やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 脳損傷後の高次脳機能障害(神経心理学的障害)は,厚生労働省にて支援モデル事業が実施されてきたことや,各地に患者・家族の会が発足し活動してきたこともあって,ようやく世の中に認知される用語となりました.しかし,その障害の様相は様々であり,対応に関しては,家族や直接の支援者はもちろんのこと,医療機関,相談機関,支援機関,福祉機関においても,各々の現場で関連するスタッフが試行錯誤を繰り返しているというのが実情ではないかと思われます.
 総合病院の精神科でキャリアを重ねてきた筆者が,脳損傷後の高次脳機能障害のリハビリテーションに取り組むことになったのは,1994年に埼玉県総合リハビリテーションセンターに勤務してからです.それまでの脳神経外科や救命救急科からのコンサルトを受けて介入する程度のものだった時と比べて,はるかに深遠な問題がその背景に潜んでいるということに気づかされました.その後2001年から開始された厚生労働省高次脳機能障害支援モデル事業の地方拠点病院委員として,高次脳機能障害が行政的に,あるいは社会的に取り上げられ,注目されていく過程を見てきました.そして,委員としては,主に精神医学的視点に立った立場から発言してきました.
 本書は,筆者が埼玉県総合リハビリテーションセンターにて15年にわたって,高次脳機能障害の診断・治療・社会復帰への支援を行ってきた経験をまとめたものです.埼玉県の高次脳機能障害拠点病院の唯一の担当医師として多くの当事者・家族に出会いました.また精神科も標榜しているために,高次脳機能障害と精神症状とが絡み合った例もしばしば紹介されてきました.その経験を,各誌に発表してきました.本書は,それらの内容を骨子として,高次脳機能障害の患者さんに対応する場面で必要な知識・情報を,精神医学・心理学的なアプローチを切り口として,1冊にまとめたものです.
 本書にあげた11の症例,そして写真の症例は発症・受傷の比較的早期から筆者が関わり始め,10年間は経過をみてきたものばかりです.本書への掲載を快くご承諾くださいました本人ならびにご家族の方々に深謝いたします.なお本人が特定できないように年齢や性別,生活史を省いてあることを読者はご了解ください.また,高次脳機能障害といいながら脳外傷(閉鎖性頭部外傷)の話が中心になってしまったこともご了承ください.文献についても,新しい学問レベルのものに変えるべき箇所が多々あると思いますので,ご指摘いただけると幸いです.
 なお,筆者が興味がありながらも,現段階ではまだ整理しきれず,本書では言及しなかった分野があります.それは,低酸素脳症の長期経過,器質性の解離性障害,mild brain injury,発達障害や統合失調症に高次脳機能障害が合併した場合です.次に機会がありましたら,そのあたりを加筆しながら,改訂版としてまとめたいと考えています.
 当然ながら本書は,埼玉県総合リハビリテーションセンター関係者の日々の活動のなかからまとめあげられたものです.枝久保達夫先生,田中昌子先生,越野修先生,小田倉由美子先生,豊澤由紀子先生をはじめとする歴代の臨床心理士の方々,大勢の関連スタッフの皆様に感謝いたします.また,常に励ましと勉強の機会とを与えてくださる,鹿島晴雄先生,加藤元一郎先生,村松太郎先生をはじめとする慶應義塾大学医学部精神神経科学教室神経心理研究グループの皆様,昭和大学医学部精神医学教室の三村 將先生,高次脳機能障害専門外来を手伝ってくださった根本隆洋先生,水野雅文先生,小林靖先生,横山知子先生,稲村稔先生に感謝いたします.
 最後に,医歯薬出版の編集担当者がいなければ,この本は出版されなかったことを記しておきたい.
 2009年4月
 東京福祉大学・埼玉県総合リハビリテーションセンター
 先崎 章
 まえがき
1 昨今話題になっている高次脳機能障害とは
2 神経心理学的障害と精神症状(脳障害でみられた各種障害をもとに)
 1―脳外傷の症状特性
 2―脳外傷の高次脳機能障害の典型的なパターン
 3―各種神経心理学的な機能障害
  注意障害 易疲労性(神経疲労) 身体症状 記憶障害 行動障害 統合失調症様症状 セットの維持・転換の障害 遂行機能障害 自己の障害についての気づきの低下 発動性の低下 前頭葉性の情動障害 辺縁系の情動障害 自己の振る舞いが周囲にどのように波及するかについての認知障害
3 統合失調症との相違
 1―精神障害者支援施設からみた高次脳機能障害
 2―高次脳機能障害の症状の起因
 3―神経心理学的検査からみた高次脳機能障害と統合失調症
 4―「物についての障害」からみた高次脳機能障害と統合失調症
 5―対応面からみた高次脳機能障害と統合失調症
  高次脳機能障害では,気づきの部分をふくらます対応が必要 統合失調症者への手技が高次脳機能障害者にも応用できる
4 情動障害への対応
 1―情動の生物学的基盤と情動障害の様相
 2―重度情動障害の対応の実際
  認知・心理療法 行動療法 認知行動療法とSST 薬物療法(精神科以外の医師へ) 薬物療法(精神科医師へ) 薬物療法(抗てんかん薬の影響)
5 うつと発動性低下,不安障害への対応(脳外傷の場合を中心に)
 1―高次脳障害者のうつ
  脳外傷後のうつ 脳外傷後のうつの危険因子と神経心理治療プログラムの効果
 2―mild TBIや脳外傷介護者にみられるうつ
 3―うつの治療
  発動性の低下に対する治療薬
 4―不安障害
  脳損傷後のPTSDの考え方と治療
6 生活支援のための認知リハビリテーションと心理療法
 1―認知リハビリテーションと心理療法
 2―生活援助のための認知リハビリテーション
 3―認知リハビリテーションの理論的分類
  神経の再建(=復元)という視点にたった反復訓練 残存している能力を有効に活用する訓練 本人にとって実用的な限られた領域のみをあつかう領域特異的学習訓練 集団を利用した認知リハビリテーションならびに心理的治療(包括的・全人的アプローチ)
 4―認知リハビリテーションストラテジー(方略)
  本人が,生きる希望・喜びをもてるストラテジー(方略)への誘導 気づきを得ること
 5―心理療法にあたっての原則
7 専門外来を効率的にどう運営するか
 1―高次脳機能障害モデル事業の拠点病院としての専門外来での当初の経験(2001年〜2004年度)
  初診の概要 初診者の内訳にみる専門外来のニーズ(2001年〜2004年度) 知能の程度と日常生活記憶,前頭葉関連の注意力の程度とは相関しない 専門外来(初診)を効率よく運営するためには 初診後の経過と外来再診 記憶障害の程度と今後の見通しを家族に伝え,代償手段導入を試みることの重要性
 2―専門外来を開設してしばらく後に発生する課題(2005年以降に生じてきた問題)
8 就労支援に向けて
 1―社会参加の一形態としての就労
 2―就労支援の評価が神経心理学的検査で可能か?
 3―就労にあたっての能力障害の評価
 4―就労支援と職場への望ましい対応
 5―就労・復職への具体的な例
  「脳外傷者」の就労支援で考慮しなければならない障害特性 「脳血管障害者」による高次脳機能障害の症状特性と復職を目指しての対応
 6―産業構造と高次脳機能障害
9 診断書作成―精神障害者保健福祉手帳用診断書,年金診断書(精神の障害用)を中心に
 高次脳機能障害について精神障害者用の診断書を作成する時のポイント(私見)
  記載する医師の資格 診断書の作成時期 高次脳機能障害という診断名を使用してよいか 現在の病状,状態像についての記載 「日常生活能力」の程度についての5段階の判定

 索引