やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第3版への編者序
 本著の著者である山下詢先生が,2010年6月7日,82歳で永眠された.本著の完成を謹んで先生にご報告申し上げる.ご存命の時に,完成版をお目にかけることができなかったことをまことに申し訳なく,残念に思っている.
 2006年11月にWHO/WPRO(Regional Office for Western Pacific,西太平洋地域事務局,以下,WPRO)の経穴部位標準化がなされたが,私はその部位標準化の作業過程から,本著を2つの意味で改訂したいと考えていた.1つは,WPRO認定の標準部位を踏まえた改訂を行うこと.もう1つは,山下先生が初版の「まえがき」で,「大変心残り」と述べられている「図解に終わってしまった」部分を何とか「写真」にすることであった.つまり,生身のモデルの頭部と大腿部に直接経穴を描き入れて,その写真で部位を示すことである.
 山下先生には,そのことをWPROの標準化が達成された後に相談した.先生は何も言わずに了承された.「まえがき」に書かれている「常に国際化を念頭におき,中国の取穴,日本古来の取穴,そして45年にわたる私自身の臨床経験から生まれた取穴」を加算して,「取穴法を書いたつもりである」,という先生の揺るぎない信念からだったと思う.
 私は,今回の改訂を実行するに当たって,東京医療専門学校教員の町田しのぶ氏に相談した.氏は,「まえがき」で山下先生が出版の協力に感謝を述べられている方であり,また,WPRO版を翻訳した日本語公式版を踏まえた教科書『新版 経絡経穴概論』の編纂委員として改訂にも関わっておられ,本著の新版作製には適任であると思ったからだ.
 町田氏の協力のお陰で,2008年12月末には頭部の写真が撮影でき,2010年の冬には改訂の原稿もでき上がった.その間,氏は体調を崩されたにもかかわらず,強い意志で作業を全うしてくださった.本当に,いくらお礼を言っても言い足りない.厚く感謝したい.山下先生も,きっとお喜びのことだと思う.また,頭部アトラス撮影に際しては,鈴木陽子,平田善大,横島一幸の3先生のご協力をいただいた.お礼を申し上げたい.
 今回の改訂で,山下先生の書かれた内容をすべて削除してWPRO版に切り替えてしまったわけではない.山下先生の考えはできるだけ残すことを心がけ,部位の基本はWPRO版としながらも,両方を活かすようにした.
 しかし,一つ残念なことは,今回の改訂でも,大腿部の写真を掲載できなかったことである.次の機会にはぜひ実現させたいと考えている.
 本改訂版が経穴を学ぼうとする学生諸君,初学の皆さんの参考になることを願うものである.
 2011年5月
 筑波技術大学教授
 筑波技術大学大学院教授
 形井秀一

第2版第3刷追補
 2004年2月20日に第2版第2刷を発行して以降,経穴に関して世界的な動きがあった.それは,WHOのWPRO(Regional Office for Western Pacific,西太平洋地域事務局)の伝統医学担当官のDr.Choi Seung-Hoon氏が積極的に動き,経穴部位の世界標準化を図ろうとしていることである.これは,1989年にジュネーブで経穴名の世界標準化が図られて以来の大きな動きである.1989年の時点では,経穴名は統一できたが,部位については各国の意見が割れて,結局統一できず,15年の歳月を経て再度の検討に入ったのである.現在,中華人民共和国,大韓民国,日本の3国で非公式に検討を行っているが,2006年には,世界の鍼灸の主要国が一堂に会して,標準化を達成できるものと考えている.
 約2000年前に中国で誕生した経絡と経穴の概念は,その後アジアから欧米へと伝播し,その国の歴史の変遷に影響を受け,各国独自に伝承されてきた.そのため,経穴の名称や位置が,変化してしまった.これは,鍼灸発祥の地である中国でも同様で,時代とともに,さまざまな名称や部位が誕生し,検討すればするほどその変貌の複雑さに驚かされる.
 現在,検討されている経穴の部位は,『明堂経』や『鍼灸甲乙経』などの古典に立脚することが基本原則であるが,同時にこれまでの変遷を踏まえた現在の解釈も尊重しようとするものである.したがって,部位がどのようになるかは,2006年を待たなければ明確にはならない.しかも,標準化は,依拠する古典の考え方に則って検討されるわけであるが,参加する委員全員の意見が一致するとは限らないので,委員は個々に独自の解釈をもちながらも,標準化するという一点で妥協できる部位に落ち着くことにならざるをえないであろう.
 したがって,「正しい」経穴を追求していくと,極端にいえば,経穴の位置に関して1人1人が独自に自分の意見をもつことにもなるであろう.しかし,それは,ある意味で,当然のことであり,自分の意見をもつところまで深めえたとしたら,その探求者は,そのツボの標準と独自の解釈を交えて,より確かなツボに到達することになるであろう.
 さて,そのようなツボの探求には,古典の資料と臨床効果の資料とが欠かせない.先に挙げた『明堂経』,『鍼灸甲乙経』などは直接目を通す必要のある古典である.しかし,ある程度の数の古典を一度に検討したいと思うのであれば,第一次日本経穴委員会が経穴検討の資料集として独自に発行した『経穴集成』がある.経穴ごとに,59の古典に記載された部位を表にまとめてあり,参考となる.また,東洋鍼灸専門学校出版部発行の柳谷素霊著『鍼灸医学全書』も,古典の記載を紹介しており役立つ一冊である.あるいは,第一次日本経穴委員会がまとめた『標準経穴学』(医歯薬出版),一般によく知られている代田文彦・木下晴都著『東洋医学―経穴編』(学研)や芹澤勝助著の『ツボ療法大図鑑』(リヨン社)なども手軽な書籍として,役立つであろう.さらに,近刊の森 和監修・王 暁明ほか著『経穴マップ―イラストで学ぶ十四経穴・耳穴・頭鍼』(医歯薬出版)は,様々な角度から分かりやすく学べる好著である.また,『カラーアトラス取穴法』の姉妹編ともいえ,その底本となっている山下 詢著の『臨床経絡経穴図解,第2版』(医歯薬出版)は,アトラスをもう少し補足勉強したいときに自宅でゆっくり読んでみる本としてお薦めしたい.
 2004年11月
 筑波技術短期大学鍼灸学科教授
 形井秀一

第2版への編者序
 2年前に上梓した本著の版を新たにし,ここに,第2版を上梓する.
 第2版では,鍼灸の国際化をにらんで,第1版の経絡と経穴の日本語表記に,国際標準表記(アルファベットと数値で表記)と中国語読みを追加した.この改訂は,編者の形井が著者の山下先生と話し合って決めたが,日本鍼灸の世界への普及を願う山下先生のお気持ちがなかったら実現しなかったであろう.
 山下先生は,師である柳谷素霊先生が,第二次世界大戦後の早い時期にヨーロッパへ出かけて鍼灸の普及を試みたことを語られ,今回の国際標準表記の併記は,柳谷先生が昔試みられたことを山下先生なりの形で体現することでもあると言われた.
 日本鍼灸を海外に発信しようとするとき,まず,最初に問題になるのは,世界的にはマイナーな日本語で意思疎通をはかっている私たちの主張が,英語などの他の言語圏で理解してもらえるかであろう.そのためには,理論と技術に関する基本用語の共通認識がなければ互いに理解しようがない.理論や技術は自ら学ぶものであるから,日本鍼灸を学ぶ者は「まず日本語修得から始めなければならない」とは正しい主張であるが,鍼灸の世界情勢から考えるとそのような正統論は残念ながら通用しない.良し悪しには異論があろうが,日本鍼灸を世界に発信していこうとする努力が,いま強く求められているのであり,そのためには共通な用語を使用する必要がある.
 今回の改訂は鍼灸用語の国際表記の併記であり,海外に日本鍼灸そのものを直接喧伝するものではないが,まず,日本の鍼灸師が国際的な視野で鍼灸を考えるためには必要であろうし,その第一歩として,経絡・経穴の国際標準表記に普段に接することは無意味なことではあるまい.また,日本鍼灸を日本語で学ぶ留学生にとっても使いやすいものであることはいうまでもない.
 本著が鍼灸を学ぼうとする学生諸君へ,これまで以上に強い援助の手を差し延べるものとなったことを喜ぶ次第である.
 2002年3月
 形井秀一

編者序
 鍼灸治療は,端的に言ってしまえば,陰陽五行理論と経絡経穴学説を基礎とし,鍼と艾を駆使して,臨床家の経験と技術を最大限に発揮するところに成立する.
 山下詢先生が鍼と艾を駆使して行っている治療は,見ていて飽きることがない.先生ご自身が「鍼灸治療は芸術である」と言われるように,刺鍼し,施灸するその手の動きは,絵筆を持ってキャンパス上に色を塗り上げていく画家の手の動きにも,轆轤を回しながら巧みに茶器を練り上げていく陶芸家の手の動きにも錯覚しそうで,患者が心地よい睡眠の世界に導かれるのも宜なるかなである.
 しかし,そのような芸術的な山下先生の臨床は,実は,周到な理論に裏づけられている.医歯薬出版から出版されている先生の代表作『鍼灸治療学―正経と奇経の運用―(1975年)』,『臨床経絡経穴図解(1972年)』,『正奇経統合理論とその臨床(1987年)』の3部作をご覧になれば,そのことは,納得できることであろう.
 「鍼灸は芸術である」と言いながら,古典理論を解きあかし,その壮大な体系をわれわれにわかりやすく解説する語り口は,研究者・学者のそれである.それは,『難経』六十九難を数学的に解説するくだりを読まれれば,具体的におわかりいただけよう.
 この芸術と理論,すなわち感性と理性という相反するかのごとく見える二つの視点を山下先生は一緒にもっておられる.もとよりこの両視点は,同時にあってこそ相乗的に生きるのであるが,なかなか一人の人間のなかでそれが同居する例は多くはないであろう.今後の鍼灸界でも,基礎研究者と臨床家の多くが,それぞれの分野で素晴らしい業績を残すであろうが,果たして,その両者を合わせもつ鍼灸家が幾人輩出するであろうか.そう考えると,山下先生のなかに同居する感性と理性が統合し紡ぎ出す作品は,そんなに簡単にはお目にかかるものではないことがおわかりいただけよう.
 先生の理論は実践のなかから再構築され,また,理論は実践に活かされるという関係にあることは,先生の治療室に伺うとよくわかる.山下先生の治療室のベッドのかたわらには,新聞広告の裏紙を綴じたノートが置いてある.先生は患者の治療の合間に,ふと気づいたことや治療のなかで患者の身体で実際に体得したことをその用紙に書き留められる.患者が語るひびき現象や経絡現象,刺鍼感覚,施灸感覚などを克明に書きつづるのである.そして,それを基に古典理論を検証され,古典理論を確信のあるものとして,臨床に再度フィードバックされているのである.このことは,冒頭で述べた鍼灸治療に必要な要件のすべてを先生が体現されていることをも意味している.
 このほど上梓された本書は,生身の人体に山下先生自身が経絡・経穴を描かれ,それを写真撮影したものである.何も書いていない人体の写真に,後で経絡・経穴を書いたものとは根本的に成り立ちが異なる.そのため,二次元の写真でありながら,読者は立体的な三次元空間の経絡・経穴図として,イメージを明確にすることができる.
 また,経絡の流れや経穴の位置は,古典理論のみを踏まえたものではなく,臨床経験にのみ基づくものでもない.理論と実地の臨床が合体した結果の集大成である.その意味では,初学者から臨床経験を積んだベテランの臨床家まで,それぞれの臨床経験に応じて得るところ大であろう.また,取穴法の解説は,1981年にWHOが開催した「鍼用語標準化のための会議」で定めた名前と位置を基本にしているので,世界に通用する取穴法を身につけることができる.と同時に,別説や私家穴など,他説,自説をも参考として入れておられる.
 先生は,経絡と経穴の研究をライフワークの一つの大きな柱にされているが,本書は先生の経絡経穴研究の非常に重要な位置を占める一冊となるものと考える.
 山下詢先生の古典研究の集大成が一日も早く実現することを祈りつつ,筆を置く.
 1999年11月
 木々の紅葉が深まるつくば市にて
 筑波技術短期大学鍼灸学科教授
 形井秀一

まえがき
 ともすると経絡,経穴の発生・発見は,いずれも自然発生的に現れたものとも考えられる.
 正月には,二日酔いの人であろうか,電車の車中でコメカミのあたりを指先で探り探り揉んでいる人がいる.しかも,指先が胆経の頷厭,懸顱,懸釐にちゃんとあたって揉んでいるのである.少し頭をかしげて,天柱,風池を探しあてて,按圧,揉捻を行っているではないか.しかも,短絡ではあるが,脈(すじ)を辿って,前腕の痛む絡脈を揉んでいるのには驚いてしまう.人々は「脈揉み」をちゃんと知って行っているのである.神経痛や筋肉痛,麻痺の患者なども,待合室の椅子に掛けて,経絡に沿って押し,揉み,撫で,擦り,思い思いの治療行為を行っている.
 もともと人間は本能的に治療行為を覚え,知っているのである.それに灸を据え,鍼を知って,意識的に探究が始まり,経穴も経絡も組織や構成ができたのであろう.
 いうまでもなく,鍼灸治療の鍼灸刺激は体表から与えられる.生体からすれば,外部から治療刺激が出入りする出入口である.それは通常“ツボ“といわれる部位である.しかし,“ツボの本態”は皮膚表面に存在するものではない.皮膚表面から按圧して靱帯,腱,筋肉,脈管,骨格などの組織上に触れる“経穴小体“が,まさしく“ツボの正体”なのである.
 したがって線状,細筋状,粒状,陥凹状,硬結状など多様な形状があり,一様ではない.取穴法はかなりの体験,経験,学習,臨床が要求され,安易・早急に会得できるものではない.ベテランの臨床家でも必ず,苦行,修業の時代はあるものである.
 本書でツボの感触を大切にした理由はそこにある.一穴,一穴の感触を,指頭に記憶させることが取穴法のコツである.
 ここで,経穴と経絡の間柄について少し述べておきたい.意外に思われるかもしれないが,実は「経穴より先に経絡の発見があった!」のである.
 1973年末,中国長沙の馬王堆三号漢墓から出土した帛書,竹木簡など合計20数種の古代文献の中に,医書数巻が存在していた.これらは戦国時代に完成していたもので,特に私の関心を引いたものは,『足臂十一脉灸経』『陰陽十一脉灸経甲本』『同乙本』の3巻である.この3巻を和訳し,3巻の11脉の図鑑を作り,私の書斎に揚げて,古代人の驚くべき創造性に感嘆しているのである.
 それは『霊枢経脉篇』と比較すれば,はなはだ不完全で,素朴なものである.しかし,すでに「経絡」の名に十分応えられる形態をなしているのである.さらに驚くべきことは,『足臂十一脉灸経』には3陰3陽の名が付され,しかも各経別に「経病」が列挙され,その後に「これらの病は,皆な各3陰3陽経に久(灸)す」と指示されていることである.『陰陽十一脉灸経甲本』『同乙本』には,ともに「経病」が“是動病“,“所産(生)病”に分類されて列挙されている.
 そして驚歎したのは,3巻を通して一穴の穴名も穴部位も記載されていないのである.つまり,「経穴よりも早く,経絡がすでに発見されている!」という史実であった(手の心包経だけが欠けている).
 「経穴」はおそらく戦国末か前漢ごろに「鍼治療」が始まり,名実ともに「鍼灸治療」となってから急速に「経絡」の精密化が進み,同時に「経穴」の発見→定見→整理→体系化→完成がなり,「経絡経穴学」の完成が成就したのであろう.その完成は漢代の後期と考えられる.
 「馬王堆時代」の施灸部位は,おそらく阿是穴による灸療であったと思われる.「経絡」を忠実・精密に学び,そのうえで「経穴」を正確に取穴されるようになって,臨床応用が自在になってくれば,「経絡」と「経穴」の“不離一体性”が体得され,納得されてくるのである.「経穴」は治療刺激の受容部ではあるが,鍼灸効果は経絡によって目的病位に伝達され,治療目的がはじめて達成されるのである.経絡があってこそ経穴があり,経穴があってこそ経絡があるのである.
 実は本書の写真撮影は,15年前に終了していた.その後,数冊の執筆に忙殺され,さらに思いもかけない大病をわずらい,幸い一命は取りとめたものの,静養期間を必要としていた.
 昨年夏ごろから,旧稿『写真取穴法』を取り出してポツポツ書き始めていた.幸い年末までに脱稿できたことは,私にとって望外の喜びである.
 ただ最後まで丸坊子頭の適当なモデル希望者が得られず,同じ機会に計画していた大腿部も,ついに逸してしまい,この2カ所が図解に終わってしまったことは大変心残りである.読者のご了承をお願いしたい.
 鍼灸医学は,20世紀末にいたって,急速に国際的医学として浮上してきた.私は,本来,東洋医学を,中国春秋以後2,500年にわたり,脈々と生きつづけている永遠にクリーンな「未来医学」であることを講義し,講演し,書きつづけてきた.むしろ今では,現代の諸問題全般を通じて,永遠に腐敗とも公害とも無縁である「未来哲学」であると思っている.
 本書を執筆するにあたっては,常に国際化を念頭におき,中国の取穴,日本古来の取穴,そして45年にわたる私自身の臨床経験から生まれた取穴と,三重に加算した結論をもって,各穴の取穴法を書いたつもりである.
 ここで,現代経穴学の国際事情や,本書の必要事項などを簡単に述べておきたい.1989年,経穴の「穴名」,「名称」,「部位」などに関する国際標準が制定された.現在,鍼灸医学教育は,これに準じて行われている.本書の穴名は国際標準に従っているが,多くの臨床家皆さんの当惑を考えて,新穴名,新名称は新旧穴名を併記している.
 経穴は「生きもの」であり,また経絡には「中州現象」を示す部位があって,そこでは分流し,再合流している.したがって,異穴,別説が発生するのは当然なのである.もちろん,経穴には正規の住所がある.しかし,いつも定住しているとは限らず,ときにはウロウロすることがある.したがって正しく学習し,さらに現象に順応し,洞察力を養ってこそ,生理,病理の機微,妙味を知ることができるのである.
 また国際標準経穴名は,中国経穴名に準拠している.したがって,身体の異なる部位に,同一穴名が存在する場合は,「頭A穴」,「足A穴」または「頭B穴」,「腹B穴」と部位名がついている.中国名は漢字名である.しかし日本で読まれる場合は,「頭のA穴」と「足のA穴」または「頭のB穴」と「腹のB穴」などと,部位名と穴名の間に「の」を入れて読むのが自然であり,一般的である.したがって,本書では基本的に日本式の「呼び名」を穴名として表記している.
 本書が出版されるまでには,多くの方々のご協力を得た.とくに筑波技術短期大学の形井秀一教授には,はじめから最後までお世話になり,厄介なお手数までおかけしている.文字どおり生みの親,育ての親になっていただいたことを,心から深く感謝申し上げます.石井渉,森川和子,町田しのぶ,山下義憲の4先生には,骨身惜しまぬご協力をいただいた.本書がその結晶となっている.おそまきながら厚くお礼申し上げたい.また医歯薬出版の関係者には,多大のご迷惑をおかけしたにもかかわらず,ご寛容とご配慮をいただいた.ここに心からお詫びと謝辞を申し上げる次第である.
 思えば本書には,奇異な感触を伴った歌麿気分をチョッピリ味わい,溌刺としていたころの,数々の思い出が遠く懐しく,永い忘却への自責の思いもあって,私には格別愛惜の念が深い.切に本書が好学諸氏の一粒の糧となることを祈りたい.
 1999年4月28日
 阿佐谷にて山下 詢
 第3版への編者序
 第2版第3刷への編者序
 第2版への編者序
 編者序
 まえがき
I.写真取穴法
 1.顔面部・頸部・鎖骨部前面
 2.顔面部・頸部・頸部前面
 3.顔面部・頸部・頸部側面
 4.頭部上面
 5.頭部・頸部後面
 6.体幹前面
 7.体幹後面
 8.殿部の取穴(付.阿是穴の取穴法)
 9.上肢前面
 10.上腕前面
 11.上腕内側面
 12.前腕前面(1)
 13.前腕前面(井穴)(2)
 14.上肢後面
 15.上腕外側面
 16.上腕後面
 17.前腕外側面(1)
 18.前腕後面
 19.前腕内側面
 20.前腕外側面(2)
 21.下腿前面
 22.下腿外側面
 23.下腿内側面
 24.下腿後面
 25.足背面
 26.足内側面
II.図解取穴法
 大腿部
  1.大腿外側前面(左):胃経(ST)
  2-1.大腿後面(右):膀胱経(BL)
  2-2.環跳(GB30)
  3-1.犢鼻(ST35)と膝眼の取穴法(右)
  3-2.大腿外側(右):胆経(GB)
  4.大腿内側(右):脾経(SP)
  5.大腿後面(右):腎経(KI)
  6-1.大腿内側(右):肝経(LR)
  6-2.陰廉(LR11),足(の)五里(LR10)の取穴法(右大腿)
  6-3.会陰(CV1)の取穴法
III.取穴の分寸法
 1.骨度法の取穴法
 2.指量法の取穴法
IV.取穴法
 1.手の太陰肺経 Lung Meridian,LU 11穴
 2.手の陽明大腸経 Large Intestine Meridian,LI 20穴
 3.足の陽明胃経 Stomach Meridian,ST 45穴
 4.足の太陰脾経 Spleen Meridian,SP 21穴
 5.手の少陰心経 Heart Meridian,HT 9穴
 6.手の太陽小腸経 Small Intestine Meridian,SI 19穴
 7.足の太陽膀胱経 Bladder Meridian,BL 67穴
 8.足の少陰腎経 Kidney Meridian,KI 27穴
 9.手の厥陰心包経 Pericardium Meridian,PC 9穴
 10.手の少陽三焦経 Triple Energizer Meridian,TE 23穴
 11.足の少陽胆経 Gallbladder Meridian,GB 44穴
 12.足の厥陰肝経 Liver Meridian,LR 14穴
 13.督脈 Governor Vessel,GV 28穴
 14.任脈 Conception Vessel,CV 24穴

 引用・参考文献
 索引