やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

編者の序
 30年前,「何とかしなくてはならない」止むに止まれぬ気持ちに駆られて,全体として一人の自分として機能する脳の,主体的な構造化を支援する方法の必要性を訴え,自らの臨床を全体構造法(JIST法)として公開させていただきました.
 その後,言語聴覚障害およびSTを取り巻く医療・福祉・社会環境が刻々と変化する中で,本法主旨への強いご支持が広がり着実に活用され,本法の果たすべき役割や適応される領域もかなり広がってきたことを感じます.しかし,だからこそ簡単に技法面だけを受け取られ,本法がテクニック的に誤解される危険性も増えてきました.誤解されても構わないのですが,それでは言語障害のある方への効果も限定され,十分なリハビリテーション貢献もできない残念なことになってしまいます.
 この意味で全体構造法体系の基本を伝える本書の出版意義は大きいと思っています.
 さて,本書はこれまで多くの言語聴覚リハビリテーション関係者のご支援をいただき,『失語症のリハビリテーション 全体構造法のすべて』というタイトルのもと第2版まで版を重ねて参りましたが,今回,初版以降の発展研究編も同時出版する企画をいただきましたので,これまでの第2版の内容を引き継ぐものを「基本編」,発展研究編を「応用編」とし,ともに新版として出版することとなりました.
 基本編では,全体構造法を学ぶ羅針盤としてのベーシックな大部分は変えていませんが,わかりにくいと思われた記述の修正や新しい知見の加筆などの微調整を行いました.また,掲載症例も本法の効果や手順が確定しているブローカ失語,ウェルニッケ失語に加え,まだ議論の多い伝導失語,健忘失語,超皮質性感覚失語も報告してもらいました.現任STの構造化訓練の探索・施行過程により,深く本法臨床を考えていただけることに対応できているかと思います.
 最後になりますが,全体構造法スタート時から長年変わらずご指導いただき,新版出版に際しても励ましをいただいた東京慈恵会医科大学名誉教授の米本恭三先生はじめ,ロベルジュC.先生,渡辺実先生,波多野和夫先生,多くの貴重なコメントや示唆をくださりながら忍耐強く一から完成まで編集してくださった医歯薬出版の神ア亮太氏に深く感謝申し上げます.
 2016年3月
 道関 京子

 日本全体構造臨床言語学会公式サイト
 http://www.jist.org/


監修者の序
 いうまでもなく,人間は,社会的な存在である.家族,会社,学校,地域,国家…など,さまざまな社会的共同体の中で生きている.
 そして,その人間が社会的つながりを保持してゆく際のもっとも基本的な手段は移動と言語である.人間はその言語をとおして社会とつながり,そのつながりの中で人間らしさを身につけてゆく,といっても過言ではない.
 言語を失うことによる孤立感・寂寥感,そしてどこにもぶつけようのない憤りは,いかばかりのものであろうか.会社・学校・地域のみならず,家族とのコミュニケーションまでが障害されるのである.さらに本人のみならず家族全体が重苦しい重圧のもとでの生活を強いられることになり,場合によっては家庭の崩壊を引き起こしてしまうことすらある.
 リハビリテーション医療の目標は,人間らしく生きる権利の回復というところにある.さてリハビリテーション医療はこれまで,失語症に対して有効な手だてを取り得てきただろうか.
 本書の編者・道関氏が「病態・評価についての研究が進んでいる一方で,治療に関しては,いまだ真に科学的な方法論は確立されていません」と述べているが,残念ながら同感せざるをえない.
 医療における有効な治療法とは,それによって実際に疾患が治癒に導かれる,あるいは障害・症状が改善されるものであること,そしてそれが科学的に裏付けられているものを指すのである.
 全体構造法の研究・開発が始められて,すでに約30年が経過している.この間,長年ST訓練を続けながら改善しなかった失語症やさまざまな言語障害の方が,病院や施設において全体構造法の訓練を受けることにより,話せるようになった事例を多くみるようになった.
 何人もの方が同じような改善を示されており,それが言語学・神経心理学・現象学など多岐にわたる科学的裏付けを有している以上,本法を“医療における有効な治療法”と認識してよいのではなかろうか.
 さて全体構造法は,言語とは何か,人間にとって言語とは何か,日本人にとって日本語とは何か,といった根源的な問いをベースとして成り立っている治療法である.そうした問いの原点を常に踏まえながら,患者さんそれぞれの置かれている状況を分析し,最適な手だてを配置してゆこうとするものである.したがって本法の手技はマニュアル化しにくい.一人ひとりの相貌が違うように,患者さんごとに最適な手だてが異なって当然なのである.その意味では全体構造法とはST一人ひとりと,相対する失語症患者とが,日々創造してゆく治療法であるということもできる.
 本書には,“一人ひとりの全体構造法”を可能ならしめる基本的な考え方が掲載されている.それらを十分に理解し応用するのは,ひとえに読者次第である.
 本法のような立場での失語症治療は類例をみない独創的なものである.そしてそれ故に,まだまだ完全なものではないが,治療法として確立されつつあるといってもよい.
 本書を世に送り出そうとしたのは,本法が現時点で到達している水準の手法によって多くの失語症を改善させることができるとの考えに至ったからである.そして関係各位の批判を仰ぐことでさらに飛躍をしていってほしいとの思いによるものである.率直な批判をお寄せいただくことを期待している.
 なお本法の内容の一部がプログラムされたパソコンソフト「花鼓」(R)(主として重度の失語症患者用)が,通産省などが主催する1996年のマルチメディア展で特別賞を受賞し,現在は「花鼓III」(R)に改訂され臨床応用されている.また,研究に合わせ,重度,中・軽度失語症患者のリハビリテーションの応用領域ソフトが開発され,ハード対応もなされてきている.
 本法の研究が進み,さらに洗練され,その適用によって多くの失語症や言語障害のある方のQOLが向上されてゆくことを,切に願っている.
 最後に,我が国の失語症学の泰斗である波多野和夫氏より,失語症研究の大きな流れの中における本法の位置づけと将来展望について貴重な論考をお寄せいただいた.この場をお借りしてお礼を申し上げる.
 また,このたび誕生した新版(基本編および応用編)の「第二章 症例編」には,それぞれ長年にわたる臨床経験豊かな先生方にご執筆いただいた.さらに充実した本書が失語症治療に携わる多くの方々のお役に立つことを願っている.新版制作に多大なご尽力をいただいた編集担当者・神ア亮太氏に深謝する.
 2016年3月
 米本 恭三
 編者の序(道関京子)
 監修者の序(米本恭三)
序章
 はじめに(道関京子)
  1 治療者があきらめていたら,回復の道は開かない
   1)プラトーとは,患者の能力の限界か,言語聴覚士(ST)の能力の限界か
   2)言語臨床こそSTの本来の仕事である
  2 失語症リハビリテーション科学の研究が必要
   1)人間科学としての失語症臨床研究
   2)失語症リハビリテーション科学は,要素的であるべきか,全体的であるべきか
   3)全体構造法による失語症治療
第一章 総論編
 第I節 全体構造法とは何か
  人間の言語習得(道関京子)
   1 人間の言語習得は音声言語から始まる
    1)言語獲得の普遍的順序
    2)音声言語とは何か
    3)音声言語習得における脳と身体の役割
    4)音声言語の聞き取りの習得における知覚の重要性
   2 人間は全体構造体系である
    1)構造化
    2)知覚の構造化
    3)言語の構造化
    4)言語の構造化に重要な要素
    5)言語習得は全体構造的である
    6)全体構造法の原点と理想
  全体構造体系である人間に対する失語症治療(道関京子)
   1 基本概念は音声言語の再構造化
    1)失語症患者の再構造化の力を信頼する
    2)音声言語こそ言語機能の基本
    3)自国語のプロソディの再構造化から始める
    4)音声言語の習得過程を再学習する
   2 刺激の最適性
    1)知覚の構造化―聞き取れてこそ,話せるようになる
    2)最適な(聞き取り)刺激に必要な要素と不連続性
    3)個々人の最適性
    4)言語それ自体を指導する
   3 全体構造法のめざすもの
    1)言語訓練は労苦を強いるものではなく,壁(プラトー)はない
    2)全体構造法を行うSTの条件
  失語症の評価診断に対する全体構造法の考え方(道関京子)
   1 失語症の評価―リハビリテーションのために分類・評価する
    1)非流暢な全失語/ブローカ失語
    2)失文法が重い失語
    3)流暢なタイプの失語
    4)リハビリテーションのために分類・評価する
   2 その他の言語障害や合併症について
    1)失行・失認を合併した失語症
    2)構音障害や吃音の合併について
 第II節 全体構造法の手技
  となえうた(道関京子)
   1 “となえうた”とは
   2 となえうたと伝承わらべ歌との関係
   3 となえうたを創作してみよう
    1)韻律の単位とコミュニケーションの単位
    2)基本的留意点
    3)創作のための構文論
    4)創作の実際
    5)臨床での用い方
   4 おわりに
  身体リズム運動(道関京子)
   1 身体リズム運動とは何か,なぜ言語訓練に身体リズム運動が必要なのか
   2 身体リズム運動の特徴と条件・構成
   3 身体リズム運動の実際
    1)声
    2)プロソディ
    3)リズム
    4)リズムグループ
    5)音
   4 おわりに
  不連続刺激(道関京子)
   1 不連続刺激の必要性
   2 不連続刺激─全体構造法での応用
    1)不連続の利用(その1)
    2)話しことばの低周波数帯域の重要性
    3)不連続の利用(その2)
   3 周波数調整器:周波数調整聴覚器(不連続・低周波),振動子
   4 周波数調整器の使い方
    1)非流暢性失語の場合
    2)流暢性失語の場合
   5 周波数調整器の利用期間
   6 周波数調整器の設備がない場合
   7 おわりに
第二章 症例編
 重度ブローカ失語の訓練経過(保田祥代)
 ウェルニッケ失語の評価と訓練経過(山ア 一)
 中心問題を求心性の運動感覚障害と固執して訓練を行った伝導失語の症例(今井田さおり)
 伝導失語の評価と訓練(中山 正)
 健忘失語の訓練―意味概念の構造化(赤羽根栄子)
 急性期より訓練を開始した伝導失語と健忘失語の合併例(藤川幸子)
 超皮質性感覚失語の訓練経過(早瀬麗子)
終章
 Concluding Remarks
 失語症理解への一つの視座(波多野和夫)

 全体構造法で使用するソフト・機器