やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 本邦における死因の第一位は悪性腫瘍である.悪性腫瘍は精神的なquality of lifeに対して重篤な影響を与える疾患である.日本人に対して悪性腫瘍は長らく大きな問題であり,今後も悪性腫瘍のインパクトが急激に低下するとは予想し難い.死因の第二位は心疾患,第三位は脳血管疾患である.これらの疾患の多くは心臓,脳といった重要臓器を灌流する動脈の動脈硬化性変化を基盤とし,血管を閉塞させる血栓により惹起される動脈硬化/血栓性疾患である.ヒトは血管とともに老いる.日本では人口の高齢化が進行しているため,日本人の中には老いた血管を持つ症例が増加すると想定される.血管が老いることがすなわち動脈硬化性,血栓性の亢進に直結するため,今後本邦における動脈硬化/血栓性疾患のインパクトは増加すると予想できる.米国では心筋梗塞に代表される冠動脈の動脈硬化/血栓性疾患の有病率が高い.Framingham研究に代表される疫学研究を行い,動脈硬化/血栓性疾患が生活習慣,高血圧,糖尿病などのリスク因子と関連することを示した.日本の疾病構造は戦後の貧困期から現在にかけてダイナミックに変化している.悪性腫瘍の重要性に大きな変化はないとしても,結核などの感染症が重要であった時期,食塩過量摂取,高血圧を原因とする脳出血の多い時期を経て,食生活が豊な欧米型に転換しつつあるように見える.それでも,日本では欧米に比較して脳血管疾患が多い,その中でもlacunar梗塞が多い,冠動脈疾患の中には冠攣縮が多い,などの特徴がある.欧米の教科書が彼らの国にて有病率,発症率の高い冠動脈疾患,心筋梗塞を主な対象としているのに対して,日本人医師向けの基本的なハンドブックが必要と考え本書を企画した.動脈硬化/血栓性疾患の病態,診断検査法,予防,治療の方法などについて各領域の専門家に執筆を依頼した.本書を企画した筆者自身にも日本人の疾患に対する,若手の医師,一般開業の先生方が参照するハンドブックが必要との思いがあったため筆者自身が記述した部分も多い.筆者は循環器内科医として国内にて20年以上動脈硬化/血栓性疾患症例の予防,治療にかかわり,現在もまた自ら多くの症例を抱える臨床医である.多数の症例を経験した実績を反映した著書を作成したいとの気持ちが強いため,筆者の記載した部分は特に国内外の標準的教科書,ガイドラインなどにとらわれず自由に記載させて頂いた.日本の医師は難しい入学試験を突破しまた難易度の高い医師国家試験に合格したインテリジェンスの高い方ばかりであるから,文章の一部が若干筆者の一人よがりに見えても,その情報を適切に消化して下さると信じている.
 筆者は臨床のキャリアの中途で米国にて基礎研究に専念した時期がある.最終的には再度臨床に戻るのであるが,基礎研究に専念した3年程度には高度の生命科学の技術と思想に触れた.臨床のハンドブックではあるが,概念の正確さには基礎医学者的こだわりがある.本書は入門書であるが,一部の記載は易しく書いてあっても最先端の医学の内容を含む高度な知識が自然に身に付く内容になっている.さらに筆者は主な時間を診療に宛てる臨床医として,臨床医学のアートの部分にこだわりがある.昨今,Evidence Based Medicineと称してランダム化比較試験により有効性の証明された治療法以外を否定する方向が見られるが,常に患者のためのベストを目指す日本の医師が行っていることのなかには欧米的なEvidenceのくくりに入らないよいこともあると理解している.医学は万人が共有できる科学であるから,素人のヒトにはランダム化比較試験により数値化された情報は受け入れ易いであろう.一方,医療はアートであるから,経験を蓄積した医師の診断,治療能力はガイドラインに精通した製薬会社の営業マンに優るであろう.われわれは,この経験の蓄積により得られた,現時点では言語化できない情報も将来数値化できるように,臨床医学の科学化には努力する必要があるが,ヒトがヒトに接するとの医療の基本に立ち返れば現時点で文章化,数値化できないわれわれ専門家の感覚は将来にわたって言語,数値により後輩に伝達できる情報ではないのかも知れない.その意味で,医師は本書のような書籍を精読するとともに,患者の診療に真剣に取り組むことによって自らのアートの力を高める必要がある.
 一冊の書籍を仕上げることは,難しい仕事ではあるが喜びも大きい.もっとも遅筆である筆者の原稿を最後まで待ち続けて本書の完成に尽力してくれた医歯薬出版編集部の忍耐に感謝したい.

 2009年秋
 後藤信哉
Chapter 1 基礎的知識
 Paragraph 1 疫学(後藤信哉)
   1.Framingham研究に代表される疫学研究の臨床医学における重要性
   2.日本人と欧米人の動脈硬化/血栓性疾患の差異
   3.一次予防と二次予防
 Paragraph 2 病態
  1.動脈硬化と血栓症の病理(浅田裕士郎)
   はじめに
   1.動脈硬化の成り立ち
   2.冠動脈硬化の進展
   3.プラーク破綻
   4.プラーク破綻後の血栓形成
  2.凝固・線溶系からみた病態(浦野哲盟)
   1.正常血管内皮細胞の抗血栓性
   2.動脈硬化性病変と血栓形成
   3.動脈硬化のリスク因子と凝固・線溶系
   おわりに
  3.臨床病態(後藤信哉)
   1.冠動脈疾患
   2.脳血管疾患
   3.末梢血管疾患
   4.全身の血管病としての動脈硬化/血栓性疾患
 Paragraph 3 血小板機能を修飾する因子(井上修,尾崎由基男)
   はじめに
   1.血小板血栓形成のメカニズム
   2.血小板を活性化する因子
   3.血小板活性化を抑制する因子
   おわりに
Chapter 2 診断・検査法
 Paragraph 1 動脈硬化疾患の画像診断とアップデート(森野禎浩)
   1.画像診断から見る冠動脈硬化進行・イベント発生のメカニズム
   2.非観血的画像診断の進歩
 Paragraph 2 動脈硬化症の新しい診断マーカー(横山健次)
   はじめに
   1.炎症のマーカー
   2.血小板活性化のマーカー
   3.凝固線溶系のマーカー
   おわりに
 Paragraph 3 血小板機能検査(小田淳)
   はじめに
   1.血小板機能検査は血栓形成のごく一部を反映したもの
   2.予後と血小板機能検査
   3.これからの展望
 Paragraph 4 メタボリック症候群と動脈硬化のリスク因子(飯田薫子)
   はじめに
   1.動脈硬化危険因子としてのメタボリック症候群
   2.わが国におけるメタボリック症候群の扱い
   3.主要病態と動脈硬化
   4.アディポサイトカインの動脈硬化への関与
   おわりに
Chapter 3 予防,治療の方法
 Paragraph 1 動脈硬化予防,治療
  1.動脈硬化予防,治療に用いる薬剤の基礎知識(宮崎哲朗,代田浩之)
   1.動脈硬化の成因
   2.脂質異常症に対する薬剤
   3.対糖能,インスリン抵抗性に対する薬剤
   4.高血圧に対する薬剤
   5.酸化ストレスに対する薬剤
   おわりに
  2.動脈硬化予防,治療薬使用の実際(宮崎哲朗,代田浩之)
   1.ライフスタイルの改善
   2.薬物療法
   おわりに
 Paragraph 2 血栓性閉塞予防,治療と治療薬(後藤信哉)
   1.血栓性閉塞予防
   2.抗血小板療法
   3.抗凝固療法
 Paragraph 3 血管インターベンションの最新知識
  1.冠動脈インターベンション(伊苅裕二)
   1.冠動脈インターベンションの全般
   2.冠動脈血行再建についてのエビデンス
   3.冠動脈病変および治療の評価方法
   4.PCI前後の抗血小板療法
  2.冠動脈以外の血管のインターベンション(伊苅裕二)
   1.頸動脈狭窄に対する頸動脈内ステント留置術(CAS)
   2.腎動脈に対するインターベンション(PTRA)
   3.下肢動脈に対するインターベンション(PTA)
 Paragraph 4 患者指導の実際(後藤信哉)
   はじめに
   1.禁煙の重要性
   2.運動習慣の重要性
   3.カロリー摂取制限
   4.食事指導
   5.服薬指導その他
Chapter 4 動脈硬化/血栓性疾患予防,治療法将来展望(後藤信哉)

 欧文索引
 和文索引