やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 超高齢社会を迎えた現在,国の保健・医療・福祉施策における最重要事項の1つは,地域包括ケアシステムのなかで“治し,支える医療”を構築することであるといわれています.これまで歯科医療は,診療室の中で治療を完結し,他職種との連携は外科治療などのごく一部の分野に限られていました.つまり,「治す」ことで診療は終了したのです.しかし今日,複数の疾病を抱えて介護の手が必要な高齢者が増えるなかで,疾患を治しながら,あるいは治した後で,さらには疾病を抱えたままの方の生活を支えていくことが診療室の内外で必要とされています.
 つまり,歯科医療においても診療室から1歩外に出て,積極的に訪問診療を担うことが喫緊の課題として求められる,歯科訪問診療が日常的に必要な時代に入ったといえます.
 こうしたなか,歯科医師を対象とした多くの解説書が出版されていますが,口腔の管理の一翼を担う歯科衛生士を主たる対象としたハンドブックはあまりありません.この意味で本書が新たな歯科訪問診療の境地を開くと考えています.
 本書を制作するうえで,我々は以下の点を大切にしました.
 (1)歯科訪問診療を特別な診療形態ととらえないで,できるかぎり敷居を低くし,医学的な基本事項を順守したうえで,気を楽に気負わずに在宅や施設への診療に踏み込んでほしいという願いを込めました.
 (2)診療室と異なる,在宅や施設の場だからこそ配慮しなければならない視点を中心に解説し,本書の特徴の1つにしました.そのため,歯科訪問診療に取り組むうえでの心の在り方や具体的なマナーについて最初に取り上げました.
 (3)歯科訪問診療の重要な使命の1つは口から安全に食べることを支援することです.食の支援についても基本的な事項をわかりやすく解説しました.
 (4)歯科訪問診療で活躍している現場の歯科衛生士がこれまで経験した事例をまとめることで,現場に対する具体的なイメージをもっていただき,これから始める歯科衛生士の指標となるようにしました.
 なお,これまで我々は歯科訪問診療における口腔衛生と口腔機能に対する診療を「口腔ケア」と総称してきましたが,多職種協働において歯科に求められる専門性を踏まえ,歯科医療者の行う口腔の管理を「口腔健康管理」とし,そのうち,これまで器質的口腔ケアと呼んでいたものを「口腔衛生管理」,機能的口腔ケアと呼んでいたものを「口腔機能管理」とする流れがあります.本書では,その流れを踏まえつつ,文脈上,口腔ケアとした方がしっくりくる箇所については,従来通り「口腔ケア」という表現を使用しました.
 歯科衛生士がかかわる歯科訪問診療は「治し,支え,予防する」世界の構築に大きく貢献するものです.本書がこれから歯科訪問診療を始めようとしている歯科衛生士や歯科医師にとって1つの導きとなり,座右の書になることを心から祈っております.
 2018年9月
 編者一同



推薦の言葉
 日本の歯科衛生士の就業者数は,2016年の調査では123,831人であり,この50年間で44倍に急増しました.これは,近年の医療保険や介護保険において,歯科衛生士が行う業務への評価の高まりが背景にあると考えます.こうした状況のもと,現在の歯科衛生士のおもな就業場所は,歯科診療所が90.6%と圧倒的に多くなっています.しかし,地域包括ケアシステムの構築が急がれるなか,社会のニーズは従来の外来患者中心の「歯科医院完結型」から「地域完結型」へと大きく変化しています.つまり,歯科診療所勤務の歯科衛生士も,地域に出向き,他職種と連携しながら,その専門性を発揮することが求められているのです.
 在宅療養者や要介護高齢者の「口から食べる」機能を維持して,低栄養や誤嚥性肺炎を予防するなど,口腔衛生・口腔機能管理を担う歯科衛生士の役割に期待が高まっています.このような多様かつ重要な社会ニーズに対応していくためには,学校教育から継続した生涯研修が必要であり,本会においても生涯研修や認定研修の拡充に注力しています.
 このような社会状況のなか,『歯科衛生士のための訪問歯科ハンドブック』が出版されますことは誠に時期を得ており,歯科訪問診療に興味をもつ,あるいは今後かかわりをもちたいと思っている歯科衛生士にはまさに必携の一冊です.
 本書では,歯科訪問診療のスペシャリストの目から見た「訪問に入る前の心構え」「訪問でのマナーと注意点」が最初に記載されています.次に,高齢者の全身や口腔のみかた,注意が必要な全身疾患と服用薬,口腔機能・摂食嚥下障害の基礎知識等の「訪問に出る前に知っておきたい知識」,さらには歯科訪問診療の実際についても,歯科医師と同行した場合と単独訪問とに分けて詳しくイメージできるように記載されています.最後に,訪問歯科診療を取り巻く制度や他職種との連携の取り方,Q&Aを含め,訪問診療にはじめて臨む歯科衛生士に必要な情報が総合的かつ簡便にまとめられています.
 いままで歯科診療所に通院されていた患者さんが,入院や介護が必要となり通院できなくなっても,病院,施設,在宅に訪問して,人生の最期まで患者さんの生活に寄り添った歯科医療が提供できるように努力することは極めて意義深いことと存じます.本書を参考に,1人でも多くの歯科衛生士に歯科訪問診療に一歩を踏み出していただけることを願ってやみません.
 公益社団法人日本歯科衛生士会
 会長 武井典子
 はじめに
 推薦の言葉
Introduction 【座談会】歯科訪問診療の世界へようこそ!
第1章 訪問に入る前に……歯科訪問診療で大切にしたいこと
 Notebook 納得して天国へ旅立っていただくために
第2章 訪問でのマナーと注意点
第3章 訪問に出る前にこれだけは知っておきたい知識
 (1)全身のみかた,口腔のみかた
 (2)注意が必要な全身疾患
 (3)栄養サポートについて
 (4)摂食嚥下障害についての基礎知識
 Notebook 高齢者の服薬について
第4章 歯科訪問診療の実際をみてみよう!
 (1)訪問前の準備
 (2)実践編1 歯科医師の治療のアシスタントにつく場合
 (3)実践編2 歯科衛生士の単独訪問の場合
 (4)さらにもう一歩編 口腔機能をみてみよう!
 Notebook 知っておきたい摂食嚥下機能のスクリーニング方法
 ・もっと詳しく勉強したい方のためのブックガイド
第5章 歯科訪問診療をとりまく制度と他職種について知っておこう
 (1)歯科訪問診療はどんな場合に可能なのか?
 (2)介護保険制度と施設の種類
 (3)連携すべき医療・福祉関係者にはどんな人たちがいるの?
 (4)文書の書き方と保険の請求方法
 連携に必要な用語 これだけは!
 Notebook ケアマネジャーとの連携のポイント
 Notebook カンファレンスや会議などへの参加〜歯科衛生士としてできること
第6章 私たちの訪問ストーリー
 Story 1 訪問歯科衛生士の介入で口腔機能が向上したAさん
 Story 2 歯科衛生士が訪問し生活を支える意識を,そして口腔機能を守る職種であることを気づかせてくれたDさん
 Story 3 在宅訪問ヘルパーの協力により口腔衛生状態が良好に保てるようになったKさん
 Story 4 多職種と連携した食支援で経鼻経管栄養から経口摂取が可能となったTさん
 Story 5 ご家族に寄り添い,口腔ケアを通じて看取りまでかかわらせていただいたEさん
 Notebook 看取りに向けたケア
第7章 はじめての歯科訪問診療Q&A

 参考文献
 索引