やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 今から半世紀近く昔,歯科医師のスタート地点として口腔外科を選んだ著者の学問的な興味は,顎口腔領域の手術に伴う特有の生体変化と麻酔・全身管理との関係はどのようなものかということから始まりました.10年間の口腔外科臨床を経て専門を歯科麻酔科にシフトさせて現在に至るまで,このテーマは常に傍にあり,自身の研究活動にも大きな影響を与えました.すなわち,全身管理の視点で各種の顎口腔手術の特徴を分析し考察することが,歯科麻酔学の独自性や専門性を高める大きな要素になるのではという思いをもち続けたわけです.
 いうまでもなく,口腔は,発音,味覚,咀嚼,摂食嚥下,呼吸など多彩な機能を有し生命活動に大きな役割を果たす臓器です.その部位にメスが入る患者の麻酔・全身管理に携わる者は,手術の内容はもちろん,各種の外科手術によってもたらされる個別の生理機能の変化にも精通しておく必要があります.それに加えて,周術期管理に必要な知識や臨床技術も,各手術や疾患の特性に沿ったものでなければなりません.そのような内容を扱った成書が作れないかと医歯薬出版にご相談したところ,企画が具体的に進み,本書の出版につながりました.
 歯科麻酔学の教科書的な説示はすでに出版されている多くの良書に譲り,本書では,あくまで歯科麻酔科医の視点から,顎口腔手術の全身麻酔において最も重要な上気道管理の基礎的事項を軸に,臨床での手術ごとにその特性と麻酔・全身管理の関係を述べています.よって,本書構成項目のうち,「手術の概要」の項についても,全身管理の立場で重要だと思われる事項を中心に,あえて歯科麻酔科医である小谷自身が記述し,執筆協力者である口腔外科専門医の中嶋正博氏に校閲をお願いしました.また,日帰り全身麻酔や鎮静については,あくまで歯科における特殊性のみに焦点を絞りました.さらに,歯科領域で最も日常的に行われる局所麻酔に関しては,最近の局所麻酔に関する科学的知見と全身作用の解説だけに留めました.このように,網羅できていない部分も多くありますが,全文に目を通していただくことで,歯科麻酔学の専門性は,口腔科学(stomatology)を背景に構築されるべきであるという著者の意向を理解していただければ幸いです.
 本書が,顎口腔手術の麻酔・全身管理に従事する歯科医師,医師をはじめ関連領域を学ぶ多くの人々に読まれ,この領域の臨床に少しでも役に立つことができれば著者として望外の喜びです.
 最後に,神戸市立医療センター中央市民病院歯科口腔外科部長 竹信俊彦先生をはじめとして,大阪歯科大学名誉教授 覚道健治先生,同 清水谷公成先生,ならびに同大学歯科麻酔科関連の先生方には数多くの視覚的素材を提供していただきました.深く感謝を申し上げます.また,全章にわたり丁寧に文章添削の面で手伝ってくださった東尾麻由氏には感謝の念に堪えません.さらに,本書の出版にあたり多大なご尽力をくださいました医歯薬出版株式会社の関係者各位には深甚の感謝とお礼を申し上げます.
 2020年春
 小谷順一郎
Part 1 顎口腔手術に共通する全身麻酔の特徴
 1章 麻酔器,モニター機器類の配置
 2章 上気道管理
  1.上気道開通性の生理
   1)上気道開通性保持の神経機構
   2)麻酔薬の影響
  2.顎口腔手術の気道管理
   1)気道管理上の特徴
   2)気道評価
   3)気道確保器具
   4)困難気道管理
   5)小児の気道
 3章 麻酔法
  1.生体情報モニター
  2.経鼻挿管
   1)鼻腔への気管チューブ挿入困難と出血性合併症
   2)施術者の視軸と喉頭鏡操作
   3)意識下挿管
  3.吸入麻酔と全静脈麻酔
   1)吸入麻酔薬主体の麻酔法
   2)静脈麻酔薬主体の麻酔法
 4章 術後疼痛管理
  1.術後痛の生理学的影響
  2.顎口腔手術における術後痛の特徴
  3.術後疼痛管理の実際
   1)アセトアミノフェンとNSAIDsの使い分け
   2)患者自己調節鎮痛(PCA)
   3)創部浸潤麻酔法
 5章 栄養管理
  1.目標
  2.栄養評価
  3.栄養療法と栄養投与経路
  4.術前栄養管理
  5.術中栄養管理
  6.術後栄養管理
Part 2 顎口腔手術の全身麻酔
 6章 顎変形症の手術
  1.手術の概要
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
  付)閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSAS)患者の麻酔管理
   1)病態と治療
   2)合併疾患
   3)術前の留意点
   4)麻酔管理
   5)術後管理
 7章 口腔顎顔面外傷の手術
  1.手術の概要
   1)口腔顎顔面外傷の救急対応
   2)顎骨骨折手術
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
 8章 口唇裂・口蓋裂の手術
  1.手術の概要
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
 9章 口腔癌切除・再建術
  1.手術の概要
  2.術前の留意点
   1)合併疾患への対応
   2)気道確保法の選択
  3.麻酔管理
   1)モニター
   2)麻酔方法
   3)体液管理・その他
  4.術後管理
 10章 頸部郭清術
  1.手術の概要
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
 11章 顎関節の手術/開口障害改善の手術
  1.手術の概要
   1)顎関節の手術
   2)開口障害改善の手術
  2.術前の留意点
   1)開口障害
   2)関節リウマチ(RA)
  3.麻酔管理
  4.術後管理
 12章 唾液腺の手術
  1.手術の概要
   1)唾石症
   2)ガマ腫
   3)唾液腺腫瘍
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
 13章 頸部感染症の手術(深頸部膿瘍切開術)
  1.手術の概要
  2.術前の留意点
  3.麻酔管理
  4.術後管理
Part 3 日帰り全身麻酔
 14章 歯科患者の日帰り全身麻酔
  1.背景
  2.適応と禁忌
   1)適応
   2)禁忌
  3.麻酔管理
   1)術前
   2)前投薬
   3)麻酔法
   4)帰宅許可条件
Part 4 鎮静法
 15章 歯科における鎮静の特殊性
  1.“精神”鎮静法としての位置づけ
  2.鎮静と上気道維持
   1)開口維持下での鎮静
   2)口腔内注水下での治療と鎮静
  3.亜酸化窒素(笑気)の使用
  4.オピオイド系鎮痛薬の非使用
  5.鎮静レベル
  6.歯科診療における静脈内鎮静法ガイドライン
  7.静脈内鎮静法の実際
   1)適応症と禁忌症
   2)術前検査
   3)術前経口摂取制限
   4)術中モニター
   5)鎮静薬と投与法
   6)回復の判定と帰宅基準
  8.静脈内鎮静法実施者と術者の分離
 16章 障害者(児)の行動調整のための鎮静
  1.特徴
   1)意思疎通困難
   2)不随意運動,筋強直
   3)摂食嚥下障害
   4)呼吸障害
   5)発熱
   6)自傷行為
   7)長期薬物服用
  2.主な障害と問題点
   1)知的障害
   2)脳性麻痺
   3)自閉症スペクトラム障害
   4)てんかん
   5)重度重複障害
  3.鎮静方法
   1)全身麻酔が可能な環境下で行う
   2)長時間歯科治療は鎮静の非適応
   3)歯科診療台への誘導と静脈路確保まで
   4)鎮静導入と維持
   5)術後管理
 17章 歯科インプラント手術の鎮静
  1.歯科インプラント手術と他の歯科治療の相違
   1)ストレスの質
   2)局所麻酔
   3)骨髄への侵害刺激
   4)上気道管理の難しさ
   5)診療環境が多様
  2.静脈内鎮静法
  3.術後管理
Part 5 局所麻酔
 18章 局所麻酔の科学
  1.神経細胞の興奮
   1)VGNCの基本構造
   2)VGNCの活性化機構
  2.局所麻酔薬の作用機序
   1)局所麻酔薬の基本構造
   2)作用部位
   3)VGNCへの到達経路
   4)持続性抑制と頻度依存性抑制
   5)その他の作用
  3.局所麻酔薬の化学的特徴
   1)解離定数
   2)タンパク結合率
   3)脂溶性
   4)代謝
 19章 局所麻酔薬の全身作用
  1.局所麻酔薬中毒
   1)中枢神経系中毒反応
   2)心血管系中毒反応
   3)血中濃度以外の中毒発現に影響する因子
   4)歯科領域での局所麻酔薬中毒発現の可能性
   5)局所麻酔薬中毒の治療
  2.局所麻酔薬アレルギー

 索引