やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 歯科医院をはじめて訪れる人の全員が,歯の痛みを主訴として受診するわけではないにしても,かなり多くの患者は痛くならなければ受診する気持ちにならないと思われます.そして「痛み」という症状は,発熱とか発疹,痒み,浮腫,黄疽といった病的症状とは少し違って,個性とか表情といったものがあり,他の病的症状に比べれば人間的なものであるといえるでしょう.このことは痛みが,他の症状とは違って客観的にその程度を計測できないこととも関係があると思います.
 「心の痛み」という言葉があるように,痛みとは,悩み,苦しみ,悲しみといった感情と似て,原則的には「その人にしかわからない痛み」なのです.したがって,その痛みを理解するためには,痛みを通して「その人」を理解する必要があるでしょう.
 この本は,患者の痛みを解決するためには,痛みを通して人間を理解するといった考え方が必要なのであり,単に痛み止めの薬を投与すればよいというようなものではないということについて述べてあります.患者が,「ああこの先生は,私にだけしかわからない痛みをわかってくれている」,あるいは「わかろうと努力してくれている」と感じ,医師が「患者がそのことをわかってくれた」と思った時点が,インフォームド・コンセントの始まりなのであって,「説明と同意」はその次からの問題になるでしょう.歯科医師が治療方針を「説明」し,患者の方は,なるほど,よくわかった,多少金がかかっても止むを得まいと「同意」することも,インフォームド・コンセントの一つの形式でしょうが,本来インフォームド.コンセントとは,医師と患者が同じ立場に立って,お互いに人間として相手の立場を理解し,相手の言葉を尊重することが基本となるものであり,患者の痛みを解決することも,これと同じことになります.したがってこの本は,歯科医師だけでなく,歯科衛生士を含めた歯科医療関係者の方々に読んでいただきたいと思ってわかりやすく書きました.
 医師と患者とが「痛み」を解決するために協力する場合は,医師と患者との個性の対決となり,きわめて困難な局面が現れることもあり得ますが,これを医師の個性がどう対処するかが医師としての生き甲斐になることもあるでしょう.画一的なアプローチは策の上なるものとはいえず,患者の個性にフィットした対策を発見するためには,知性と技術だけでなく,心の優しさが必要になるでしょう.この本がそのための手引きとして,お役に立っていただければ望外の幸せです.
 1995年11月 著者
はじめに

◇第1章 痛みの心理と行動◇
 1 人の心と歯の痛み
 2 痛みの個人差
 3 痛みと恐怖
 4 痛みとインフォームド・コンセント
 5 歯科治療と疼痛性ショック
◇第2章 痛みの科学◇
 1 痛みの研究
 2 痛みの閾値
 3 痛みの伝わり方
 4 疼痛の原因
 5 痛みの表情
◇第3章 痛みを主な症状とする歯科疾患◇
 1 歯科疾患と疼痛
 2 歯の痛みの種類と性質
  1.自発痛と痛みの性質
  2.機能性の疼痛
  3.口腔周囲の表情と痛み
  4.触感覚、味覚獲得と痛み
 3 痛みの診断
  1.痛みを問診する
  2.特殊な痛みの診断
  3.う蝕はなぜ痛い
  4.象牙質の痛み
  5.歯髄炎の痛み
  6.根尖周囲組織の痛み
  7.辺縁性歯周炎の痛み
  8.咬合異常と痛み
  9.智歯周囲炎の痛み
  10.口腔粘膜の痛み
  11.舌痛症の痛み
  12.顎関節の痛み
  13.非定型顔面痛
◇第4章 歯科処置に伴った痛み◇
 1 局所麻酔はなぜ痛い
 2 歯の切削が痛い理由
 3 抜髄の痛み
 4 感染根管治療と痛み
 5 歯の移動と痛み
 6 抜歯と痛み
 7 歯周病処置と痛み
 8 その他の歯科処置と痛み
◇第5章 歯科治療後の痛み◇
 1 局所麻酔後の痛み
 2 歯の切削後の痛み
 3 抜髄後の痛み
 4 感染根管治療後の痛み
 5 抜歯や外科処置後の痛み
 6 その他の治療後の痛み
 7 咬合異常や歯科治療と肩凝り
◇第6章 痛みのマネジメント◇
 1 痛みの予防
 2 痛みの原因の追求と除去
 3 痛みを消す手段
 4 薬による痛みの管理
 5 鎮痛薬の与え方
 6 これから期待されるレーザーによる除痛
 7 痛みをコントロールするその他の方法
◇第7章 痛みと麻酔◇
 1 上手な局所麻酔
 2 精神鎮静法と痛みの軽減
 3 歯科の全身麻酔
 4 歯科のペインクリニック
  1.三叉神経痛とペインクリニック
  2.帯状疱疹と帯状疱疹後神経痛
  3.非定型顔面痛
  4.癌性疼痛
◇第8章 歯科領域の特殊な痛み◇
 1 腫瘍の痛み
 2 心身症と歯の痛み
 3 帯状疱疹
 4 手足口病
 5 多型浸出性紅斑
 6 水痘

文献