やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに 「人にとって“より良くなる”を目指した歯科医療を」
 私が歯科クリニックを開業して20 年経ち,その間に歯科医療の在り方もずいぶん変わってきました.「キュアからケアへ」,「インフォームドコンセント」,「EBMからNBMへ」といった時代の流れが「歯を削る」だけではない,その人全体を診る,いわゆる全人的医療の波が歯科医療にも確実に押し寄せていると感じます.
 人は本来,「より良くなりたい」という根源的な欲求があります.これはさまざまな心理学分野でいわれていることですが,たとえばアドラー心理学では「理想の状態を追求したい」「向上したい」という欲求が人間に普遍的に備わっているとされています.あるいは,人間性心理学のマズローは欲求5 段階説のなかで,「人は最終的には自己実現に向かっていく」としています.
 何かを望みそれに向かって行動することは,人として生まれたときから組み込まれたプログラムなのかもしれません.ちょっと飛躍するかもしれませんが,これを歯科医療の観点で考えると,「歯の痛みをとる」「穴のあいた歯を埋める」だけでは患者さんの「より良くなりたい」,「より健康になりたい」を満たすことにはならないでしょう.
 私が歯科医師として働き始めた約30 年前,現在の医療水準に繋がる新しい考え方や治療技術がこれまでの考え方にとって変わりつつある時代でした.とはいえ,実際の治療の現場では,保存治療や補綴治療の後,「はい,これでむし歯の治療は終わりです」としていたように思います.ひたすら歯を削り,歯を抜くことを繰り返していると,「いったい自分は患者さんの歯を治しているのか,壊しているのかわからなくなる」ようなジレンマを感じるようになったものです.
 「“治す”ってどういうことなのだろうか?」
 「“健康”ってどのような状態をいうのだろうか?」
 「患者さんは満足して帰ったのだろうか?」
 医療に対する素朴な疑問が沸きあがってきたのです.
 そうした悶々とした日々の臨床のなかで,徐々に,医療とは究極的には人と人との人間関係,あるいはコミュニケーションなのではないかと思うようになりました.それからいろいろな分野の人とのつながりや人間関係のなかでコミュニケーションを学び,それを歯科のなかに取り入れようとして試行錯誤してきました.
 もちろん,これまでの外科的あるいは補綴的処置が中心の治療を否定するものではありません.より先進的な研究がなされ,進歩していく分野と考えます.ただ,「より健康になりたい」という患者さんの根源的な欲求を満たすことが歯科医療のもうひとつの在り方をつくりだすのではないでしょうか.そのことを歯科医師自らが啓蒙していくことが今後は必要ではないかと私は考えています.
 さて一方,う蝕や歯周病の原因は生活習慣によるものが大きいことは歯科の世界のみならず一般社会でも常識になってきました.こうした変化が歯科医療のミッションを変えつつあります.
 新しい分野であるカウンセリングやコーチングといった「NBM」に基づいた医療を提供できることが歯科医療にも求められるようになっています.今後は「歯を治す」治療とともに,「より健康になる」ことに応えられる歯科医師やデンタルスタッフが一層増えていくことになるでしょう.とはいえ,最終的に責任をもって患者さんの口腔内を診るのは歯科医師です.患者さんとより深く話をすることができる歯科医師の存在が患者さん自身の「より良くなりたい」という意欲を引き出すことに繋がります.
 加えて,現代の社会では身体のみならず,心の病が問題となっています.厚生労働省の調査でも精神疾患の患者数は,2011 年(平成23 年)で320 万人を超え,年々増加傾向にあります.来院患者さんのなかにもうつ4 4やパニック障害などの理由で通院中,あるいは薬を服用中の方が明らかに増えてきたように感じます.歯科治療に対するクレームやモンスターペイシェントも増加の一途のようです.これら多くの問題も人と人とのコミュニケーションが大きく関わっています.
 こうした世の中の状況の変化によって,私たち歯科医師もより良いサービスとしてのコミュニケーション技術を含めた歯科医療を患者さんに提供できることが求められていると感じます.そのようななかで患者さんが求めているのは,歯を上手に削れる歯科医師だけではなく,「より健康になる」ための“ 健康プロモーター” としての歯科医師であり,医療サービスとなってくるでしょう.
 本書は,この20 年の間に私自身が試行錯誤しながら実際に臨床の場で使ってきたコミュニケーション手法の手引きであり,わかりやすいハウツー本としてまとめました.
 すでに臨床経験を積んだ歯科医師には,自分のコミュニケーション方法をより客観的・理論的に理解することで「何がうまくいっているのか」を知り,その結果,再現性を高めることができます.そして臨床経験の浅い歯科医師には,より短期間
 にかつ効果的にその方法論を手に入れることを目指しています.
 患者さんとの「良好かつ継続的な信頼関係を構築したい」というWin-Winの関係を望む臨床歯科医師向けの本として活用していただければ幸いです.
 2016 年7 月
 杉岡 英明
Method-1 なぜ歯科医院にこそコミュニケーションなのか?
 コミュニケーションは言葉や思いのキャッチボール
 コミュニケーションは言語だけではない
 歯科医療の「ニーズ」と「ウォンツ」
 患者さんがあなたの歯科医院に来院している理由
 人が心を開く瞬間
Method-2 コミュニケーションギャップが起こるとき〜脳の使い方の3 つの違い
 伝えているのに,伝わらないのはなぜ?
 夏休みの思い出〜頭に浮かぶのは?
 私たちは五感を使って認知している
 V・A・Kの違いはコミュニケーションパターンの違い
 代表システムの違いを歯科医療に活かす
  事例 視覚(V)優位の患者さんの場合
   聴覚(A)優位の患者さんの場合
   体感覚(K)優位の患者さんの場合
Method-3 メタモデルの質問〜言葉によるコミュニケーションの不完全さを補う質問
 質問はわかりあうための大事なプロセス
 地図と実際の土地の違い
 ほどよい「省略」がわかりやすさにつながる
 見やすさのための「歪曲」
 誰にでも起こる「脳内アレンジ」
 メタモデルは言葉のコミュニケーションの不完全さを補う
 歯科医療の現場ではこう使う
  省略/歪曲/一般化
 メタモデルの質問をするときには配慮をもって
Method-4 信頼関係の築き方〜ラポールが患者さんの心を開く
 人が五感で感じとるもの
 コミュニケーションはラポールに始まりラポールに終わる
 患者さんが医療従事者に安心・安全を感じやすい距離・位置・姿勢
 椅子に座ったときの姿勢
 患者さんの非言語の情報を観察する
 ラポールのスキルを実践してみましょう
  言語情報で合わせる〜(1) 話の内容を合わせる
  言語情報で合わせる〜(2) バックトラッキングで合わせる
  非言語情報で合わせる〜(1) ミラーリングで合わせる
  非言語情報で合わせる〜(2) 話し方を合わせる
 コミュニケーションはまず受けとる
 できていることに注目し,認める
 褒めるポイントはどこにでもある
 患者さんへの伝え方
 さらなるラポールのために
 ビジョンを共有する〜持続的・継続的受診のために
Interview 歯科のミライを語る! ラポール〜“2025 年問題”への架け橋