活動が,形骸化することなくその質を高めていく上で大切なのは,病院の正式な活動として設置・運営され,定期的に評価を受けることです.前著『倫理コンサルテーションハンドブック』は,そのために必要な知識を提供する目的で書かれました.
 これに対して,本書『倫理コンサルテーションケースブック』は,倫理コンサルテーションにおいて扱われる個々の事例に着目しています.医療・ケアの現場で生じる多種多様な事例を10の章に分類した上で,それぞれの章に「コンサルテーション前に確認しておく考え方」と「コンサルテーションにおける注意点」を記しています.
 「考え方」を書くさいに私たちが大切にしたのは,「日本の社会に受け入れられている倫理的・法的規範」です.というのも倫理コンサルテーションは,こうした規範を土台として行われなければならないからです.そのため本書では,事例を検討する上で参考となる法律,裁判例,行政や専門職団体のガイドラインなどを可能な限り紹介しています.これらの知識は,病院において倫理的問題に取り組むすべての人にとって参考になるでしょう.
 「注意点」では,「考え方」で示した知識を用いて具体的にコンサルテーションを行うさいのノウハウが示されています.これらの注意点も,倫理コンサルタントだけではなく,医療・ケア従事者が倫理的問題を考えたり,これから倫理コンサルテーションの導入を検討している人が具体的な活動内容をイメージする助けになります.
 もちろん本書で示した知識は,不変のものではありません.「日本の社会に受け入れられている倫理的・法的規範」も,社会の変化に応じて変わっていくものです.こうした変化に対応した改訂を重ねていくことにより,本書が末長く,患者に最善の医療・ケアを提供する助けになることを願っています.
 2020年11月
 執筆者一同
1章 患者・家族等が医療・ケアに納得をしていない場合
 こんな依頼をされたら読もう
  医療・ケアに納得していない場合/医療・ケア従事者の態度や接遇に納得していない場合/きわめて強い不満を表出する場合/病院のルールに納得していない場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 インフォームド・コンセントと説明義務
  2 望ましくない結果に対する対応
  3 態度や接遇
  4 診療拒否と応招義務
 コンサルテーションにおける注意点
2章 有益な医療・ケアの実施について患者の同意が得られない場合
 こんな依頼をされたら読もう
  利益と不利益のバランスについて解釈が異なる場合/生命維持治療の不開始が問題になる場合/生命維持治療の中止が問題になる場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 患者の利益と不利益
  2 身体の不可侵性の権利
  3 生命維持治療の不開始と中止
  4 「終末期」と「人生の最終段階」
 コンサルテーションにおける注意点
3章 患者が無益(ないしは有害)な医療・ケアを望んでいる場合
 こんな依頼をされたら読もう
  患者の希望している医療行為が無益である場合/患者の希望している医療行為が潜在的に有害である場合/患者の希望している医療行為が,公平な医療資源の配分に反する場合/患者が無益な医療行為の実施を強要する場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 医学的無益性(medical……futility)
  2 有害な医療・ケア
  3 医療資源の配分
 コンサルテーションにおける注意点
4章 患者の意思決定能力に問題があると思われる場合
 こんな依頼をされたら読もう
  意思決定能力をどのように判断したらよいか分らない場合/意思決定能力はあるが,未成年である場合/意思決定能力の評価が適切になされていない場合/意思決定の支援が適切になされていない場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 インフォームド・コンセントと意思決定能力
  2 法的能力と意思決定能力
  3 意思決定能力を評価するさいの注意点
  4 意思決定を支援する方法
 コンサルテーションにおける注意点
5章 意思決定できない患者の医療・ケアの方針を決めなければならない場合(1)
 こんな依頼をされたら読もう
  事前指示書に従ってよいのか迷う場合/誰が代諾者であるのかに関して問題が生じる場合/意思決定能力が十分にない患者が自らの思いを述べる場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 事前指示とアドバンス・ケア・プランニング(ACP)
  2 代諾者
  3 インフォームド・アセント
 コンサルテーションにおける注意点
6章 意思決定できない患者の医療・ケアの方針を決めなければならない場合(2)
 こんな依頼をされたら読もう
  患者の医療・ケアを最善の利益にもとづいて判断する場合/生命維持治療の不開始・中止が最善の利益になりうる場合/親権者が子にとって最善の医療・ケアに反対する場合/患者の最善の利益と安全が対立する場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 最善の利益基準
  2 最善の利益と生命維持治療の不開始・中止
  3 親権の限界と医療ネグレクト
  4 患者安全(医療安全)
 コンサルテーションにおける注意点
7章 患者の情報の取り扱いをめぐり問題が生じている場合
 こんな依頼をされたら読もう
  守秘義務を遵守すると他人に危害や不利益がもたらされるかもしれない場合/守秘義務を遵守すると本人の利益が損なわれるかもしれない場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 守秘義務
  2 守秘義務が解除される場合
 コンサルテーションにおける注意点
8章 患者を中心に医療・ケアの方針を決定することが困難な場合(1)―家族等の影響
 こんな依頼をされたら読もう
  本人の意向が未確認な状態で家族等が医療・ケアについて意見を述べている場合/本人と家族等の間や家族等の内部で意向が一致しない場合/患者の最善の利益が家族全体の利益と対立する場合/医師が自分の家族の主治医となっている場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 患者の家族等の意向への配慮
  2 告知
  3 医療・ケア従事者と患者の多重関係
 コンサルテーションにおける注意点
9章 患者を中心に医療・ケアの方針を決定することが困難な場合(2)―医療・ケア従事者や第三者の利益や不利益
 こんな依頼をされたら読もう
  社会や集団全体の利益を考慮しなければならない場合/医療・ケア従事者や第三者への危険をさけるために措置が必要な場合/診療の一部に研究の要素が含まれている場合/医療・ケアに影響しうる別の利益がある場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 公衆衛生の倫理
  2 トリアージ
  3 医療・ケア従事者の保護
  4 診療と研究の違い
  5 利益相反
 コンサルテーションにおける注意点
10章 患者を中心に医療・ケアの方針を決定することが困難な場合(3)―法律などの要因
 こんな依頼をされたら読もう
  患者や家族が積極的安楽死を望んでいる場合/患者が医師に自殺の手助けを求めている場合/患者が自ら飲食を中止し始めた場合/人工妊娠中絶をめぐり夫婦が対立している場合/臓器提供や解剖について,家族が本人の事前の意思表示と異なる意向を示す場合
 コンサルテーション前に確認しておく考え方
  1 安楽死・自殺幇助
  2 人工妊娠中絶
  3 脳死下臓器提供
  4 解剖
 コンサルテーションにおける注意点

 付録 引用資料一覧
  1 指針・ガイドライン等
  2 法など
  3 裁判例

 索引

 BOX & コラム一覧
  第1章
   BOX 1 法律・判例における説明義務
   BOX 2 文書による同意が必要あるいは望ましい例
   BOX 3 医師による説明に看護師等の同席が望ましい例
   BOX 4 応招義務が免除されうる状況の例
   COLUMN “ムンテラ“と“ナッジ”
  第2章
   COLUMN 「本当の意思」とは何か?
  第3章
   BOX 1 人工透析を必要とする腎不全患者に精神疾患があることを理由として透析療法導入を断って患者が死亡した事案(福岡高等裁判所宮崎支部平成9年9月19日判決)
   BOX 2 キャサリン・ギルガン事件(The case of Gilgunn v.Massachusetts General Hospital)
   BOX 3 Choosing Wisely(R)
   COLUMN 人を尊重する医療・ケア
  第4章
   COLUMN  倫理的問題には正解がないのか?
  第5章
   BOX 1 DNAR指示とPOLST
   BOX 2 医療における成年後見人の役割
   BOX 3 「児童の権利に関する条約」(1989)におけるインフォームド・アセント
   BOX 4 アセントの要素(アメリカ小児科学会)
   COLUMN ACPの誤用を避ける
  第6章
   BOX 1 アシュリーのケース
   BOX 2 輸血をめぐる医療ネグレクト事件
   COLUMN 倫理コンサルテーションと法律相談
  第7章
   BOX 1 倫理綱領および法律に見られる守秘義務
   BOX 2 遺伝情報の家族への開示
   BOX 3 患者やその他の人の利益の保護のために解除の必要がある場合の具体例
   BOX 4 ジャーマンウィングス墜落事故
   COLUMN 医師の秘密漏示罪
  第8章
   BOX 1 カリフォルニアから来た娘症候群(The Daughter from California Syndrome)
   BOX 2 パターナリズム
   BOX 3 告知をしないことにより予想される不利益
   COLUMN 家族の中で患者を捉える
  第9章
   BOX 1 患者の健康・福利と対立しうる医療・ケア従事者の利益
   COLUMN 倫理コンサルテーションの病診連携
  第10章
   BOX 1 倫理綱領等における積極的安楽死および自殺幇助の扱い
   BOX 2 苦痛緩和のための鎮静と安楽死
   BOX 3 自発的飲食中止(VSED:voluntarily stopping eating and drinking)
   COLUMN 病院として倫理的問題に取り組む