はじめに―総合学術としての地域医療
　永井良三
　自治医科大学学長
　地域医療には社会・経済のさまざまな問題が反映される．とくに少子高齢化と人口の東京一極集中は，地域医療に大きな影響を与えつつある．2000年から2015年の間に，東京圏以外の地方の若年者（15歳〜29歳）は30％，出生数は20％減少した．こうした状況で地域医療が崩壊すれば，人口流出は一段と加速し，地域社会の維持は困難となる．日本人が減少する一方で，在住外国人は約250万人に及び，地域医療も国際医療の側面が現れてきた．
　高齢化に伴う財政負担や国の経済も，地域医療に大きな影響を与えている．現在，国民医療費における国と地方自治体からの支援は約40％（国が25％，自治体が15％）である．最近は高額の分子標的薬や細胞医薬品が使用されるようになった．しかし国の財政赤字は増加を続け，医療費は抑制されている．このため，限られた医療資源を意味のある医療のためにどのように活用するか，地域医療の現場でも大きな課題である．しかし社会にとって医療費負担は大きな問題だが，地域医療や介護が地域経済を支えている面も，認識しておく必要がある．
　こうした複雑な状況のなかで，団塊の世代が後期高齢者となる2025年に向けて，地域医療構想が進められている．構想では病床や医療機関の機能分担や在宅医療が重要となるが，日本の医療提供体制は市場原理でも国家管理でもない．このため医療者，行政，保険者，国民等の関係者がデータに基づき，話し合いによって方針を決めなければならない．専門医の診療科と地域偏在も同様である．さらに2040年になると増加してきた医師数は減少に向かう可能性がある．20年後の地域医療のあり方も今から議論をしておく必要がある．これらの問題に医療現場で取り組むには，幅広い知識と情報処理能力，コミュニケーション能力が求められる．また国の政策や制度だけでなく，地域の歴史や文化にも関心を持つことが大切である．
　日本の医師はどのような経歴をたどっても，ある年齢になると地域医療に関わる．このため医学教育においても国際的視点を持ちつつ，他者との精神的つながりに基づく生き方を学ぶ必要があり，こうした公共哲学教育が普及すれば，地域医療から新しい医学をつくることが可能である．地域医療のあり方は医療や制度だけでなく，哲学も含む総合学術として位置づけられる．
　本特集はこの考えに基づき16名の方に執筆をお願いし，2019年8月から翌年2月にかけて週刊『医学のあゆみ』に連載されてきた．いずれの記事も問題の本質に迫るものであり，たいへん好評であった．このため今回，別冊として刊行することとなった．この間に，世界はコロナパンデミックに見舞われ，国際情勢だけでなく，わが国の社会と医療も大きく変わった．しかしコロナ禍を通じて，あらためて総合学術としての地域医療の重要性が浮き彫りになったと言える．本書によって新しい時代の医学と地域医療を学ぶ機会としていただければ幸いである．