やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監訳の序
 学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)が疑われる子ども,あるいは不器用を主訴に来院する子どもを診察する際には,中枢神経系の微細な異常あるいは成熟の偏りを示す「微細神経学的徴候(soft neurological sign)」に注目すべきことは古くからよく知られている.しかしながら近年,わが国では,DSMに基づく診断を行うことが優先され,子どもの症状の背景にある神経学的基盤を捉えることはなおざりにされている感がある.
 本訳書は,学習や行動,協調運動の問題を抱える子どもにみられる「軽微な神経機能障害(minor neurological dysfunction:MND)」を検出するための神経学的診察法を紹介したマニュアルである.Hadders-Algra教授は,フローニンゲン周産期プロジェクトの膨大なデータを基にMNDに関する研究を進め,年齢に応じた診察法をまとめあげた.特筆すべきことは,2つの異なったMNDの形を区別し,MNDのタイプによって,学習および行動上の問題との関連性が異なることを説明していることである.本診察法の目的は,症状の背景にある神経学的基盤を評価し,意思決定やマネージメントの参考とすることである.したがって,MNDを評価することによって,作業療法などの治療的介入へのエントリー基準に客観性をもたせることや,心身機能の個別性に配慮したリハビリテーション・アプローチを行うことが可能になると期待される.
 本書の翻訳には,筑波大学小児内科神経グループの諸先生と島田療育センターのリハビリテーション・スタッフにご協力いただいた.監訳にあたっては,訳語の統一を図ることと日本語として読みやすい文章にすることを心がけたが,最も苦慮した点は,MNDの“minor”をどのように訳すかであった.原著者は,信頼できないというニュアンスを含む“soft”という用語の使用を避けることを提唱している.そのため,訳書においても,その日本語訳として定着している「微細」という言葉を使わずに,あえてなじみのない「軽微」という言葉を用いることにした.その趣旨をご理解いただき,さらに適切な訳語があれば広くご教示いただければ幸いである.
 なお,付属のDVDには,神経学的診察のデモンストレーション,正常およびMNDの具体例,評価用紙(paper-formおよびWindows版E-form)が収載されている.このDVDを見ることによって,診察方法をより正確に理解することができ,適切な所見の解釈ができるようになるであろう.また,E-formは,MNDのタイプを判別する際に便利であり,臨床の場で活用されることをお勧めする.
 本訳書が,発達障害の臨床に携わる医師ならびに理学療法士・作業療法士に利用され,学習および行動上の困難さや協調運動障害のある子どもの評価と指導の一助となることを,監訳者として切に望む次第である.
 2013年5月
 問川 博之
 大戸 達之

序文
 私がこの序文を書かせてもらえるのは,とても光栄である.というのも理由が2つある.1つは,本書の改訂版を出されるというHadders-Algra教授の偉業に対して,感謝の気持ちと称賛の意を表す機会を与えてもらえたことである.本書は全面的な改訂版となっている.初版の発行が1970年,第2版が1979年であったが,本書が出るまではこの第2版が最新版であり,本改訂版はまさに待望の書であった.診察方法は数年来変わらないが,軽微な神経機能障害(minor neurological dysfunction)の詳細や意味,背景に関する知識ははるかに増加している.理論的な考え方が変化し,それに伴っていくつもの軽微なサインの原因および起源に関する考えも変化した.このため,本書の最新版を望む声は強かった.私としても,Hadders-Algra教授がこの改訂作業に取り組まれたことをこうしてお知らせすることができ,嬉しい限りである.いうまでもないが,教授の明晰さ,腕の確かさは周知のところである.
 こうして序文を書かせていただくことを嬉しいと思うもう1つの理由は,本書のこれまでの経緯について,私から一言申し添えることができるという点にある.本書に記載された診察法は発達神経学の一部であり,発達神経学といえばHeinz Prechtlの名を外すことができない.1950年代にPrechtlは,小児は成人を小さくしたものではなく,どの年齢にあっても特有の,年齢に応じた脳をもち,その脳には年齢に応じた機能があるという自身の概念を発表した.したがって,小児の神経系には発達に応じたアプローチが必要であり,いい換えれば,発達途上の脳には,感覚運動行動の厳密な観察に基づいた年齢相応の診察法が必要である.
 発達に応じた方法が必要であることはもちろん,かねてより小児科医が認めていたことではあったが,神経学的方法により実践されるまでには至っていなかった.しかも,発達途上にある正常な脳がその特徴として変化し続けていることは,当時はあまり知られていなかった.この概念が,乳幼児期および小児期の脳疾患の早期発見のほか,脳機能の軽い逸脱の評価に多大な影響を及ぼしたこともうなずける.我々はここGroningen(フローニンゲン)で,新生児の年間コホートを対象に神経学的診察を実施し,神経機能障害のリスクがあると考えられる乳児の追跡調査をいくつか実施した.これらの調査により,新生児とそれより年長の子どもに対する,年齢に応じた,標準化された診察法を考案することができた.
 1950年以降にPrechtl教授とともに研究することができ,しかも年長の幼児,未就学児および学齢期の児童に対して教授の概念を発展させるうえでお役に立てたのは,まさに光栄であった.乳幼児の神経学的発達に関するテキストと,(未)就学児の年齢に応じた診察法に関するテキストが,その業績である.
 本書の初版が発売されたのは1970年のことであり,Prechtl教授は共著者であった.1979年に本書が初めて改訂され,増補もされた.当時,ほかは正常でありながら行動と学習の問題が小児に認められるのは,脳に異常があるため,すなわち軽度ないしほとんど検知不可能な神経機能障害に基づくものであると考えられていた.20世紀最後の四半世紀には,心理学的および精神医学的概念が(再び)注目されるようになった.これはおそらく,機能障害を示唆する軽微な神経学的サインに対する関心が薄れたことによるものである.しかし,精神医学的原因および身体的(遺伝性も含む)原因の両方が,行動と学習の問題に関与していることについての理解が徐々に深まっていった.そこで再び,小児の機能の評価法として,年齢に応じた適切な神経学的方法を求める声が強まってきている.そして,「私のマニュアル」を新版として備えておくのが望ましいかのように思われた.
 Hadders-Algra教授が我々のところに来られたのは1980年代初頭のことであったが,教授は小児に認められるさまざまなサインを分析する大家である.臨床的に最も重要なサインのほか,重要度の低いサインまでも正確に指摘してくれた.教授のかなりの部分の研究成果がこの最新版の書には盛り込まれている.しかも,神経機能障害を表す軽度のサインの重要性と,これらのサインと神経発達障害のある小児の諸問題との関係について,過去約50年間に発表されたものを凝縮して,きわめて読みやすくまとめてくださっている.このため本書から得られるものは,単なる診察法にとどまらない.
 この新版を拝読した時,易々とは理解できない部分があった.これは私からの賛辞である.この賛辞を敬愛してやまない素晴らしい改訂版に捧げ,序文の結びの言葉としたい.
 Bert C L Touwen
 発達神経学名誉教授
 フローニンゲン大学,オランダ

序文
 臨床医は,型通りの神経学的診察では異常はみられないが,運動発達が明らかに「釣り鐘型曲線の端」に位置する子どもの診察をよく依頼される.このような状態は両親に不安を抱かせ,時には子どもに深刻な機能的問題やフラストレーション,惨めな気持ちを生じさせる.本書は,このような子ども達を診るセラピストおよび発達小児科医の大きな力添えとなるであろう.
 臨床所見の重要性が不明確な場合,臨床医は「見守りましょう(watching and waiting)」と助言するのが賢明である.問題なのは,我々は一般に観察すること(watching)よりも待つこと(waiting)の方が得意であるため,神経学的「ソフト」サインとそのサインから推測できることについて,これらが最初に注目された時から長年にわたり学んでこなかったということと,学ぶべきであったということである.
 Mijna Hadders-Algra氏は,注意深く,長年にわたり観察を続けてきた.この重要なテーマに取り組んできた彼女の誠実さと客観性は模範的である.過去のデータが,実際にはそれまでの結論の完全な裏付けとはなっていないことに気付いた場合は,彼女はそのことをはっきりと述べてきた.先行研究を修正することを恐れず,第3版である本書においては,フィールドテストを踏まえて診察のスキーマを簡略化し,改良している.彼女はまた,それまでの診察のやり方では,観察者間信頼性があまり高くないことも認識しており,その主な原因は一貫性のない手法にあることを確認している.第3版における大きな変更点として,スチール写真およびビデオ映像を掲載することにより,この一貫性のない手法の改良に着手した.彼女の細部にまで至る配慮と,臨床上の疑問の一領域を明快な結論へと導く決意は他の模範となるものである.
 誠実な研究者である彼女は,依然として残る問題にも向き合っている.このような問題の中に,小児の発達に関わっている臨床医なら誰しもなじみのある他の領域と同様に,連続的に分布した能力に関して「事例性」としての任意の閾値を定めることには限界があることがよく知られている.我々は皆,ディスプラクシア(dyspraxia)1の概念のように,二者択一に単純化すること(「私の子どもはディスプラクシアなのか?イエスか,ノーか?」)の不適当性を認識している.微細脳機能障害のサインとMRI所見との間には限られた相関しかないことはこれを明確に示しており,これについては十分に議論されている.しかし,臨床医による評価が,「すべて入念に調べる」という考え方に取って代わられない限り,本書の長年にわたる丁寧な研究はこの分野で働くすべての人々に高く評価されるであろう.
 Rob J Forsyth
 小児神経学顧問および上級講師
 ニューキャッスル総合病院およびニューキャッスル大学
 ニューキャッスルアポンタイン,英国

謝辞
 まず何よりも,発達神経学の原理と子どもの神経学的診察法の基礎についてご教示くださったBert Touwen教授に感謝の意を表する.教授は常に,運動や学習,行動に障害をもつ子どもにおける標準化された,年齢特異的な,包括的神経学的評価の必要性を説かれていた.加えて教授は,神経行動学および神経認知学が関連する領域においては,単純な1対1の関係は存在しないことを強調されていた.教授が1970年代に作成されたマニュアルを私が書き直すことを許可してくださったことを光栄に思い,また書き直しの過程において激励と温かいご支援をいただいたことに感謝の意を表する.
 Karel Maathuis氏(医師,博士)およびJessika van Hoorn氏(医師)には,各章の草稿に関して重要なコメントをいただき,心から感謝の意を表する.事務補助に携わってくださったLoes de Weerd氏にも感謝する.Michiel Schier氏(理学修士)には,マニュアルの図およびビデオの作成に多大なご助力をいただいた.彼はまた,DVDに収載された電子版評価用紙の開発にも携わってくださった.
 最後に,写真撮影に進んで応じてくれた子ども達と,自分達の行動の様子が収められたビデオの使用を許可してくれた子ども達に,とりわけ感謝の意を表したい.写真やビデオの使用に関しては,マニュアルの写真またはビデオに写っている子ども達の親,および使用されたビデオに写っている9歳以上の子ども達から,書面による承諾を得ている.
 監訳の序
 序文(Bert C L Touwen)
 序文(Rob J Forsyth)
 謝辞
1章 イントロダクション
2章 軽微な神経機能障害の評価
3章 評価方法と計量心理学的特性
4章 座位での子どもの評価:partI
5章 立位での子どもの評価
6章 歩行に関する子どもの評価
7章 背臥位での子どもの評価
8章 座位での子どもの評価:partII
9章 一般的データ
10章 所見の解釈

 文献
 付録:評価用紙(MND paper-form)
 DVD目次
 索引