やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監修の序
 日本は超高齢社会を迎え,地域包括ケアシステムの構築が急がれており,従来の外来患者中心の「歯科医院完結型」から「地域完結型」へと大きく変化しています.このような中,在宅療養者や要介護高齢者が口から食べる機能を維持して低栄養や誤嚥性肺炎を予防し,おいしく食べ,楽しく話し,快適な生活を過せるよう口腔衛生・口腔機能管理を担う歯科衛生士の役割に期待が高まっております.この状況の下で,医療・介護と連携した歯科医療の推進を図るためには,入院患者等の口腔機能管理の充実とともに,在宅歯科医療に移行するうえでのサポートが必須であり,退院支援等の連絡・調整に対応できる歯科衛生士の人材育成が求められます.さらに,介護予防におけるフレイル予防を目指した口腔機能向上の推進が求められており,地域ケア会議等において歯科医療および口腔の健康ニーズを把握してサービス提供につなげるなど,多職種連携による支援の重要性が高まっています.
 これらに対応するうえで,歯科診療所のみならず地域包括ケアシステムの推進に向けても歯科衛生士不足が深刻な問題となっています.そこで本会では,今まで歯科診療所に通院されていた患者さんが,介護等が必要となり通院できなくなっても,病院,施設,在宅に訪問して,人生の最期まで患者さんの生活に寄り添った歯科医療が提供できるような研修が必要であると考え,本書を企画・出版する運びとなりました.
 第1章では,歯科診療所に通院できなくなった患者さんが居る場所,急性期病院,回復期病院,施設,在宅(終末期含む)等をイメージしやすいように編集しました.そして第2章では他の職種と連携するために歯科衛生士が頻繁に遭遇する10症例を事前情報,口腔健康アセスメント,口腔健康管理計画,本人・家族・他の職種への指導内容,経過の順に編集しました.研修会等にて,本書の症例を活用して患者さんの全身状態の把握,その状況を踏まえたうえでの歯科医療や歯科保健の課題を抽出して「口腔健康管理計画」を立てる演習を行えるように編集しております.特に今回は,初めて経験する歯科衛生士から経験豊かな歯科衛生士まで,共に学ぶことができるグループワーク法(KJ法)まで詳細に記載しております.症例に目を通すだけではなく,積極的に研修会を開催いただき,本書をテキストにグループワークを繰り返し,臨床実践力を高めていただけましたら幸いです.たくさんの歯科衛生士が本書をテキストに地域包括ケアシステムの中で多・他の職種と協労して専門性を発揮していただくことを願ってやみません.
 2018年7月
 公益社団法人 日本歯科衛生士会
 会長 武井典子


プロローグ
 「口腔ケア」という言葉ほど,とらえどころのないものはありません.使う人によって,伝えたい内容が異なるからです.また,定義らしい定義がなされないまま使われ,一人歩きしてしまいました.これまで何度も「きちんと定義しよう」と試みられました.2015年,日本歯科医学会と日本歯科医師会合同の委員会で一つの結論が導かれました1).歯科医療全体を指す言葉として,英語表記では「OralHealth Care」という言葉があります.この言語にも適切な日本語がありませんでしたが,この度「口腔健康管理」という言葉が充てられたようです.その中では,口腔の衛生状態を維持・向上させ,指導することが「口腔衛生管理」という言葉にまとめられました.英語的表現は,おそらく「Oral Hygienic Care」が適切と考えています.また口腔機能の維持向上を目的としたほとんどの歯科治療や患者指導などが「口腔機能管理」と位置付けられました.英語表現は,「Oral Functional Care」がいいのではと考えています.そのいずれも「いわゆる口腔ケア」は含まれません.歯科医師や歯科衛生士などの口腔の専門家以外が行うものを「口腔ケア」ということになったのです.
 一方で,平成17年7月26日に厚生労働省医政局から,「原則として医行為としないもの」として通知が行われました.その内容は,「重度の歯周病等がない場合の日常的な口腔内の刷掃・清拭において,歯ブラシや綿棒又は巻き綿糸などを用いて,歯,口腔粘膜,舌に付着している汚れを取り除き,清潔にすること」でした.まさに対象となっている内容は,長く使われてきた「いわゆる口腔ケア」のようです.これを「医行為」ではないとしたのです.言い換えると,私たちのような「口腔の専門家が行う行為ではない」ということです.私たちは本人や家族,また他職種の方々に「有効な口腔ケアを指導する」のが仕事ということになります.
 「口腔ケア」という言葉の語源について,振り返ってみましょう.1970年代にアメリカの看護学の書物(死生学・Thanatology)の中に「Oral Care」として登場しています2).「ターミナルケアにおいて,口腔内を清潔に保つことが,最も重要」と書かれています.その言葉が日本に入ってきて,さまざまな場面で使われるようになり現在に至っています.口腔内を清潔に保つよう専門的に介入することを「専門的口腔ケア」とよび,個人が行うことを「セルフケア」とよぶのは当然の帰結かもしれません.歯科には本来,歯科衛生士や歯科医師が行う「Oral Hygienic Care」という言葉があり,一部治療行為や口腔機能に関することまで加えて,「専門的口腔ケア」という流れがあります.そんなところにも混乱の原因があるかもしれません.「高齢者の口腔機能低下」が盛んに問題視されるようになり,ますます口腔の専門家としての知識と技量が求められるようになりました.
 広く使われてきた「口腔ケア」という言葉をすぐに切り替えるのは困難と思いますが,私たち口腔の専門家としては自覚をもって患者や利用者に対応すべきと考えます.本書でも言葉の言い換えは,かえってわかりにくくすることも考えられますので新しい用語に切り替えてあります.読者のみなさまには上記のことをしっかりと理解しながら,「切れ目のないケア(シームレスケア)」に取り組んでいただければと存じます.
 高齢患者が増えたことは,よく知られていますが,さらにその高齢者たちが長寿にもなりました.昼間のバスや電車に乗ると,高齢者施設の送迎バスではないか?老人会の団体旅行ではないか?と思わされることが頻繁にあります.東京においてもそうなのですから,高齢化の進んだ地域では,もっとその現象が顕著でしょう.人間は年齢を重ねると,諸器官の機能低下や免疫低下,細胞の老化などさまざまな原因が,その個体に病気をもたらします.その結果,若い働き盛りの人たちが街にあふれていたのと同じように,今度は病棟や家の中,高齢者施設の中にあふれることになります.
 歯科医療は,ほぼ100%外来診療中心に発達してきました.100年以上もその状態が続くと,それ以外は考えられなくなります.最近でこそ,在宅医療用の器材がかなり開発されましたが,在宅患者や入院患者,施設入所者などを対象とした「訪問診療」に,いささか気持ちが向きにくいのは,ある程度仕方ないのかもしれません.しかし,そこには多くの患者が待っていることを忘れてはなりません.
 確かに「歯科医療は外科処置」といわれるように「観血処置」がほとんどであることは事実です.決して衛生環境がいいとはいえない場所で「観血処置」を行うのは,かなりの抵抗があります.病棟や施設,あるいは在宅などで医科が提供しているserviceは,「nursing(ナーシング)」が中心のようです.したがって,それらを考えると,歯科で活躍するのは歯科衛生士ということになります.訪問診療の場で医療が行えるように導くのも,歯科衛生士の仕事かもしれません.そうなると,急性期から維持期,終末期に至るまで対応できる知識・技量と心構えがなくてはなりません.これから歯科衛生士に対する社会的ニーズはますます高まることは間違いありません.みんなでそのニーズに応えられるよう研鑽を積むために本書が役立てられることを願っています.
 編集主幹 森戸 光彦
 文献
 1)住友雅人:日本歯科医学会が提案する新しい「口腔ケア」の概念.日本歯科評論,75(11):10-11,2015.
 2)森戸光彦編:歯科衛生士講座 高齢者歯科学第3版.永末書店,京都,2017,156-157.
 監修の序
 プロローグ
Chapter 1 患者さんが居るステージの特徴を知ろう
 Introduction 患者さんの居るステージの特徴を知ろう
 Section 1 急性期における口腔健康管理
  1 急性期の特徴
  2 歯科衛生士の役割
   1−病棟での多職種連携で行う口腔健康管理
   2−周術期等の口腔機能管理
   3−栄養サポートチーム(NST)
   4−口腔ケアチーム
  3 急性期の歯科衛生士介入事例
   1−病棟での歯科衛生士の介入事例
   2−栄養サポートチーム(NST)における歯科衛生士の介入事例
 Section 2 回復期における口腔健康管理
  1 回復期の特徴
  2 歯科衛生士の役割
   1−口腔衛生や口腔機能に関する評価・アセスメント
   2−本人・家族に対する口腔ケアに関する助言
   3−他の職種に対する口腔ケアに関する助言
   4−口腔健康管理の実施
   5−医科歯科連携の窓口機能(歯科標榜のない回復期病院の場合)
   6−FIM評価を準用した口腔健康管理の提案
 Section 3 介護保険施設における口腔健康管理
  1 介護保健施設の特徴
  2 歯科衛生士の役割
   1−施設における口腔健康管理
   2−食べる楽しみのための支援
  3 介護保険施設における口腔健康管理の実際
   1−口腔衛生管理体制加算のための口腔ケア・マネジメント計画書
   2−口腔衛生管理にかかわる助言
   3−口腔衛生管理に関する業務記録
   4−肺炎予防のためのスクリーニング
   5−スクリーニングを行い,中リスクと高リスクに分ける
  4 リスク判定と対応
   1−低リスク利用者の対応
   2−中リスク利用者の対応
   3−高リスク利用者の対応
 Section 4 在宅における口腔健康管理
  1 在宅療養の特徴
  2 歯科衛生士の業務
   1−居宅における療養状況の把握
   2−在宅における口腔健康管理
   3−歯科衛生士の具体的業務内容
 Section 5 終末期における口腔健康管理
  1 終末期の特徴
  2 歯科衛生士の業務
   1−歯科衛生士の役割
   2−終末期における口腔ケア
   3−歯科衛生士の具体的業務内容
 Section 6 脳血管疾患後遺症(左被殻出血)のAさんの事例
  1 急性期
   急性期病院でのAさんの状況
    入院時のAさんの状況
    ICUからの依頼
    病棟からの依頼
    退院時の申し送り
  2 回復期
   回復期病院でのAさんの状況
    入院時のAさんの状況
    Aさんの口腔の課題と対応策
    Aさんのリハビリテーション実施計画
  3 在宅
   退院後の在宅でのAさんの状況
    退院(直)後の状態
    本人・ご家族の歯科への要望
   口腔健康アセスメントの状況
   初回訪問
    歯科衛生士が注意すべきこと
    口腔健康管理計画作成(口腔ケアプラン)のための考え方
    歯科衛生士が行う口腔健康管理計画(口腔ケアプラン)
    本人・家族・他の職種への指導内容
   経過・記録
  4 在宅(終末期)
   3年経過後(87歳)
Chapter 2 症例と演習
 Case 1 脳血管疾患(脳出血後遺症)
 Case 2 認知症(アルツハイマー型認知症)
 Case 3 認知症(レビー小体型認知症)
 Case 4 神経難病(パーキンソン病):PD
 Case 5 神経難病(脊髄小脳変性症):SCD
 Case 6 神経難病(多系統萎縮症):MSA
 Case 7 神経難病(先天性筋萎縮症:福山型先天性筋ジストロフィー)
 Case 8 神経難病(多発性硬化症)
 Case 9 悪性新生物(膵臓がん)
 Case 10 悪性新生物(上顎洞がん)
 Work 口腔健康管理計画書(口腔ケアプラン)作成のための演習例
  1−研修会の企画
  2−演習のすすめ方
Appendix 資料編
 Appendix 1 地域包括ケアシステム
 Appendix 2 介護保険について
 Appendix 3 口腔健康管理とは
 Appendix 4 口腔機能低下症とは
 Appendix 5 口腔機能,口腔清掃管理に用いるアイテム
 Appendix 6 口腔衛生管理のポイント