やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 診療に従事するには,その前提として人体の構造の正しい知識が必須であることは言うまでもない.しかし複雑をきわめた人体の構造を,頭のなかで立体的に再構築することは決して容易なことではない.長年,解剖学教育の前線にいたわれわれも,新鋭機器の利用もふくめて,手をかえ品をかえ,たえず学生の理解の容易化に努めてきた.しかし,教育機器にくらべると,人間の頭はそれほど進歩しているわけではない.結局は,あまり急がずに,色チョークで黒板に画いた模型図による説明と,解剖学実習による実際の観察の間の往復をくり返すのが王道のようである.だが,だれでも解剖学実習の機会に恵まれているとはかぎらないし,たとえ実習が可能であっても,それはほんの短い期間にすぎない.持ち運びのできる解剖学資料館をいつも手許においておきたいという願いが,本書の出版を思い立った動機の基底にひそんでいるのである.
 かなり時がたってしまったが,Journal of CLINICAL REHABILITATION(臨床リハ,医歯薬出版)が創刊されたころ,編集委員長の米本恭三先生(現・東京慈恵会医科大学名誉教授)と編集委員の石神重信先生(現・浜松市医療公社常務理事)のお誘いを受けて,グラビアページ「目で見るシリーズ」に,1992年から2000年にかけて断続的に7シリーズ計61回にわたり,筋・神経・血管に焦点をあてた解剖所見のフォトアトラスを連載させていただいた.当時は目新しさもあったのか,この試みは幸いにも好意的に迎えられたようであり,また「使いやすい単行書にまとめて使用の便をはかってほしい」という要望も少なからず耳に届いた.そこで,シリーズで供覧した剖出写真をコアとし,さらに新しい剖出写真を加えて1冊に編集し直すことにした.もちろん,すべてを網羅した理想的なアトラスには程遠いが,足りないところは今後補充していきたいと考えている.
 「機能回復」というように,リハビリテーションで最終的に重要なのは機能である.そして,その機能をもたらす基盤としての形態もたしかに尊重されてはいる.しかし,形態と機能を総合的にあつかった本を見ても,両者のバランスが保たれた良質な本に出会うのはまれであり,筋の姿がなかなか見えてこない.対象を解剖に限定した本にしても,個々の筋の起始と停止は詳しいかもしれないが,周囲との相互位置関係ならびに神経支配への配慮が十分でないためか,ここでも筋の全貌が見えにくいのである.もちろん,本書に与えられた第一の任務は,先述のように運動器と末梢神経に焦点をあてた解剖学資料館としての役割であると承知しているが,単にその役割に甘んじようとは考えていない.ページをめくれば,解剖のデザインにせよその解説にせよ,類書とはひと味違うものが読者には感じていただけるのではないかと,ひそかに期待している.筋は支配神経があってはじめて筋であり,また筋の配置は神経や血管の走路とも密接な関連をもっている.このような観点から形態の本質にかかわる視点をとり入れ,控えめながら読者へのメッセージとしてちりばめたつもりである.本書の目的を,単なる用語の確認と立体構築の理解だけに限定せずに,読者の知的好奇心を刺激できるものにしたかったのである.本書により,形態を見る眼が豊かになり,それが将来の診療の改良に結びつく端緒として役立つならば,これ以上の喜びはない.
 本書は,かつてわれわれが属していた東京医科歯科大学臨床解剖学教室の方々の協力と励ましがあって,はじめて製作が可能であった.秋田恵一助教授には咀嚼筋の剖出写真の貸与と本書の製作にご配慮をいただいた.少なからぬ数の良質の標本作製には平馬貞明氏にお世話になった.企画から製作全般にあたっては,坪井陽子氏のお力をお借りした.ここに深甚なる感謝の念を捧げるものである.先にもふれたように本書の企画は,Journal of CLINICAL REHABILITATION創刊時に,「目で見る臨床解剖」がシリーズとしてとり入れられたことに端を発している.そして,同誌の編集者であった塚本あさ子氏が引きつづき本書を担当してくださったことは,われわれにとって望外の幸運であった.上記の方々ならびに医歯薬出版のご協力により,本書はリハビリテーション分野において有用な一書となり得たと思い,重ねて感謝の意を表したい.なお,本書で用いられた剖出写真はすべて,自分の遺志にもとづき献体された遺体の解剖所見によっている.献体された故人の方々に心からの敬意と感謝の念を捧げるものである.
 2006年5月 佐藤達夫
 坂本裕和

凡例
I 頭頸部の解剖
 1.頸部の浅層筋と神経
 2.舌骨下筋と頸神経ワナ
 3.頸部の主な血管
 4.腕神経叢と斜角筋隙・頸肋
 5.咽頭
 6.反回神経
 7.喉頭
 8.頸部の交感神経系とリンパ系
 9.上頸神経節と星状神経節
 10.頸神経の皮枝と三叉神経
 11.顔面神経
 12.眼窩内部の神経
 13.迷走神経
 14.咀嚼筋と三叉神経
 15.翼口蓋神経節
II 胸腹部の解剖
 1.大胸筋・小胸筋と胸筋神経
 2.前鋸筋と長胸神経
 3.肋間筋と肋間神経
 4.肋骨挙筋と支配神経
 5.外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋
 6.腹直筋と腰方形筋
 7.肋間神経の枝分れ
 8.横隔膜
 9.鼠径管
 10.胸部の自律神経系
 11.腹腔神経叢の構成と分布
 12.骨盤神経叢(下下腹神経叢)の構成と分布
III 背部の解剖
 1.浅背筋
 2.後鋸筋と肋間神経
 3.固有背筋の外側群
 4.固有背筋の内側群
 5.髄膜
 6.脊柱の靭帯
 7.頸椎
 8.腰椎
IV 上肢の解剖
 1.腕神経叢の構成
 2.肩甲上神経と棘上筋・棘下筋
 3.肩甲下神経と肩甲下筋・大円筋
 4.腋窩神経と三角筋・小円筋
 5.肩関節の神経
 6.上腕屈筋と筋皮神経
 7.上腕伸筋と橈骨神経
 8.肘窩と正中神経
 9.肘関節
 10.前腕屈筋と正中神経
 11.前腕屈筋と尺骨神経
 12.前腕における正中神経と尺骨神経の交通
 13.前腕伸筋と橈骨神経
 14.手根管と正中神経
 15.母指球筋と正中神経
 16.尺骨神経の深枝
 17.骨間筋と尺骨神経の深枝
V 下肢の解剖
 1.腰神経叢
 2.外側大腿皮神経と鼠径靭帯
 3.大腿の伸筋と内転筋
 4.仙骨神経叢
 5.殿筋と支配神経
 6.回旋筋群と支配神経
 7.大腿屈筋と坐骨神経
 8.膝の内側と後部
 9.膝関節
 10.膝窩と下腿屈筋の浅層
 11.総腓骨神経と下腿筋群
 12.下腿前部の筋・筋膜・動脈
 13.足根管とその通過物
 14.足底と下腿屈筋の深層
文献
索引