やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 千葉大学大学院医学研究院循環病態医科学 小室一成

 最近“再生”がたいへんなブームである.再生はゲノム,ナノテクノロジーなどと並んで省庁の重点研究の対象となっているばかりでなく,マスコミにもよく登場する.このようなたいへんホットな領域の特集の序説を書くなど,著者の能力をはるかに超えているので,10数年前より心臓の発生の研究をはじめ,最近再生治療に進もうとしている一研究者として感じていることを述べて,この特集の序説とさせていただく.
 まずはじめに,どうして現在“再生“がこれほど注目されているのであろうか.理由は,大きく分けると2つあるのではないかと考えられる.ひとつは発生学や生物学の進歩である.これらの学問の研究者が現在の“再生”ブームを予期していたかどうか,言い換えれば“再生医療“として臨床に結びつけようと考えていたかどうかは不明であるが,20年ほど前より欧米を中心に発生・分化の研究は活気をおびていた.しかし,それらは再生というよりもむしろ純粋に発生・分化の研究であり,その解析法の進歩により新しい知見があいついで起こったという感じであった.現在の再生ブームに火をつけたのは,1997年のクローン羊“ドリー”の誕生や1998年のヒトES細胞の樹立であり,体性幹細胞の可塑性,可逆性の発見ではないだろうか.このような研究は研究者の従来の概念を一変させるばかりでなく,いままで科学に興味のなかった一般の人々の関心をひくにも十分であった.
 再生が注目されているもうひとつの理由は,新しい治療法に対する切望であろう.現代医学の進歩により多くの疾患の治療が可能になったが,薬物治療や外科手術によってもいぜんとして治療不可能な疾患も多い.重症な心臓,肺,肝,膵,腎の疾患においては,現在のところ臓器移植しか治療の手段がない.移植には拒絶をはじめとした種々の医学的問題ばかりでなく,ドナー不足といった医学の進歩では解決不可能な問題もある.そこで待望されるのが,拒絶やドナー不足に悩まされることのない,新しい治療法としての“再生”治療となるわけである.この特集でもこの2つの点を考慮して構成した.
 最近,発生学において多くの新しい知見が得られているが,それには解析法の進歩によるところも大きい.発生学の研究には種々の生物種が用いられるが,もちろん種ごとに特徴があり,その解析法にも独特なものがある.ゲノムプロジェクトの進展により,種を超えた研究が容易になりつつあり,いろいろな生物種における知見を理解することはますます重要である.最近の発生学の進歩は著しいが,とくに細胞周期,細胞極性,体軸形成においては多くの新しい知見が得られている.これらの成果を知ると,改めて生物の“体づくり”の巧妙さに驚嘆し,生物の発生のメカニズムを完全に理解することは困難であると感じるが,再生医療を行うにあたってはつねに最新の知識を理解しておく必要があろう.
 発生・分化の研究の成果として,再生医療に大きく貢献したものとして幹細胞がある.前述したように,幹細胞は胚性幹細胞(ES細胞)と体性幹細胞の大きく2種類に分類できる.マウスのES細胞がin vitroで種々の細胞に分化することは10数年前より知られていたが,ヒトES細胞が樹立されたことにより一挙に臨床に使用するという考えが生じた.ヒトのES細胞もマウスのものと同様に,in vitroで種々の細胞に分化することが徐々に明らかになってきており,細胞移植治療の夢が広がりつつあるが,ES細胞にも問題はある.ひとつはヒトの受精卵を使うという倫理的な問題であり,もうひとつは他人の細胞を使うことから生じる免疫的な拒絶の問題である.前者に関しては多分に宗教が関係し,その是非は国によって異なるが,わが国においては最近文部科学省より指針が発表され,制限つきながらゴーサインがだされた.後者に関しては免疫抑制薬などを使用するという方法以外に,免疫寛容を誘導する,ES細胞バンクをつくるなどの方法が考えられるが,クローン羊“ドリー”から考えると理論的には各個人のES細胞をつくることも可能である.ただ,体細胞核の卵への移植の安全性がまだ確立されておらず,また各自のES細胞をつくるのは時間的にも労力的にもたいへんである.
 もうひとつの最近のトピックスは,体性幹細胞である.以前より骨髄の間葉系細胞は種々の細胞に分化しうる多分化能をもつことが知られていたが,骨髄ばかりでなく,脳,骨格筋,肝,皮膚など種々の臓器に未分化な細胞が存在し,これらはそれぞれの臓器を構成している主要な細胞に分化するばかりでなく,骨格筋や脳の幹細胞が血液細胞になるといったように,ほかの系統の細胞にも分化するといった“可塑性“があることも示された.また,内皮細胞を心臓に移植したところ心筋細胞に変化したといったように,分化→脱分化→分化といった“可逆性”も示唆されている.このように体性幹細胞の知見は従来の分化に関する概念を根底から変えてしまうくらいの勢いである.従来分裂能を喪失し,再生能がないとされてきた脳神経,心臓などにも幹細胞が存在し,体内で再生していることが明らかになってきた.そこで,それらの細胞を体外にとり出して増やした後移植したり,体内の再生能を促進するといった治療法が考えられる.体性幹細胞を用いた治療は,生体のもっている驚異的な再生能を用いるという点,まさに再生医療といえよう.
 このように,発生・分化の基礎的研究の進歩のうえに再生医療が現実に行われつつある.再生医療には発生学や細胞生物学に支えられた再生医科学と,組織工学に支えられた再生医工学があると考えられるが,今回は再生医科学を重点的に取り上げている.“再生医療の進歩”の章を読んでいただくと,2つのことに気づかれるのではないかと思う.ひとつは前述してきたような基礎的研究の進展とその重要性であり,もうひとつは臨床応用の重要性である.医師の最終目標は患者を治すことである.基礎研究をどこで臨床に移すかといったことは大きな問題であるが,研究を推進するうえでも臨床応用は重要である.つまりヒトに臨床応用してはじめて明らかになることも多いわけであり,研究の進歩にもつながると考えられる.臨床応用において重要なのは,つねに情報をオープンにし,結果を客観的に解析することである.再生医療が基礎と臨床の結びつきにより,患者にとって大きな福音となることを祈って序説にかえさせていただく.
 最後に,多忙ななか,貴重な原稿をおよせいただいた各執筆者の方々に厚くお礼申し上げる.
 はじめに……(小室一成)

I.発生学の進歩
 1.発生生物学の進展――概説……(佐藤矩行)
 ■発生システム解明への新しいアプローチ
 2.体系的RNA干渉法による線虫C.elegansの発生に必須な遺伝子群の探索……(杉本亜砂子)
 3.ENUミュータジェネシスによるマウス突然変異体の開発……(桝屋啓志・城石俊彦)
 4.マウスES細胞を用いた遺伝子トラップ法……(山村研一)
 5.線虫C.elegans初期胚発生メカニズム解明に向けてのシステムバイオロジー戦略……(大浪修一・北野宏明)
 6.エピジェネティクス――ゲノム修飾による哺乳動物発生の調節機構……(佐々木裕之)
 7.体細胞核移植による動物クローニング……(〓田幸雄)
 8.サウスウエスタン組織化学――特異的転写因子の視覚的局在化法……(小路武彦)
 ■初期発生における細胞周期制御
 9.分裂酵母における減数分裂の開始と進行の分子機構……(佐藤政充・山本正幸)
 ■細胞極性
 10.aPKC-PARシステム――普遍的な細胞極性制御機構……(廣瀬智威・大野茂男)
 11.神経細胞の極性――神経極性形成の分子機構……(西村隆史・貝淵弘三)
 12.PI3Kによる細胞遊走の制御――PI(3,4,5)P3の局在化とアクチン細胞骨格の制御……(佐々木雄彦・鈴木 聡)
 ■体軸形成
 13.器官の極性決定とTbx遺伝子……(竹内 純・他)
 14.細胞の記憶にかかわる遺伝子群PcG/trxG――PcG/trxGによるHox遺伝子の発現維持機構……(友常大八郎)
 15.Notchシグナルを介した体節の分節機構……(相賀裕美子)
 16.ゼブラフィッシュのオーガナイザー形成機構……(清水貴史・平野俊夫)
 17.脊椎動物の背腹軸の決定機構――細胞増殖因子がパターンをつくる……(上野直人)
 18.Wntシグナルによる背腹軸形成の分子機構……(大下彰彦・他)
 19.左右軸形成のメカニズム……(目野主税)
 20.Pitx2の左側特異的な発現の開始と維持にかかわる2段階制御……(白鳥秀卓)
 21.左右非対称性決定機構――対称から非対称へ……(横山尚彦)

II.器官発生のメカニズム
 22.器官発生のメカニズム――概説……(西中村隆一)
 ■幹細胞
 23.幹細胞システム――プラナリアにおける幹細胞システム……(小川和也・阿形清和)
 24.幹細胞の可塑性……(須田年生)
 25.胚性幹細胞における多能性維持と分化制御の分子メカニズム……(丹波仁史)
 26.胚性幹細胞と生殖系列……(野瀬俊明)
 27.In vitroにおけるES細胞からの多細胞系譜誘導――ES細胞からの組織構築の可能性……(経遠智一・他)
 28.霊長類胚性肝細胞(ES細胞)……(近藤 靖・他)
 29.血管細胞系譜決定の分子メカニズム……(山下 潤)
 30.間葉系幹細胞――新しい生体マイクロデバイス・骨髄間質細胞の可塑性を利用したグローバルな“臓器”再構築……(梅澤明弘・他)
 31.造血幹細胞の発生……(依馬秀夫・中内啓光)
 32.神経幹細胞――基礎研究から再生医療への応用……(小沢洋子・岡野栄之)
 ■神経発生
 33.脳における神経回路形成機構――in vitroの系を用いたアプローチ……(太城康良・村上富士夫)
 34.脊椎動物の脳における領域特異性の形成……(小林大介)
 35.大脳皮質におけるニューロンの産生と配置の機構……(宮田卓樹・小川正晴)
 36.bHLH遺伝子群による神経分化の制御……(影山龍一郎)
 37.神経細胞移動の制御機構……(田中聡一)
 38.中枢神経系の発生・分化の分子メカニズム……(大島登志男・他)
 ■器官発生
 39.網膜における領域特異化の分子機構……(新谷隆史・野田昌晴)
 40.神経堤細胞の発生と分化……(三浦直行・玉越智樹)
 41.ショウジョウバエの肢形成の分子メカニズム……(小嶋徹也)
 42.FGFシグナルによる器官形成の分子メカニズム――Fgf10遺伝子欠損マウスの解析……(加藤茂明・関根圭輔)
 43.血管形成と転写調節因子……(佐藤靖史)
 44.筋肉の再生機構……(埜中征哉)
 45.心臓発生における転写因子の役割……(赤澤 宏)
 46.転写因子による赤血球分化の調節機構……(望月菜緒美・山本雅之)
 47.AGM領域における造血幹細胞の発生と胎生肝の分化……(安西弘子・宮島 篤)
 48.血液細胞と血管新生――血液細胞の新たな機能と血管形成……(高倉伸幸)
 49.消化管領域決定の分子メカニズム……(福田公子)
 50.毛包の発生と再生……(板見 智)
 51.外性器形成の分子メカニズム……(荻野由紀子・他)
 52.膵島の発生と分化……(仁尾純子・岩永敏彦)

III.再生医療の進歩
 53.再生医療――概説……(立野知世・吉里勝利)
 54.末梢神経の再生……(清水慶彦)
 55.腎の再生医学――アクチビン・フォリスタチン系による腎尿細管再生の制御……(前嶋明人・他)
 56.膵β細胞の発生……(梶本佳孝)
 57.造血幹細胞移植……(平井久丸)
 58.内皮前駆細胞を用いた血管新生……(室原豊明・他)
 59.ティッシュエンジニアリングによる心臓弁,血管再生……(新岡俊治・他)
 60.骨髄間葉系細胞による再生医療――骨および真皮の再生治療の展開……(吉川隆章)
 61.表皮細胞の再生医療……(猪口貞樹)

サイドメモ
 統合的データベース
 ポジショナルクローニング
 2種類のリプログラミング
 核移植技術
 サウスウエスタン組織化学の名称
 14-3-3蛋白質
 タイトジャンクションのバリア機能,フェンス機能
 イノシトールリン脂質と細胞内シグナリング
 BMPはどのように組織を腹側化するのか
 Wntの由来
 一次繊毛(primary cilia)
 Pitx2の機能解析
 再生医療にかかわるベンチャー企業の行く先
 無脊椎動物にみられる個体再生産
 胚様体(embryoid body)
 ゲノミックインプリンティング
 テラトーマ
 VEGF/VEGF受容体ファミリー
 チル化/クロマチン改変に伴う確率的な分化誘導
 再構築能(repopulating potential)
 Musashi1の幹細胞における意義
 コラーゲンゲルを用いた共培養法
 オーガナイザー
 Radial gliaとは
 bHLH因子とは
 ニューロトロフィンとその受容体
 Cdk5/p35
 RLCS法
 DiGeorge症候群/大動脈弓離断
 ショウジョウバエにおける遺伝子と蛋白質の記述の仕方
 FGFR KOマウスの表現型
 血管内皮細胞と臓器発生
 筋ジストロフィー
 コンディショナルジーンターゲティング
 遺伝子改変マウス
 オンコスタチンM(OSM)
 ペリサイト
 上皮を中心とした消化管の同心円状分化
 STATファミリー
 腸上皮細胞からの膵島細胞の分化誘導
 末梢神経再生用接合チャンネルの役割
 アクチビン・フォリスタチン系とその情報伝達
 膵島幹細胞
 GVHDとGVL
 培養骨――培養皿上での骨再生
 表皮再生と表皮-真皮相互作用