やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 「パパ,お口臭い!」今から10年前の筆者は,娘や妻からこのような言葉をよく掛けられていました.恥ずかしながら,当時の歯磨きは朝1回3秒のみ.歯科医院は小学校時代のむし歯治療を最後に,親知らずの抜歯以外で通ったことはありませんでした.結果として立派な「歯周病男」ができあがり,リンゴをかじれば血が出る始末.加えて,当時の体重は過去最大の92kgを誇り,糖尿病専門医なのに糖負荷試験の結果は境界型間近,血圧は高く,重症の不整脈も頻発していたのです.
 そんな折,今から9年前(愛媛大学在籍時代),愛媛県歯科医師会との共同臨床研究を開始することになりました.「歯周病男が糖尿病と歯周病の研究責任者」というのはさすがに恥ずかしかったので,意を決して歯科医院を訪ねた次第.
 歯科医師の診察を受けると,診断はもちろん立派な歯周病.歯科衛生士さんに,多量の歯石を取ってもらい,“汚口”をピカピカにしてもらいました.ブラッシング指導も受け,人生で初めて夕食後に歯を磨き,デンタルフロスで歯間清掃にも取り組むようになったのです.果たして,汚口が“美口”になると何が起こったのか?
 それまでの筆者は大学から夜遅くに帰宅すると,食事の後に冷蔵庫を開けては,アイスクリームやスイーツ,深夜に小腹が空くと冷凍食品などに手を伸ばしていました.糖尿病専門医なのに・・・.しかし,夕食後の歯磨きと歯間清掃を励行するようになると,「きれいにした口腔を汚したくはない」ので,自然と間食や夜食が消えたのです.すると,毎月2kg前後体重が減っていきました.これに気をよくした筆者は,スポーツにも挑戦するようになり,結果として1年後には体重74kgに.なんと,18kgもの減量に成功したのです!
 驚きはこれだけではありません.気がつけば,血圧は下がり,血糖値も低下,挙げ句の果てには重症の不整脈まで嘘のように消えていました.
 こうして,筆者は自分自身の体験を通して,「知られざる歯周病治療の威力」を実感したのです.また,大学病院の病棟においても,う蝕や歯周病が原因で致死的な感染症を併発した糖尿病症例を経験していましたので,「口腔と全身のつながり」についても既に理解がありました.このような背景から,内科医の立場で歯科医療の意味を理解するために,ゼロから歯科の勉強をはじめたのです.
 膨大な時間と手間はかかりましたが,「なぜ歯科への定期通院が必要なのか?」,今では誰よりも上手に,説得力をもって国民に説明できる自信があります.第V編で述べますが,「糖尿病と歯周病」というテーマには国民の心を動かし,「歯を磨こう,口をきれいにしよう!」という行動変容さえ生み出す力があるのです.口が清められ,慢性微小炎症が消退すれば,糖尿病,心血管病,肺炎,早産など,さまざまな災いから身を守ることが可能なことを,さまざまな学術研究が示しています.
 2017年7月,医歯薬出版株式会社から発刊された『内科医から伝えたい歯科医院に知ってほしい糖尿病のこと』には,歯科関係者の方々に知っていただきたい糖尿病の基礎知識や,歯周病と全身の深い関わり合いについてまとめました.本書は,前書を下敷きにして,新たに「医科に知ってほしい歯科の基礎知識」や「糖尿病療養指導の勘所」などを加えています.特に第II編では,歯科医師や歯科衛生士ですら知らない日本人の口腔の現状について,信頼できる疫学調査を基に紹介しました.
 本書は,より良き糖尿病療養指導を実現するために企画されましたが,実は患者さんよりも,医療従事者であるみなさま自身を意識して書き上げています.かつての筆者のように,歯科医院に通うことなく,誤った口腔ケアで日々を過ごしている医療従事者は多いことでしょう.
 患者さんを前にして糖尿病療養指導をはじめる前に,まずは私達自身のお口を清めなければなりません.口臭を振りまきながら,指導にあたるなど論外.穢れを払い,清められたお口は,これから10年後に必ずやあなたの体を災いから守ってくれることでしょう.その理由と対策が,本書には書かれています.
 数々の疫学調査から明らかになっているとおり,この国で生涯にわたり「健康な歯」を維持することは,決して簡単なことではありません.しかし,8020達成者はそれが不可能ではないことを実証するとともに,人生の最後まで「自分の歯で何でも食べられる」ことの幸せを,私たちに伝えています.
 健やかな口(健口)を通して,体の健やかさと幸せ(健幸)を手に入れるのか.それとも,大切な歯を失い,健康まで失うのか.どちらの道を選ぶかは,今日からの口腔ケアにかかっているのです.
 本書を通して「口腔の大切さ」を,まずは我が事,次に家族の事,そして患者さんの事,最後はこの国の事として,読者のみなさまに捉えていただけることができれば,著者としてこれ以上の喜びはありません.
 最後に,医歯薬出版株式会社とのご縁を頂きました,川島 哲先生,日本アンチエイジング歯科学会 松尾 通会長に深謝致します.また,前書につきまして,広く支持してくださいました全国の歯科医師・歯科衛生士の方々に感謝します.みなさまからのご支援がなければ,本書が誕生することはありませんでした.そして二作品にわたり,阿吽の呼吸でサポートしてくださいました医歯薬出版株式会社第二出版部の増田真由子さんに心よりお礼申し上げます.
 2018年7月
 西田 亙
第I編 復習しよう糖尿病の基礎知識
 第1章 なぜ歯科との連携が必要なのか?
  1 わが国で激増する糖尿病とその予備軍
  2 歯科外来に潜む高血糖患者
  3 歯科外来でも糖尿病患者を支える時代
 第2章 糖尿病の歴史とインスリン
  1 糖尿病は数千年もの歴史をもった病気
  2 「糖尿病(Diabetes Mellitus)」命名までの道のり
  3 なぜ尿糖は糖尿病の診断に使われないのか?
  4 インスリンの発見
  5 血糖値を下げる唯一のホルモン〜インスリン〜
  6 24時間社会で疲弊していく膵臓β細胞
  7 糖尿病は社会病
 第3章 血糖値とカロリーを理解する
  1 水のように薄い血糖値を実感する
  2 角砂糖1個に秘められた熱エネルギー
  3 “水を飲んでも太る”理由
  4 殺人的高カロリーを含有する清涼飲料水
  5 食後の経過時間に応じた血糖の正常値
  6 真の健常者は血糖一直線!
 第4章 糖尿病の診断と分類
  1 まずは糖尿病型の判定から
  2 慢性の高血糖を証明せよ!
  3 糖尿病の成因分類
  4 糖尿病の病態分類
 第5章 糖尿病は血管病
  1 人は血管とともに老いる
  2 糖尿病特有の三大合併症(細小血管障害)
  3 命にかかわる大血管障害
  4 第6の糖尿病合併症“歯周病”
  5 最も怖い合併症は神経障害
 第6章 高血糖症状のポイント
  1 糖尿病に特徴的な高血糖症状
  2 血糖値300mg/dL以上を疑わせるサイン
 第7章 低血糖症状のポイント
  1 なぜ血糖コントロール目標は改定されたのか?
  2 “The Lower,The Better”の見直し
  3 HbA1c7.5%前後が最も安全
  4 インスリンとSU薬による低血糖症はどちらが怖いのか?
  5 具体的な低血糖症状
  6 無自覚性低血糖の怖さ
  7 シックデー
  8 低血糖への対処方法
第II編 糖尿病療養指導士が知っておくべき歯科の知識
 第1章 8020データバンク調査が明らかにした80歳の口腔状況
  1 永久歯の歯列と咬合支持域
  2 8020データバンク調査
  3 岩手県から始まった8020データバンク調査
  4 岩手県・福岡県・愛知県における8020データバンク調査
  5 咀嚼能力の評価
  6 口腔状態と咀嚼能力・全身状態の関係
 第2章 歯科疾患実態調査から明らかになる日本人の口腔の問題点
  1 国民健康・栄養調査と歯科疾患実態調査の限界
  2 世代別にみた日本人の歯の状況
  3 日本人が永久歯を喪失する原因
  4 加齢とともに増加する歯周病
  5 経済的困窮が歯科受診を阻む
 第3章 日本の歯科医師が自ら明らかにした口腔と全身のかかわり
  1 レモネード・スタディの誕生
  2 ベースライン調査から明らかになった歯科医師の実態
  3 歯の喪失は転倒骨折を招く
  4 歯の喪失は命をも奪う
  5 咬み合わせも命にかかわる
  6 肺炎死亡も歯の喪失から
  7 歯磨きを怠ると口腔・咽頭・食道がんを招く
  8 歯間清掃が長生きを決める
  9 レモネード・スタディに学ぶ
 第4章 8020達成者の素晴らしき歯並び
  1 不正咬合とは?
  2 東京都文京区の8020達成者が与えた衝撃
  3 若い頃の歯並びが口腔の将来を決める
  4 なんでもかめる食生活を実現するために
第III編 感染症でつながる口腔と全身
 第1章 症例から学ぶ口腔感染症の恐ろしさ
  1 口腔感染症が原因で命を落としかけた糖尿病の2症例
 第2章 フソバクテリウム感染症が教える口腔感染制御の重要性
  1 世界初の口腔子宮感染症例の衝撃
  2 フソバクテリウム・ヌクレアタムはヒトの早産を誘発する
  3 フソバクテリウム・ヌクレアタムは上皮細胞に付着し侵入する
  4 フソバクテリウム・ヌクレアタムは血管内皮細胞に侵入した後死産・早産を引き起こす
  5 胎盤の細菌叢は口腔と最も似通っている
  6 咽頭痛後に命を奪うレミエール症候群
 第3章 国民に知らしめるべき震災後肺炎
 第4章 介護施設および病院における口腔機能管理の威力
  1 日本から発信された口腔ケアによる誤嚥性肺炎予防の力
  2 日本医師会雑誌に掲載され衝撃を与えた千葉大学附属病院の歯科介入試験
  3 リハビリ歯科開設により肺炎減少と在院日数短縮をもたらした足利赤十字病院
第IV編 炎症でつながる歯周病と糖尿病
 第1章 症例から学ぶ歯周病と糖尿病の深いかかわり
  1 歯周病と糖尿病は炎症を通してつながる
  2 歯周基本治療により味覚が回復し偏食も改善された
  3 歯科の常識と智慧を医科の栄養指導へと還元する
  4 健康な味覚と咀嚼は健康な口腔に宿る
  5 医科歯科と患者の間に共通言語を
 第2章 歯周病と糖尿病は慢性微小炎症がつなぐ
  1 歯周治療は糖尿病を改善するのか?
  2 歯周治療は炎症の消退を通して糖尿病を改善する
 第3章 慢性微小炎症の恐ろしさ
  1 日本が世界に誇る疫学研究「ヒサヤマ・スタディ」
  2 微小炎症と心筋梗塞の関係
  3 微小炎症と糖尿病の関係
第V編 糖尿病領域における医科歯科社会連携
 第1章 医科歯科連携の黎明期
  1 糖尿病専門医よりも先行した歯科医師の気づき
  2 わが国の糖尿病領域における医科歯科連携の芽生え
  3 『糖尿病治療ガイド』に歯周病が合併症として登場
 第2章 歴史的な足跡を残した2016年
  1 日本糖尿病学会が診療ガイドラインにおいて歯周治療を推奨
  2 厚生労働省が糖尿病患者に対する積極的歯周治療のために新診療報酬を収載
  3 日本糖尿病協会が糖尿病連携手帳の歯科記載項目を大幅に拡充
 第3章 診療情報連携共有料の誕生
  1 2018年厚生労働省が歯科医科連携のために新診療報酬を収載
  2 診療情報連携共有料が意味するもの
 第4章 社会との連携
  1 国民に向けた医科歯科連携の発信
  2 マスメディアからの注目
  3 医科と歯科の連携は緯糸,社会との連携は経糸