やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序 文

 私には,いままで歯科衛生士として,多くの思いや経緯があります.1969年に歯科衛生士学校を卒業した私は,夢と希望に胸を膨らませて社会に飛び込んでいきました.しかし,現実は自分自身の未熟さと社会のギャップや矛盾に悩ませられながら仕事をしておりました.そのなかで,理想を掲げながら仲間と歯科衛生士会を作り,悩みや夢を語り合い,自分たちの役割を社会に認めてもらおうと細々と活動を続けてきました.
 その後,結婚,3児の男子の母となり,子育ての最中では幼稚園,小学校,中学校と,PTAの役員や地域活動にも参加し,さまざまな交友関係が広まりました.その時期は地域の保健指導の仕事に携わって,指導に対して母親側にたちよく保健婦さんと議論し,そのつど互いに新たな発見をしたものです.こうしたかかわりのなかで,いつも社会の人々は何を求めているか,私たちは何を提供できるかを考えてきました.また,子育てのなかで子供が病気をしてしばしば病院にお世話になりましたが,そのときの医療人の対応に心が痛んだりしたこともありました.そんな,さまざまな場面や生活のなかで感じて学んできた事柄が,今の仕事のベースにあることはいうまでもありません.
 1986年に在宅訪問に携わり,高齢者宅を訪問すると多くの現実が見えてきました.訴えるすべを知らない在宅療養者の方々の口腔内は悲惨でした.まだ受診の希望のある方々はよいのですが,訴えるすべを知らない方々の多くがとても悲惨な現実もあることが見えてきました.在宅療養者の多くに食欲がない,うまく食事ができない,そのような状態の多くは口のなかに問題があるのではないか,人間の生きる根源である食の環境が犯されているのではないか.これは「口腔内の環境破壊」であり,この現実をなんとかしよう,という思いで活動を続けてきたわけです.
 口腔内を清潔にすることは介護のなかでも技術的にむずかしいことは確かです.口に触れられることがいやな場合は「口をしっかり閉じる,噛みつく,首を振る,大きな声を出す,手で払う」と執拗に防御することがたくさんあるからです.しかし,このような抵抗があっても,すべての方々に口腔清掃が可能なのです.ただ,その方法が今まで適切でなかった場合が多くありました.
 今回,この本においては,大きく3つの章に分け,第1章「訪問口腔ケアに入る前に」では,訪問口腔ケアに際しての基本の心がまえや,相手先の状況を含めてあらかじめ知っておくべき制度や他職種との連携の問題などについて,いわば訪問口腔ケアのソフトとしての「心」に重点をおきながらまとめました.
 第2章の「訪問口腔ケアの実際」では,13のセクションに分けていわば訪問口腔ケアのハードとしてのさまざまな実践方法について,実際の現場で試行錯誤しながら考案した内容も含めて紹介しました.また,口のなかのことにとどまらず現場で必要とされる一般的な介護技術についてもふれておきました.
 第3章の「事例から学ぶ」では,実際の事例から参考になるヒントが得られればと思って私自身の実践例からいくつか選んで,在宅訪問の例と特別養護老人ホームでの事例を紹介しました.
 もちろんこの実践方法は,在宅の方々だけでなく施設や病院で実践できる内容です.言葉が足りず伝え方が多少不足しているところもあるかもしれませんが,何度も読んで理解してくだされば幸いです.
 こんな活動を続けながら今まで自分の活動より違う視点の方々からのあつれきに何度か挫折をあじわってきたのも確かです.そんなとき多くの方々より支援をいただき,精神的苦痛から立ち直ることができた時期もありました.また,多くの方々との出会いと支えで私自身成長できたと思っています.
 今後は今までの経験や研鑚してきたことを生かしながら,もっと夢をふくらませ,多面的にヘルスプロモーションに貢献できたらと考えています.
 以下にお名前をあげさせていただき,感謝の意を表したいと思います.
 横浜市の加藤武彦先生,黒岩恭子先生,大阪の吉田春陽先生,岡山大学の岡崎好秀先生にはさまざまなご支援や情報の提供などをいただきました.また,山梨の歯科衛生士の仲間や先生,吉田幸恵先生,小田見也子さん.和田美登里さんなど大阪の仲間や江島房子先生,岡田弥生先生,白田チヨさん,聖隷三方原病院の栄養士の金谷節子先生からはいつも大きな声援を送っていただきました.また,訪問先の方々や仕事先の皆様,講演依頼をいただき訪れた全国各地で熱いエールを送ってくださいました先生方や仲間,他職種の方々にたいへん感謝しております.
 口腔ケアの実践内容や牛山グッYを考案するために試作段階で夫や息子たちや母に協力してもらっています.この場を借りて感謝の意を表します.
 最後に,この本をお読みくださいました,すべての人々に感謝申しあげます.
 1998年11月 牛山京子
I 訪問口腔ケアに入る前に
 1.訪問口腔ケアに際しての基本の心がまえ
  ノーマライゼーションの理念
 2.訪問先の状況
  (1)相手(在宅療養者・家族・介護者)を理解する
    在宅療養の方の表現の仕方/対応のキーポイント
  (2)相手の心理状態を考える
  (3)在宅療養者は長期療養者かターミナルの方々です
  (4)相手の「死生観」を理解する
  (5)医療は心の時代
    ケアの基本はハート「愛」/訪問先の家庭に「光」を
  (6)在宅療養者のQOL向上のための支援
 3.訪問口腔ケアにかかわる人と制度
  (1)歯科衛生士として
  (2)他職種との連携
  (3)介護保険制度について
 4.訪問口腔ケアの目的と効果
II 訪問口腔ケアの実際
 1.接し方と対処方法
 2.在宅療養者の疾患による全身状態
    脳血管障害/パーキンソン病/痴呆症/肺炎
 3.全身状態や口腔内の観察
    口腔内の特徴を把握する/観察の対象/観察のポイント/唾液/齲蝕/歯周病/舌・口腔粘膜/義歯
 4.在宅療養者の口腔清掃方法の把握
 5.含嗽(うがい)で咀嚼機能を把握する
 6.在宅訪問に必要な道具
  (1)訪問用具はバリア・フリーの考え方で
    歯科衛生士が携帯するもの/訪問先で用意していただくもの(必要に応じて選択する)
  (2)いろいろな清掃用具とその改良品
    歯ブラシの選択/コップ,義歯の入れ物,吐き出す容器/義歯の清掃用具/口腔内洗浄用スプレー
 7.体位・姿勢を整える
    姿勢を整える手順/姿勢のチェックポイント/確認すること
 8.口腔清掃指導のポイント
    自立度にあわせた指導やケア
 9.専門的口腔清掃
  (1)一般的な口腔清掃の手順
  (2)唾液の流涎がみられる方
  (3)含嗽ができない方への含嗽方法
    座位での含嗽1,2/側臥位で行う場合
  (4)意識障害・栄養管理(静脈栄養・経腸栄養)・開口困難の方の口腔清掃
 10.義歯清掃指導
 11.摂食指導
  (1)摂食の状況を把握
  (2)食事内容と摂食方法を把握
    食べさせ方のポイント1,2
 12.摂食・嚥下機能の改善のためのリハビリテーション
    はじめたきっかけは
  (1)含嗽(うがい)
  (2)舌の練習
  (3)口の開閉運動,口を膨らます運動
  (4)上肢の運動
  (5)頸部の運動,頸部(後頸部筋群)への刺激
  (6)口腔周囲筋のマッサージ,唾液腺への刺激
  (7)発語を促すアプローチ:発声練習,歌を歌う,音楽を聴く
  (8)玩具を使ったリハビリテーション
  (9)その他の手段によるリハビリテーション
    指導に際して注意すること
 13.口腔アセスメント(課題分析)とケアプラン
  (1)アセスメントからケアプランへ
  (2)ケアプランの実施
  (3)評価
    介護技術を習得しておく
    シーツ交換/おむつ交換,排泄の手伝い/耳あかの清掃/物の移動/郵便物の代読/爪を切る/衣類の着脱/ベッドの特徴を知る/日常動作
III 事例から学ぶ
  (1)痴呆症で2年間も口腔清掃をしたことがなかったAさん
  (2)摂食・嚥下障害で食物摂取が困難だったKさん
  (3)Oさんの流涎が止まった
    特別養護老人ホームを訪問して
    事例1/事例2/事例3