やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文 認知症患者がいつまでも食べることを続けられるために
 わが国では,すでに認知症高齢者が462万人,その予備軍ともいわれる軽度認知障害(MCI;mild cognitive impairment)と診断される高齢者が400万人にも達していると考えられている.認知症の症例では,食事に関する問題が見受けられることがしばしばある.なかなか食事を食べてくれない,食事を吐き出してしまう,食事に時間がかかる,誤嚥性肺炎を繰り返してしまう,などといった問題である.Mitchellら1)が,ボストン近郊の施設に入所中の重度の認知症高齢者で研究を行ったところ,食事に関する問題が認められた症例は85.8%にものぼった.このような背景から推測すると,おそらく,わが国でも数百万人ほどの認知症高齢者が,食事に関する問題を抱え,それを医療・介護スタッフや家族が必死に支えている現状がみえてくる.
 こうした認知症高齢者の食事に関する問題は,なにも高齢者施設や在宅医療などに限ったものではない.肺炎や骨折など認知症以外の疾患で急性期の病棟に入院した高齢者が認知症を合併しており,その食事の問題で難渋したという話もよく耳にする.
 認知症症例の食事に関する問題を解決するためには,かなり専門的な知識や,ケアのスキルが必要である.しかし,上記のような,認知症以外の疾患で認知症高齢者が急性期の病棟に入院したような場合などでは,病棟のスタッフ全員が認知症ケアの専門的な知識やスキルを有しているとは限らない.むしろ,急性期病棟などの現場では,認知症高齢者がなぜ食事を食べてくれないのかわからず戸惑い,最終的には「この患者さんは認知症なので仕方がない…」と諦めてしまっていることはないのだろうか?あるいは,どうしていいのかわからないと手をこまねいているうちに,1週間,2週間と経過し,その間にどんどん栄養状態が悪化してしまっているというようなことはないだろうか?栄養状態の悪化は,嚥下機能のさらなる低下を招き,認知症高齢者から食事を食べるという喜びを永遠に奪ってしまうことにつながる可能性もあるのである.
 この書籍は,このような問題点に対し,本来,認知症ケアを専門としていない環境でも,認知症の食事に関する問題を,できるだけ最短のルートで解決できることを目的に企画された.症例の栄養状態を維持するため,さらには,認知症による周辺症状をより悪化させないためにも,認知症における食事の問題では,解決のスピードというものが要求されると考えたからである.そのため,ケアの現場でしばしば見受けられる具体的な問題を多数取り上げ,その問題の原因としてなにが考えられるかを列挙し,それぞれに対して対応策を解説するというスタイルをとった.読者は,同様の問題をみかけた際,その原因を絞り込み,短時間のうちに的確な対応をとることが可能となる.これによって,問題解決に要する時間を短縮し,栄養状態の悪化や,嚥下機能の低下,周辺症状の悪化などを防ぎ,認知症高齢者に対するケアの質を高めることができるのではないかと考えている.また,こうした取り組みを繰り返すことによって,「認知症の患者は食事を食べてくれなくて困る」といったネガティブな考え方から,「認知症の患者でも,このように工夫したら食事を食べてくれるようになった」といったポジティブな考え方への転換につながれば,編者にとってはこのうえない喜びである.
 前述のMitchellらの研究1)によれば,摂食障害が認められた症例では,それらが認められなかった症例に比べ死亡率が高く,摂食障害発症後6カ月の死亡率は,38.6%に達した.これはきわめて高い数値である.また,認知症高齢者が死亡するまでの3カ月間について調べてみると,摂食障害が認められた症例は90.4%とさらに増加しており,II度以上の褥瘡,誤嚥などの症状を有する症例の割合も増加していることがわかった.褥瘡の発生に低栄養が関与している可能性が高いのはいうまでもない.また,近年,低栄養により嚥下筋の機能低下をきたすことによって発症する,サルコペニアによる嚥下障害も注目されており,食事をとれないということが,その後の認知症高齢者の生命予後や,生活の質(QOL)に大きな影響を与えていることがうかがわれる.認知症高齢者が安らかにその人らしい生活を送るという緩和的なケアを考えるうえでも,食事摂取や栄養ケアの役割はきわめて大きい.
 認知症高齢者が食事をとれなくなった場合,経鼻胃管や胃瘻などによる経腸栄養を行うべきかについては,さまざまな意見がとり沙汰されている.経腸栄養によって十分なエネルギーやたんぱく質などを摂取することによって,褥瘡などの合併症をより早期に改善させることができるほか2,3),褥瘡のリスクの高い症例に経腸栄養を行うことによって,その発症を防止できたという報告もある3).また,認知症患者でも,経鼻胃管や胃瘻からの経腸栄養を行い,全身状態や栄養状態が改善し,ADLも改善するとともに,サルコペニアによる嚥下障害も改善し,ふたたび経口摂取が可能となる症例を経験することもある.胃瘻を造設したことで,栄養状態,意思疎通が改善し,表情が豊かになり,外出・外泊も可能となり,家族が胃瘻造設を決断してよかったと喜ぶような事例を経験することも少なくない.
 しかしながら,米国の介護施設での報告4)にあるように,胃瘻を造設した認知症高齢者のほうが,新たな褥瘡の発症リスクが2.27倍も高く,ステージII以上の褥瘡を発症した場合も,胃瘻を造設した群のほうが治癒しにくいという逆説的な結果を招くこともある.これは,胃瘻造設を行うことによって,それ以上の経口摂取への取り組みや,ADLの改善などを行わなくなり,寝たきりとなるリスクが高まることで,褥瘡の発症や,治癒の遷延につながったものと考えられる.胃瘻などからの経腸栄養を行うことで,それ以上の経口摂取への取り組みや,ADLの改善などを行わないとすると,その患者は,口から食べる喜びを一生涯失ってしまうことにつながる.そのような不幸な結果を招かないために,近年では,ふたたび経口摂取の可能性のある患者を中心に胃瘻造設を検討する,いわゆる『食べるための胃瘻』という言葉を耳にする機会も増えている.
 食べるということは,栄養摂取の手段であるだけでなく,好きなもの,食べたいものを食べる,誰かと楽しく食べるということを通して,その人らしく生きること,人としての尊厳にもつながる重要な行為である.しかし,認知症高齢者が,食べるという行為を続けていくためには,認知症本来の症状に加えて,嚥下機能の低下,栄養状態の悪化,サルコペニア,そして,それらにともなうケアの困難さ,ケアに必要とされる膨大な時間やマンパワーなどといった多くの障壁が立ちはだかっている.その障壁に挑むには,さまざまなリスクとの戦いや日々の惜しみない努力が必要である.今日のわが国においては,今回ご執筆をいただいた著者の先生方をはじめ,多くのスタッフや家族が,この障壁に立ち向かい,少しずつ結果を出しはじめている.この書籍が,そうした努力とその結果を紹介することによって,同じ悩みをもっている現場スタッフに最短距離の道筋を示し,認知症高齢者が最後まで食べる幸せを享受できることを,心から願ってやまない.
 2014年9月 吉田貞夫

 参考文献
 1)Mitchell SL,Teno JM,Kiely DK,et al.The clinical course of advanced dementia.N Engl J Med 2009;361(16):1529-1538.
 2)Ohura T,Nakajo T,Okada S,et al.Evaluation of effects of nutrition intervention on healing of pressure ulcers and nutritional states(randomized controlled trial). Wound Repair Regen 2011;19(3):330-336.
 3)Stratton RJ,Ek AC,Engfer M,et al.Enteral nutritional support in prevention and treatment of pressure ulcers:a systematic review and meta-analysis.Ageing Res Rev 2005;4(3):422-450.
 4)Teno JM,Gozalo P,Mitchell SL,et al.Feeding tubes and the prevention or healing of pressure ulcers.Arch Intern Med 2012;172(9):697-701.
 序文 認知症患者がいつまでも食べることを続けられるために(吉田貞夫)

Part 1 認知症の人においしく食べてもらうためのレシピ
 嚥下調整食の実際(房 晴美)
 カラー口絵
  嚥下調整食(房 晴美)
  なめらか食(小島真由美)
  デザート(石岡拓得)
Part 2 こんなときどうする−症状に応じた対応Q&A
 Q1 食事に手をつけてくれません(山田律子)
 Q2 口を開けてくれません(小澤公人)
 Q3 笑顔ではっきりと食事を拒否しています(嶋津さゆり)
 Q4 おびえた目つきで,食事や服薬,食事介助なども拒否しています(せん妄,幻覚などへの対応)(山田律子)
 Q5-1 食事を吐き出してしまいます−口腔内に問題がある場合(石黒幸枝)
 Q5-2 食事を吐き出してしまいます−幻覚・錯覚妄想,嗅覚・味覚障害などがある場合(吉田貞夫)
 Q6 食事の時間に目を開けてくれません(芳村直美)
 Q7 なかなか飲み込んでくれません(小山珠美)
 Q8 むせてしまいます(小澤公人)
 Q9 落ち着いて座っていることができません−食事を中断してしまいます(高橋清美)
 Q10 食べ残しがあったり,摂取量のムラがあります(嶋津さゆり)
 Q11 口のなかに食べ物を詰め込み,窒息の危険があります(高橋清美)
 Q12 徐々に体重が減少していきます(吉田貞夫)
 Q13-1 お腹がいっぱいで食べられないといっています(高橋清美)
 Q13-2 お腹がいっぱいで食べられない(お腹も張っています)(吉田貞夫)
 Q13-3 お腹がいっぱいで食べられない:薬剤師の視点から(豊田義貞)
 Q14 口のなかが渇いていて,痰などが付着しています(園井教裕)
 Q15 「もう死にたい」などといって食事を食べてくれません(吉田貞夫)
  COLUMN−認知症の人の摂食困難に対する取り組みの歴史(山田律子)
Part 3 認知症の原因疾患に基づく対策
 1 認知症の原因・疫学(平野浩彦)
 2 脳血管性認知症の摂食障害と身体的合併症の影響(平野浩彦)
  COLUMN−世界各国での認知症への取り組み(平野浩彦)
 3 変性性認知症概論(枝広あや子)
  COLUMN−「コリン仮説」と「グルタミン酸仮説」(豊田義貞)
 4 アルツハイマー型認知症(枝広あや子)
  COLUMN−認知症高齢者の胃瘻造設(吉田貞夫)
 5 レビー小体型認知症(枝広あや子)
  COLUMN−認知症とフレイルティ(吉田貞夫)
 6 前頭側頭型認知症(枝広あや子)
  COLUMN−認知症関連薬剤と転倒のリスク(門脇寛篤)
Part 4 アプローチの実際−認知症の人の食事摂取量改善の試み誤嚥性肺炎のリスクと対策(石岡拓得・佐藤史枝)
 認知症高齢者の摂食嚥下評価と食事介助(芳村直美・小山珠美)
 食事拒否をする認知症患者に経鼻経管栄養と経口栄養を併用し,食事摂取改善がみられた症例−チーム医療における精神科栄養士の役割(二田口佳子)
 嚥下食,介護食でも,視覚を生かし,食材の写真を見てもらうことで食事摂取量アップ−特別養護老人ホーム ありあけの里での取り組み(吉田貞夫)

 索引