序 わが国における歯内療法の現状と課題〜歯内療法専門医としてお伝えしたいこと〜
政府発表のレセプトデータ1)によると,2017年の根管治療の保険請求は「抜髄処置」が推計6,597,420件,「感染根管治療」が推計8,283,756件であった.保険用語の解説はさておき,事実上ここでいう「抜髄処置」はイニシャルトリートメント(initial treatment,初回根管治療)で,「感染根管処置」はリトリートメント(retreatment,再根管治療)と考えて大きな誤差はないであろう.すなわち,単純計算で,“やり直しの根管治療“がおよそ170万件多い計算になる.また,2011年の日本歯内療法学会誌の論説のなかで須田2)は,「既根管治療歯の根尖性歯周炎の有病率は60%程度であった」と示している.“やり直しの根管治療”があるということは,必ず過去に歯髄(生活歯髄であれ,失活歯髄であれ)を除去する処置が行われたということである.
根管治療というものは,初めて根管に手をつけるとき,すなわち,イニシャルトリートメント(初回根管治療)が最も成功率が高く,再治療を繰り返すごとに,治療の困難性は増していく.そして残念なことではあるが,上述の数字から推察するかぎり,日本国内で提供されている平均的な根管治療の質は,歯内療法専門医制度のある他の先進国と比較し,かなり低いと言わざるをえない.須田は上記論説2)中で,この現状の原因は,「根管治療を行う際に必要とされている,無菌的な環境下での処置がなされていないことである」と指摘し,それがなされない根管の拡大・形成は,「単に感染経路を拡大しているにすぎない」とも述べている.筆者もこの分析に同意しており,さらに加えれば,「感染経路を拡大しているにすぎない」ということは,根尖性歯周炎を発症させる可能性を上げているということであり,「無菌的処置の原則」を守らない歯内療法を行うくらいであれば,もはや治療を行わないほうがよいといって過言ではないであろう.
患者の立場となって考えた場合,半分以上失敗する(再発する)可能性のある処置を誰が望むのであろうか.しかも,「原則」さえ守って処置を行えば,失敗の可能性を著しく低減できることがわかっているのが歯内療法である.国民目線でみた場合に,ともすると,「歯科医師は自ら根尖性歯周炎を発症させ,発症した根尖性歯周炎に対し繰り返し治療を行っている」と映ってしまうのではないだろうか.わが国の歯内療法における患者と歯科医師の構図や状況を説明するとき,もちろん,われわれ歯科医師は限られた状況のなかでみな最善を尽くしており,意図的に状況を悪化させようとしている者など一人もいないが,患者からすると,場合によっては“マッチポンプ”的な構図とみえてしまう可能性があり,歯科医療や歯科医師に対する社会的な信用を落としかねない一因となるのではないかと危惧している.
このような状況において,わが国の歯科医師が歯内療法を行う際に最も重要視しなければならないことは,歯科用顕微鏡(マイクロスコープ)を購入することでも,バイオセラミック材料に精通することでもない.それらを必要としないイニシャルトリートメントにおいて失敗率を下げること,具体的には,『歯内療法を行う際は「無菌的処置の原則」を徹底的に守ること』である.そして,そのことを知った今,それでも守るべき原則を守らずに,再根管治療に必要なテクニックばかりに興味をもち,設備投資や手技習得に時間や費用をかけようとするのであれば,その歯科医師は残念ながら,マッチポンプ的な資質をもっているといえよう.
すべての症例に対して,「無菌的処置の原則」を守った歯内療法を行う決意,そのような環境を整えたうえで歯内療法の再治療に関わる知識・技術の習得,設備の投資を開始することが基本である.
本書は,以上の歯内療法における基本原則であり必要最低条件を実行している読者諸氏を対象に,再根管治療に特化して解説をしている.ここまでやや刺激的な表現があったかもしれないが,わが国における歯内療法事情がそれだけ深刻な状況にあることを知っていただき,その状況を好転させるために,本書が読者諸氏の臨床の一助となれば幸甚である.
2021年5月
執筆者を代表して 石井 宏
文献
1)e-Stat政府統計の総合窓口.https://www.e-stat.go.jp/
2)須田英明.わが国における歯内療法の現状と課題.日歯内療誌.2011;32(1):1-10.
政府発表のレセプトデータ1)によると,2017年の根管治療の保険請求は「抜髄処置」が推計6,597,420件,「感染根管治療」が推計8,283,756件であった.保険用語の解説はさておき,事実上ここでいう「抜髄処置」はイニシャルトリートメント(initial treatment,初回根管治療)で,「感染根管処置」はリトリートメント(retreatment,再根管治療)と考えて大きな誤差はないであろう.すなわち,単純計算で,“やり直しの根管治療“がおよそ170万件多い計算になる.また,2011年の日本歯内療法学会誌の論説のなかで須田2)は,「既根管治療歯の根尖性歯周炎の有病率は60%程度であった」と示している.“やり直しの根管治療”があるということは,必ず過去に歯髄(生活歯髄であれ,失活歯髄であれ)を除去する処置が行われたということである.
根管治療というものは,初めて根管に手をつけるとき,すなわち,イニシャルトリートメント(初回根管治療)が最も成功率が高く,再治療を繰り返すごとに,治療の困難性は増していく.そして残念なことではあるが,上述の数字から推察するかぎり,日本国内で提供されている平均的な根管治療の質は,歯内療法専門医制度のある他の先進国と比較し,かなり低いと言わざるをえない.須田は上記論説2)中で,この現状の原因は,「根管治療を行う際に必要とされている,無菌的な環境下での処置がなされていないことである」と指摘し,それがなされない根管の拡大・形成は,「単に感染経路を拡大しているにすぎない」とも述べている.筆者もこの分析に同意しており,さらに加えれば,「感染経路を拡大しているにすぎない」ということは,根尖性歯周炎を発症させる可能性を上げているということであり,「無菌的処置の原則」を守らない歯内療法を行うくらいであれば,もはや治療を行わないほうがよいといって過言ではないであろう.
患者の立場となって考えた場合,半分以上失敗する(再発する)可能性のある処置を誰が望むのであろうか.しかも,「原則」さえ守って処置を行えば,失敗の可能性を著しく低減できることがわかっているのが歯内療法である.国民目線でみた場合に,ともすると,「歯科医師は自ら根尖性歯周炎を発症させ,発症した根尖性歯周炎に対し繰り返し治療を行っている」と映ってしまうのではないだろうか.わが国の歯内療法における患者と歯科医師の構図や状況を説明するとき,もちろん,われわれ歯科医師は限られた状況のなかでみな最善を尽くしており,意図的に状況を悪化させようとしている者など一人もいないが,患者からすると,場合によっては“マッチポンプ”的な構図とみえてしまう可能性があり,歯科医療や歯科医師に対する社会的な信用を落としかねない一因となるのではないかと危惧している.
このような状況において,わが国の歯科医師が歯内療法を行う際に最も重要視しなければならないことは,歯科用顕微鏡(マイクロスコープ)を購入することでも,バイオセラミック材料に精通することでもない.それらを必要としないイニシャルトリートメントにおいて失敗率を下げること,具体的には,『歯内療法を行う際は「無菌的処置の原則」を徹底的に守ること』である.そして,そのことを知った今,それでも守るべき原則を守らずに,再根管治療に必要なテクニックばかりに興味をもち,設備投資や手技習得に時間や費用をかけようとするのであれば,その歯科医師は残念ながら,マッチポンプ的な資質をもっているといえよう.
すべての症例に対して,「無菌的処置の原則」を守った歯内療法を行う決意,そのような環境を整えたうえで歯内療法の再治療に関わる知識・技術の習得,設備の投資を開始することが基本である.
本書は,以上の歯内療法における基本原則であり必要最低条件を実行している読者諸氏を対象に,再根管治療に特化して解説をしている.ここまでやや刺激的な表現があったかもしれないが,わが国における歯内療法事情がそれだけ深刻な状況にあることを知っていただき,その状況を好転させるために,本書が読者諸氏の臨床の一助となれば幸甚である.
2021年5月
執筆者を代表して 石井 宏
文献
1)e-Stat政府統計の総合窓口.https://www.e-stat.go.jp/
2)須田英明.わが国における歯内療法の現状と課題.日歯内療誌.2011;32(1):1-10.
序
Chapter 1 Decision Making
1 診査・診断・意思決定の考え方
2 再根管治療における診査・診断・意思決定の実際
3 再根管治療における選択肢
4 再根管治療の成功率とは
Chapter 2 Technique
再根管治療における手技の実際
1 根管治療における基本コンセプト
2 クラウン・ポストの除去
3 根管充填材の除去
4 再根管治療時の困難性への対応
(1)レッジやトランスポーテーションへの対応
(2)穿孔(パーフォレーション)への対応
(3)根尖が開放された症例(根尖開放歯)への対応
(4)破折器具の除去
(5)石灰化根管への対応
(6)歯内--歯周病変への対応
Chapter 3 Case Presentation
ケースからみる再根管治療の実際
1 抜歯を悩んだケース〜穿孔が原因の歯内-歯周病変が疑われるケース〜
2 破折器具を除去したケース
3 破折器具を残置したケース
4 穿孔(パーフォレーション)のケース(1)〜髄床底に穿孔があるケース〜
5 穿孔(パーフォレーション)のケース(2)〜根側に穿孔があるケース〜
6 根尖が開放されている(根尖開放歯)ケース
7 石灰化根管のケース
8 根管を見落としていたケース
9 外科的再治療となったケース
Chapter 4 Q&A
Q1 再根管治療において,症状がなくても根尖透過像があれば治療したほうがよいですか?
Q2 根尖透過像がない場合,既根管治療歯であっても補綴処置を行う際に再根管治療を行わなくてよいですか?
Q3 再根管治療において,根管充填のタイミングはイニシャルトリートメント(初回根管治療)と同じですか?
Q4 再根管治療における抜歯の考え方は?
Q5 再根管治療において,通常の根管治療(非外科的治療)と外科的歯内療法,どのように選択しますか?
Q6 再根管治療がイニシャルトリートメント(初回根管治療)と比べて難しいといわれているのはなぜでしょう?
Q7 穿孔修復の材料で,現在,最もお勧めの材料は何でしょうか?
Q8 現在注目の器材・材料について,知りたいです
Q9 開業歯科医と歯内療法専門医との,効果的な連携のあり方を教えてください
索引
執筆者一覧
Chapter 1 Decision Making
1 診査・診断・意思決定の考え方
2 再根管治療における診査・診断・意思決定の実際
3 再根管治療における選択肢
4 再根管治療の成功率とは
Chapter 2 Technique
再根管治療における手技の実際
1 根管治療における基本コンセプト
2 クラウン・ポストの除去
3 根管充填材の除去
4 再根管治療時の困難性への対応
(1)レッジやトランスポーテーションへの対応
(2)穿孔(パーフォレーション)への対応
(3)根尖が開放された症例(根尖開放歯)への対応
(4)破折器具の除去
(5)石灰化根管への対応
(6)歯内--歯周病変への対応
Chapter 3 Case Presentation
ケースからみる再根管治療の実際
1 抜歯を悩んだケース〜穿孔が原因の歯内-歯周病変が疑われるケース〜
2 破折器具を除去したケース
3 破折器具を残置したケース
4 穿孔(パーフォレーション)のケース(1)〜髄床底に穿孔があるケース〜
5 穿孔(パーフォレーション)のケース(2)〜根側に穿孔があるケース〜
6 根尖が開放されている(根尖開放歯)ケース
7 石灰化根管のケース
8 根管を見落としていたケース
9 外科的再治療となったケース
Chapter 4 Q&A
Q1 再根管治療において,症状がなくても根尖透過像があれば治療したほうがよいですか?
Q2 根尖透過像がない場合,既根管治療歯であっても補綴処置を行う際に再根管治療を行わなくてよいですか?
Q3 再根管治療において,根管充填のタイミングはイニシャルトリートメント(初回根管治療)と同じですか?
Q4 再根管治療における抜歯の考え方は?
Q5 再根管治療において,通常の根管治療(非外科的治療)と外科的歯内療法,どのように選択しますか?
Q6 再根管治療がイニシャルトリートメント(初回根管治療)と比べて難しいといわれているのはなぜでしょう?
Q7 穿孔修復の材料で,現在,最もお勧めの材料は何でしょうか?
Q8 現在注目の器材・材料について,知りたいです
Q9 開業歯科医と歯内療法専門医との,効果的な連携のあり方を教えてください
索引
執筆者一覧