やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

緒言
 日常の歯科診療では二つの診断が必要です.一つは歯髄炎や歯周炎等の歯科疾患に対する診断であり,もう一つは歯科治療に影響する全身状態のリスク診断です.この第二の診断なくして安全な歯科医療を提供することはできません.全身リスク診断は,患者を守るだけでなく,事故や訴訟から医療関係者をも守ることにもなります.高齢者社会に向け,歯科治療における全身リスク診断の重要性がますます高まることが予想されます.
 埼玉医科大学病院の歯科口腔外科では,そのほとんどの患者が何らかの全身疾患を有しています.教室員は麻酔科や救命救急科で医師とともに研修した経験があり,日常臨床でも常に他科の医師と連携をとっています.そのため他の施設の歯科医師と比較して,全身リスクに対する実践的な経験と知識を有していると自負しています.
 そこで今回,そのような実際の経験に基づいた全身リスクの具体的な対応について,教室の総力を挙げてまとめてみました.
 対象は,現在歯科医院や病院等で診療にあたる一般的な歯科医師です.私もそうですが,残念ながらある程度の年齢になると新しい知識はなかなか身に付くものではありません.そのため,今回のコンセプトは「覚えなくてよい」であります.付属の疾患別カードを診療室の保険点数表の隣にでも置いていただいて,該当する患者が受診したらその都度疾患別カードで確認し,その指示に沿って対応すればよいようになっています.カードの内容について,詳細に知りたいときや科学的根拠を確認したいときだけ,カード内に記載された解説書のページを開いていただければと思います.
 カードには,疾患別に必要な問診事項が質問形式で記載されており,歯科治療をA:歯科通常治療,B:局麻下切削・抜髄,C:普通抜歯,D:難抜歯・小手術の段階別に分けて,その注意事項が記載されています.投薬についてはA:抗菌薬,B:消炎鎮痛薬に分けて,使用できる薬品,禁忌の薬品が商品名で記載されています.各薬品についてはすべて添付文書を確認しました.ただし,添付文書は「慎重に投与する」のように,投与してよいのかいけないのか曖昧な表現になっているので,さらに厚生労働省の指針やガイドライン等で確認し,具体的に投与基準を示すようにしました.
 解説書は,カード記載事項の根拠等を教科書的に記載したもので,あくまでもその疾患を治療する内科医等のためではなく,歯科治療に必要な知識として記載されています.訴訟にも耐えうる最新のエビデンスを目指しています.
 また,当教室の連携歯科医院の理事長であり,現役の内科医である栗橋健夫先生には,歯科医師と内科医師の両方の目から助言をいただき,最新情報や必携情報を加筆修正していただきました.
 このカードと解説書を通じて,歯科界における全身リスク対応の向上に少しでも寄与できることを祈念する次第です.
 2012年11月
 依田哲也

監修にあたって
全身疾患については何が歯科臨床にとって役立つ知識なのか

 今回,平素からお世話になっている埼玉医科大学歯科口腔外科学教室の依田哲也教授から画期的な本書の監修を仰せつかり,たいへん光栄であると同時に身の引き締まる思いがいたします.なぜならば,多岐にわたる医科領域を網羅しようというのは,一内科医としてある意味無謀ともいえるからです.そこで,実際,腎臓に関わる内科医として臨床に携わる傍ら,歯科医師としての視点で歯科臨床に必要な内容に的を絞り,明日からの日常診療にすぐに役立つ内容を再確認していく作業を中心に進めていきました.
 それでは,本企画の何が歯科日常臨床にすぐに役立つのかというと,それはまぎれもなく歯科医師が自らカードを見ながら患者さんに問診をすれば,歯科治療上の注意点および投薬の方法が理解できることです.つまり,歯科治療により全身疾患に影響を与えうる場合,ここまでは守っておきたいことと,一般開業医で十分対応できるラインか病院歯科での対応が望ましいかの線引きをすることが実戦では重要です.この二つのことを素早く判断するために,本書がカードと解説書の二部構成となっていることは特筆すべき点です.
 また解説書では,それぞれの全身疾患をできるだけ病態生理に基づいて解説しています.一つひとつの疾患も病態生理学を理解することで,治療法や薬の作用がよくわかりますし,知識が定着します.たとえば,歯科日常臨床で頻繁に遭遇する疾患としては,糖尿病や高血圧は特に重要なのでここで簡単に取り上げさせていただきます.
 糖尿病は2型糖尿病(非インスリン依存型糖尿病)が圧倒的多数のため,これらの患者さんは肥満になってから発症することが多く,糖尿病=肥満の人というイメージがあるかもしれません.ところが実際は,糖尿病とは最終的には痩せ細っていく病気なのです.
 本来インスリンは,血糖を下げるためのホルモンではありません.インスリンは,食事から吸収したブドウ糖を血液から筋細胞内や脂肪細胞内に取り込ませるためのホルモンなのです.結果として血中のブドウ糖が減少し,血糖値が下がるのです.インスリン治療のイメージが先行しているため,血糖を下げる薬のような印象をもたれがちです.現代は過食の人が多く,本来人類に備わっているインスリン分泌能力を超えた状態が続いているといえます.そのため,インスリンに対して抵抗力がついたり,膵臓内のインスリンが枯渇して,ブドウ糖を細胞内に取り込めなくなった状態が糖尿病の病態生理なのです.
 つまり,血管内はブドウ糖が過剰で血液がドロドロですが,細胞内は飢餓状態になっています.その状態が続けば痩せていくのは理解できると思います.しかし,ほとんどの人は高血糖により血管がボロボロとなり,心血管病変,腎不全などで痩せていく前に亡くなってしまうことが多いために,糖尿病は痩せていくというイメージが希薄になっているのです.
 さて,高血圧の病態生理はどうなっているのでしょうか.内分泌疾患等のはっきりとした原因のない本態性高血圧がほとんどで,それらは動脈硬化が原因で血圧が上昇します.固い血管に高い圧力で血液が通ると炎症が起き,さらに動脈が硬化していきます.高血圧と動脈硬化は相互に病態を増悪させます.動脈硬化は加齢による要因のほかに,高血糖や高脂血症によっても血管壁に炎症が起きて動脈硬化が進行します.さらに,固くなった血管に勢いよく血液を送り込まなくてはいけない心臓は筋肉でできていますから,力こぶのように大きくなり心肥大になります.この状態が続くと心臓は内側に肥大していき,内腔が狭くなり,心不全と呼ばれるポンプとしての機能不全に陥ります.このような病態イメージを理解すると降圧剤は単に血圧を下げるだけでなく,動脈硬化を予防して心筋梗塞,脳梗塞の予防をする作用があり,抗炎症作用があるさまざまなものが開発されてきた経緯がわかると思います.さらに,高脂血症の改善や血糖コントロール等も血管の炎症を抑えるという観点から,動脈硬化の予防には大切なことがわかります.

おわりに
 今回の企画のことを依田教授からお話いただいたときに,診断基準や治療基準の変更に対応していく必要性を痛切に感じました.今まで歯科医師向けの同種の書籍は見たことがありません.今後さらにUp to dateな内容を折り込んでいけるように努力すると同時に,歯科臨床の現場でより使いやすい内容にするために,購読された先生方の生のお声とご指導をいただければ光栄に存じます.
 平成2012年 初冬の頃
 織本病院 医局にて
 医師 歯科医師 歯学博士 栗橋健夫
 緒言
 監修にあたって
 監修者・編集者・執筆者・協力者一覧
1章 高血圧
2章 循環器疾患
 不整脈
 狭心症
 心筋梗塞
 心筋症
 心臓弁膜症
 先天性心疾患
 感染性心内膜炎
 心不全
3章 動脈瘤
4章 静脈瘤
5章 脳梗塞
6章 脳出血
7章 てんかん
8章 認知症
9章 重症筋無力症
10章 パーキンソン病
11章 うつ病
12章 統合失調症
13章 糖尿病
14章 甲状腺機能亢進症・バセドウ病
15章 甲状腺機能低下症・橋本病
16章 高脂血症
17章 痛風
18章 胃潰瘍・十二指腸潰瘍
19章 慢性腎臓病
20章 慢性肝炎・肝硬変
 慢性肝炎
 肝硬変
21章 HIV感染症(エイズ)
22章 膠原病・リウマチ・SLE
 膠原病
 リウマチ
 SLE(全身性エリテマトーデス)
23章 骨粗鬆症
24章 癌(がん)・悪性腫瘍
25章 貧 血
26章 特発性血小板減少性紫斑病
27章 血友病
28章 喘息
29章 妊娠・授乳中
30章 アレルギー

 索引