やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 2000年4月,介護保険制度が,要介護高齢者の増加,要介護状態の長期化・重度化,家族の介護機能の低下(高齢者単独世帯の増加)などの問題を解決するために導入された.
 高齢化の進展とともに,在宅,施設を含め,介護を受ける高齢者数が400万人にもおよび,要介護高齢者の半数が認知症をもち,施設入所高齢者の8割が認知症を合併しているといわれている.
 介護保険制度発足後,数年が経過し,次第に介護実践に関する技術的問題だけでなく,いろいろな倫理的問題,例えば認知症高齢者の尊厳に関する問題,終末期ケアの問題,福祉のビジネス化にともなう問題などが顕在化してきた.
 倫理的気づき
 介護現場における様々な問題点も,実際,介護技術上の問題として意識されていることが多い.例えば,認知症患者に日常的によくみられる“徘徊““介護への抵抗”などは介護技術の工夫によりすいぶん改善されるが,やはり技術上の問題だけでなく,倫理的問題も含んでいると考えると,さらに的確な視点で問題をとらえることができる.
 日常の介護に関する倫理的ジレンマに対する関心を高め,「何が倫理的問題なのか」という倫理的気づきEthical Sensitivityの視点を養っていただければ幸いである.
 高齢者の尊厳に配慮し,『自立』と『自律』を支援する
 倫理的配慮をすることは,必ずしも負担増ではない.価値観を変え,ケアの提供方法を変えることは,結果として高齢者の「最善の利益」や「尊厳保持」に役立つ.介護提供者の視点「その方はこう望むだろう」と,「本人が本当に望むこと」の距離を近づけることがhigh-quality careを提供することになる.
 倫理的価値(善)の衝突
 臨床や介護現場というものは,つねに不確実性がついてまわり,1つのケースのなかに「対立する価値(善)」がある場合がしばしばある.つまり,どちらもそれぞれ「価値があり,善である」ものが対立する.倫理的思考は,これらのケースに適切に対処するツールを提供するであろう.
 コミュニケーションの重要性
 家族と医療・介護関係者全員で高齢者を支えるケアを実践するためには,信頼関係にもとづいた,早い時期からの,共感に満ちたコミュニケーションが大切である.情報を共有することによってコミュニケーションを高めると,意見の対立(コンフリクト)を生じない適切な解決方法を導くことができる.自分の視点だけで考えるのではなく,他人の視点に立って,もう一度考えてみる,すなわち他人の視点も,自分の視点と同様に大切であることを知ることが第一歩である.
 倫理には「たった1つの正解」があるわけではない.『よりよく生きる』ための,考え方(ツール・道具)を提供する学問である.そして,その「ツール」を用いて,現場で,皆様自身が「高齢者の立場に立ってよく考える」ことが,『介護倫理』を実践することになる.
 謝辞
 本書の執筆にあたって,群馬大学医学部の山口晴保教授,群馬県立高齢者介護総合センター前所長の福島富和氏,日弁連高齢者障害者の権利に関する委員会の池田徳博弁護士および医療法人社団五雲堂齋藤如由医師に適切なアドバイスをいただいた.ここに感謝の意を表したい.
 箕岡真子
 はじめに
第1章 介護倫理の基礎
 1 なぜ介護に生命倫理は必要か?
  「介護倫理」と生命倫理
  介護における「倫理的ジレンマ」と「倫理的気づき」
  自立と自律,パーソンセンタードケア
  I 介護倫理の基礎知識
   1.事実Factと価値Value
   2.「徳倫理」と「倫理原則」
   3.倫理理論
   4.倫理4原則の衝突
   5.SOL,QOL,人間の尊厳
   6.倫理的ジレンマへのアプローチ法
   7.医学的視点と倫理的視点と法的視点のバランスのとれた判断
 2 「私は120歳まで生きたいわ」―自己決定と意志能力
  Case-1「私は120歳まで生きたいわ」
  I 倫理的問題点に気づく
  II 介護倫理の基礎知識
   1 自己決定
    Column 「自律尊重原則」は判例や歴史的事件を背景に確立された
   2 意志能力
    Column 意志能力の評価基準の相対化(スライド尺度化SlidingScale)
   3 代理判断 ―「意志能力がない」と判断された場合
   4 誰が代理判断者となるか
  III Case-1へのコメント
第2章 日常ケアの介護倫理
 1 「縛らないでくれ!わしは犬ではない!」―転倒と拘束:倫理4原則の衝突
  Case-2「縛らないでくれ!わしは犬ではない!」
  I 倫理的問題点に気づく
  II 介護倫理の基礎知識
   1 倫理4原則の衝突 ―対立する倫理的価値(善)
   2 尊厳
   3 拘束の弊害
    Column 拘束にかかわる法律知識
   4 資源配分の公正性
  III Case-2へのコメント
 2 「どうか,もう一口だけでも食べてください!」―食事・内服の拒否
  Case-3「どうか,もう一口だけでも食べてください!」
  I 倫理的問題点に気づく
  II 介護倫理の基礎知識
   1 代理判断の問題点
   2 成年後見制度
  III Case-3へのコメント
 3 「介護中に事故が起こったらどうなるの?」―リスクマネジメント
  Case-4 施設内での転倒事故
  I 倫理的・法的問題点に気づく
  II 介護に関係する法的基礎知識
   1 事故と過誤
   2 粉争と裁判
   3 民事責任の基本的構造
    Column 債務不履行に関する用語
   4 民事裁判の流れ
   5 刑事裁判の流れ
  III Case-4へのコメント
 4 「虐待の疑いにどうすればいいの?」―虐待と守秘義務
  Case-5 「虐待の疑いにどうすればいいの?」
  I 倫理的・法的問題点に気づく
  II 介護に関係する法的基礎知識
   1 介護従事者の守秘義務
   2 通報・通告(届出)義務
  III Case-5へのコメント
    Column 暴力・虐待に関する3つの法律
 5 「『本人か家族でなければ教えられない』は正しいの?」―介護現場における個人情報保護
  Case-6 施設での個人情報の扱い
  Case-7 施設と病院間での個人情報の扱い-1
  Case-8 施設と病院間での個人情報の扱い-2
  I 倫理的・法的問題点に気づく
  II 介護に関係する法的基礎知識
   1 医療・介護現場での問題
   2 視点と留意点
    Column 介護サービス利用者への介護提供に必要な利用目的
    Column 目的外利用禁止(16条)及び第三者提供禁止(23条)の除外規定
  III Case-6,7,8へのコメント
 6 「休みなしの長時間労働で疲れがとれません」―介護者の労働環境
  Case-9 介護従事者の労働荷重
  I 倫理的・法的問題点に気づく
  II 介護に関係する法的基礎知識
   1 介護従事者も労働者―労働条件の整備を求めるのは権利である
   2 Quality of Working Life(QWL)という発想の共有
   3 法が労働者を守る
  III Case-9へのコメント
    Column 「有期労働契約の締結,更新及び雇止めに関する基準」(要旨)
第3章 終末期ケアの介護倫理
 1 「早くお父さんにお迎えに来てほしいの」―終末期ケアの介護倫理
 Case-10 「早くお父さんにお迎えに来てほしいの」
  I 生命倫理の基礎知識
   1 “看取り”ということが指し示す意味
   2 『安楽死』と『患者の意思によって延命治療をしないこと』
    Column 尊厳死についてのいくつかの見解
   3 倫理的に区別しにくい概念
   4 海外における延命治療の差し控え・中止の事例
    Column その他の終末期に関する判例
   5 日本における延命治療の差し控え・中止の事例
   6 心肺蘇生術 CPR(Cardio-Pulmonary Resuscitation)
   7 人工的水分栄養補給
    Column 終末期認知症患者にとってPEGは有効か?
   8 緩和ケア
   9 終末期の意思決定プロセスとケアプラン
   10 事前指示書
  II 倫理的問題点に気づく
  III Case-10へのコメント
第4章 介護倫理の実践
 1 倫理コンサルテーションの実際
  I 倫理コンサルテーションとは
  Case-11 PEG実施に関する倫理コンサルテーション ―治療拒否の意思が明確な場合
  II 倫理コンサルテーションに関するまとめ
   1 倫理コンサルテーションの検証と意義
   2 倫理コンサルテーションのこれから
 2 介護事故の裁判外紛争解決 ―ADRとメディエーションの実際
  I アクシデント発生-そのとき!それから…?138
  II 介護メディエーションとは
   1 介護メディエーションとは
   2 ADR・メディエーションの基礎
   3 介護の特殊性
  Case-12 車椅子からの転倒と骨折
  III メディエーションに関するまとめ
   1 問題点の整理
   2 話し合いの実際 ―2つの事例
 3 事前指示書-アドバンス・ディレクティブ作成の実際
  I 事前指示書とは
   1 事前指示書の役割
   2 事前指示書作成のプロセス
  Case-13 事前指示作成によって,家族内の意思疎通が改善したケース
  Case-14 事前指示作成によって,心の平穏が得られたケース
  II 事前指示に関するまとめ
   1 事前指示書は“こころ”で書く
   2 事前指示書は“適切”な状況で書く
   3 事前指示書は“十分なコミュニケーション”をして書く
   4 事前指示書の内容を再確認する
 付録『私の四つのお願い』
 おわりに
 索引