やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
●全人的な歯科臨床を目ざして
 「歯科医院に来院した患者さんに保健指導や予防処置を行う」,「保健センター,学校,職域などで健康な人々を対象として歯科健康教育を行い,口腔疾患の予防法やセルフケアの大切さを伝える」,「要介護の在宅療養者や施設入所者に対して,訪問診療を行って口腔ケアを実践する」.―このように,歯科衛生士はさまざまなライフステージの人々を対象として仕事をしています.
 しかし学生時代には,齲蝕や歯周病などの口腔疾患を中心とした講義や実習が多く,人間のライフステージに焦点を合わせたカリキュラムでの教育は受けていません.「心理学」,「社会学」,「栄養指導」などで,ライフステージ別の特徴を学ぶ機会はありますが,それを歯科の専門科目と統合して「全人的な歯科臨床」に結びつけて考えていくことは,臨床経験のない学生にとって容易なことではないでしょう.
 このような教育を受けてきた学生が,国家試験に合格して歯科衛生士免許を取得し,臨床現場で患者さんに接したとき,「病気」を診ることができても,「病いで苦しむ人」を理解できないおそれがあります.また,患者さんとの良好な人間関係を築くことができず,適切な医療サービス(ケア)を提供できない場合もあります.
 乳幼児期,学齢期,成人期,高齢期などの口腔内の特徴を詳細に述べた本はありますが,人間をトータルに見て,心や身体の成長や発達,ライフステージ別の心理面,身体面,栄養面における特徴,さらにさまざまな人々に対する医療者としての適切な対応について,歯科臨床と結びつけて総合的にまとめて解説した書籍はこれまでありませんでした.
 本書は3つの章に分かれていて,第1章ではライフステージごとに分けてみた身体の発育と成長,かかりやすい全身疾患やその特徴および食生活の状況について,第2章ではライフステージ別の心理面の特徴とそれに対する適切な対応について,各分野の専門家がわかりやすく解説しています.また,第3章では,現場の歯科医師・歯科衛生士が自らの体験をもとに,ライフステージ別の患者さんに具体的にどのように対応していけばよいか実例をあげて紹介しています.
 目の前にいる患者さんや住民に対して,全人的な歯科保健医療を実践していくための情報が本書のなかにはたくさん組み込まれています.歯科衛生士学校で学ぶ学生,臨床や公衆歯科衛生の現場で働く歯科衛生士だけでなく,歯科医師や他の保健医療従事者も,患者さんに寄り添う歯科臨床を実践するために本書を活用してほしいと願っています.(川口陽子)
●患者さんに寄り添う歯科医療の実践のために
 「患者さんに寄り添う」とは,いったいどのようなことなのでしょうか?
 医療者としての心構えがある経験を積んだ歯科衛生士ならば,大抵は「自分は患者さんの身になって接している」と自負していることと思います.それは,川口先生がご指摘のように,現在の日本の歯科衛生士教育では「全人的な歯科臨床」を学ぶ機会がないため,臨床の場において個人の経験や体験を深く真摯にとらえることによって身につけてきたものだと思います.
 しかし,一般開業医院に勤務する多くの歯科衛生士にとっては,その経験や体験を深く考察するには,日々の診療に追われあまりにも多忙であるために,余裕をもてない環境であるとも思います.
 たとえば,いつの間にか来院されなくなった患者さんに対して「なぜ?」という疑問を追及することなく,継続して来院される患者さんに取り組んでしまうというような,「学ぶべき重要なチャンス」を逃していると考えられることもあるのではないでしょうか.
 また経験の浅い方にとっては,自らの人生経験の少なさもあいまって,患者さんの生活背景を考慮したり精神面を思いやる“包括的な患者さんの診かた”が難しいのではないでしょうか.
 最近では,予防の重要性を確信しながらも,多くの歯科医療者がメインテナンス率が上昇しないなど“予防を実践することの難しさ”をあげています.つまり,治療が必要だとする自覚症状がなければ,「疾病の予防をするためにわざわざ受診はしない」というのが現状でもあります.しかし,予防の実践の場面でこそ「患者さんに寄り添う」ことが必要なのではないでしょうか.当然ですが,患者さんである前に「生活者」であり,一人ひとりのライフステージがあります.その生活のなかで疾病の予防のために実践しなくてはならないことは,一人ひとり,そしてそのときどきに違うはずです.
 ですから,生活背景を知らなくては適切なアドバイスができず「無理な押しつけ」になってしまうことも考えられます.「患者さんに寄り添う」ためにはライフステージに応じた生活背景やその年齢・立場・環境などにおける身体面や精神面を考慮することが必要不可欠です.
 このような思いから本書の編集にかかわらせていただきました.
 本書は,あらゆる立場・環境の歯科医療者にとって有益な内容であると確信しています.
(土屋和子)
 2005年4月
・はじめに
・表:ライフステージからみた患者さんのからだ・こころ・生活背景
・ライフステージを考えることの大切さ(川口陽子)

■1章 患者さんのからだ
 (1)乳児期,幼児期,学齢期の発育・発達(木下昇平)
 (2)知っておきたい小児期の病気や症状(木下昇平)
 (3)小児に関する最近のトピックス(木下昇平)
 (4)成人のからだ(奈良信雄)
 (5)高齢者のからだ(太田秀樹)
 (6)知っておきたい高齢者の全身疾患(太田秀樹)
 (7)服用薬などについての一般的諸注意(太田秀樹)
 (8)食事とからだ(柳沢幸江)
 (9)各ライフステージと食事(柳沢幸江)
■2章 患者さんのこころ
 (1)乳児期,幼児前期,幼児後期,学童期のこころ(矢吹和美)
 (2)思春期,青年期,成人前期のこころ(矢吹和美)
 (3)成人後期,老年期のこころ(矢吹和美)
 (4)歯科臨床でこころにかかわること(矢吹和美)
■3章 各ライフステージへの歯科医院での対応
 (1)0〜3歳の子どもへの対応(井上治子)
 (2)3〜6歳の子どもへの対応(井上治子)
 (3)小学生・保護者と本人への対応(田村 恵・河野正清)
 (4)矯正中の患者さんへの対応(高橋未哉子・高橋 治)
 (5)高校生を対象とした診療室での対応(佐野洋子・土肥孝子・牧野 明)
 (6)主訴・主張が医療者側と異なる患者さん―医療者側の願いどおりにはいかない―(土屋和子)
 (7)同じ訴えを繰り返す患者さん(渡邉麻理)
 (8)キーワードは「関係の継続」―セルフケアに取り組めない成人への対応―(鷹岡竜一)
 (9)訪問歯科診療にて(光銭裕二・羽立幸子)

 ・執筆者一覧
 ・編集後記