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はじめに―精神医療の未来は治療研究にかかっている
 功刀 浩
 国立精神・神経医療研究センター神経研究所疾病研究第三部
 厚生労働省の調査によれば,わが国のうつ病など気分障害患者の数は1996年に43万人だったものが2008年には104万人とわずか12年間に2倍以上に増えた.それと連動した精神科クリニックの増加には目をみはるものがあり,1984年には1,425施設であったものが1996年には3,198,2005年には5,144と3倍以上に増加した.
 これはストレス社会のなかで患者数が実際に増えているということもあろうが,うつ病にかんする啓蒙が進み,精神科や心療内科を受診することへの敷居が低くなったせいもあろう.しかし,専門的治療を受けている患者はいぜんとして一部にすぎないことが知られており,実際にうつ病に苦しんでいる人はその何倍も存在すると推定される.厚生労働省も2011年7月より精神疾患を五大疾病のひとつに位置づけ,重点的な対策が必要であることを明確にした.
 専門的医療を受ける人が増え,未治療なまま不幸な転機をたどる人が減ったとすればまことに喜ばしいことである.しかし,一方で受診者や精神科診療所の増加を“精神科バブル”と揶揄する見方もある.たしかに,いまの精神医学は患者にとって満足のいく治療を提供することができているかと問われれば,はなはだ疑問であるといわざるをえない.主観的な情報に基づくマニュアル診断,5分間診療,薬物の効果の限界とそれに由来する多剤大量療法など,問題点も多い.うつ病の病態を解明し,科学的所見に基づいた診断と,より有効性の高い治療法についての研究を精力的に進めていかなければ,いずれバブルが崩壊し,精神医療の存在価値が危うくなるであろう.
 本特集ではうつ病の治療と研究の最前線について,臨床的なものに力点をおいて企画した.わが国の新しい治療法の進歩にすこしでも寄与できれば幸いである.なお,本誌のうつ病に関する特集では“最新うつ病のすべて”(樋口輝彦編,2010年3月発行の別冊)があり,認知行動療法については“ここまで進んだ認知行動療法”(大野 裕企画,2012年242巻6・7号)がある.あわせて参考にしていただきたい.
 はじめに―精神医療の未来は治療研究にかかっている(功刀 浩)
薬物療法
 1.新規抗うつ薬の有効性と使い分けに関するエビデンス(吉田和生・渡邊衡一郎)
  ・アルゴリズム,ガイドラインに基づく使い分け
  ・モノアミン仮説に基づく使い分け
  ・受容体プロフィールなどに基づく使い分け
  ・薬物相互作用における観点から
  ・まとめ
 2.抗うつ薬の増強療法(寺尾 岳)
  ・Lithium・非定型抗精神病薬
  ・Pindolol・増強療法の問題
 3.ドパミンを標的にしたうつ病治療とメカニズム(井上 猛)
  ・セロトニンとノルアドレナリンに作用する抗うつ薬の限界
  ・側坐核・線条体DA系に作用する抗うつ薬
  ・大うつ病におけるDA機能
  ・DAアゴニストの難治性大うつ病に対する効果
  ・非定型抗精神病薬の難治性大うつ病に対する効果の作用機序
  ・おわりに―難治性大うつ病と双極性うつ病の密接な関連とそれらに対するDA系の関与
 4.新規抗うつ薬の有害作用―賦活症候群を含む情動面および行動面の変化を中心に(辻 敬一郎・田島 治)
  ・治療初期の中枢刺激症状―いわゆる賦活症候群
  ・抗うつ薬による情動面および行動面の変化
 5.(グルタミン酸神経系を標的とした新規抗うつ薬創製の可能性(茶木茂之)
  ・うつ病におけるグルタミン酸神経系の異常
  ・ケタミンのうつ病における効果
  ・他のグルタミン酸神経系
 6.個別化治療へ向けたうつ病の遺伝薬理研究の現状(加藤正樹)
  ・抗うつ薬の遺伝薬理におけるSTAR★Dの失敗
  ・薬物動態(PK)関連遺伝因子
  ・薬力学的(PD)関連遺伝子―メタ解析の結果
  ・Genome-wideアプローチ
他の治療法
 7.新しい脳刺激法(本橋伸高)
  ・経頭蓋磁気刺激法(transcranial magnetic stimulation:TMS)
  ・迷走神経刺激(vagus nerve stimulation:VNS)
  ・深部脳刺激(deep brain stimulation:DBS)
  ・経頭蓋直流刺激(transcranial direct current stimulation:tDCS)
 8.うつ病の認知行動療法と生理メカニズム(清水栄司)
  ・認知行動療法とは
  ・うつ病の認知行動療法のエビデンス―イギリスNICE臨床ガイドラインCG90から
  ・Beckのうつ病理論と彼の考える脳生理学的メカニズム
  ・認知行動療法の治療反応性と前帯状回の関連性
 9.うつ病の栄養・運動療法(功刀 浩)
  ・うつ病の栄養療法・うつ病と身体活動量,運動療法
脳画像
 10.光トポグラフィによるうつ病診断(野田隆政)
  ・近赤外線光トポグラフィ(NIRS)の特徴
  ・先進医療
  ・NIRS測定
  ・大うつ病性障害,双極性障害を対象としたNIRS研究
  ・大うつ病性障害,双極性障害の抑うつ状態における典型的なNIRS波形の特徴
 11.脳画像研究からみたうつ病の神経回路(高石佳幸・岡本泰昌)
  ・情動制御の脳内機構
  ・うつ病の局所的脳機能異常
  ・うつ病の神経回路レベルのファンクショナルコネクティビティの異常
 12.PETを用いた気分障害の分子イメージング―基礎から臨床へ(藤原広臨・須原哲也)
  ・気分障害における脳内セロトニン神経伝達
  ・気分障害における脳内ドパミン神経伝達
  ・トランスポーター占有率による抗うつ薬の至適投与量決定
  ・イメージングバイオマーカー応用への展望
関連疾患
 13.身体疾患とうつ病―循環器疾患との関連を中心に(伊藤弘人・奥村泰之)
  ・うつ病の併存と予後への影響
  ・うつ病と心臓病に介在する生物学的関連に関する仮説
  ・うつ病と心臓病以外の疾患との生物学的関連
  ・心理・行動的側面
  ・治療の手がかり―段階的治療
 14.うつ病と睡眠障害(三島和夫)
  ・うつ病の不眠・抗うつ薬が睡眠に与える影響
  ・不眠症とうつ病の病態生理学的近縁性・うつ病の非薬物療法
 15.うつ病と認知症の鑑別(朝田 隆)
  ・認知症とうつ病―ニワトリか卵か・うつ症状を呈しやすい認知症性疾患
  ・軽度認知障害(MCI)とうつ・うつ病と認知症(AD,DLB)の接点
  ・仮性認知症の概念・うつ病と認知症の鑑別
病態メカニズム
 16.うつ病と海馬神経細胞新生(中川 伸)
  ・成体海馬における神経細胞新生
  ・ストレスは海馬における神経細胞新生を低下させる
  ・神経細胞新生の減少がうつ病の病因となりうるか
  ・抗うつ効果への神経細胞新生の関与
 17.うつ病の病態におけるBDNF-TrkB受容体シグナル系の役割(橋本謙二)
  ・BDNF-TrkB受容体シグナル系と抗うつ作用・うつ病とBDNF遺伝子多型(Val66Met)
  ・うつ病の血清バイオマーカーとしてのBDNF・ケタミンの即効性抗うつ作用とBDNF
 18.ストレス脆弱性形成の分子機構―エピジェネティクス機構の関連(渡辺義文)
  ・養育環境によるストレス脆弱性の形成・ストレス脆弱性とマイクロRNA
  ・ストレス脆弱性とエピジェネティクス
バイオマーカー
 19.ユビキチン・プロテアソームとうつ病様行動―ユビキチン化セロトニントランスポーターを指標とした診断薬の開発(毛利彰宏・鍋島俊隆)
  ・うつ病とモノアミン仮説
  ・うつ病とセロトニントランスポーター
  ・うつ病とユビキチン・プロテアソームシステム
  ・MAGE-D1とうつ様行動
  ・MAGE-D1とセロトニントランスポーター
 20.うつ病の神経内分泌的研究―最新の知見(尾鷲登志美)
  ・視床下部-下垂体-副腎皮質系(HPA系)
  ・HPA系異常に関連するあらたなうつ病治療薬研究
  ・視床下部-下垂体-甲状腺系(HPT系)
  ・視床下部-下垂体-成長ホルモン系
  ・視床下部-下垂体-性腺系(HPG系)
 21.うつ病の死後脳研究によるバイオマーカー探索(富田博秋)
  ・死後脳を対象とするうつ病のトランスクリプトーム研究
  ・死後脳を対象とするうつ病のメチローム研究
  ・死後脳を対象とするうつ病のプロテオーム研究とメタボローム研究
  ・死後脳を対象とするうつ病のオミックス研究の課題と今後の展望
 22.うつ病の脳脊髄液マーカー(服部功太郎・功刀 浩)
  ・脳脊髄液の産生についての古典的仮説と新しい仮説
  ・脳脊髄液の機能
  ・脳脊髄液中モノアミン代謝産物
  ・脳脊髄液インターロイキンなどの解析
  ・脳脊髄液検査によるうつ病とAlzheimer型認知症との鑑別
  ・新しい解析手法と今後のマーカー探索の方向性
 23.BDNF遺伝子のメチル化を用いたうつ病バイオマーカーの開発(森信 繁・他)
  ・精神科医療における診断バイオマーカーの開発
  ・うつ病BDNF仮説に基づいたバイオマーカー研究
  ・研究の結果
  ・バイオマーカーの可能性と今後の課題

 サイドメモ
  Activationsyndrome
  Number needed to treat(NNT)とNumber needed to harm(NNH)
  双極スペクトラム
  5-HTTLPRの機能
  5-HTTLPRによる個別化治療のコストパフォーマンス
  うつ病の責任病巣はどこか
  ファンクショナルコネクティビティ
  包括的うつ管理モデル開発ナショナルプロジェクト
  脱同調
  ケタミン
  エピジェネティクス