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『優雅な留学が最高の復讐である 若者に留学を勧める大人に知ってほしい大切なこと』 書評

書評:新研修制度時代の実存主義的留学論
評者:広田喜一(関西医科大学医学部麻酔科学講座)

島岡要先生が「優雅な留学が最高の復讐である」を出版されました。

副題は「若者に留学をすすめる大人に知ってほしい大切なこと」。 タイトルからして異化効果抜群です。

「大人」向けのはずなのですがとにかく表紙を読んだら手にとって内容を確かめたいという衝動に「若者」を駆り立てます。

この本の「解説」は慶応大学の門川俊明先生が担当されています。 この本の誕生にぼくもたぶんすこし縁があったのだろうということで少し書いてみます。( 「解説」で紹介されている鼎談は、門川さんが医歯薬出版から出版された「研究留学術 第二版」に収録されています。 そこにある通りにぼくも研究留学経験者です。)

今から20年ほど前、大学院を終えて麻酔学講座の助手(今でいう助教)をしていた時分に恩師である教授(もう亡くなってしまいました)に「お前はこのまま日本にいるとダメになるからとっとと留学しろ」と言い渡されたのがぼくを二年半の研究留学に押し出しが直接のきっかけでした。 大学院の4年間を基礎研究室で送りやっとの事で博士号を取得して機嫌良く研究を継続していたぼくには先生の真意は全く理解できていませんでした。

まあ何か教室の都合もあるのだろうと考え、様々な活動をして米国への留学が決まりました。そう先生に報告すると「まるで遣米使だね。」とわらわれました。なるほど上手いこというなとその時は思いましたが何のために留学するのかについて明確なイメージもないままに渡米することになりました。

出発する時に先生から言われたことを今でも覚えています。「あんまり頑張りすぎないように」と「お金に困ったら卵と肉を食べろ」の二つでした。このはなむけの言葉の真意もいまだに理解できていません。

「留学」って「留」の部分が重要なのかそれとも「学」の部分が重要なのかはそう簡単に解ける問題ではないのです。

多和田葉子さんに「献灯使」という小説があります。なぜが鎖国をしている日本が舞台の一種の近未来ディストピア小説です。

例えば「インターネットがなくなった日を祝う『御婦裸淫の日』」(野暮を承知で解説すると「Off Lineの日」だと思います)が休日として制定されているような「未来の」日本です。そこではかつての「遣唐使」は「献灯使」として生まれ変わっているのです。

この島岡本は今時の若者にとってモダンな「遣唐使」としての留学からポストモダンな「献灯使」としての留学にシフトしているのだということを「大人」に気付かせてくれる一冊といってもいいと思います。

つまり留学にはそもそも本質などなく留学するかしないかがあるだけでそれを前提にぎりぎり「研究留学」を救い出し昨今の医療をめぐるシビアな状況にどっぷりつかっている若者に提示するという試みがこの本なのだとぼくは解釈しています。目的論とか「大人の」偏見にまみれた留学像から逃れ「若者」は自由に「世界」に旅立てば良いのです。

この本は雑誌「医学のあゆみ」で連載された島岡要さんがホスト役を務めた対談シリーズ「”教養”としての研究留学」から派生した一冊です。「教養」って別に食べて美味しくてお腹がいっぱいになるものではありません。たぶん「留学」も一緒です。美味しくもない定食を若者は食べさせられる理由はありません。

冒頭紹介した鼎談が終わったあと京都市内某所で二次会を行いました。その折りになぜか大江健三郎氏の名前が出てきました。

W.H.オーデンに“Leap before you look”という詩があります。これは英語のことわざ“Look before you leap”のもじりだといわれています。この詩をもとに大江さんは「見る前に跳べ」という小説を書きました。(大江さんの初期の小説はサルトルの実存主義に影響されたものが多いとぼくは理解しています)

留学に先験的な目的などなく旅立った自分がいるだけなのです。 新医師研修制度時代の実存主義的留学論「優雅な留学が最高の復讐である」を読んで若者がどのような行動を取るのかに興味があります。

若手医師のもう一つの関心事は「大学院」でしょう。「留学」よりもっと身近で切実な問題かもしれません。今後、島岡さんには「大学院」問題に切り込んだ一冊を期待したいです。

「留学しても英語は上手くならないよ」というのはぼくの場合は本当でした。

とにかくfast foodの店で注文するのがイヤでいつも息子に替わりに注文をしてもらっていました。唯一ぼくの面目が果たせたのはカナダ東部の田舎の「サブウェイ」で彼の英語が通じずぼくがフランス語をしゃべって何とかなったときだけです。

今でも息子にはぼくの英語をバカにされ続けています。


広田喜一先生のブログresearch for the best cureTM::blogの9/25新研修制度時代の実存主義的留学論―書評「優雅な留学が最高の復讐である」より許可を得て転載.